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何度、屈辱的な思いを味わったことか。人と会うことさえ怖いと思った時もあった。華やかな世界の裏側で... 何度、屈辱的な思いを味わったことか。人と会うことさえ怖いと思った時もあった。華やかな世界の裏側で目にした現実。それでも、森脇緑は退くことをよしとしなかった。「血を吐くまでやる」と決意してから6年。あの頃24歳だった緑は、今年で30歳になる。 サーキットの街・三重県鈴鹿市。鈴鹿サーキットを駆けるマシンの走破音が聞こえてきそうな距離に「モリワキエンジニアリング」はある。従業員数37名。二輪車・四輪車用の高性能パーツの開発から販売までを手がける会社だ。 緑の祖父の名は吉村秀雄。「ポップ吉村」の名をオートバイの世界では知らない人はいない。「ヨシムラ」の創始者。オートバイとレースに生涯を捧げた伝説の人物だ。 吉村のもとでエンジニア兼レーサーとして働いていたのが森脇護だった。護は、吉村の娘・南海子と結婚。1973年に独立し三重県鈴鹿市に「モリワキエンジニアリング」を立ち上げる。その4年後に緑が生まれた
2007/04/25 リンク