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2014年6月29日

帰国

【調査会NEWS1584】(26.6.29)

 来週から日朝局長級協議が行われます。今朝ミサイルの発射もあり、北朝鮮の内部もまとまっているわけではないでしょうから先行きは不透明ですが、局長級協議に関係なく拉致問題に関しての動きは進んでいるのでしょうから、何かしらの結果は出るものと期待しています。

 さて、これはあくまで「取らぬ狸の皮算用」に過ぎませんが、今後何人かの方々(政府認定者であれ特定失踪者であれ)が帰国した場合の話です。金曜日に行われた特定失踪者問題調査会の理事会での議論の中心はこれで、おそらく日本国内の関心は帰国した人たちに集中する、そのとき私たちはどうすべきか、ということでした。

 結論は前号でお知らせした理事会決定の通りです。帰国した人たちの対応は基本的に政府と自治体に任せ、私たちの活動はあくまで帰国できていない人たちをどう救出するかを中心とするということです。

 12年前、小泉訪朝で金正日が拉致を認め、1か月後に5人が帰ってきました。そのとき国民の目は5人に集中しました。飯倉公館事件などの政府の情報操作もあり、救出できなかった人への関心が後回しになってしまいました。当時救う会の事務局長だった自分としても、台風のような状況の中で、本筋を見失ってしまったのではないかと、責任を感じています。

 報道関係の皆さんにとっても、帰国している5人の方が、帰国していない人よりはるかに報道しやすいことは明らかです。そして他社との競争の中で、その報道が過熱し、逆に情報の少ない部分は取り残されるというのは構造的にある程度仕方がないことだと思います。

 しかし、少なくとも今回は12年前の経験があり、5人の帰国に対応するため制定された支援法があります。帰国した5人を受け入れた新潟県・柏崎市・佐渡市、そして福井県・小浜市の蓄積があります。もちろん前にも書いたように支援法はあくまで「仮設住宅」としての意味しかありませんが、ともかく行政の受け入れについてはノウハウがあるわけで、これは前回との大きな違いです。

 今回の動きで各自治体からも色々な問合せがあります。次第に帰国者の受け入れをしなければならない状況になったときの対処を考えるところが増えていることは心強いですが、今後行政及び地方議会で受け入れに対する取り組みをしっかり進めていただければと思います。直接の失踪者がいなくても、本人の意志や場合によっては身寄りのない人を国からの要請で受け入れなければならないということも出てくるかも知れません。どこにとっても他人ごとではないからです。

 先日茨城県那珂市での集会に参加したとき、茨城空港から会場まで県庁の方が送って下さいました。車中で「もし茨城県の人が帰国でもするようになったら大変ですね」と話すと、その方は「でも、そういうことで忙しくなるなら構いませんから」と答えてくれました。東日本大震災のときも茨城県庁は大変でしたが、「こういうときこそ自分たちがやらなければ」と思ってがんばったそうです。

 最後は政府であれ、自治体であれ、報道機関であれ民間であれ、個人個人の思いを信頼するしかありません。その上で、私たちは最後まで救出できていない人を取り返すための活動を続けます。

★拉致(特定失踪者)問題に関する報道

◎ NHK「クローズアップ現代」は明日19時30分から「拉致再調査 思いは届くのか」と題して拉致問題について取り上げますが、この中で特定失踪者家族についても取り上げる予定です。NHKが全国放送で特定失踪者家族を取り上げるのはこれが初めてであると思います。

※特定失踪者に関わる報道はできるだけ知らせたいと思います。特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればお知らせ下さい。

▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30  6020kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿等

★7月17日(木)18:30「拉致問題講演会」(特定失踪者問題調査会主催)
●鶴岡市勤労者会館(0235-25-2548)
●代表荒木他調査会役員が参加
●問合せ:調査会齋藤純一理事(090-)

★9月13日(土)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

★11月9日(日)13:30「大阪ブルーリボンの会講演会」(同会主催)
●大阪市中央公会堂(京阪電鉄中之島線なにわ橋駅下車1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:大阪ブルーリボンの会 06-6121-2306

★11月13日(木)19:30「北朝鮮による拉致被害者全員の救出を求めるつどい」(日本会議福山主催)
●エフピコRiM(福山駅徒歩5分)
●代表荒木他役員が参加
●問合せ:日本会議広島 福山支部 084-922-1332

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6月28日付秋田魁新聞の記事

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2014年6月27日

6月26日付新潟日報

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理事会決定

【調査会NEWS1583】(26.6.27)

 本日開催された特定失踪者問題調査会理事会で次のように決定されました。各位にはご協力賜りますよう何卒よろしくお願い申しあげます。

       平成26年6月27日理事会決定

 日朝協議での「再調査」に関わる進展に大きな関心が集まる中、本日特定失踪者問題調査会では理事会を開催した。そこで確認された基本方針は、今後日朝の交渉が進展し、何人かが帰ってきたとき、私たちが最優先でなすべきことは帰ってきていない残りの人々を取り返すことであるということである。

 帰国した人も本人はもちろんご家族も、大きな問題を抱えるが、その対応は既に制定されている支援法を元に、各自治体が行うことが基本になる。調査会としてはそのために自治体の取り組みにも可能な範囲で協力していくが、最も重要なのは、そのときでも帰国を果たせていない人たちである。政府首脳・報道関係者及び国民各位にもそのことをしっかりと認識していただきたい。

1、安倍総理には特定失踪者家族有志との面会をぜひ実現していただきたい。今回の「再調査」合意を最後のチャンスとして期待している家族は少なくない。その声をぜひお聞ききただきたいと考える。

2、各自治体には関連する特定失踪者(調査会リストにない人も含め)が帰国する場合に備え、担当部局を明確にし、政府やすでにその経験を持つ新潟県・福井県及び関連市町村と連携して準備を進めていただきたい。

3、現場の必死の努力にもかかわらず何十年にもわたり国内にいる拉致実行犯や協力者が逮捕できていないことは拉致問題の本質を見逃すことにつながっている。警察は北朝鮮への圧力の意味も込め、警備畑のみならず刑事畑の力も動員して全力での摘発を行うべきであると考える。あわせて信頼回復のためにも「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」の真相を明らかにすることを強く求めるものである。

4、調査会としては冒頭の基本方針に従い、今後も失踪者についての情報収集を進め、その情報を明らかにしていく。また、今後の情勢にともない「しおかぜ」の内容も柔軟に変更し、情報の収集と発信をさらに強化していく。

  平成26年6月27日
特定失踪者問題調査会理事会


▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30  6020kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿等

★7月17日(木)18:30「拉致問題講演会」(特定失踪者問題調査会主催)
●鶴岡市勤労者会館(0235-25-2548)
●代表荒木他調査会役員が参加
●問合せ:調査会齋藤純一理事(090-)

★9月13日(土)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

★11月9日(日)13:30「大阪ブルーリボンの会講演会」(同会主催)
●大阪市中央公会堂(京阪電鉄中之島線なにわ橋駅下車1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:大阪ブルーリボンの会 06-6121-2306

★11月13日(木)19:30「北朝鮮による拉致被害者全員の救出を求めるつどい」(日本会議福山主催)
●エフピコRiM(福山駅徒歩5分)
●代表荒木他役員が参加
●問合せ:日本会議広島 福山支部 084-922-1332

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 本日付の山梨日日新聞。支援する会の井上事務局長から届きました。山梨でもあらためて世論が高まってきています。来週には私も地元のラジオでのインタビューに答えることになっています。

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こんなときこそ本質を忘れない努力が必要

【調査会NEWS1582】(26.6.27)

 一昨日参議院拉致特の視察で新潟に行きました。救う会全国協議会の平田事務局長と私が若干の陳述を行い、その後高橋救う会新潟会長と特定失踪者ご家族が一言ずつご挨拶されました。時間が余りにも短く、最も遠くは鹿児島から駆けつけたご家族にとって何とも物足りなかったとは思いますが、少なくともこのような場が公的に設けられたことには意味がありました。

 特に今回10人の失踪者のご家族が見えましたが、調査会の公開リストにある方は大澤孝司さん・中村三奈子さん・山本美保さんのご家族だけで、あとは県警リストにある方々。私も初めてお会いする人ばかりでした。これも大変意義のあることだったと思います。

 私は陳述の中でこちらのリストの3人の方について簡単な説明をした後、日本国内における固定スパイ、協力者の問題について特に強調しました。この日午前中、委員は横田めぐみさん拉致現場を視察しましたが、この現場も海まで350メートル程度あり、上陸してきた工作員だけでできるはずがない、どの拉致も日本国内の工作員、協力者の関与が当然必要なはずである、という内容でした。

 7月1日、来週火曜から日朝協議が行われます。3日からは中国の習近平主席訪韓が予定されており、同盟国といいながら韓国に先を越された北朝鮮が多少なりとも踏み込んだ対応をする可能性も皆無とは言えません。そして、もし何かが起きるとしたら、日本の世論は12年前のように目の前の現実に振り回されることになりかねません。

 虎穴に入らずんば虎児を得ずで、多少の失敗があっても前に進むべきだとは思います。しかし、進展と解決は別であり、一部が帰ってもそれに幻惑されて終わったような気になることは厳に慎まなければなりません。仮に将来、生存している全ての拉致被害者が帰国できたとしても、拉致を行った責任、防げなかった責任は明確にしなければならないとはずです。

 今日調査会は緊急の理事会を行います。問題の本質を忘れることのないようしっかりと議論をし、明日からの活動につなげていきたいと思っている次第です。

▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30  6020kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿等

★CS放送チャンネル桜「防人の道」
●代表荒木が出演
●放送済み YouTube・ニコニコ動画で視聴可能
http://www.youtube.com/watch?v=4YIKO74yQM0&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&feature=share&index=2

★7月17日(木)18:30「拉致問題講演会」(特定失踪者問題調査会主催)
●鶴岡市勤労者会館(0235-25-2548)
●代表荒木他調査会役員が参加
●問合せ:調査会齋藤純一理事(090-)

★9月13日(土)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

★11月9日(日)13:30「大阪ブルーリボンの会講演会」(同会主催)
●大阪市中央公会堂(京阪電鉄中之島線なにわ橋駅下車1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:大阪ブルーリボンの会 06-6121-2306

★11月13日(木)19:30「北朝鮮による拉致被害者全員の救出を求めるつどい」(日本会議福山主催)
●エフピコRiM(福山駅徒歩5分)
●代表荒木他役員が参加
●問合せ:日本会議広島 福山支部 084-922-1332

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2014年6月26日

永本憲子さん・山本美保さん関連記事

6月10日付(読売高知版)と今日26日付(読売山梨版)記事です。
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2014年6月24日

日高信夫さんの失踪時期及び失踪情報について

【調査会NEWS1581】(26.6.24)

 東京都内で失踪した日高信夫さんの失踪時期について、調査会ではこれまで昭和42年(1967)と発表してきましたが、新たな資料(手紙)により1年異なり、昭和41年(1966)であることが明らかになりなりました。また、失踪当時の状況についてもその手紙からこれまで伝えられてきた事実関係の修正が必要と思われます。以下はその概要です。なお、さらに分析すべき資料も出てきており、今後分析を進めますが、失踪状況についてはさらに修正される可能性もありますのでご了承下さい。

1、失踪時期の変更

 失踪日を昭和42年9月から昭和41年9月29日へと変更します。したがって失踪時の年齢は21歳になります。

2、失踪状況の記載変更

 これまで記載されてきた「当時東京都新宿区の印刷会社に勤務していたが、『大阪で新しい仕事場が決まった』というので、友人が上野駅まで見送りに行った。その後行方不明。平成18年11月6日、警視庁に告発状を提出」を以下のように訂正。

 「勤務していた東京都新宿区の印刷会社を9月25日退職し、29日に大阪に向かったまま失踪。実家には『大阪で新しい職場が決まった』と手紙を出しているが、実際に大阪で就職したことは現時点で確認されていない。平成18年11月6日、警視庁に告発状を提出」

(新たな資料)

 手紙が実家から見つかっています。そのうち4通の内容は以下の通り。他の手紙については分析中です。

1、昭和41年9月22日付信夫さんから鹿児島のお父さんへの手紙(消印は21日牛込局)の概要

 今月30日に印刷会社(東京)を辞めて大阪に行く。9月20日頃に会社が見つかった。洋品関係の会社。職安に頼んで世話してもらった。東京には3日か4日頃までいて大阪に行く。大阪では10日より仕事をしてくれとのこと。大阪に着き次第すぐにでも便りを書きたいと思う。

2、11月7日大阪中央局消印の同郷友人Sさんから信夫さんへの手紙(文中日付なし。宛先住所は鹿児島の実家)

 文中に「信夫君も田舎へ帰って早や一月も過ぎてしまいましたが」「お仕事の方今はどこに務めて居るのかな」「君が田舎へ帰る時、駅まで(大阪駅)見送りに行こうと重い、二十八日だったかな?九月の!!会社の方にTELしたがもう寮の方は出ているとのことだった」との記述あり。

3、11月22日付(消印も11月22日牛込局)印刷会社の社長から鹿児島のお父さんへの手紙(信夫さんから連絡がないので会社に問い合わせたお父さんの手紙への返信と思われる)

 9月25日に退職し、29日午前9時30分発の急行「第一なにわ」(大阪行き)で発った。帰郷する前大阪のおじさんの所に寄って行くと話していた。

4、12月21日付(消印も12月21日牛込局)印刷会社の社長から鹿児島のお父さんへの手紙

 12月14日に職安に行って問い合わせてみたが、そのような人がきたかどうか分からないと言われた。寮にいる友達や同期入社の人たちに連絡がないか聞いてみたが何も連絡がないとのこと。

※ご家族が失踪時期を誤って記憶していることはたびたびあります。なぜいなくなったのか、自分の意志でいなくなったのか、事件に巻き込まれたのか、あるいは生きているのか死んでいるのかも分からない状態でご家族が記憶の奥底にしまい込むケースが少なくないためで、日高さんのケースも届出をされた弟さんが他界されているため事情の確認はできませんがそのようなことだと思われます。ご理解下さい。

※日高さんについてはご家族の事情により当面お問い合わせ等は森山博行調査会理事(090-1087-9408)にお願いします。

▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30  6020kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿等

★CS放送チャンネル桜「防人の道」
●代表荒木が出演
●放送済み YouTube・ニコニコ動画で視聴可能
http://www.youtube.com/watch?v=4YIKO74yQM0&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&feature=share&index=2

★6月22日(日)15:00 緊急国民集会集会(家族会・救う会・拉致議連主催)
●友愛会館(03-3453-5381 都営地下鉄三田線芝公園駅A1出口1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:救う会全国協議会(03-3946-5780)

★9月13日(土)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

★11月9日(日)13:30「大阪ブルーリボンの会講演会」(同会主催)
●大阪市中央公会堂(京阪電鉄中之島線なにわ橋駅下車1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:大阪ブルーリボンの会 06-6121-2306

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調査会へのメールのトラブルについて

 今回の調査会ニュース配信設定に伴い、一時的に以下の調査会関連メールアドレス(ドメイン:chosa-kai.jp)が使えなくなっておりました。

調査会代表メール:[email protected]
しおかぜグッズの注文フォーム:[email protected]

 ご利用された皆様には大変ご迷惑をお掛けしますが、6月20日以降、現在までの間に、上記のアドレスへ送信された方がいらっしゃいましたら、送信はされていてもこちらのサーバーで削除されている可能性がありますので、再送して頂きたくお願い申し上げます。現在は全てのアドレスが正常に送信できる状態に復旧しております。この度は、調査会ニュース送信トラブル等、多くの皆様にご不便 をお掛けした事、重ねてお詫び申し上げます。

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2014年6月23日

国際講座での私の講演への質問について(終)

 5月24日の拓殖大学国際講座で当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしてきました。様々な御質問をいただきありがとうございました。これまで反日感情や朴槿恵大統領の意識については大体お答えしたと思います。あともう一つだけお答えして今回の質問のお答えは終了させていただきますのでご了承下さい。

(質問)韓国の法律では方が施行されると適用が過去に遡って行われると聞いている。こうした考え、方式は国際的に妥当性を有しているものなのか。

(お答え)事後法を禁じているのは韓国も同じですが、ときとして法より情が優先してしまうことがあります。金泳三大統領が全斗煥元大統領や盧泰愚前大統領を軍人時代の光州事件鎮圧に関して逮捕したのはまさにそれでした。しかしあのとき韓国民はそれを熱狂的に支持しました。あるソウル大教授は「これこそ民主主義だ」と興奮していたそうです。しかし言うまでもなくそれが国際的に妥当性を持っていないことは明らかです。
 戦前の日本企業の未払い賃金の支払いや慰謝料などについて韓国の裁判所では次々と原告勝訴の判決が出ています。これらは全て日韓条約で解決済みの問題ですが、特に日本に対しては、国際的に到底認められない措置が相次ぐ可能性があります。
 このようなことに対して、日本としては駄目なものは駄目と明確に主張する必要があります。言えば損になると思えばあちらはやりません。これはどの国でも似たようなものですが、周辺が大国で囲まれた朝鮮半島ではどこに力があるかに非常に敏感にならざるを得ず、ある意味化学変化のような反応を起こします。日本が強いとなれば対応は激変する可能性もあり、日本としては反日も親日もどちらにしても一定の距離を持って接するべきです。相手に振り回されないことが大事で、その意味でも朝鮮半島問題は結局日本の鏡のようなものだと思っています。

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2014年6月22日

国際講座での私の講演への質問について(6)

 5月24日の拓殖大学国際講座で当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしています。質問の内容については同様のものがあるのでまとめたり加筆してあります。ご了承下さい。

(質問)朴槿恵大統領は反日感情を強く意識しわが国とより良い友好関係が築けないようだが本当に韓国国民の大半も該当する人がいるのか(伺っている話と統計につじつまが合わず猫をかぶっているように感じるため)。

(お答え) 韓国人の対日感情というのは単に「反日」「親日」で割り切れるものではありません。日本に旅行するのが好きな人でも、例えば街頭でマイクを向けられて「独島はどの国のものか」と聞かれれば「韓国」と答えるでしょう。しかし少なくとも数字から言えば日韓を往来する人の数はほぼ同数で、人口は日本の方が2.5倍も大きいのですから、逆に言えば韓国人の方が日本人より相手を2.5倍好きだということも言えます。別に国家戦略で本心を偽って日本に来ているわけではありません。

 かつては帝国陸軍の志願兵制度に多数の朝鮮人青年が殺到し、「ホタル」の登場人物光山大尉のように特攻隊に志願して散華していった人がいたことも事実です。また、現在反日の材料として使われている慰安婦も、本当の慰安婦だった人たちの中には(その境遇自体は辛いものであったとしても)戦地で軍の行動のために協力してくれた人は多数いたと聞いています。

 私自身は今の韓国に対して否定的な思いもさまざまあり、わが国はもっと厳しく対処していくべきだと思っていますが、日韓関係を白か黒かで全て決めてしまうべきだとは思いませんし、個人的には朝鮮半島に関心があるから30年以上も研究対象にしてきたわけで、今後も文句をいいながらやはり朝鮮屋を続けていくのだと思っています。

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2014年6月21日

国際講座での私の講演への質問について(5)

 どたばたしていて大分時間がかかっていますが5月24日の拓殖大学国際講座で当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしています。質問の内容については同様のものがあるのでまとめたり加筆してあります。ご了承下さい。

(質問)「VANK」等いわゆる反日団体の実態と資金源、とりわけ政府からの資金の流れについて知りたい。

(お答え) これについては正直なところフォローしていないので詳しいことは知りません。ただ、一般論として言うなら、1998年からの金大中政権、それに続く2003年からの盧武鉉政権での合計10年の間に左翼系市民団体に様々な形で政府からの資金が流れるようになったとは聞いています。その一部は当然反日的活動に使われているはずです。また、反日的活動をしている団体の中には日本の団体と連携しているところもあるようです。沖縄の反基地闘争は韓国の反米運動とも連携しています。

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【調査会NEWS1580】(26.6.21) 参院拉致特視察で陳述

【調査会NEWS1580】(26.6.21)

※とりあえずメールで送信できるようになりましたが、まだトラブルが起きる可能性があります。また今後戻って来たメールのアドレスは逐次削除します。サーバーのトラブルなど一時的な問題で送れなかったアドレスも削除してしまう可能性があります。恐縮ですがしばらく届かないと思われたら代表荒木のブログ・Twitter・Facebook及び調査会ホームページなどを覗いていただければ幸いです。

■参院拉致特視察で陳述

                  荒木和博

 6月25日(水)、参議院の拉致特委が新潟に視察に行きます。横田めぐみさんの拉致現場を訪れる他、新潟県庁で蓮池さん・曽我さんからの聴取、特定失踪者家族からの聴取などを行いますが、救う会平田事務局長と私も陳述する予定です。
         
 私には院から「山本美保さんの件も含めて話して欲しい」との連絡があり、また美保さんの妹さん、森本美砂さんには何と山梨県警から参加要請があったそうです。とにかく注目されていることでもあり、しっかりと陳述してきたいと思います。

 それにしても県警の担当者はどんな思いで森本美砂さんに電話したのでしょう。

▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30  6020kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿等

★CS放送チャンネル桜「防人の道」
●代表荒木が出演
●放送済み YouTube・ニコニコ動画で視聴可能
http://www.youtube.com/watch?v=4YIKO74yQM0&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&feature=share&index=2

★6月22日(日)15:00 緊急国民集会集会(家族会・救う会・拉致議連主催)
●友愛会館(03-3453-5381 都営地下鉄三田線芝公園駅A1出口1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:救う会全国協議会(03-3946-5780)

★9月13日(土)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

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特定失踪者問題調査会ニュース
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〒112-0004東京都文京区後楽2-3-8第6松屋ビル301
Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059
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発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
[email protected]宛メールをお送り下さい)
●カンパのご協力をよろしくお願いします。
郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会
銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会
(銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はメールないしFAXにてご連絡願います)
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2014年6月20日

【調査会NEWS1579】(26.6.20)1万キロ現地調査第21回結果の概要

【調査会NEWS1579】(26.6.20)

※送信がまだ正常に復していないため、それまでの間ニュースはメールでの送信を行わず代表荒木のブログ、Facebook、Twitter及び調査会ホームページでの発信となります。恐縮ですが拡散等ご協力をお願いします。

■1万キロ現地調査第21回結果の概要

 大変遅くなりましたが去る6月4日から6日まで北海道のオホーツク海沿岸(稚内〜網走)で行われた1万キロ現地調査第21回の結果の概要をお知らせします。長文ですが、これでも報告に書けることは一部であり、あらためて拉致問題の根の深さを実感させられます。警察が「捜査上の理由から明らかにすることは差し控えたい」というのを連発する気持ちも多少は分かるような気がします。

1 稚内 調査

○調査対象

氏名 : 斉藤 裕 (さいとう ひろし)
生年月日 : 1950(昭和25)年9月17日
当時身分 : 高校3年生
当時住所 : 北海道稚内市
失踪日 : 1968(昭和43)年12月1日
最終失踪関連地点 : 北海道稚内市

□失踪状況

 当日夜7時頃自宅で夕食を摂った後外出し、4キロほど離れた稚内市内の友人宅を訪ねたが友人が不在だったため、「また来る」と友人の家族に告げて友人宅を出たまま行方不明となった。脱北者による北朝鮮での目撃情報もある。

 平成16年1月29日、北海道県警に告発状提出。

■調査結果

 ご家族や友人に同行していただき、ご自宅跡や当日訪れた友人Kさん宅周辺について調査を行った。

 斉藤さんは失踪当日の昼間、野寒布岬近くの友人宅を訪れたがKさんは不在だったため家人に「又来る」と伝えて一旦は自宅に戻っている。これまでは夕刻に外出した際に再び野寒布岬近くの友人宅に向かったものとされていたが、実際には自宅を出た後どこに向かったかの明確な情報はないことが分かった。自宅近くで事件に遭遇したことも含め今後の検討が必要と思われる。

 Kさん宅があったとされる野寒布岬には当時米軍施設(現在は自衛隊の分屯地)があり、失踪当日夜裕さんがKさん宅に行ったとすれば、本件が軍事施設に関連する可能性があることが確認された。また、そうでなかったとしても米軍施設を監視する目的で稚内に居住していた固定工作員ないし土台人等協力者が斉藤裕さん拉致に関与した可能性も存在すると思われる。

 なお、調査終了後に入手した情報によれば、稚内駅近くの在日朝鮮人の多い飲食店街で斉藤裕さんの兄が働いていたことがあり、裕さんもたびたび出入りしていた。また裕さんはこの近くのマーケットでアルバイトをしていたことがあるが、その向かいでは当時総聯系の在日朝鮮人が事業を営んでいた。この人物は裕さんと面識があったとも言われている。今後はその方面についても調査が必要である。

2 雄武町 調査

○調査対象

氏名 : 紙谷 慶五郎 (かみや けいごろう)
生年月日 : 1912(明治45)年3月5日
当時身分 : 漁業(圭運丸船長)
当時住所 : 北海道紋別郡雄武町
失踪日 : 1967(昭和42)年11月7日
最終失踪関連地点 : 北海道紋別郡雄武町元稲府北岸港から7キロ付近の海上

氏名 : 紙谷 圭剛 (かみや けいご)
生年月日 : 1941(昭和16)年3月20日
当時身分 : 漁業(紙谷慶五郎氏長男)
当時住所 : 同上

氏名 : 紙谷 礼人 (かみや のりひと)
生年月日 : 1948(昭和23)年4月11日
当時身分 : 漁業(紙谷慶五郎氏次男)
当時住所 : 同上

氏名 : 紙谷 速水 (かみや はやみ)
生年月日 : 1951(昭和26)年1月9日
当時身分 : 漁業(紙谷慶五郎氏三男)
当時住所 : 同上

□失踪状況

 1967(昭和42)年11月7日、慶五郎氏の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、潮の流れが速いため操業を中止して帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て、港から約7キロ付近の海上でイカ底建て網漁を操業中に遭難したとされてきたが、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。

 船体は、当時網の設置されていた付近の海底にて発見されたものの引き上げ作業には失敗し、船の油や残留品などが海面で発見された後に雄武町付近の海岸でも発見されたが、4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

 最近になって「翌朝、まだ圭運丸について騒ぎにもなっていない時間に雄武町在住ではない人物が「紙谷の船が沈んだ!」と騒いでいた不審人物がいた」、「不審船に囲まれていた」などの情報が新たに寄せられた。

 なお、慶五郎さんは当時、雄武町に所在した割烹「日の出」に出入りしており、ここに工作員高大基の妻となる渡辺秀子さんが働いていた。

 平成26年5月、脱北者から「対日漁民作戦」情報が明らかにされこの事件も注目されることとなった。調査会からも海上での失踪について海上保安庁に再調査を要請した。海上保安庁は最新の機器類と潜水で付近海底の再捜索を行ったが、何も発見されなかった。

 平成26年3月25日、北海道地検、北海道警、海上保安庁第1管区に対して告訴状を提出。

■調査結果

 新たに「圭運丸は出港後、一度港に戻ってきた」との情報も得られた。「3隻の見知らぬ船に囲まれていた」とされる場所について、目撃者から当時の状況を聴取した。なお、6月4日に「道の駅雄武」で開催された集会の場で「昭和42年9月末頃(?)、雄武漁港の築港と赤灯台の真ん中くらいに黒い船がいたのを見た。時間は午後2時ないし3時頃。大きさは普通の漁船。小さい頃(小、中学校の頃)同じよう黒い船を見た事あり」との証言も寄せられた。「黒い船」については今回の調査以前にも同じ場所で圭運丸事件の数年後同様のものを見たとの証言も寄せられていた。今後さらに目撃情報が出てくることも予想される。

 また、前述のように渡辺秀子さんが割烹「日の出」に務めていたとき紙谷慶五郎さんは同店をたびたび訪れていた。時期的には事件の6年前になるが本件は地上と海上双方に不審な動きがあり、告訴の行方にも注目しながらさらに現地での高大基をはじめとする固定工作員の足取りなどもふくめ調査を進める必要があると思われる。

〇調査対象

氏名 : 渡辺 秀子 (わたなべ ひでこ)
生年月日 : 1941(昭和16)年6月5日
当時身分 : 主婦(工作員・高 大基の妻)
当時住所 : 埼玉県上福岡市
失踪日 : 1974(昭和49)年3月
最終失踪関連地点 : 東京都目黒区

氏名 : 高 敬美 (こう きよみ)
生年月日 : 1967(昭和42)年4月10日
当時身分 : 幼児(工作員・高 大基、渡辺秀子夫妻の長女)
当時住所 : 埼玉県上福岡市
失踪日 : 1974(昭和49)年6月
最終失踪関連地点 : 福井県小浜市岡津海岸

氏名 : 高 剛 (こう つよし)
生年月日 : 1970(昭和45)年6月29日
当時身分 : 幼児(工作員・高 大基、渡辺秀子夫妻の長男)
当時住所 : 埼玉県上福岡市
失踪日 : 1974(昭和49)年6月
最終失踪関連地点 : 同上

□失踪状況

 渡辺秀子さんは、出身地の北海道で在日朝鮮人工作員高大基と出会い、工作員であることを知らずに結婚して2人の子供(敬美・剛)をもうけ、埼玉県に居住していた1973(昭和48)年6月頃、高が突然失踪したため、その行方を追って高の勤務先であった東京都品川区にある「ユニバース・トレーディング社」を訪れた。

 同社は北朝鮮工作機関による偽装会社であったことから、発覚を恐れた工作員たちが親子3人を監禁。敬美、剛の姉弟は翌1974(昭和49)年6月、福井県小浜市の岡津海岸から北朝鮮に送られたことが判明している。

 一方、渡辺秀子さんについては「殺害説」もあるが遺体は発見されておらず、現時点真相は分かっていないため調査会では「拉致濃厚」としている。2008(平成19)年4月12日、警察は敬美さん・剛さん姉弟を拉致と断定し、高姉弟拉致の主犯である工作員・洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子について、逮捕状の発付を得て国際手配を行っているが、渡辺秀子さんについては何の措置も行われていない。

■調査結果

 渡辺秀子さんについては昭和36年当時雄武町の割烹「日の出」の同僚だったSさんや4日の集会参加者の証言から雄武にいたのは昭和36年の春頃から秋頃までだったと推定された。

 Sさんからはから概略以下のような話があった。

 秀子さんは友人と一緒に「日の出」にやってきた。「日の出」のバーテンが紋別から二人を連れてきた。 「日の出」の真向かいには旅館があり、そこに、しばらく三人組の男が泊まっていた。3人とも、紺の上下の背広、揃いのネクタイ、サングラス。バーテンからこの3人は朝鮮人だと聞いた。そういえば朝鮮なまりの日本語だったようにも思う。

 (荒木が高大基の顔写真を見せたところ)確かに3人のうちの1人はこの男性だと思う。この男性は、「日の出」にも時々やって来て、日の出の女将と茶の間で喋っていた。私達従業員は茶の間の前を通るので、その様子が見えたが、どういう話をしていたかはわからない。ある時渡辺さんが、「自分が付き合っている人が吉川旅館にいるのだけれども、夜は無線連絡の作業が終わるまでは部屋に入れてくれない」と言っていた。

 高大基と渡辺秀子さんについては「昭和42年に雄武で知り合って結婚した」との説が一般に伝えられてきたが、今回調査の事前準備の過程で渡辺秀子さんが雄武にいたのは昭和36年であり、高大基との接点は雄武ではなかったのではないかとの疑いがもたれた(それについては事前に記者会見で発表)。

 しかし、今回のSさんの証言の人物が高大基本人であれば昭和36年に二人はともに雄武にいたことになる。知り合ったのがどこかは不明だがいずれにしても今後高大基の北海道における足取り等についての調査が必要であると思われる。

3 興部町 調査

〇調査対象

氏名 : 非公開 ・ 女性
生年月日 : 非公開 20代前半
当時身分 : 非公開
当時住所 : 北海道紋別郡興部町
失踪日 : 1963(昭和38)年8月
最終失踪関連地点 : 北海道紋別郡興部町沙留駅

■調査結果

(1) 紋別郡興部町では1963(昭和38)年夏に当時20代前半の女性(非公開者)が失踪している。

 情報提供者から「昔、両親が興部の海岸で燃料にする流木を拾っていたとき、4,5人の男たちに追いかけられたことがあり、それ以降、興部の海岸には行かなくなった。」旨の情報もあったことから、国道238号線沿いの海岸線を視察調査した。

 「オホーツクライン」と呼ばれる海岸一帯は街中を外れると集落もない海岸が長く続く一帯で、車両の通行が少なくなる夜間では陸上側からの誘導があれば、何処からでも人目に付かず出入りできる地形であることが確認された。

(2) 1989(平成元)年5月に廃線となった名寄本線の鉄道も当時は走っており、興部町に所在した沙留駅は昭和56年当時の記録では1日の乗降客数が115人と、利用者数が少ない路線であり、「仮に工作員が海岸線から上陸して鉄道を利用したとしてもおかしくはない」との意見が寄せられた。

4 北見市 調査

〇調査対象

氏名 : 山形 キセ (やまがた きせ)
生年月日 : 1943(昭和18)年9月13日
当時身分 : 和裁見習い
当時住所 : 神奈川県川崎市
失踪日 : 1965(昭和40)年8月以降
最終失踪関連地点 : 神奈川県川崎市

□失踪状況

 青森県弘前市の中学卒業後、川崎で和裁の見習をしていたが、1965(昭和40)年8月以降、手紙も写真も届かなくなり、それ以来 音信不通となった。

■調査結果

(1) 山形キセさんのご家族宅を訪ね、当時の状況等について聞取り調査を行った。概略の内容は以下の通り

・6月2日に北見警察署の方が来て、「キセさんの荷物は、(行方不明になった後)、弘前の実家に送られているということを(二、三日前に)知った。」という話をしていた。弘前の実家に姉の荷物が届いたという話は何も聞いていない。一緒に和裁見習いをしていた鳴瀬さん(実家が弘前で隣同士)が、姉の荷物を、弘前の実家に送ったという話も聞かなかった。

・姉と最後に一緒に写真を撮ったのは昭和40年8月。当時川崎に住んでいた兄、熱海に住んでいた姉は(川崎在住だったキセさんと)時々会っていたようだ。

・和裁見習いについては大きな不満はなかったはず。但し先生は「裁ち方」は絶対に教えてくれなかった。これを教えると皆辞めていくから、という理由だった。山形キセさんについては当時実家が青森県、失踪現場が神奈川県川崎市でもあり、今後は他の親族への聴取と川崎市の失踪時住所周辺についての調査を行うこととした。

(2) 国井えり子さん(後述)

5 枝幸町 調査

〇調査対象

氏名 : 非公開 ・ 男性
生年月日 : 非公開
当時身分 : 高校生
当時住所 : 北海道枝幸郡枝幸町
失踪日 : 1978(昭和53)年7月
最終失踪関連地点 : 

□失踪状況

(26.6.4現在、ご家族との調整が終了していないため、非公開としています)

■調査結果

(1) 当会への情報提供を基に枝幸町歌登における失踪者の実態について調査を行った。
  ア 1978(昭和53)年夏に同町から行方不明となった当時15若しくは16歳の少年Aさんのご親族から当時の状況などについてお話を伺った結果、不可解な失踪であることが確認され、引き続き情報を収集しながら
調査を行っていくこととなった。

  イ 同町では他に数名の失踪者がいるとの情報もあったが、今回の調査過程では具体的な特定は出来ず、A
さん同様、引き続き同町での失踪関係者の情報収集を行っていくこととなった。

(2) 枝幸町の一角では「深夜の海に向かって車両のライトを点灯させていた不審車両があった」という情報を得
て、目撃者から状況について聞き取りを行った。

 枝幸町の海はナマコの密猟が多く、実際に事件となったこともあり、海に向かってライトを点灯させていた車両が何に関係しているのかは現時点明確な判断は出来かねるものの、参考とする情報と思われる。

6 上川郡下川町 調査

〇調査対象

氏名 : 野崎 幸夫 (のざき ゆきお)
生年月日 : 1934(昭和9)年10月16日
当時身分 : 消防職員(北海道上川郡下川町消防本部)
当時住所 : 北海道上川郡下川町
失踪日 : 1961(昭和36)年7月1日
最終失踪関連地点 : 北海道上川郡下川町 

□失踪状況

 下川町消防本部で正午のサイレンを吹鳴した後、行方不明となる。
 昼食は通常自宅でとっていたが、妻から昼食に戻らないとの連絡が入り失踪が判明。

■調査結果

 現在は「上川北部消防事務組合」所属の「下川消防署」を訪れ、当時の状況等について聞取り調査を行うとともに当時の消防署跡地周辺の調査も行った。下川町は当時、金や銅の鉱山があったこと、林業も盛んだったことから1960(昭和35)年には人口も1万5千人を超え、映画館等もあった賑やかな町であったという。

 野崎さんの勤務する消防署は、その賑やかな町の中心部(国道239号線)に面した位置にあり、「拉致」を考えた場合、衆目のある場所での「強制的な拉致」は考えにくく、仮に「拉致」だった場合は「別の場所に呼び出されて拉致されたであろう」と推定された。

 幸い、野崎さんが行方不明となった時期(昭和36年)の地図が入手できたこともあり、今後は町内の状況についても調査を行うこととなった。

7 常呂郡佐呂間町

〇調査対象

氏名 : 岡田 優子 (おかだ ゆうこ)
生年月日 : 1953(昭和28)年3月27日
当時身分 : 中学3年生
当時住所 : 北海道常呂郡佐呂間町
失踪日 : 1967(昭和42)年10月23日
最終失踪関連地点 : 北海道常呂郡常呂町

□失踪状況

 失踪した当日、「ちょっとカゼをひいた」ということで中学校を休んだ。
 「少し気分が良くなったので、でかけてくる」といって自宅から外出した後、行方不明となる。

 その後、湧網線・浜佐呂間から汽車で20分程離れた(最寄駅:湧網線・常呂駅)常呂町内の文房具屋で何かを買っているところを、実家の近所の人が目撃していたことが判明した。

■調査結果

 岡田さんについては失踪当日、近所の方が隣町の常呂町の文房具店に立寄っているところを目撃されていたことが判明し、また海岸で岡田さんのものと見られるカーディガンが発見されていたことから、最終失踪関連地点は常呂町の海岸と判断され、今回の調査でも浜佐呂間の自宅跡地周辺及び常呂町内を調査の対象とした。

 浜佐呂間の自宅跡地周辺では、当時の状況を記憶されている方から聞き取りを行い、当時の捜索で岡田さんのものと見られるレコード等が当時の常呂駅(現在はバスターミナル)裏手の海岸でカーディガン等と一緒に見つかった模様であること、当時立寄ったとされる文房具店は現在も常呂町内に現存していること等の情報と共に
当時の同級生についても情報を得ることが出来た。

 常呂町では、当時の地図を入手し、岡田さんが立寄ったとされる文房具店も訪れて当時の状況について聞き取りを行った。

 文房具点では当時の経営者にもお話を伺ったが、岡田さんのことは記憶に無く、1人で立寄ったのか、何を購入していたのかについては断定することが出来なかった。

 しかし、当時の店舗では「レコードも販売していた」という情報が得られたことから、浜佐呂間で聞いていた「レコード等が海岸で発見された」との情報と符合する面もあり、岡田さんがこの文房具点で購入していた物品が海岸で発見されていたと推測される。
 一方、物品が発見されたといわれる常呂駅裏手の海岸については、路線の直ぐ下が海岸(砂浜)であったことが地図との照合で確認され、駅のホームからでも見通せたと思われる場所に岡田さんの遺留品があった状況は海岸に岡田さんが居たという状況より、駅のホーム上、あるいは走り出した列車の窓から岡田さんの持ち物を投げ捨てられたと考える方が説明しやすい状況であると思われた。

 今後は同級生等の証言も収集して、当時の岡田さんの状況について引き続き調査を行っていく事となった。

8 網走市内 調査

〇調査対象

氏名 : 国井 えり子
生年月日 : 1951(昭和26)年10月11日
当時身分 : 高校2年生
当時住所 : 北海道網走市
失踪日 : 1968(昭和43)年12月12日
最終失踪関連地点 : 北海道網走市

□失踪状況

 失踪する数日前から、家には「学校へ行く」と言って出かけていたが、家族が仕事に出かけたあとで家に戻り、自分の部屋に閉じこもっていた(知人の証言)。

 失踪した日の午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明となる。失踪時の服装は高校の制服姿。普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままで、日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)。衣服などは持ち出した形跡はなかったが、アルバム(写真)がなくなっていた。高校生だったのでお金もそんなにもっていなかったし、家のお金にも手をつけていなかった。

 失踪後、数日してから無言電話が3〜4回かかってきたが、家族が出ると一方的に切れるものだった。同様の無言電話が複数の親戚のところにもあった。

 2004(平成16)年に北朝鮮から脱出した人物が持ち出したとされる日本人拉致被害者の女性写真が鑑定の結果似ているとされている。

 平成17年9月30日、北海道警に告発状を提出。

■調査結果

(北見の自宅でご両親からの聴取)

・失踪状況・・・・前夜、えり子の叔父が来て泊まっていった。夜夕食を共にし、楽しく歓談。母親の着物(留袖)が出来たので、それを着て「いいでしょ!」と言ったりして楽しげにしていた。

・翌朝、いつもより早く、7時頃家を出た。前の晩勉強が出来なかったので、早めに学校に行って勉強すると言っていた。特に変わった様子はなかったが、いつもと違いみかんを半分残した。普段は必ず一個食べるのに。

・網走高校までは徒歩で通学。徒歩10分くらい。

・夜になっても帰って来ない。20:00頃警察に届けた。当時、自分たちは仕事に出ていて帰宅が遅かったのでえり子が普段何時頃に帰っていたのかはわからない。学校以外の場所でどういうところに行っていたか良くわからない。

・無くなっていたものは写真と手帳。家族と一緒の写真はなくなっていない。

・えり子が行方不明になった後、3回ぐらい無言電話あり。人の声や物音は何も聞こえず。いずれも夜。(昼間は自分たちは仕事があるので自宅にいない)

(失踪当時居住していた網走市内での調査)

 自宅から学校までの道筋を徒歩で移動しても10分程度の距離で見通しも良く、街中で日中のため強制的な拉致は難しいのではないかと推測される。あるいは早めに家を出たというのが誰かに会うことを意味したのかも知れない。当時、友人と喧嘩していたことなどが日記の下書きから判明し、「死」についても記載があったことから警察では自殺の可能性も含めて捜索が行われた模様であるが、行方は分からないままに年月が過ぎていた。

 今後当時の状況を綴ったノート等から、情報の分析を進めていくこととなった。

〇調査対象

氏名 : 非公開C
生年月日 : 1947(昭和22)年
当時身分 : 工員
当時住所 : 北海道網走市
失踪日 : 1972(昭和47)年12月24日
最終失踪関連地点 : 北海道網走市

□失踪状況

 1972(昭和47)年12月24日、クリスマスイブということで友人とスナックで飲食後、一緒に目背を出た後、行方不明となる。後日、家族が友人に直接会って聴取したところ、「店を出て、別れた」と話し、「店を出た後のことについては知らない」と答えている。

■調査結果

 今回の調査ではご家族等の同行が無かったため、最後に訪れていた網走市内の店舗跡(現在は別の店舗となっている)で位置関係を確認したに留まった。

▲現在の「しおかぜ」放送時間と周波数は以下の通りです

夜 22:30〜23:30  6020kHz 深夜 1:00〜2:00 6165kHz

■調査会役員の参加する講演会(一般公開の拉致問題に関係するイベント)・メディア出演・寄稿等

★CS放送チャンネル桜「防人の道」
●代表荒木が出演
●放送済み YouTube・ニコニコ動画で視聴可能
http://www.youtube.com/watch?v=4YIKO74yQM0&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg&feature=share&index=2

★6月22日(日)15:00 緊急国民集会集会(家族会・救う会・拉致議連主催)
●友愛会館(03-3453-5381 都営地下鉄三田線芝公園駅A1出口1分)
●代表荒木が参加
●問合せ:救う会全国協議会(03-3946-5780)

★9月13日(土)14:00「中村三奈子さんをさがす会」集会(同会主催)
●アオーレ長岡(長岡駅徒歩3分)
●代表荒木が参加
●問合せ:中村三奈子さんをさがす会 090-4279-4724

_________________________________________
特定失踪者問題調査会ニュース
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〒112-0004東京都文京区後楽2-3-8第6松屋ビル301
Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059
email:[email protected]
調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp
発行責任 者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は
[email protected]宛メールをお送り下さい)
●カンパのご協力をよろしくお願いします。
郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会
銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会
(銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はメールないしFAXにてご連絡願います)
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2014年6月18日

調査会NEWS送信のトラブルについて

【調査会NEWS1578】(26.6.18)

■調査会NEWS送信のトラブルについて

 現在メールサーバーに関わるトラブルにより調査会NEWSの送信に支障をきたしています。送信しているメールは約2000通ですが、最初のメールを発信してから最後のメールを発信するまで数時間から10時間程度かかることがあります。このメールも送信終了までどれくらいかかるか分かりません。

 調査会NEWSは送信開始後直ぐに代表荒木のブログ及びFacebook、Twitterで発信します。お急ぎの方はそちらをご覧下さい。できるだけ早く原状に復すよう努力しますがご理解賜りますようお願い申しあげます。

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2014年6月17日

1万キロ現地調査第22回(山形)について

【調査会NEWS1577】(26.6.17)

 まだ変更はあると思いますが、おおよその日程は次の通りです。

7月17日(木)

11時過ぎ山形駅集合 

布施範行さんお母さんに聴取・しおかぜ収録
非公開失踪者(鶴岡市)調査
温海事件(湯野浜・温海)調査
1830頃 鶴岡市勤労者会館で集会

7月18日(金)

非公開失踪者(酒田市)調査
酒田事件(酒田市十里塚海岸)調査
山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件Yさん遺体漂着現場(遊佐町十里塚海岸)調査

 範囲としては前回の北海道より大分狭いのですが、山形県の海岸(庄内地方)には工作員の出入りなど怪しい事件が多数あります。ここが選挙区だった加藤紘一・元衆議院議員も北朝鮮との関係を取りざたされていました。あらためてしっかり調べたいと思います。事前に情報等ありましたらぜひお知らせ下さい。

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2014年6月16日

「恵子だけではだめなんです」

【調査会NEWS1576】(26.6.16)

 小泉訪朝の半年前、平成14年(2002)春頃有本恵子さん帰国という噂がさかんに飛び交ったことがあります。調査会が出来るのは翌年で、当時私は救う会全国協議会の事務局長でした。

 「有本さんが北京に出た」「有本さんが神戸の自宅に帰っている」「平壌でTBSが有本さんの独占取材をした」など、この当時様々な情報が流れました。実際第1次拉致議連の会長であった中山正暉議員(当時)はよど号グループがらみで第三国解放の方向を模索しており、北朝鮮の意図を体して有本さんご夫妻に救う会との関係を絶つように求めたこともありました(それがきっかけになって第一次拉致議連は解散、中山議員を排除して現在の拉致議連が結成されました)。

 北朝鮮が有本恵子さんを選んだのは、暴力的に連れ去ったことが明らかな横田めぐみさんらとは異なるからです。騙されたとはいえ自分の意志で北朝鮮に入った恵子さんは、北朝鮮からすれば「来たくてわが国にやってきた。そして自分の意志でそのまま居続けた」と言える余地があります(もちろん常識からすれば無理な話ですが)。そして第三国で突然現れれば北朝鮮は拉致を認めなくてすみます。日本側では「北朝鮮は軟化している。関係を良くすればさらに拉致被害者を交渉で取り返せるかも知れない」という期待を抱き、国交正常化の動きに拍車がかかったのではないか。少なくとも当時北朝鮮は明らかにそれをしようとしていました。

 しかし、お母さんの嘉代子さんは度々「恵子だけではだめなんです。皆一緒でなければだめなんです」と強調しておられました。後で考えると、有本恵子さんが帰国させるリストから外されたのは、有本恵子帰国で終わらせられると思った北朝鮮側が、それではすまないと思って方針を変えたのかも知れません。であれば有本恵子さんがあのとき帰国できなかったことには私も責任の一端があると言えるでしょう。

 5月29日の合意発表以来、帰国予定者リストについての報道がなされています。北朝鮮は帰国させる拉致被害者をすでに平壌に集め教育したり多少は良いものを食べさせて見劣りしないようにしようとしているでしょうから、確かにリストはあるのかもしれません。しかし相手は山賊国家、虚実とりまぜた情報を色々なルートから流しているはずです。一喜一憂してはいけません。

 交渉ですべてを取り返すことはできないのですから、ともかく何人でも帰ってくればそれはそれで成功だと思います。「一緒に」は無理ででしょう。しかし、「皆帰ってこなければだめなんです」ということだけは国民の意志として持つ必要があると思います。

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2014年6月15日

被害者「支援」の前に考えておくべきこと

【調査会NEWS1575】(26.6.15)

 一昨日13日、自民党本部で開かれた自民党拉致問題対策本部拉致被害者等支援プロジェクトチーム(座長・塚田一郎参議院議員)の会合に招かれ,発言の機会を与えられたので下のような文書を配布してもらいました。

 もちろん、何人か帰国するかも、という期待感もある中、自民党がこのような形でプロジェクトチームを立ち上げたことは評価されるべきであり、具体的な結果に結びつけていってもらいたいと思うのですが、当面の支援策を考えることが拉致問題の本質をかえって見えなくするものであってはいけないと思った次第です。この点はこのメールニュースをお読みいただいている皆様にもぜひお考えいただきたくお願いする次第です。

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(配布文書)
             平成26年6月13日 

  自民党・北朝鮮による拉致問題対策本部拉致被害者等支援PT提出資料
                 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

1、拉致問題の根本的認識について

 本PTで議論すべきことではないと思いますが、蓮池さんたち5人が帰国して以降、完全に忘れ去られていることがあります。それは「拉致被害が起きた責任は誰にあるのか」ということです。自然災害ではないのですから、生活支援だけで終わることは許されません。拉致を起こした責任、国家として防げなかった責任は問われねばならず、それには拉致問題とは何なのかという根本的な議論が必要です。

2、「支援」はあくまで臨時措置でしかない

 支援法は5人が帰国したという現実の前に急造された仮設住宅のような措置です。これの恒久化は拉致問題の本質を敢えて見過ごすことになりかねません。このPTにおける議論のためには少なくともそのことを念頭に置く必要があるはずです。

3、北朝鮮の責任と日本政府の責任

 政府の方針では実行犯の引き渡しを求めることになっています。日朝協議の合意では全く触れられていませんが、将来実現するとすれば実行犯を日本の法律で裁き、被害者はその「犯人」に損害賠償の民事訴訟でも起こすのでしょうか。日本国内にいる実行犯すらただの一人も罪に問えない現状でそんなことができるはずはありません。

 また、長年にわたって拉致を許してきた政府の責任も問われなければなりません。特に大部分の拉致被害者は自民党政権下で拉致されたのですから、政府は一刻も早く責任を明確にすべきです。

4、拉致被害者を単純に区分することは不可能

 単に拉致といっても暴力的に拉致された横田めぐみさんらのケースと騙されて北朝鮮に入り出られなくなった有本恵子さんのケースは異なります。田中実さんになればさらに積極的な意志で北朝鮮に行った可能性があります。

 特定失踪者でも明らかに暴力的に連れて行かれたと思われるケースもあれば、自分の意志で入って出られなくなったケースもあります。また、北朝鮮内部では当然「対日有害活動」に従事させられていた拉致被害者も多いはずで、どこまでを緊急避難と認めるのかは難しい問題です。北朝鮮にいたのだからということで全てを緊急避難とするならよど号グループの妻たちですら拉致被害者と言えるのではないでしょうか。実際に帰国したら個々の帰国者について簡単な分類は不可能だということを覚悟しておく必要があります。

5、家族も含めた定着支援のシステムを

 韓国には脱北者が韓国社会に定着するための施設「ハナ院」があります。脱北者は治安機関の事情聴取の後ここで数か月の適応教育を受けます。これまでの5人及びその家族は人数が少なかったこともあり個別対応で済みましたが、やがて家族も含めて大量に帰国した場合はシステムとしての対応が必要なはずです。日本はかつてインドシナ難民の定住促進センターを運営していたことがあり、このような施設を設置する準備は必要であろうと思います。

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2014年6月14日

公開特定失踪者の関連都道府県一覧(修正)

 公開されている特定失踪者(調査会リスト)の関連する都道府県一覧です。ここのリストは変更などがあれば逐次修正します。

 「260616.pdf」をダウンロード

この分類は次のようになっています。

(1)最終失踪関連地点

 その人の失踪に関する最後の情報があった場所

 本人がある地点で突然空に昇るわけでも地に潜るわけでもありませんからこれはどこにするか微妙であり、今後も調査の結果によって変化することがあり得ます。

 例えば香川県から失踪した松永正樹さん(平成7年)の場合、ご本人の車は後に北海道で発見されています。偽装工作の可能性があり、本人は北海道には行っていないかも知れませんが、最後に遺留品(車)が発見された場所ということで北海道にしてあります。

(2)失踪時居住地

 失踪時に居住していた都道府県

 6月1日付の都道府県別の失踪者数のリストでは佐賀県が0になっていましたが、今回再確認したところ昭和30年に海上で失踪された中野政二さんが失踪当時伊万里市にお住まいだったことが分かりました。

(3)連絡先家族居住地

 現在お一人定めている連絡先ご家族・親族の居住する都道府県。空欄になっているところがありますが、住所変更のご連絡がなく郵便物が届かなくなっている場合や、お届けされたご家族が亡くなられたり高齢になって対応できなくなり、引き継いで下さる方がおられない場合などの理由によるものです。

 ◎報道関係の皆様へ

 特定失踪者ご家族への取材等に関するお問い合わせは全国紙及びNHKは本社社会部の拉致担当の方に、民放はキー局の拉致担当の方にお願いします。地方紙等の場合は調査会事務所にお問い合わせいただければ幸いです。

 これらのデータは今後変わることがあります。また誤り等にお気づきの方は御指摘いただけると幸いです。


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2014年6月11日

特定失踪者リスト及び写真について

【調査会NEWS1573】(26.6.11)

 このところ報道各社及び各県から当該県における失踪者の氏名・ご家族の連絡先を知りたいというお問い合わせ、また写真が欲しいというご連絡があいついでいます。

 個別に対応していると本来の活動に支障をきたすため、現在氏名については一括して分かるようにする作業をしています。ご家族の連絡先は公開したときに発表していますが、これはそのまま一般の方も見られるようにはできないため、お知らせの仕方を検討しています。

 失踪者の写真は中央紙については本社社会部の担当者、テレビについてはキー局の拉致担当者にお渡しし、支局・系列局への対応をお願いすることになるかと思います。地方紙については個別対応になるでしょうが、「なりすまし」で情報を得ようとする人間もいる可能性があり、多少のご迷惑をお掛けする可能性があります。ご了承下さい。なお、明日12日頃までには対応できるようになると思います。それについてはこのメールニュースでお知らせします。

 なお、こういう状態で特定失踪者のご家族への取材も多くなっているのは問題を明らかにしていくという点ではありがたいのですが、ご家族によっては高齢で取材の負担が大きい方も少なくありません。個別に相当の差があるので一概には言えないのですが、報道関係の皆様には可能な限りメディアスクラムにならないようご配慮いただきたくお願いします。

 ところで、「失踪場所」について、これは正直なところ分からないケースが多いのは度々お伝えしている通りです。

 例えば山本美保さんの場合最後に目撃されたのが甲府で、遺留品のセカンドバックが発見されたのは柏崎です。状況からして遺留品は自殺を偽装するための偽装工作で現地工作員や協力者によってあえてここに置かれた可能性が少なくありません。そうであれば山本美保さんは柏崎には来ていないことになります。甲府と柏崎、どちらを「失踪場所」とするか微妙になってきます(警察の発表した山形の遺体は別人ですから無関係)。

 そこでとりあえず最後の手がかりがあった場所を「最終失踪関連地点」としています。その場合は山本美保さんなら柏崎になりますが、当然ながらそれはその場所で間違いなく事件に遭遇して強制的に拉致されたという確証があるわけではありません。

 また、調査会の独自リスト約470人であれ、当初868人の警察リストであれ、それはあくまで一つの参考値でしかありません。調査会の独自リストの大半は警察リストと重なっていますが、いずれにしてもその中には拉致でないことが分かる人が含まれているはずですし、またこのどちらのリストにも入っていない拉致被害者もいるからです。

 報道関係の方や自治体の方には人数にこだわる方が多く、それはそれで仕方ないのですが、数字はあくまで参考でしかないということをご理解いただければ幸いです。

 少なくとも言えることは、政府認定者よりはるかに多くの人が拉致されているということです。そしてそれが根本的問題だと思います。

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2014年6月10日

新しいブルーリボンバッジ

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ちょっと宣伝です。新たなブルーリボンバッジができました。

 これまでのピンバッジタイプと異なり、挟んで着けるタイプなので、服や鞄などに穴を空ける事なく着用出来ます。また、今回は従来のバッジの大きさをサイズダウン(横約9mm×縦約20mm)し、ブルーの色も一新しました。縁取りやクリップ部分は金色を使い、ブルーとの相性も非常に良くなっています。

 スーツの襟にピンホールがない、他のバッジと一緒に着けたいなど、これまで以上に着用の幅が広がります。また、サイズダウンしたフォルムは女性にも着けやすく、夏場のクールビズにも着用範囲が広がるでしょう。ちなみに私はワイシャツの襟につけています。

 ご注文は調査会のホームページをご覧下さい。販売は6月13日から。徽章ケース入りで、1個カンパ付き1,000円の販売となります。

 また、従来のピンタイプブルーリボンバッジもブルーの色をリニューアル、さらに、しおかぜのブルーリボンバッジ(日の丸)は、ピン部分のレイアウトを変更し、着用時の回転を軽減するようなバランスにマイナーチェンジしたました。合わせてご利用下さい。

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2014年6月 9日

しおかぜ近況報告

※村尾専務理事からの「しおかぜ」報告です

【調査会NEWS1571】(26.6.9)

■しおかぜ近況報告
                                    専務理事 村尾建兒

 3月30日からの周波数変更以降、北朝鮮当局の妨害電波の状況は、4月3日、変更後4日目で追従が確認されましたが、リスナーからの報告などからその前日にも妨害が出ていたが途中で停波したとの報告も寄せられました。

 この時期の妨害発射状況は、4月9日から13日まで全く妨害電波が出ない時期も確認され、また、妨害が発射されるタイミングも放送開始直前からと思えば、数時間前からであったり、あるいは出ていても番組中に止まる等の報告もあり、不安定な状態は継続され「しおかぜ」の受信状態も妨害電波を抑え込んで、ほとんど影響はないと状況でした。

 4月24日の周波数変更後は、5日目の29日から北朝鮮当局は妨害電波を発射し始めた。その間はいつものように変更前の周波数へ妨害を出し続けています。この時期の妨害状況は、やはり、放送開始直前からと思えば、数時間前からであるなど、不安定な状態を引きずっています。

 5月の初め頃からは頻繁に放送開始のかなり前から妨害電波を発射するようになりましたが、「しおかぜ」の電波は強力でほとんど影響がない状態が続きました。その最中5月22日、妨害電波が全く出ないと報告があった翌日の5月23日からは、これまでの音質と違う、強力なジャミングをかけ始めました。

 この要因の一つとして、5月初めから現在「しおかぜ」が使用している6135kHzへ、韓国からの放送が送信されている事に関連していると推測しています。

 現在、総務省へも確認中ですが、こちらで分かっている範囲では、極めて低出力で送信され、同じ番組を長時間、繰り返し流れている(詳細は確認中)、言語は韓国語、一部のリスナーからは、かつて韓国国防部が軍事境界線の非武装地帯に設置している拡声器を使用して北朝鮮に向けて放送を行っていた「自由の声」ではとの報告もあります。詳細はいずれにせよ、総務省には現状を把握してもらい、国際ルールに則り適切な対応を講じて頂きたいと考えています。

 季節が夏へと変化する中、短波の伝搬状態は聴こえやすいように変化して行きます。と同様に妨害電波も強く聴こえて来ます。そして、この季節変動は、北朝鮮のエネルギー事情にも余裕を与え、一層妨害電波も強化される事が予想されます。指揮命令系統に一定の落ち着きが伺える中、日本と北朝鮮の協議次第では、さらにこの分野へ力を投入してくる可能性もあります。引き続き、監視を続けながら、北朝鮮へ情報注入を続ける次第です。

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2014年6月 8日

各県関連特定失踪者リストの数

【調査会NEWS1570】(26.6.8)

 以下は調査会のリストの中で各県に関連する失踪者数の一覧です。詳しいものは後日ホームページに掲載されますが左が総数、右がそのうちの公開者数になります。

 調査会でその県に関連した失踪者としているのは

(1)最終失踪関連地点
(2)当時の居住地
(3)家族で調査会への届けで窓口となっている方の居住地

 のどれかに合致する場合です。(1)(2)(3)が別々の県になっている場合があり、その場合はそれぞれの県に数がカウントされています。

 失踪は本人がその場所で地面に潜ったり空に昇ったりするわけではありません。(1)は基本的には最後に目撃された場所、あるいは最後にいたことの分かっている場所等ですが、失踪者がその後また別の地域に移動した可能性もあります。そしてこの中で拉致でないと分かる人もいる一方、リストにない人で拉致されている人もいます。

 したがってこの数はあくまで参考の数値と思っていただければ幸いです。これまでお問い合わせがあってお答えした数字と異なる場合もあると思いますが、カウントの仕方によって違ってくることをご了承下さい。

各県関連特定失踪者リストの数

(県名)(総数)(うち公開者)

北海道 56 36
青森県 13 7
岩手県 6 3
宮城県 3 2
秋田県 5 5
山形県 8 3
福島県 6 3
茨城県 10 7
栃木県 5 3
群馬県 5 3
埼玉県 25 16
千葉県 32 20
東京都 79 54
神奈川県 33 21
新潟県 11 7
富山県 10 8
石川県 13 8
福井県 12 11
山梨県 5 3
長野県 10 6
岐阜県 8 4
静岡県 13 7
愛知県 15 11
三重県 11 8
滋賀県 3 1
京都府 23 18
大阪府 53 34
兵庫県 25 20
奈良県 2 1
和歌山県 4 1
鳥取県 9 4
島根県 6 3
岡山県 5 3
広島県 13 9
山口県 10 7
徳島県 9 7
香川県 4 3
愛媛県 5 3
高知県 3 2
福岡県 10 6
佐賀県 0 0
長崎県 5 4
熊本県 5 4
大分県 6 4
宮崎県 6 6
鹿児島県 11 10
沖縄県 22 13

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2014年6月 7日

H260621
 今日の国際講座、富坂聡教授のお話で、盛況でした。ドタバタしていてご案内をするのを忘れてしまいました。次回は吉野文雄教授のお話しです。タイトルは私が考えたもので、吉野先生には責任はありませんが、皆が知りたいことだと思います。奮ってご参加下さい。

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2014年6月 6日

1万キロ現地調査御礼

【調査会NEWS1569】(26.6.6)
 
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 本日1万キロ現地調査第21回が無事終了しました。今回2班に分けて調査を行いましたが合計の走行距離は1080キロに及びました。これまでの累計で6968キロになります。この間ご家族、関係者及び報道関係の皆様に大変お世話になりました。報道陣の車が1台スピード違反で捕まるというアクシデント(北海道の道路としては相当不運だったと思いますが)はありましたが、特に事故もなく無事に終えることができました。心より御礼申し上げます。

 今回は「再調査」の発表もあり非常に関心も高く、集会の中で新たな情報が提供されるという、私としては初めての経験もありました。今回のことがきっかけになってさらに新たな情報が集まることを期待しています。結果の概要は来週できるだけ早いうちにお知らせします。

 前にも書きましたように北朝鮮の「再調査」は単に北朝鮮の面子を立てるだけのことで、こちらが本気になれば明日にでも結果を出させられることです。その意味では「1万キロ現地調査」こそが本当の意味での「再調査」だと自負しています。また、「進展」を「解決」にすり替えられないようにするためには拉致の全体像を国民が知ることが必要であり、私たちはその材料としての情報の提供を続けて参ります。

 一層のご協力をお願い申しあげ、ご挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。

(写真は網走市・国井えり子さんが失踪当時住んでいた自宅のあった付近。手前家族会増元事務局長、右支援する会梅原監査)

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新たな情報

【調査会NEWS1568】(26.6.6)

 現在1万キロ現地調査(第21回・道北)で北見にいます。これから最終日の調査です。

 今回の調査は2班に分かれてやっており、合流するのは今日の昼です。両方の成果をまとめて概要の報告ができるのは来週になると思いますが、昨日午前雄武の調査で、1559号でお伝えした情報の修正について、新たな情報が出てきました。

1559号に記載した新たな修正点は

(1)渡辺秀子さんと高大基が出会ったのは昭和41年以前である。

(2)また渡辺秀子さんが雄武町の割烹「日の出」に勤めていたのは昭和36年(1961)頃の比較的短い期間(半年位との説も)でありこのとき2人が出会ったかどうかは確認できない。

 という2点ですが、今回の現地調査で(2)について、昭和36年当時「日の出」に勤めていた方から、高大基はその時点で渡辺秀子さんと知り合っており、「日の出」の向かいの旅館に滞留していたとの情報を得ました。雄武で知り合ったのか、それ以前から知っていたのかは不明とのこと。

 後日整理した後で報告しますが、高と思われる男性を入れた3人は旅館の2階にいていつもスーツ、サングラス姿だったと言います。渡辺秀子さんはこの年の春先に雄武に来て秋口には雄武を出たと推定されており、高大基も含め前後の足取りを今後調べていく必要があります。

 昭和36年の渡辺秀子さんがいた当時に高大基が雄武にいたとなれば当然紙谷慶五郎さんにも会っている可能性があります。また宿題が増えましたが、試行錯誤ではあってもこのようなことをくり返しながら真実に近づいていくしかありません。情報等お持ちの方は今後とも提供賜りますようお願い申しあげます。

 なお、今回の現地調査とは関係ありませんが、昨日別の地域にお住まいの特定失踪者のご家族から電話がありました。警察から「失踪者と同じ名前、生年月日を書類に記載した人物がいることが分かった。筆跡鑑定したいので本人の自筆の文書があったら貸していただきたい」連絡があったとのこと。本人であれば国内での生存であり、これに越したことはありません。何十年も待っているご家族に直ぐにお伝えすべきでしょう。

 また、別人であれば背乗り(はいのり。拉致をした人物に工作員が成り代わること)の可能性もあるわけで今度は拉致の可能性が高まることになります。いずれにしても迅速な対応をすべきです。聞くところではこのことが分かったのは数か月前とのことで、詳細は分かりませんが「なぜこういう時期になって話が出てきたのか」という疑問も残ります。

 いずれにしても、「再調査」発表による今回の関心の高まりは情報収集という意味でも非常に大きなプラスになります。本質を見失って流されないよう、今後もしっかりと情報の収集、提供をしていきたいと思います。

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2014年6月 5日

黒い船

【調査会NEWS1567】(26.6.5)

 今北海道の道北、オホーツク海に面した雄武町に来ています。圭運丸事件の現場です。昨晩集会を持ちましたが、終わってから「おうむ」ではなく「おむ」と言ってもらいたいと言われました。オウム真理教と間違えられるからだそうで、紙谷慶五郎さんの三女優子さんによれば、町の団体旅行で空港などにいるとき、添乗員が「おうむの方集まって下さい」と声をかけると周りにいる人たちがさっといなくなるのだそうです。

 それはともかく、その雄武町で昭和42年(1967)に起きた圭運丸事件に今、光が当てられています。今日これから現場を回りますが、昨日の集会でも参加者の方で事件の少し前(日にちは不詳)に雄武港の外れに船体に何も書いていない黒い船がとまっていたのを目撃したという証言がありました。ご本人も今回初めて証言したそうで、海上保安庁にも話したことはなかったとのこと。同じような場所に黒い船があったという話はもう一つあるのですが、それはさらに数年前のことだったと思います。

 事件から47年経ってもこうやって情報が出てくるということは不思議ですが、逆に考えれば日本中にこうやって情報が眠っているのでしょう。今、関心が高まっているこのときこそ情報収集の努力が必要で、それは同時にこの流れが望ましくない方向に進むことにブレーキをかけることにもなると思います。ぜひ全国の皆様のご協力をお願いします。

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2014年6月 4日

六角関係

【調査会NEWS1566】(26.6.4)

 これから北海道の現地調査に向かいます。この間の騒ぎで問合せも多く準備に十分時間を掛けられませんでしたが、ともかくしっかり成果を出していくつもりです。

 ところで昨晩、米国の自由アジア放送(韓国語)から電話取材を受けていて、なるほどと思ったことがあります。

 質問の中で「核・ミサイル問題について日米韓の協力をしなければいけない局面で拉致問題だけで日朝が進む可能性はないのか」というのがありました。「核・ミサイル問題も日本にとって深刻な問題だから拉致問題が進むといってそちらを放棄することはない」と、日本政府みたいな答弁をしましたが、私の韓国語能力のせいもあり、正直なところ一瞬答えに窮しました。

 しかし考えてみるとこのことも今後様々交渉に影響してくると思います。拉致は日朝2国間の問題ですが、これに核・ミサイル問題が絡むと米中露韓が関わることになります。これまでも拉致問題の様々な局面で米中韓が干渉してきました。足を引っ張るような行動もありました。ロシアも含めた「六角関係」は極めて厄介です。

 例えばオーストラリアとニュージーランドの交渉なら2国間ですから1本だけの線ですが、6カ国が絡むと6×5÷2で線の数は15本にもなります。この入り組んだ線の中で拉致問題を進めていくことは並大抵のことではないと思います。少なくとも「1年間」などというのんびりしたスパンでやっていれば途中で様々な茶々が入り当初のもくろみと違う方向に行ってしまう可能性があります。北朝鮮も日朝で進める以上に良い条件があれば外交の信義など全く意に介さないと思います。

 いずれにしても一筋縄ではいきそうにありません。これまた政府も、国民も覚悟が必要ということです。

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2014年6月 3日

説明会ネット中継

本日(6月3日)15:00からの説明会は(株)NetLiveのご厚意によりインターネットでの中継ができることになりました(終了翌日ないし翌々日にはオンデマンドで見られるようになります)。遠方のマスコミの方で出席できないが関心があると言われる方はぜひご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

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前のめり   

【調査会NEWS1565】(26.6.3)

 いつ頃からか、「北朝鮮が日朝交渉に前のめりになっている」という報道がされるようになりました。確かに昔と違って拉致問題を日本側が出しても北朝鮮が席を立ったりすることはなくなっています。

 しかしこのところの報道には何か「臭い」と感じてきました。今回の日朝協議での発表文を見ると、前のめりなのは北朝鮮ではなく日本側、まあはっきり言えば外務省ではないかという懸念を覚えます。実は「北朝鮮が前のめり」というのは外務省がマスコミに意図的に流しているのではないかと。

 本当は外務省には北朝鮮を欺いてでも被害者を取り返す交渉をしてもらいたいのですが、見ている限りでは欺いているのは総理や官房長官、そして国民のような気がします。相当注意しないと、期待感だけが先行して気がついたら何もなしということになるかも知れません。今まで6者協議での核問題の合意など北朝鮮との約束事は常に反故にされてきています。

 関心が高まることは政府の背中を押すことになりますから、期待感を高める努力は必要ですが、同時にその期待感をバックにいい加減な交渉でごまかされないよう国民がより強い監視の目を光らせていかなければなりません。

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2014年6月 2日

説明会のお知らせ

 【調査会NEWS1564】(26.6.2)

(特に報道関係の皆様へ)

 5月29日の「再調査」発表により調査会事務所・役員には報道関係者の方々から様々な問合せが殺到しており、本来の活動にも支障をきたしています。これを整理するために、次のように説明会を行います。質問等にもお答えしますので恐縮ですが各社の担当の方等関係の皆様にはご参加戴けますようお願い申しあげます(報道関係の方でなくても参加できます)。

日時 6月3日(火) 15:00〜16:00

場所 文京区小石川運動場会議室(文京区後楽1−8−23 03-3811-4507)

 http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_sports_shisetsu_koishikawa.html

内容 「特定失踪者」とは
    --これまでの経緯・現状・人数等--
   調査会代表荒木がご説明します。
5月29日以降の動きに関しての見解等もあわせてお話しします。

※可能であればネットによる中継を行いますが、現在システムのトラブルがあり(29日夜の会見も中継できずご迷惑をおかけしました)調整中です。中継できなかった場合でも後でオンデマンド再生できるようにします。

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2014年6月 1日

狡猾的調査?

【調査会NEWS1563】(26.6.1)

 昨日は神戸、今日は茨城の集会で東京を離れているため、あるいは聞き漏らした話があるかも知れないのですが、5月30日のニュースで菅義偉官房長官が北朝鮮の「特別調査委員会」による調査の期間について「せいぜい1年以内」と述べたと伝えていました。

 私はこのニュースを見て目を疑いました。29日の記者会見で発表した通り、「調査」の意味は北朝鮮に口実を与えることでしかありません。相手の面子を保つためにこれまでなかったとしていたことを「調べたら見つかりました」「調べたら生存していました」として出させるためであり、北朝鮮内部の反政府組織が拉致をしたとでも言うならともかく、拉致をしたのは当の北朝鮮当局です。犯罪者に対して「お前がどんな罪を犯したか調査しろ」というのはどう考えてもおかしい。

 北朝鮮の三代世襲体制は、要は山賊です。「大使」として出てきている宋日昊も背広を着ているだけで、アクション映画なら上映15分後位には殺されているチンピラと変わりありません。

 そんな国だからこそ北朝鮮は朝鮮戦争も1983年のラングーン事件も1987年の大韓航空機爆破事件も自分たちの仕業だと認めず、拉致も小泉訪朝まで「日本の反動勢力のでっち上げ」と言ってきたのです。拉致したことを認めた後も、出しにくい人は死んだことにし、それ以外はいないと言ってきました。外国に対しても、自国の国民に対しても嘘をつき続けてきたのが北朝鮮であり、そことの交渉で「1年先」などというのは「やらなくても良い」の同義語でしかありません。

 例え今回の合意がお互いに了解したものであっても、明日になれば北朝鮮は反故にするかも知れません。29日に「包括的全面調査」と発表されたニュースが「狡猾的」と聞こえたという話がありますが、北朝鮮のやることは常に「狡猾的」であることを忘れてはいけません。

 結果は遅くとも今月半ばには出させるべきです。私たちは交渉相手が山賊であることを肝に銘じ、政府が普通の外交交渉と間違わないように世論を挙げていかなければならないと思います。

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