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「親の心子知らず」とよく言われますが、その逆もまた然り。 特に豊臣秀吉が天下人になってからは「妻と... 「親の心子知らず」とよく言われますが、その逆もまた然り。 特に豊臣秀吉が天下人になってからは「妻と子供をワシの手元に差し出さんかい!」という人質の方針が固められ、戦国大名の子供たちは父親とロクに顔も合わせず育っていきました。 これでは親子の愛情もすれ違いになりがちで、本日はそんな戦国~江戸期のホームドラマなお話です。 明暦四年(1658年)6月8日、宇和島藩主の伊達秀宗が亡くなりました。 名字からお察しの通り、あの伊達政宗の息子(長庶子)です。 どこの家でも同じ話なのですが【長男かつ側室生まれ=長庶子】というのは立場が非常に難しいもの。 ヘタに野心を持ったり家臣に担がれれば成敗されかねないし、かといって沈黙を突き通すには自身のプライドや周囲の状況が許してくれません。 しかも伊達秀宗の場合、生まれたのが天正十九年(1591年)という秀吉の死&関ヶ原ちょい前のことなので並々ならぬ苦労もしていま
2014/06/07 リンク