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被爆地として核兵器廃絶を訴える長崎市は、護衛艦や魚雷をつくる三菱重工長崎造船所のお膝元でもある。... 被爆地として核兵器廃絶を訴える長崎市は、護衛艦や魚雷をつくる三菱重工長崎造船所のお膝元でもある。かつての軍都佐世保市は今も自衛隊や米軍の基地の街だ。原爆投下が決定づけた終戦から七十年。日本は「戦える国」「武器を売る国」へとかじを切りつつある。「平和」と「軍需」が絡み合う、長崎の二つの街の戦後を見つめた。初回は長崎市の一つの家族の物語から-。 二つのきのこ雲の写真に挟まれ、白髪の日本人男性が映し出された。二〇一〇年末、英BBC放送で、広島、長崎で二度被爆した故山口彊(つとむ)(同年一月、九十三歳で死去)は「世界一、不運な男」と笑いの種にされた。 二重被爆は単なる「運」ではなく、そこに至る理由がある。山口は、三菱重工長崎造船所の製図工だった。一九四五年八月六日、広島造船所に同僚二人とともに出張しているときに被爆。やけどを負って戻った長崎に三日後、再び原爆が投下された。 同じような経緯で二重被爆
2015/04/14 リンク