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同性婚の法制化を求める声が大きくなっている。それに対して反発が広がり、「そもそも結婚は生殖(あるいは出産)のためにあるのであり、出産しないカップルに結婚による法的利益を提供する必要はない」とか「同性婚を許容するなら兄弟姉妹の結婚も許されるべきではないか」といった議論も飛び出した。後者に関しては特に、牽強付会と言っても構わないと思われるが、なぜそのような錯誤が生じるのかも含めて、もう一度「婚姻」と「再生産(子どもをつくること)」の関係を考え直してもいいかもしれない。本稿で述べる論点をまとめるなら、以下のようになる。この三つに違和感を感じない方は、最終節だけ読んでいただいても構わないと思う。そうでない方は、少し長くなるが全文にお付き合いいただければ幸いである。 (1)婚姻は生殖のためにあるのではないし、人類のインセスト・タブーは生物学的(優生学的)根拠に基づくものではない (2)日本文化のイン
ポリティカル・ライターの平河エリ氏と衆議院議員米山隆一氏の間で、次のようなやりとりがあったようである。 ジェンダーや気候変動などの左派政策は共産党に任せ、野党第一党はより改革志向の政策を提案するというような枠組みにシフトしていくのだろう(選挙協力は維持しつつ)。 今回ですら協力が難しかったものが、更に政策が離れて本当にうまくいくのかと言われると、よくわからない。 — 平河エリ / Eri Hirakawa『25歳からの国会』(現代書館) (@EriHirakawa) November 1, 2021 私はジェンダー平等や気候変動も出し続けていいと思います。但し出す順番としては、①経済②福祉③ジェンダー・気候変動だと思います。③を1番に打ち出すと、「余裕のある人の趣味」に見られてしまうので。又①②についても「人に優しい経済、人に優しい福祉に改革する」という打ち出しだと思います。 https:
選挙の結果というのは、選挙の形式に大きく依存する。そして、選挙制度には一長一短があると言われている。例えば、日本がかつて衆議院で選択していたのは中選挙区制であり、各県を複数のブロックに分け、原則として3から5人の議員が選出されることになっていた(実際は人口変動や離島と言う条件などから、最小1から最大6までの定数を持つ選挙区が存在した)。 さて、定数5の選挙区の場合、どのような結果が想定されるだろうか。ある国には、A党がとB党と言う二大政党が政権を争い、それ以外に数党の小規模政党が存在するとしよう。定数5の選挙区では、例えば(A,A,B,B,C)といった結果になることが想定される。あるいはかつての日本のように一つの党が強く、他党はそれに比べて小規模だとすれば(A, A, A, B, C)になるかもしれない。前者のような状況の場合、定数が4になったら(A, A, B, B)になるか、(A, A
オリンピックでは、トランスジェンダーのアスリートの出場をめぐって議論になっている。この選手は、「男性ホルモンのテストステロン値が12カ月間にわたり一定以下なら、女子として競技することを認める」というガイドラインの初の適用事例になるはずである。近年、男性と女性の境界線は揺らいでおり、その過程でトランスジェンダーに対する風当たりは強くなっているように見える。アメリカでは、テストステロン値に関する国際的な規定とは別に、共和党の主導によってトランスジェンダーの選手の公的なスポーツ大会への出場を規制する法律が広がっている。アスリートは出生児に女性であったという証明や、遺伝子検査を課されることになる。これらの措置は、(1)倫理的に妥当だろうか? また、(2)実際問題として可能だろうか、ということを考えてみたい。男性と女性がなぜ別れているのか、ということは簡単に答えられる問いではないが、少なくとも「スポ
専門家と素人のコミュニケーションと言う問題について、かつての議論が再燃していますが、これに関して見直すことは有益だと思いますので、若干コメントさせていただきます。 まず、政治的な意見の違い、特にリスクに関する見立ての違いが引き起こしがちな問題の枠組みについて見直したいと思います。 これは、図表のように整理できます。 議論を成立させるには、二つの「次元」を分けて考えなければいけません。 一つは、事実に関する「科学的見解」が二極化していると言うことです。これは図では横軸で表されます。 もう一つは、相手との議論 (ないし対話)にどのような表現を使うか、と言うことです。 図では、上にいくほど暴力的、非合法的、非倫理的なものであり、下に行くほど論理的で科学的な手続きに沿ったものである、という風に表しています。 この「縦軸:議論の表現」と「横軸:科学的見解」の間に、本来は関係はないわけですが、横軸の原
政府は新型コロナ感染症下で、 Go to などの経済対策を続けるようです。しかし、本来はこれは個々人に対する直接保証であるべきで、そうでなければ給付は偏り、救済される人もいる一方で、追い込まれる人を十分に救い上げられないだろう。我々は政府に対してこういった措置を強く求めていくべきである…と言うブログを春に書いたつもりになっていたのであるが、どうも公開してなかったらしい。これから冬にかけて、再び感染の拡大が予想されるので、とりあえず公開しておく(情勢が変わっているところはちょっと文言を直しましたが、基本的に春に書いたときのままです)。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の被害が世界中に拡大している。その中で災害社会主義(Disaster Socialism)という言葉を海外の論評などで見かけるようになった。この言葉がどこまで適当かはわからないが、「再分配」という言葉について、人類は
予定より長くなったので、最初にアブストラクトを入れておきます。 ・フンボルト理念やマートン規範は、主に国家の事情(軍事)と市場の理論の二つから脅かされる。この二つの力の介入を大学が回避することは不可能だが、一定の緊張関係は求められる。 ・産学連携より軍学の方がより危険な点があるとすれば「機密」という問題である。第二次世界大戦の敗戦は、この問題に折り合いをつけなければいけないというプレッシャーから、日本の大学を解放したという面はある。 ・日本はそのかわりに、学術界主導の基礎研究体制の導入に成功した。これを担ったのが日本学術会議であった。ただし、これはその時々の政権にとっては必ずしも歓迎すべきことではなく、徐々にこの権限は剥奪されていった(しかし、これは合法的に行われたこと、また学者の側の積極的な抵抗は見られなかったことは認めねばならない)。 ・一方、戦間期の軍事動員体制を引きずった戦勝国にお
1. 「日本学術会議」の設置意図 なぜ法律を守らなければいけないのか、ということを理解するために、その立法の意図に立ち返って考えることは重要である。人を殺してはいけないことや、人からものを奪ってはいけないことは、さほど考えずとも自明であるように思われる。しかし、例えば人が書いた絵を真似することが、どう言った場面で「違法」になるかは、色々なやり方があるように思われる。だとすれば、どんな社会を作り、どのような方法で、何を守らせようとするかも、実際のところ必ずしも自明とは限らない。ここで、何を目的にして、どう「日本学術会議」を規定する日本学術会議法が定められているかを考えてみたいと思う。 同法は、学術会議の役割を「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする」(第一条)と規定している。「科学者の国会」と言われる所以
日本学術会議会員任命拒否問題に関しては、学術会議側も外された六人の任命を求めるなど、アカデミック・コミュニティとしても抗議の姿勢を強めていくようである。それは大変大事なことだと思う。ただ、現在の与党幹部と話が通じるという前提でかかるのであれば、不安もある。話が通じるかということは、「学問の自由」というのが、民主国家を支える大前提の一部、それも極めて重要な一部であるという価値観を共有できるか、ということにかかっている。そして、それは(例えば副首相が「大人になってから因数分解や三角関数なんて使わないから、義務教育は小学校まででいい」と言ってしまう状況であることを考えれば)ちょっと望み薄なのではないかと思っている。 すると、妥結はある種の「力のあるもの同士の取引」になるのかもしれない。アカデミック・コミュニティとして、それで満足すべきなのか、という問題である。 排他的なポピュリズムというものが世
九州大学の中山敬一教授がネットに公開している女性研究者のキャリアに関する文章が議論を呼んでいる。(リンク先に飛んで「女性研究者の有利と不利」をクリックしていただきたい) ここで、同氏の文章について、問題を整理しておく。 先に結論を述べておくと、この文章はセクハラとパワハラの双方の成分を含んでいる。 こういった文章が大学のウェブサイトに公然と載っていること自体が問題であり、またこの態度で研究室運営を行っているとすれば、実際の被害者も多くいると思われる。 ただ、一方で(少なからぬ擁護者もいるように)ここで表明されているような感覚はいまだに日本の大学の少なからぬ研究室を支配しており、ここまで公然とは言われないにせよ、同様な感覚を抱いている教員は多いかに思われる。 その意味でも、ここで問題を総括しておくことは重要であろう。 まず、「今は女性研究者にとって有利な時代」だろうか? 確かに、「国の施策と
某所に提出したメモなので、わかりにくいかもしれませんが、リンク集的な利用価値があるかもしれませんので公開しておきます。 メモがわりの未定稿の公開ということで、情報を足したりするかもしれません(消すことは、基本しないつもりですが…)。 【これまでの経緯】 (1)4月の経緯 4月14日、大阪府・市、大阪大学、公立大学法人大阪、地方独立行政法人大阪府立病院機構 及び地方独立行政法人大阪市民病院機構の6者がワクチン開発に関する協定を結ぶ。 アンジェスと市立大学病院も別途、同日(14日)付で協定を結んでいる。 これを大阪維新の会の維新Journalが「オール大阪でワクチン開発」「年内には10万単位で投与」などと宣伝。 この段階では「9月には医療関係者に向けた実用化」(大阪日日新聞)と報じられている。 これについてアンジェスは「協定を結ぶ大阪府の吉村知事から、9月の実用化をめざすように求められました
現在、種苗法が議論になっているが、問題の本質は、その背景にあるUPOVと呼ばれる国際条約である。UPOV、正式には「植物の新品種の保護に関する国際条約」は1961年に締結され、たびたび改定されてきた国際条約である。目的は、種子の「育成者権」を知的所有権の一つとして認めることである。しかし、このことには国際的には長い長い議論がある。 そのためには、まずコモン(ないし複数形でコモンズ)と言う概念を考える必要がある。コモンは、例えば「共有地の悲劇」などの語彙で有名だが、必ずしも「土地」と言うわけではないので、ここではカタカナで「コモン」としておく。元来、人類は生業に必須だが、一人ひとりで独占したり、管理したりすることが適当ではないものを「コモン」としてきた。例えば日本のような農耕文化では、水源や山林は入会地などと呼ばれ「コモン」として管理されてきた。放牧文化では、家畜を放すための土地もコモンであ
ふらっと教育パートナーズ (編)『ふらっとライフ: それぞれの「日常」からみえる社会 』(2020) 北樹出版 が発行されています。 元々は高専の人権教育の教科書として考えられていますので、高校生や大学の教養過程レベルの読み物として適切だと思います。 私は、「第10章 命の源、水を守る人々: インド、ケララ州の社会運動の現場を巡る」を寄稿しました。同章では、南インドのケララ州の住民運動として、自分たちで水道をつくってしまったオラヴァナ村の話と、地域水源を奪ったコカコーラ工場に反対したプラチマダの人々の話を取り上げています。 また、本の内容のフォローアップ・サイト「ふらっと教育パートナーズ」も立ち上がっています。 https://flat-partners.amebaownd.com 本書では、第三世界であるインドの水の問題について扱いましたが、サイトでは先進国の水道について扱った本をご紹介
火事場泥棒とでもいうべきか、新型コロナウィルスによるパンデミックへの対応で、市民の社会・経済活動を抑制する、より強い強制力を発揮するために憲法改正が「極めて重要な課題」であるという発言が、安倍首相自身の口からなされた。報道によれば、日本維新の会の遠藤敬国対委員長に対する回答の中でのものである。Huffington Post が以下のように報じている。 遠藤議員の「緊急事態に陥った際、国が国民の生活を規制するに当たって、ある程度の強制力を持つことを担保するにも、憲法改正による緊急事態条項の創設が不可欠だとも考えている」という発言に対し、安倍首相は「憲法改正の具体的な内容等について、私が総理大臣としてこの場でお答えすることは差し控えたい」とした上で、こう続けた。 「あえて申し上げれば、自民党が示した改憲4項目の中にも緊急事態対応が含まれており、大地震等の緊急時において国民の安全を守るため、国家
議会において対案を出すのは野党の仕事ではないし、真に重要な問題の場合、野党は対案を出せません。なぜなら、民主制というのは意見が違う、ということを前提としているからです。「意見が違う」というのは、良しとする社会の方向性が違う、ということです。そして、どの政党の「良しとする社会」を目指すか、というのは基本的に選挙のマニフェストを有権者が比較することで争われることです。議会というのは、当然選挙が終わった後に開かれるものですから、そこではすでに「対案の検討」は終わっている、ということになります。 もちろん「良しとする社会は共通合意があって、解決策だけがわからない」という場合は対案が必要ということになりますが、第一に、実はそういうケースはそんなに多くはありません。また第二に、そういう問題は普通は「専門家」に任せることが得策です。技術的な問題に関しては素人の集まりである与党が議論して解決策が出てこない
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1. なぜ「マジョリティのヘテロ男性」は差別され得ないのか? 文化人類学やカルチュラル・スタディーズは"差別というのは、基本的に「コミュニティの境界確定」のためにある"と論じてきた。 自然界は通常、曖昧なものである。 例えば、大人と子どもを考えてみよう。 村の秩序は、たとえば大人になれば村の方針を決める寄合に参加できる、酒が飲める、結婚ができる、と行った「権利」を「大人」に付与するであろう。 一方、昆虫の類ではない人類に、大人と子どもの境界線が自然に与えられるわけではない。 大人であるかどうかは、年齢であったり、慎重であったり、第二次性徴があったかどうかだったり、あるいは「戦に出る」能力と行ったなんらかの能力であったりで決められるだろう。 現代社会であれば、法律は通常年齢を大人と子どもの境目を決める手段として選び、特に誰が何かを宣言しなくても、法律は全ての個人を粛々と大人に分類していくだろ
"人文諸学の再興(と、多少はそこで食っていけるはずの人々)のために"の続き、的な。。 もう一つ、博士号取得者を増やすという直接の動機がバイオを中心とした「実用性の 高い」分野での国際競争力を増す、ということであったのは間違いないが、決して文系諸分野では増やさなくていいということだったわけではない。 現在、社会は高度に複雑化しており、IT化などに応じて発生する様々な社会問題もある。もちろん、気候変動などの環境問題は深刻であり、これらは一義的には「科学」の問題だが、対応するためには法律や倫理、経済の問題を考慮しなくていいわけではない。要するに、様々な知識が専門化してきているわけである。 そういった中で、例えば貧困や環境に関する国家間折衝が気候変動枠組条約や生物多様性保護条約の締約国会議という形で行われ、大々的に報道される。また、貧困や格差の問題はG20やWTO閣僚級会議の際に世界中からNGOも
高学歴ワーキングプアーという言葉はすっかり定着したが、そういった状況にある若手人文系研究者の自殺事件が続いたことにより注目されている。先日、朝日新聞に掲載された記事には、友人であり、一般社団法人カセイケンでご一緒している榎木英介氏のコメントが掲載されていた("「博士漂流」問題、職に対して人募集の仕組みを" ※こちらはデジタル版のみの内容も含んでいる)。榎木氏は日本における研究者のキャリアパス問題で長年活動を続けてきており、近年朝日新聞のような「主要メディア」にも意見を求められるようになったことは、私としても大変ありがたいと思っている。ただ、一方では、朝日新聞でのコメントも基本的に「理工系(特に90年代後半から大量生産されるようになったバイオ系)の研究者」の視点かなと思う面はあり、そこで多少違和感を感じる部分も否定できない。ここで、人文・社会系の研究者にとってのキャリア問題について、少し別の
神なき時代の人間の倫理は、大抵の場合、ベンサム的な功利主義とカント的な義務論の二つの原理のどちらかに基づいていて、現実の人間はその二つに、自分に有利かどうかや常識的・文化的な臆見を適当に混ぜ合わせたもので倫理的な判断をしている。 ところが、ある種の状況を想定すると、功利主義も義務論もバグって適切な答え(と思われるもの)を出してくれない。 (あるいは、著しく直感に反した回答が出てくる) その事例として使われるのがトロッコ問題。 だから、その限界も踏まえた上できちんと二つの哲学原則を運用できるようにならんといけなくて、そのためには哲学史をきちんと勉強する必要があるよね、と言う前振りに使われる。 一種のパラドクスであるわけだから、トロッコ問題に答えは出ないし、答えが出るかも、と思っているうちは哲学の勉強が足らない、と言うことになる。
日本財団が発表している「18歳意識調査」第12回 テーマ:国会改革について、という報告書は、我が国の若者の「政治」に対する理解についての、なかなか深刻な問題を表しているように思う。ちゃんと精査したわけではないが、一読しての感想として 1)とにかく、意見の違いが顕在化するのが落ち着かない。2)「成果の客観的評価」が可能だと思っている。3)討議は少人数で短く行うべき。といった感覚を抱いている回答者が多い印象を受ける。 全体に自己啓発系ビジネス書っぽいという印象を抱く。ただ、そういう意味では昨今メディアやポピュリスト政党が強調する「カイカク」(してるふり)と同根であり、若者が、というより日本社会に蔓延する空気の問題なのだと思う。 実際、大学の授業でも政策決定プロセスについての話になると「野党が情けないから」「批判ばかりだから」社会問題が解決できないというコメントも出てくる。 そんなわけで、我々は
子どもたちが学校から「小学生のための放射線副読本」を、3月12日に貰ってきた(もしかしたら11日に配られていたのかもしれない)。この資料は色々問題があると思うわけで、これを使って授業をするというわけでもないわけであるが、何か納得いかないものを感じる保護者も多いのではないかと思う(もちろん、大半の人は問題だとは感じないと思うが…)。そこで、一応学校に手紙を書いておいた。 急ぎ書いた手紙なので、書誌データなどが整理されていないので、その辺りを修正してからこのブログでも公開しようと思っていたのだが、そのままズルズルと日が経ってしまっていた。あまり大きくタイミングを逃しても意味がないと思うので、ここに公開しておく。 子どもたちが学校から「小学生のための放射線副読本」を配られたということで、もらってきましたが、一読して非常に問題の多い資料のように感じました。これは、端的に言って「日本国政府が福島原子
コカイン中毒は本当に社会問題の本質なのか?: 視点の多様性のために、カール・ハート博士の議論から考える 電気グルーヴのピーエル瀧氏がコカインを使用していたという嫌疑で逮捕された。報道によれば、瀧氏は何十年もコカインを利用し続けていたと供述しているという。一方、瀧氏の仕事ぶりや社会生活は総じて評判の良いものであり、一般的にイメージされる「薬物中毒」患者の姿とは大きく異なっているだろう。しかし、実際はマリファナはもちろん、ハードドラッグを利用していても万人が深刻な「中毒状況」に陥るわけではない(一方で、合法である酒でも、社会生活に支障のある中毒症状を呈することはあるわけである)。この問題に関しては、五年以上前の Democracy Now で、コロンビア大学のカール・ハートのインタビューが放送され、興味深い内容だったので、古い番組ではあるが、ここに紹介してみたい。 “Drugs Aren’t
昨日(2018年4月14日)、「市民と立憲民主党との大対話集会 関西: 市民の政治のつくりかた」が開催されました。今回は、参加型のイベントにすべく、「立憲民主党に投資」という形で行いました。 以下に、その流れをご報告します。 1. 当日の手順 当日は、参加者に500リッケンという模擬通貨をお渡しし、6人の登壇者(国会議員)から提示される脱原発、経済などの政策に対して、それぞれのコミットメントを示すという意味で自由に「投資」していただくというものです。 当日は、関西から選出されている立憲民主党の皆様に、図表の通りのテーマでお話ししていただきました。残念ながら辻元議員だけは当日他の予定とのバッティングということで、ビデオ・メッセージをいただきましたが、後の方々には最初から最後までお付き合いいただきました。 一人7分程度でそれぞれの政策についてお話しいただいた後、休憩時間を兼ねて参加者の皆様には
核の傘、あるいは「核抑止」(Nuclear Deterrence)という概念は、フォン・ノイマンらが提唱したゲーム理論に基づいてる。 あるいは、少なくとも当初は基づいていた。 フォン・ノイマンの議論は、多くの物理学者(しばしば、ナチスの迫害を逃れて新大陸に渡った人々であった)が、自分たちが恐ろしい破壊兵器の開発に携わる動機になった(か、少なくともそれを正当化したり、納得させたりする材料にはなった)。 囚人のジレンマとは簡単に説明すれば次のようなものである。 ケチな泥棒で捕まった二人組の犯罪者がいる。彼らにはその窃盗で2年の刑が言い渡されており、これから刑務所に入るところである。 ところが、警察は彼らがより重大な強盗殺人事件の犯人ではないかと疑っており、司法取引を持ちかけた。 強盗殺人について、二人組のもう一方が主犯であると自白すれば情状酌量の余地があるとして、仮放免を与えよう、というのであ
1. イヴァンカ・トランプ米大統領補佐官の来日に伴って世界銀行の「女性起業家支援イニシアティヴ」(通称 We-Fiファンド)に対して、日本が5千万ドル(約57億円)の支出を表明したことが議論を呼んでいる。 例えば共同通信は以下のようなニュースを配信している あいさつでは、トランプ米大統領の長女イバンカ大統領補佐官が設立に関わった、女性起業家を支援する基金への5千万ドル(約57億円)拠出を表明した。 こういった報道の仕方が、あたかもイヴァンカ・トランプが私的に設立したファンドに日本の公的資金を入れる、というふうに取られたからである。 実際は、このファンドは先に述べた We-Fiファンドのことであり、もちろん運営は世銀が(その環境や倫理基準に従って)行い、イヴァンカが自由にできる資金というわけではない。 とはいえ、一方でこの資金には設立の段階から様々な問題点が指摘されており、海外の報道では議論
「その反緊縮とあの反緊縮は一緒ですか!?」という記事に多少関連して、1990年代後半から盛り上がった左派の反グローバリーゼション、反ネオリベラリズム運動について、それが右派に簒奪されたように見えている現状について、ATTAC フランスで長らく活動を続けている経済学者のドミニク・プリオンへのインタビューを訳出してみた。 原文は”»Left-wing critiques of globalization have not disappeared« An interview with Dominique Plihon (Attac France) | The Great Regression”。 ◎ATTACは反グローバリゼーション運動最盛期の1998年に設立されました。グローバリゼーションは今日、重要な論点として帰ってきたが、それは右派の論点としてでです。大統領選挙期間中、トランプはNAFTA
最近「日本の左派は反緊縮を唱えないからダメだ」という議論をよく聞く(例えば「なぜ日本の左派で反緊縮が主流になっていないのか? - Togetterまとめ」)。曰く、「欧米では反緊縮は左派の政策」であるらしい。これは果たして事実であろうか? 率直にいうと、わが国で「反緊縮」を唱える人々のいう「反緊縮」(以下、反緊縮(日)とでも呼称しよう)と、「欧米では」と言われる時の欧米左派のいう「反緊縮」(同様に反緊縮(欧)と呼称しよう)は、もちろんかぶる部分はあるが、本質的には別物である。 もちろん、何にどうラベルを貼るかと行ったこと自体が問題な訳ではない。 どう言った思想にどうラベリングするかは各人の自由である。 しかし、内実が異なるのに、ラベルが一緒だというだけで中身が一緒であるかのように議論することは好ましくない。 具体例ということで、反緊縮民衆会議についてみてみたい。 これは、2013年に結成さ
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