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広東省梅県で客家系の家族に生まれる。公務員(広東省の教育課課長)だった父が先に台湾に渡り、1歳の時... 広東省梅県で客家系の家族に生まれる。公務員(広東省の教育課課長)だった父が先に台湾に渡り、1歳の時に家族で台湾移住。花蓮、新竹から鳳山に移り、ここで少年時代をすごす。1959年に父親を、1965年に母親をなくしたため、高校の頃から弟たちの面倒を見る[1]。こうした少年時代の体験は映画『童年往事 時の流れ』で描かれている。 1965年高校を卒業するが、大学の入学試験に失敗し、高雄で暮らしているうちに兵役に。1969年に兵役をおえ、国立芸術専科学院に入学して、1972年に卒業。電算機のセールスマンをした後に、1973年に李行監督作品のスクリプターに。のち、脚本家、助監督を経て1980年に『ステキな彼女』で監督としてデビュー[1]。 監督として注目されたのは1982年の『川の流れに草は青々』で、台湾の批評家らに絶賛された。1983年の『風櫃(フンクイ)の少年』は第6回ナント三大陸映画祭グランプリ