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2014年5月31日

国際講座での私の講演の質問について(4)

 5月24日の拓殖大学国際講座で当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしています。質問の内容については同様のものがあるのでまとめたり加筆してあります。ご了承下さい。

(質問)結局事大主義は変わらないのか。

(お答え)韓国のジャーナリストでもうご高齢の方ですが、冗談交じりにこんなことを言っていた方がおられました。

 「(朝鮮半島で)一番優れた人間は外国から攻めてきたとき戦って死んでいった。目端の利くやつは外国に逃げた。今残っているのはカスばかりですよ」。

 同じ半島国家でもイタリアは圧倒的に強大な国家と隣接していたわけではなく、また地中海に向かって開かれていました。朝鮮半島は中国と大部分の国境線を接し、現在はロシアとの国境もあります。海に出ようとしても日本が両手を広げて立ちはだかるような形になっていて逃げられません。そういう中で生き抜いていくためには、どこかの大国にくっついていなければならないというのは歴史的に仕方なかったと思います。ですからこれからも同様の判断がなされる可能性があり、日本としてはそのようなものだと思っているべきでしょう。逆に言えば日本が強くなれば朝鮮半島は自動的に日本に接近してきます(それが良いかどうかは別として)。

 なお事大主義というのは本来克服されるべきものですが、わが国も同じ地政学的状況に置かれたら戦って自立を守れるかどうか分かりません。いわんや現在の国際的位置は現代に生きる私たちが作ったものでもありません。日本も戦後米国への事大主義を続けてきたわけですし、現実を冷静に見つめることは必要でも、それをもって朝鮮を批判する根拠にはならないと思います。

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特定失踪者の数字について

【調査会NEWS1562】(26.5.31)

 日朝協議の結果の発表にともない調査会にも様々なお問い合わせが殺到しています。特に多いのは各県のマスコミの方から「自分の県の特定失踪者は何人か」というものです。また、「特定失踪者の総数を教えて欲しい」というものもあります。ご参考まであらためてお知らせしておきます。

1、各県関連の失踪者

 これについては数字の県別一覧を近いうちに発表する予定ですが、実はもともと非常にあいまいな数字です。「各県関連」という場合、調査会では

(1)その県で失踪した(最後の情報がある)
(2)その県に住んでいた人が他県で失踪した
(3)現在連絡先となっているご家族がその県に居住している

 の、三つの場合を入れています。従って一人の失踪者でいくつものケースにあたる場合があります。例えば七條一さんの場合(1)は石川県、(2)は東京都、(3)は徳島県となります。

 さらに、(1)については「失踪した」と一口に言っても人間がどこか一つの地点で蒸発するとか、突然空に上ったりするわけではありません。あくまで最後の足取りということになります。山本美保さんや秋田美輪さんのように遺留品のバッグが日本海側の海岸に置いてあったケースでも、偽装工作の疑いがあり、本人がそこに行った可能性は低いと思われます。

 したがって調査会では正式には「失踪した場所」とは言わず「最終失踪関連地点」としています。便宜的に「失踪した場所」という場合がありますが、本来的にはそういう意味です。したがってこの数も本当は曖昧なものということになります。

2、全体の失踪者数

 これについては以下の調査会のホームページ「公開リスト集計」に若干の誤りがあります(週明けには訂正予定)。

http://www.chosa-kai.jp/listsyukei.html


「特定失踪者」というのは「拉致の疑いが完全には排除できない失踪者」を指します。したがって本来の意味では調査会のリストだけでなく、警察のリスト及びどちらのリストにないが拉致の可能性のある人まで含めて特定失踪者になります。

 ただ、これだと分かりにくいので通常は「調査会にある特定失踪者のリスト」という言い方をして次のようになります。

現時点での公開者 270名
  拉致濃厚(通称1000番代リスト)77名
  拉致疑惑(通称0番代リスト)193名(現時点のホームページでは191名となっていますが193名の間違いです)

また非公開者430名について
  うち調査会独自リスト約230名
  うち警察発表の公開リスト約200名

 となっているのは調査会独自リスト約200名、警察発表の公開リスト約230名の間違いです。

 警察発表の公開リストとは、一昨年警察が「拉致の可能性のある失踪者」として発表した868人(発表当時)の中で、その後ご家族の了承のもとに県警のホームページに写真などを掲載した人のうち、調査会のリストになかった人です。この方々には私たちからコンタクトはしていないので、調査会リストでは非公開に入っています。警察のホームページでの公開は少しずつ増えていますので、現在はもう少し多くなっていると思います。

 また、表の最下段、「現時点での特定失踪者総数」というのは正確には「現時点での調査会にある特定失踪者のリスト総数」になります。調査会の独自リストとしては公開270名、非公開約200名で合計約470名、警察の公開リストを加えた調査会のリスト全体では約700名ということになります。

 なお、調査会リストの中で公開の270名は全員、非公開の約200名の半数以上は警察のリストと重複しています。ホームページの誤記については週明けにも訂正します。

 以上、分かりにくいとは思いますが、はっきりした数は最後の最後まで分からないでしょう。調査会の活動自体底なし沼の中に入っていくようなもので、あいまいさを前提にしないと拉致の全体像は分かりません。今後とも各位ご協力をよろしくお願いします。

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2014年5月30日

国際講座での私の講演の質問について(3)

5月24日の拓殖大学国際講座で当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしています。質問の内容については同様のものがあるのでまとめたり加筆してあります。ご了承下さい。

(質問)韓国は南北、出身地による違いが多いと聞くが日本と比べるとどうか。

(お答え)韓国は歴史的にも中央集権であり、官吏は中央で任命されて赴任する、今の日本のキャリア官僚のような存在でした。彼らの視線は常に中央に向かっており、明治維新のときの薩長のような、地方にあって中央に対抗する勢力が存在しませんでした。そのため今でも地方ごとの特色はあまりありません。違いということになると全羅道と慶尚道のいわゆる「地域感情」になりますが、これは金大中元大統領が自らの勢力を拡大するために人為的に作った側面が強く、対立ではあっても両者にそう違いはありません。

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全ては結果次第、そして「進展」は「解決」ではない

【調査会NEWS1561】(26.5.30)

 昨日の官房長官の記者会見での発表に関し、午後9時より記者会見を行い次の文書を発表しました。動かしていくことは大事ですが、気がついたらとんでもない方向に事態が進んでいたなどということがないように、国民全体の関心が必要です。よろしくお願いします。

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「包括的全面調査」の発表について

 本日日本政府はストックホルムで行われた日朝協議の結果、北朝鮮が「包括的全面調査」に応じたと発表した。北朝鮮側の「特別調査委員会」の設置にともない日本側は制裁の解除を行うことも発表されている。北朝鮮も朝鮮中央通信が本日、先の日朝局長級協議で日本人拉致問題について「従来の立場はあるが、全面的な調査を進め最終的に日本人に関する全ての問題を解決する」と表明したと報じた。 

1、全ては結果による

 北朝鮮は第一次小泉訪朝までは拉致をでっち上げと言い続け、拉致を認めても生存している拉致被害者を死亡として、それ以外の拉致被害者は存在しないと言い続けて来た。これまで北朝鮮の発表はその全てが虚偽であり、もちろん今回の「特別調査委員会」も全く信用できるものではない。
 今回のことが前進につながるとすれば、それは日朝間で既に帰国させる被害者のリストが確認されており、それを明らかにするため「調査の結果見つかった」という北朝鮮側の口実にすることでしかない。私たちはその意味で、調査委員会の発足や調査などに何の関心も持つものではなく、全ては結果によると認識するものである。認定か未認定かにかかわらず何人か帰ってくるのであれば、それは明らかな進展であり制裁の部分解除は交渉のカードになったと評価できる。
 
2、「進展」と「解決」は異なる。

 このような形の交渉によってでも進展は必要であるが、この方法だけで拉致問題の解決(現在生存している拉致被害者の帰国という、極めて限定した意味ですらも)は不可能である。総理は「全面解決が政権の最重要課題」と言っており、その思いは多とすべきだが、本当にそれが可能なのか、現時点では疑問を感じざるを得ない。かえってこの動きが、「進展」を「解決」にすり替えることになるのではないかという懸念を払拭することができない。

 以上2点、つまり「進展」は必要であり、今回の合意を評価するとすれば「調査委員会」の設置ではなく、出た結果についての評価でなければならないこと、そして、これが逆に「解決」にすり替えられることのないよう、私たちとして一層注意し、今後も可能な手段をすべて用いて拉致被害者の救出にあたっていきたいと考える次第である。

平成26年5月29日

特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

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2014年5月29日

緊急記者会見

【調査会NEWS1560】(26.5.29)

 先程の官房長官の発表を受け、緊急の記者会見を行います。本日2回会見を行うことになり、報道関係の皆様にはご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。

日時 本日(5月29日)21:00より

場所 調査会事務所(文京区後楽2-3-8-301)

内容 本日の政府発表について

※調査会事務所は大変狭いため、ご迷惑をおかけしますが何卒よろしくお願いします。(株)NetLiveのご厚意でインターネットでの中継を行いますのでそちらもご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

※代表荒木の携帯は本日使えませんので、緊急の場合は臨時の携帯080-5894-8383にお願いします。

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林雅俊さんの報道

朝日新聞は5月26日付社会面(東海3県配布分)で「笑顔の息子父は待つ 失踪16年『拉致濃厚』」と題し林雅俊さんについて報じました。
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国際講座での私の講演の質問について(2)

 5月24日の拓殖大学国際講座で当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしています。質問の内容については同様のものがあるのでまとめたり加筆してあります。ご了承下さい。

(質問)第2次朝鮮戦争が起こる可能性はあるか?南北統一はあり得るか?

(お答え) 南北の間に全面戦争が起きる可能性はほぼゼロだと思います。南北ともに相手を制圧する能力がなく、また後見人である米中もそれを許さないからです。ただし局地戦なら常に起きやすい状況が続くでしょう。統一は可能性としてはあると思います。それは消去法でいけば南北どちらかの体制が崩れ、休戦ラインの警備が無力化したときにベルリンの壁崩壊のときのように人が移動してなし崩し的に統一が実現する形です。ただこれは南北だけでなく日米中露周辺大国がそれぞれ介入するでしょうから、想像もつかないような展開になるかも知れません。

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国際講座での私の講演の質問について(1)

 5月24日の拓殖大学国際講座にご参加いただいた皆様ありがとうございました。
 当日時間がなくていくつかの御質問に答えられませんでしたので、Facebookとブログでお答えしようと思います。質問の内容については同様のものがあるのでまとめたり加筆してあります。ご了承下さい。

(質問)セウォル号事件についてどう思うか。朴槿恵政権への影響は。

(お答え)この事件はそれ自体が大きなショックでしたが、まだ行方不明の方がおられる上に責任問題などが長引くと思われます。その上地下鉄事故や建築中のビルが傾いたり、その取り壊し作業中に崩れるなど、韓国民にとっては自信喪失につながる事故が相次いでいます。この影響はさらに大きくなっていくと思われ、現在行われている統一地方選挙(6月4日投票)の結果によっては朴槿恵政権にとって大きなダメージになる可能性があります。
 とは言え韓国における大統領は「国民の選ぶ期限付きの王様」であり、本人が放り出さない限りは職責に影響はないと思います。結局今やっている機構改革や関係者の処分で終わらせるのではないでしょうか。問題は日中の対立や米中の微妙な関係による東アジアの変化がこの相次ぐ事故・事件による国民の自信喪失と相俟って韓国内に大きな変化をもたらすことだと思うのですが、それがどの方向になるのかは今の所私には何とも言えません。

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2014年5月28日

福井教授の抗議

http://araki.way-nifty.com/araki/2014/05/post-b1b4.html

 の続きです。前のを見て戴ければ分かる様にメールを読んでいるはずの保坂区長はまったく答えていません。思想信条の違いを別にしても、結構せこい人だなと思いました。

(5月26日発信 世田谷区→福井教授)
区民の声26−0279
平成26年5月26日

福井 義高 様
世田谷区
生活文化部人権・男女共同参画担当課長 岩渕 博英
教育委員会事務局 教育総務課長    工藤 郁淳

世田谷区の北朝鮮拉致問題への取り組みについて(回答)

 日頃から、世田谷区政にご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございます。
 このたびお寄せいただきましたご意見につきまして、次のとおり回答をさせていただきます。

○世田谷区の取組みについて
 拉致問題は、国民的課題であるとの認識のもと、「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」第三条(地方公共団体の責務)にあるように、区といたしましても国・都と連携を図り啓発を進めることが重要であると認識しております。
 繰り返しとなりますが、区のお知らせでの啓発、人権週間、北朝鮮人権侵害問題啓発週間等にて区民に理解を深めていただくような啓発事業を進めるなど、着実に取り組んでまいります。

【問合せ先】人権・男女共同参画担当課
電話 5432−2260

○「教育ビジョン第1期行動計画」や「世田谷区9年教育:世田谷教育要領」への言及ついて教育委員会で策定しました「第2次世田谷区教育ビジョン・第1期行動計画」では、教育目標の前文に、すべての教育活動を通して人権教育を推進することを掲げております。
 こうしたことから、「世田谷区教育要領」でも様々な人権課題に関する人権教育を学校の道徳教育を中心
とした教育活動全般に渡って進めることとしております。

【問合せ先】教育総務課 教育計画・事務調整
電話 5432−2745

(5月28日発信 福井教授→保坂区長)

 お忙しいなか再度ご回答いただきありがとうございます。
 二度のご回答を通じて、保坂展人区長が一区民の声などに応えるつもりがなく、拉致問題解決に関して世田谷区に全く期待できないことがよくわかりました。今後はその前提の下、微力ながら支援運動に関わって参ります。

青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授
特定失踪者問題調査会を支援する会会員
福井義高

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間違い

【調査会NEWS1558】(26.5.28)

明日の記者会見では圭運丸事件に関し、これまで発表したことの中に一部誤認があったので修正します。現地調査の事前準備で分かったもので、1543号のニュースで書いた「思い込み」を自分たちがやっていたものでした。

 調査会の11年間はまさに試行錯誤で、この間様々な間違いがありました。もともと「拉致の可能性のある失踪者の調査」という目的自体が、拉致以外の理由の失踪が見つかることを前提としたものです。私たちは非公開の方でも国内で見つかった場合は非公開のままで見つかったことを発表していますが、非公開なら発表しなくても誰にも分からないことで、発表すればかえって他の失踪者についても「拉致でないのでは」という疑問を持つ方も出るはずです。

 しかし100パーセントを最初から求めれば拉致問題の真実に迫れるはずがありません。調査会自体そのリスクを負うことが最大の存在意義であるとすら思います。

 自己正当化になるかも知れませんが、拉致問題が進んでいない理由の一つに、政府がこれまでの過ちを全く認めていないことがあります。過ちを認めるからこそ進展させることができるのだと思いますが、お役所の原則は「お役所は間違いを犯さない。だからお役所のやることに間違いはない」というものです。警察、特に警備警察はとりわけその性格が強く、だからこそ何十年にもわたって1人の拉致実行犯も罪に問うことができなかったのだと思います。

 正直なところ自分自身あまり間違いを認めたくありませんので、大組織となればなおのこと難しいのでしょうが、拉致問題には官民問わず皆が認識や対処方針を間違ってきて、その結果がこれだけ長期間かかっていることにつながっています。やはり正すべきところは正さなければならないはずです。

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拉致問題に関する報道

◎「新潟日報」は5月21日、被害者家族帰国10周年で見開きの特集記事を組みました。大澤孝司さんと再会を果たす会の活動についても触れています(写真)。

◎鹿児島テレビでは5月30日(金)14:00から県内の特定失踪者家族の問題について特集した「同じ苦しみ・同じ願い-特定失踪者の家族たち-」を放送します。

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2014年5月27日

記者会見のお知らせ

※以下の1556号では会見を15:00〜と発表しましたが、1時間繰り上げることになり、1557号で変更のお知らせをしています。このブログでは混乱を避けるため下の時間を修正してあります。ご了承下さい。

【調査会NEWS1556】(26.5.27)

 報道関係各位

 下記の通り記者会見を行います。ご多忙中とは存じますがご参加いただければ幸いです。

日時 5月29日(木) 14:00〜

場所 文京区小石川運動場会議室(文京区後楽1−8−23 03-3811-4507)

 http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_sports_shisetsu_koishikawa.html

内容
◎1万キロ現地調査第21回(北海道道北地域)について
   (特に圭運丸事件に関する一部情報の修正を行います)

◎短波放送「しおかぜ」に対する妨害電波の状況について

◎その他

 この記者会見は(株)NetLiveのご厚意によりインターネット中継を行います。遠方の方、報道関係以外の方は同社ホームページにてご覧下さい。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

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2014年5月25日

ク・オ・グム

【調査会NEWS1555】(26.5.25)

 先日佐藤守・元空将からいただいた新聞記事の切り抜きの中に昭和58年12月14日付西日本新聞の小さな記事がありました。内容は次のようなものでした。

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 「日本経由で工作員を送る」北朝鮮スパイ会見(ソウル14日小林特派員)

 韓国ソウルに侵入しようとして捕らえられた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のスパイ全忠男(27)、李●●(23)の2人が14日、ソウルの陸軍本部で記者会見し、訓練状況、侵入経路などを説明した。このなかで二人は去る10月27日、平壌で労働党対南事業部、林ホグン作戦部長(58)から金正日党書記直筆の工作命令書を受け取ったという。

 また二人は以前も実際の作戦に参加しており、全は80年7月、島根県益田市海岸に工作員1名を送り込み、昨年10月には釜山、多大浦海岸に工作員1名を案内したことがあった。また、李も昨年6月、山口県長門市海岸に侵入、26歳位になる在日朝鮮人(男性)を連れて北朝鮮に帰国したと語った。

(「李●●」は、昨年11月の山口での現地調査に同行してくれた李相哲氏(仮名)です。記事には本名で書かれているのですがここでは伏せ字にしてあります。また、この記事は李氏に韓国語に訳して送ったものを原文が今手許にないため再度日本語に訳したもののため原文と少し変わっているかも知れません)
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 この内容を李氏に送り、全忠男氏の益田海岸侵入について詳しく分からないかと聞きました。詳しくは分からなかったようですが、「1980年7月、岩に『ク・オ・グム』と書かれたところ」との返事が人づてにありました。

 「ク・オ・グム」とは何だろうと思い、連絡を取り次いで下さった方を通して確認したところ、漢字の「禁漁区」の朝鮮語読みではないかということになりました。ただし、並べ方からすると「区漁禁」になります。朝鮮語は現在の日本語と同じく左から右へ書きますから、この岩には右から左に書かれていた可能性があります。

 現在しおかぜネットワーク参加組織である東アジアネットワークの石原倫理代表(松江市)にお願いして調べてもらっていますが、石原代表がかつて調べた情報で、益田市には朝鮮総聯の役員で工作員の疑いのあるDという人物が居住していたことが分かっています。情報が正しければこの工作員送り込みにもDが関与している可能性があります。

 当時の益田の海岸をご存じとか、本件に関して情報をお持ちの方がおられましたらお知らせ下さい。氷山の一角でしょうが、また新たなことが分かるかも知れません。

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2014年5月24日

国際講座ご参加の皆様へ

 本日(5月24日)拓殖大学国際講座にご参加いただいた皆様ありがとうございました。多少ともお役にたてば幸いです。

 講演中申しましたように答えきれなかった御質問について順次このブログでお答えしていこうと思います。ただ、直ぐにとはいかないのでしばらく経ってからのぞいてみていただけると幸いです。

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2014年5月23日

朝鮮総聯の圧力(2)

【調査会NEWS1554】(26.5.23)

 5月14日付のニュース1548号で総聯の圧力について書きましたが昨日の衆議院総務委員会で三宅博議員は再度この問題を取り上げました。この中で「NHKへの総聯からの申し入れや抗議はないか」との質問に対し板野裕爾専務理事は「朝鮮総聯から圧力をかけられた事実はございません」と答弁しています。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=43962&media_type=fp

 一方、未確認ではありますが、4月13日に放送されたNHKスペシャルについて、総聯本部からの指示で全国で組織的に抗議電話やFAXを入れた疑いが出ています。期間は4月14日から21日までで、脱北者証言を用いて「最高尊厳を深く冒涜し、祖国を誹謗中傷」したとのこと。番組を見ていないのですが、総聯が抗議するほどのものなら真実を突いているのでしょうからぜひ見たいと思いました。どなたか録画しておられないでしょうか。

 これが事実なら板野専務理事の答弁はおそらく「そのようなものは申し入れや抗議にはあたらない。眼中にも入れていない。朝鮮総聯の奴らがとびかかってくるなら百千倍にして報復する」という意味なのだろうと思います。しかしまあ、総聯から抗議を受けるというのは勲章のようなものですから、受けたのならぜひ明らかにしてもらいたいものです。

 ところでこの指示の中には「抗議電話をかけるとき、まず184を押すこと」と書いてあったそうです。非通知でかけろということですが、「到底許すことができない悪意に満ちた内容」と言う割に腰が引けています。総聯も随分せこくなったものだと思いました。

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2014年5月21日

ポスター

【調査会NEWS1553】(26.5.21)

 前々号のニュースの最後の方でも書きましたが、ふと考えると警察のポスターで過激派やオウム真理教などの指名手配犯について情報を求めるポスターは山ほど張られているのに、なぜか工作員(北朝鮮に限りませんが)に対する注意を呼びかけたり情報提供を求めるポスターを見たことがありません。なぜなのでしょう。

 実際に拉致が行われ、その犯人が捕まっていないのですから、「国政の重要課題」というからには「必ず取り戻す」という決意表明より、具体的なことの方が遥かに重要なはずです。

 ニュース1521号で書いた警友会(前は書きませんでしたが秋田県の警友会)への特定失踪者のポスター配布要請についてはその後救う会秋田と警友会の間で何度かやりとりがありましたが結局拒否のままでした。

 色々考えてみると、何かの理由で拉致問題を進展させたくないという意志が警察の基本的な方針にあるのではないかとさえ思えてきます。協力者を泳がせておきたいのか、あるいは政治からの圧力があるのか、あるいは別の理由か分かりませんが、基本的な方針がそうであれば内部にどれだけ一所懸命にやろうとする人たちがいてもどうしようもありません。そうでないならぜひ「行動対行動」で実績を示していただきたいものです。

 警察が拉致で国際指名手配している人間だけでも顔写真を載せて、1479号でお知らせした宮崎県警のビラのように怪しい人間の情報を収集する呼びかけを入れたポスターを全国に貼りだしたらどうでしょう。過激派についてのポスターがそうであるように、情報収集だけでなく、工作活動への一定の抑止効果は出ると思います。

 お役所に任せているだけではいけません。どなたかお得意の方がおられたら以下の警察庁のホームページに手配写真が載っていますのでポスターを作って戴き、ネットででも拡散していただけないでしょうか。紙にして張り出さなくても結構効果はあるように思えます。

http://www.npa.go.jp/keibi/gaiji1/wanted/wanted_j.html

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2014年5月20日

空いてない(2)

【調査会NEWS1552】(26.5.20)

 1546号のニュースでお知らせした世田谷区のイベントに関する対応について、区内在住の福井義高・青山学院大教授が保坂展人区長に抗議文を送ったところ、「区では、これまでに区内各所の広報板への北朝鮮拉致の啓発ポスターの掲示、区のお知らせ12月1日号1面人権特集においては、重要な人権侵害のひとつとして取り上げるなど、啓発をしてまいりました」という、極めて官僚的な答弁が返ってきました。

 世田谷区の区報12月1日号は区のホームページから見ることができますので、ご覧になればいかに「重要」と考えているか分かります。書いておけば良いというのはいかにも役所的な発送です。

 これに対し福井教授は今日再度抗議文を送りました。他の自治体でも同様のことがあるかも知れませんので参考の意味も含めこの間のやりとりをお知らせします。

5月13日送信(福井教授→保坂区長)-------------------------------

 世田谷区民として極めて残念なことがありましたので、抗議の意を込めて、この一文をしたためさせていただきます。

 我が国政府は「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」に基づき、第二条において「北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものと」し、具体的には、「北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をする」ことと「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努める」ことを国民に約束しています。

 国だけに限られません。第三条に「地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努める」と明記してあるように、国と一体となって拉致問題解決することが、現在、日本の地方行政に携わるものの義務となっています。

 にもかかわらず、世田谷区在住の齋藤良司氏(昭和36年失踪の齋藤正治氏実弟)が、「区民まつり」に拉致問題のブースを設け「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表)のパネルなどの展示を行おうと申し込んだところ、職員から場所がないと拒絶されました(事実関係については、荒木和博代表を通じ、齋藤氏ご本人に確認済み)。

 私は、かつて「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(「救う会」)事務局次長を務めるなど、この稀にみる国家犯罪が拉致「疑惑」といわれていた1990年代後半から、微力ながらこの問題に取り組んできました。
そして、故金正日総書記が自ら犯行を認めるまで、区長が国会議員として所属しておられた社会民主党は、拉致はでっち上げであるとして、我々の活動を非難妨害し続けました。ひょっとして、区長はいまだ拉致問題解決のための活動に対して否定的な考えをお持ちなのでしょうか。そうは思いたくないものの、区職員の上記法律に悖るともいえる対応を見ると、私はこうした推測を完全に捨て去ることができません。

 区長にお伺いしたいのは以下の点です。今後も世田谷区は今回の拒絶に示されたような拉致解決に消極的な対応を続けるというのが区長のご方針でしょうか。それとも、国会議員在職中の拉致問題への対応を自省され、国や他地方自治体にもまして、世田谷区がこの国際的人権侵害事件の解決に向けて積極的に行動するよう、区長が先頭に立って職員を指導するというお考えはあるのでしょうか。

 以上、お忙しいところ恐縮ながら、早急にご回答いただければ幸いです。

青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授
特定失踪者問題調査会を支援する会会員
福井義高

(世田谷区→福井教授)--------------------------------------

区民の声26−241
平成26年5月19日
青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授
特定失踪者問題調査会を支援する会会員
福井義高 様

世田谷区生活文化部
人権・男女共同参画担当課長  岩渕 博英
区民健康村・ふるさと交流課長 山本 恵造

 日頃から、世田谷区政にご理解とご協力をいただき、誠にありがとうございます。
このたびお寄せいただきましたご意見につきまして、次のとおり回答をさせていただきます。

 ご指摘のように「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」第三条で地方公共団体の責務について定めており、区では、これまでに区内各所の広報板への北朝鮮拉致の啓発ポスターの掲示、区のお知らせ12月1日号1面人権特集においては、重要な人権侵害のひとつとして取り上げるなど、啓発をしてまいりました。

 さて、「区民まつり」への参加(啓発展示)については、人権・男女共同参画担当課にご相談をいただいた後、区民まつり実行委員会事務局である区民健康村・ふるさと交流課に申し入れました。実行委員会及び区民健康村・ふるさと交流課で検討の結果、予定数を超えた多くの出展希望があり、場所の確保ができませんでした。このことは人権・男女共同参画担当課を通してお伝えしたところです。

 なお、区の取組みをPRする場は他の区事業でもございます。それら区事業の中で北朝鮮拉致問題に関する啓発を実施できるよう、ご提案を差し上げているところでございます。何卒、ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

(5月20日発信 福井教授→保坂区長)-------------------------------------

 お忙しいなかご回答いただきありがとうございます。

 しかしながら、「区では、これまでに区内各所の広報板への北朝鮮拉致の啓発ポスターの掲示、区のお知らせ12月1日号1面人権特集においては、重要な人権侵害のひとつとして取り上げるなど、啓発をしてまいりました」という文面をみると、『区のおしらせ』でのわずかな言及を例に挙げざるを得ないほど、世田谷区は拉致問題解決に消極的ということがみてとれます。

 また、「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」成立後に出された「教育ビジョン第1期行動計画」や「世田谷9年教育:世田谷教育要領」においても拉致問題への言及はありません。それとも、教育委員会が主体だから区は関係ないと主張されるのでしょうか。

 さらに、世田谷区の場合、トップに立つ区長が、国家犯罪の当事者である北朝鮮政府・労働党と密接な関係を保ち拉致被害者家族を誹謗中傷していた社会民主党の国会議員かつ最高幹部の一人であったという特異な事情が存在します。区長が被害者、ご家族あるいは支援団体に直接謝罪されたという話は寡聞にして存じ上げません。

 それゆえ、世田谷区の今後の拉致問題への取り組みについて、懸念を払拭することができません。5月19日付回答に全く言及がなかった点について、再度、区長にお伺いしたいと思います。

 今後も世田谷区は今回の拒絶に示されたような拉致解決に消極的な対応を続けるというのが区長のご方針でしょうか。それとも、国会議員在職中の拉致問題への対応を自省され、国や他地方自治体にもまして、世田谷区がこの国際的人権侵害事件の解決に向けて積極的に行動するよう、区長が先頭に立って職員を指導するというお考えはあるのでしょうか。

 以上、お忙しいところ恐縮ながら、再度、ご回答いただければ幸いです。

青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授
特定失踪者問題調査会を支援する会会員
福井義高

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2014年5月19日

昭和60年前後における女性の失踪

【調査会NEWS1551】(26.5.18)

 マッピングリストの中にもこのカテゴリーはあります。既にお知らせもしてきましたが1980年代半ば若い女性の失踪について、調査会のリストには次のような方がおられます。

非公開女性 昭和58年(1983) 石川
井尻恵子 昭和59年(1984) 京都
河合美智愛 昭和59年 福井
山本美保 昭和59年 山梨
今津淳子 昭和60年 (1985)埼玉
非公開女性 昭和60年 北海道
林かな子 昭和60年 東京
秋田美輪 昭和60年 兵庫
非公開女性 昭和61年 (1986)茨城
非公開女性 昭和62年 (1987)大阪
尾上民公乃 昭和62年 大阪
根本直美 昭和62年 茨城
西村京子 昭和62年 山口

 政府認定拉致被害者の中では有本恵子さんが昭和58年(1983)なので時期的には入りますが、外国での拉致でなおかつよど号マターなので省いてあります。

 この時期についてはこれらの失踪以外にいくつかの未遂の可能性のある情報が入っています。

1、兵庫県で自動車教習所に行くバスの待ち時間中、付近を散策していた女性が不審な男に声をかけられる

2、昭和58年の非公開女性失踪に近い時期、失踪者の下宿先の近くで小学生女児が下校途中不審な男につけられる

3、千葉県で夜駅から歩いて帰宅途中の女性が男に後ろから押さえられ口を塞がれる

 詳細には書けないものの、この3件は例えば暴行目的とは考えられないような場所であるなど、それぞれの案件が一般の事件でない可能性のあるケースです。もちろん決めつけてはいけませんが、この時期同様の体験をお持ちの方が周囲におられたらご連絡いただければ幸いです。記載する用紙は調査会のホームページからダウンロードできます。

 私たちの推論が正しければこの時期多数の未遂事件があったはずです。若い女性は1990年代はじめにもまとめて失踪しており、その時期の情報でもかまいません。とにかく情報が必要であり、ご協力を切にお願いする次第です。
 
 ところで考えてみると拉致事件や北朝鮮の工作活動について、国内での情報提供を求めるポスターとか対策本部や警察は作らないのでしょうか。過激派やオウム真理教などについてはあれだけ広報活動をやったのですから、津川雅彦さんのポスターもベテラン刑事の雰囲気にして「今のうちに吐いた方が楽だぜ。俺だけはお前の味方だからな。どうだ、カツ丼でも食うか」とかコピーを入れたら結構インパクトはあると思うのですが。

 ちなみに調査会のポスターは次のバージョンから情報提供を求める内容をもっと前面に出すことにしています。

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2014年5月16日

道北現地調査

【調査会NEWS1550】(26.5.16)

※しおかぜネットワークに救う会山口(橋本尚昌代表)が参加されました。今後ともよろしくお願いします。救う会参加の加入に伴い参加組織は57になりました。

 1万キロ現地調査の第21回になる北海道道北地方(オホーツク海沿岸)の調査は6月4日(水)から6日(金)の日程で実施します。今回は地域が広く案件も多いため2班に分けて動きます。概略次の通りです。まだ色々と変更が出てくると思いますのでご了承下さい。

6月4日(水)-------------------------------------------

12:20稚内空港着(羽田発10:30)の全日空571便に合わせて稚内空港で集合

●A班(代表荒木・専務理事村尾・増元家族会事務局長・梅原調査会を支援する会監査)

稚内市内で斎藤裕さんに関する調査、終了後雄武町へ

19:00 道の駅おうむ・会議室で圭運丸事件に関する集会

(A班宿泊:雄武)

★B班(副代表岡田・常務理事曽田・常務理事杉野)

稚内から枝幸に直行

枝幸で失踪者及び工作員の活動についての調査

(B班宿泊・枝幸)


6月5日(木)-------------------------------------------

●A班

圭運丸事件についての調査、終了後興部へ

興部町沙留海岸で非公開失踪者についての調査。終了後北見に移動

北見で山形キセさんに関する調査

(A班宿泊:北見)

★B班

枝幸での失踪者及び工作員の活動についての調査、終了後下川町に移動

下川町で野崎幸夫さんに関する調査、終了後佐呂間町に移動

(B班宿泊:佐呂間)

6月6日(金)-------------------------------------------

●A班

北見で国井えり子さん関連調査、終了後網走に移動

昼 網走でB班と合流

★B班

佐呂間で岡田優子さんに関する調査、終了後網走に移動

昼 網走でA班と合流

◎合流後

網走で国井えり子さん、矢島克己さん、非公開失踪者に関する調査

終了予定16:30

※上記日程で稚内から雄武には斎藤裕さんのお姉さん・斉藤由美子さんが同行、雄武での集会及び調査には紙谷慶五郎さんの三女北越優子さんが同行の予定です。

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2014年5月15日

支援法

【調査会NEWS1549】(26.5.15)

 拉致被害者等支援法にもとづき帰国した拉致被害者に支給されている給付金について、平成26年度末に期限が来ることから、現在新たな支援策が検討されています。昨日行われた自民党の拉致問題対策本部の会合でも説明がされており、山谷えり子本部長をトップとしたプロジェクトチームが設置されました。

 今後帰ってくる被害者のためにも新たな支援策が必要なことは言うまでもありません。ただ、支援法自体もともと5人の帰国にあわせて押っ取り刀でつくられた法律で、拉致問題の本質をどうとらえるのかは全く考慮されていません。私はこの会合での挨拶の中で「拉致問題を国家としてどう位置づけるのか」を考える必要があるとお話ししました。

 拉致被害者といっても今後問題が解決に向かえば拉致なのか、あるいは自分の意志で行ったのか微妙なグレーゾーンの人が出てくるはずです。私たちの世代など、いわゆる70年安保の洗礼とその残り香を受けた50代〜60代くらいは多少の差はあっても「若者なら左翼が当然」というような世代ですし、かつては北朝鮮は発展する社会主義国、韓国は暗い独裁国家と見られていましたから、ある程度納得して行ってしまった人もいるでしょう。

 自分で行った人で、しかし直ぐに帰るつもりが帰れなくなった人はどうするのか(福留貴美子さんなどもこれに入るかも知れません)。それ以外にも様々なケースが考えられます。簡単にこれは拉致、これは自分の意志などと割り切れるものではありません。

 そもそも日本人が北朝鮮に拉致されたという根本問題の責任は誰が負うのか、これは今の「支援」とは全く別次元の話です。個々の拉致をした工作員を連れて来て裁き、個人に対して賠償を求めるなどということができるはずはありません。それなら今の金正恩体制に責任を問うのか、それとも隠蔽してきた方の日本政府が責任を負うのか、あるいは「拉致された方が悪いから支援する必要はない」とするのか、一度根本的な問題を考えておく必要があると思います。

 被害者が帰ってくれば目の前のことで手一杯になります。それをいいことに「みんなで渡れば怖くない」式に責任逃れをすることは許されません。責任の所在は絶対に明らかにしなければなりません。特に国民の側にこそその視点が必要だと思います。

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2014年5月14日

総聯の圧力

【調査会NEWS1548】(26.5.14)

 去る5月9日の衆議院拉致問題で三宅博議員は朝鮮総聯による報道機関への圧力について取り上げました。具体的には李英和関西大教授・高英起デイリーNK東京支局長・朴斗鎮コリア国際研究所長・石丸次郎・アジアプレス大阪事務所長をテレビに出すなと朝鮮総聯が圧力をかけているという話です。この質疑の模様はインターネットで見ることができます。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=43914&media_type=fp

 それにしても今時メディアが朝鮮総聯の圧力に屈すること自体時代遅れも甚だしい。答弁に立った藤川政人総務大臣政務官は「知らなかった」と、人ごとのような話でしたが、テレビ局の側からすればそもそもこんなことを問題にされること自体、恥ずかしいと思うべきでしょう。

 かつて新聞もテレビも北朝鮮について報道するとき、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」と報じていました。北朝鮮にそうするなら「韓国(大韓民国)」と報じるべきでしたし、ついでに言えば「英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」とか言わなければならないはずです。しかし北朝鮮だけをそうしていたのは、「自分の社だけ『北朝鮮』にすると総聯から抗議が来る」ということでした。結局ミサイル発射や核危機、そして拉致問題で評判が悪くなると「皆で渡れば怖くない」式に「朝鮮民主主義人民共和国」を外しました。

 今は総聯もかつてのように大規模動員して会社に押しかけることはできませんが、北朝鮮での取材窓口であることをカードにして圧力をかけているようです。全く姑息というか、圧力をかける方も方だし、それを受け入れる方も方だと思います。

 しかし、問題の解決は簡単です。朝鮮総聯の圧力より読者・視聴者、つまり国民の圧力が強ければ良いだけの話です。圧力に屈している新聞は買わない、テレビは見ない、必要であれば抗議するということで圧力をかける。今朝鮮総聯の実人員が何万人いるのか知りませんが、少なくとも1億3千万人と比べものにならないことは明らかです。その意志を示すことが朝鮮総聯の圧力を跳ね返すことになるでしょう。

 それにしても、私の名前が入っていなかったのは残念です。総聯が圧力をかける中に入れてもらえるよう、一層精進したいと思います。

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2014年5月13日

世田谷区長への抗議

 5月10日の調査会ニュース1546号に記載した世田谷区のイベントの件について、私の古くからの友人であり、世田谷に居住する福井義高・青山学院大教授が区長宛の抗議文を送りました。世田谷区HPにある「区長へのメール(区政へのご意見)」ですが1週間以内に回答するのが原則とのこと。どのような回答が来るのか楽しみです。
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(抗議文)
 世田谷区民として極めて残念なことがありましたので、抗議の意を込めて、この一文をしたためさせていただきます。

 我が国政府は「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」に基づき、第二条において「北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものと」し、具体的には、「北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をする」ことと「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努める」ことを国民に約束しています。

 国だけに限られません。第三条に「地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努める」と明記してあるように、国と一体となって拉致問題解決することが、現在、日本の地方行政に携わるものの義務となっています。

 にもかかわらず、世田谷区在住の齋藤良司氏(昭和36年失踪の齋藤正治氏実弟)が、「区民まつり」に拉致問題のブースを設け「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表)のパネルなどの展示を行おうと申し込んだところ、職員から場所がないと拒絶されました(事実関係については、荒木和博代表を通じ、齋藤氏ご本人に確認済み)。

 私は、かつて「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(「救う会」)事務局次長を務めるなど、この稀にみる国家犯罪が拉致「疑惑」といわれていた1990年代後半から、微力ながらこの問題に取り組んできました。

 そして、故金正日総書記が自ら犯行を認めるまで、区長が国会議員として所属しておられた社会民主党は、拉致はでっち上げであるとして、我々の活動を非難妨害し続けました。ひょっとして、区長はいまだ拉致問題解決のための活動に対して否定的な考えをお持ちなのでしょうか。そうは思いたくないものの、区職員の上記法律に悖るともいえる対応を見ると、私はこうした推測を完全に捨て去ることができません。

 区長にお伺いしたいのは以下の点です。今後も世田谷区は今回の拒絶に示されたような拉致解決に消極的な対応を続けるというのが区長のご方針でしょうか。それとも、国会議員在職中の拉致問題への対応を自省され、国や他地方自治体にもまして、世田谷区がこの国際的人権侵害事件の解決に向けて積極的に行動するよう、区長が先頭に立って職員を指導するというお考えはあるのでしょうか。
以上、お忙しいところ恐縮ながら、早急にご回答いただければ幸いです。

青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授
特定失踪者問題調査会を支援する会会員
福井義高

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2014年5月12日

岐阜に関連する情報

Hayashi

【調査会NEWS1547】(26.5.12)
  
 今日は岐阜大学の大学院生だった林雅俊さんが失踪して16年目の日です。昨日岐阜市では救う会岐阜の主催で「林雅俊さんの失踪を考える会」が開催されました。挨拶されたお父さんの俊雄さんが「本当に良い息子だった」というおっしゃっておられた言葉が重く感じられました。

 さて、これにあわせて岐阜に関わることをいくつかまとめてみました。

(1)林雅俊さん失踪

 岐阜大学の大学院生だった林雅俊さんは平成10年(1998)5月12日夜大学を車で出たまま失踪。14日に越前町梅浦海岸に本人の車が発見される。車内に残されたパソコンには自殺を思わせるメッセージがあったが、調査会の常務理事でもある川人博弁護士の分析によれば他人が自殺を偽装した可能性が強いとされる。

<当時の状況>
4月28日 学校の近くでガソリンを満タンにしている。

4月29日 9:30頃家を出て20:00頃帰宅(木ノ本インター近くのGSで40〜45リットル給油)。失踪後調べたところ金沢の有料道路の通行券があった。高速券はなかった。

5月12日 大学で大日本土木に入るための面接練習をしていた。22:30大学の指導スタッフと別れる。この日の夜は帰宅しなかったがそれまでも卒論などで朝帰りとか泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。

5月13日 20時頃指導スタッフから「会う約束をしているのだが来なかった」と電話がある。

5月14日 福井県越前町海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所の駐在から自宅にあり、連絡を受けてお父さんが現地に向かう(現地に着いたのは同日17:00頃)。置いてあったのは海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだようになっていた。13日早朝から止めてあった模様。ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。パソコンには13日14:03の書き置きのようなものがあった。「このパソコンは義兄にあげる。ゼネコンはいやになった。道を間違えた」と書かれていた。義兄の名前などもあったので内容からして本人であることは確かとお父さんは思ったが義兄は中国に在住しておりまだ姉と結婚して間も無い頃でそれほど親しく話す間ではなかった。携帯はもともと持っていなかった。

●その後無言電話が1〜2カ月間続いた。1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。

●現場の周辺には何度も行ったが、越前町から東尋坊寄りのレストランで聞いたとき、「沖に船がいて陸との間で合図し、小さい船が着たりすると聞いた」との話があった。

(2)平成10年(1988)の夏(つまり林雅俊さん失踪の2〜3か月後)、岐阜大学医学部に勤務していた男性医師からの情報

 夜9時近く机を置いている部屋に内線電話があった。この日施設には自分以外いなかった。電話の内容はチンプンカンプンで記憶に残っていない。残っているのは、訳のわからない電話だという印象だけ。

 岐阜市役所の前の通りは、長良橋通りという大きな道路がある。市役所から、この長良橋通りを山田眼科の方に進んでいくと、泉町になる。地図の左側に、司町がある。98年当時はここに医学部があった(現在は移転)。医学部から官舎がある六本松までは伊吹町側にある駐車場出口から、長良橋通りに出る。この通りに朝鮮総連の岐阜県本部がある。

 長良橋通りに出ると左にハンドルを切り、六本松の官舎に向かう。長良橋を越えると高富街道につながる。そのまま道なりで進むと、福光東、東2に至る。ここは大きな道路との交差点になり、地図にはデニーズが見える。ここで、右に曲がると、歩道橋がある。歩道橋近くは二股になっており、結局は、歩道橋を越えて少し行くと、合流する。

 ここから少し走り、西山で山沿いの道に向かうのが、六本松官舎への通常の通り道になる。そのまま真っ直ぐ向かうと農道になるので、多くの方は山沿いの道を通られていたようだが自分は農道の方を通り、帰宅するのを常としていた。

 訳の分からん電話の後帰り支度して、伊吹町の駐車場出口から右にハンドルを切って、長良橋通りに出た。長良橋通りは長良橋に近づくと、交差点を曲がることが多くなる。運転していると、後ろの車がパッシングしているような気がしてきて,バックミラーを見ると後ろに車がおり、カーブを曲がっても距離感は同じでついてくる。長良橋を越えて、高富街道になっても同じ車が、後ろに張り付いていたので歩道橋に向けて左にハンドルを切り、直ちに、二股になっている脇道に左に入ると、接するように近づいたまま同じ車がついてた。この段階で、自分をつけているだけではなく、襲撃する気があるということは確実になる。

 再び、六本松へ向かう道路に近づくとウインカーを表示せず左にハンドルを切り、農道に入り加速し、引き離し、両側が民家になった地点で、ライトを消し、車を止めた。相手方は山沿いの道に入り、停止し、ライトを消して停車した。このあたりは街頭が少なく、真っ暗闇ではありないが、相当に暗い地域。相手方は山際だから、車のシルエットが見えますが、当方は家のシルエットにカバーされて相手方からの視認は困難だっただろう。しばらくして、相手方はライトを点灯し、車を切り替えし、元来た方向に引きあげた。

 大学の病院の医局であれば、結構、訳の分からない電話はかかるが基礎の関係の教室には、通常は関係者以外の人間から電話は来ない。特に夜間では。従って、訳の分からない電話がかかるということは、本人同定の目的が濃い可能性がある。夜間に勉強するための部屋に一発でかけてくるのは、教室の内実を知らない限り、可能性は低くなる。狙いは自分だったのだろう。

 脅しをかけるならば自宅に脅しの電話をするとか、携帯電話にかけるとかすればことたりる。自分は書類には自宅の番号や、携帯電話の番号は記載していた。従って脅しの目的では、一人でいることを確認後本人同定のうえ車でつける必要はない。また、襲撃の場合は、一人でいて当人がいるのは同定できているから、その場で行えば事足りる。従って、脅しや襲撃とは思えない。

(3)九州南西海域不審船事案と岐阜の関連

 平成13年12月、奄美沖で海上保安庁の巡視船と銃撃戦をした後自沈した北朝鮮工作船から押収された携帯電話は次のようなものでした。通話先には岐阜県内の暴力団もあったと聞いていますが今は確認できません(下記は海上保安庁の資料から引用)。

ア 販売場所・時期:岐阜県内、平成13年2月以降
イ 通話記録:同年5月から11月にかけて百数十回
ウ 通話先:
・都内暴力団事務所の固定電話
・暴力団関係者契約の携帯電話
・何者かが韓国籍の者を偽装してレンタル契約したと思料される携帯電話
・在日の朝鮮籍及び韓国籍を有する者が契約した携帯電話
 など

(4)元北朝鮮工作員・徐勝の親族が在住

 五十代以上位であれば「徐兄弟救援運動」をご存じかも知れません。昭和46年(1971)、在日韓国人の徐勝・徐俊植兄弟が韓国でスパイとして逮捕された事件です。2人は後に釈放されますが、分かっているだけでも逮捕前次のように北朝鮮への密出入国をくり返しています。

昭和43年(1968)8月 徐勝が密出国
 同年 9月10日(7日説も) 石川県能登半島の黒島から徐勝が密入国
昭和45年(1970)8月30日 石川県能登半島黒島から徐勝、徐俊植が密出国
 同年 9月11日 石川県珠洲市の金剛崎から徐勝、徐俊植が密入国

 原敕晁さんを拉致し成り代わった辛光洙は昭和60年(1985)に韓国で逮捕されます。徐勝と辛は同じ刑務所にいました。かつて辛と同居していた在日女性朴春仙さんは徐勝が辛と獄中で一緒だったと聞いていたので、京都で徐勝本人と会ったとき、辛の消息を尋ねました。すると、彼は一瞬顔色を変えて「ええ、(辛は)立派な先生でした。」と答えたそうです。徐兄弟を工作活動に導いたのが岐阜に住む親族だったと言われています。

 以上のようなことについてお話しし、参加者の方々と議論するなかで、次のような情報提供がありました。

●岐阜大学に1990年代半ば在学していた女性の話

 深夜の大学構内は危険とされていたようです。この女性の友人女性(同じ岐阜大生)が、深夜まで大学におりその帰路に、キャンパス内で複数の男に連れ去られそうになったとのこと。車を使用したという以外、人数や風体などの情報は不明です。

 本人も夜大学構内から出て自転車に乗って家に帰る途中、車に追いかけられ、必死に逃げたそうです。もちろん、どちらも一般犯罪の未遂だった可能性はありますが、これも林さん失踪や(2)に近い時期ではあります。

 これらについてお気づきのことがありましたらぜひお知らせ下さい。

※写真は林雅俊さん

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2014年5月10日

空いてない

【調査会NEWS1546】(26.5.10)

 去る4月27日、日比谷での国民大集会の前に特定失踪者の家族懇談会を行いました。その折東京世田谷にお住まいの齋藤良司さん(昭和36年に失踪した斎藤正治さんの弟さん)が、「区のイベントで拉致問題のブースを設け調査会のパネルなどの展示をしようと申し込んだら『場所がない』と言われた」との話をしておられました。

 拉致問題に熱心に取り組んでいる労働組合「UAゼンセン」のメンバーが陸上自衛隊駒門駐屯地の見学とセットにして、駐屯地の中で拉致問題の勉強会をやろうとしたら、これまた「空いていない」と断られたそうです。

 かつて「しおかぜ」の国内からの送信を模索していたとき、KDDI八俣送信所を一括して借りて国際放送に使っているNHKも当初は「空きがない」「運用が難しい」と後ろ向きな発言がありました。

 北朝鮮人権法には次のように書かれています。

第二条 3  政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。
第三条  地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする。

 「空いてない」に類する官僚答弁はあちこちで聞きますが、いざとなれば簡単に空くことは経験からも明らかです。せっかく法律があるのですから世田谷区も自衛隊もしっかりやってもらいたいものです。「みなさまのNHK」だって同様でしょう。

 もちろん、「広報など後回しだ。どうやって具体的に取り返すかに集中するから広報は民間でやってくれ」というのであれば喜んで従いますが。

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2014年5月 8日

70年代から80年代

【調査会NEWS1545】(26.5.8)

 もう一つ、「思い込み」の続きです。

「1970年頃から80年頃にかけて、北朝鮮による日本人拉致が多発しました。現在、17名が政府によって拉致被害者として認定されています」

 これは政府拉致問題対策本部のホームページに記載されている説明です。

 一方、調査会のホームページから「失踪者リスト」というところをクリックしていただくと、昭和23年(1948)失踪の平本和丸さんにはじまって平成15年(2003)の高見至さんまで失踪者が並んでいます。「何で政府の認識とこれほど違うのだろう」と思われた方もおられるでしょう。もちろん、調査会のリストの中には後に拉致でなかったことが分かる人も出てくるとは思いますが、それにしても拉致対ホームページの記載とは相当な差があります。

 私の記憶に間違いがなければ、当初は「1970年代後半から80年代前半にかけて北朝鮮による拉致事件が起きました」といったような書き方だったと思います(対策本部のホームページではなく別のところだったかも知れませんが、いずれにしても政府機関の表現)。その後色々調べていくうちにこの期間内だけでないと気付いた、あるいは隠しておけなくなったために微妙に表現を変えてきたものと思われます。

 組織的な拉致が1970年代後半から始まったという説のもともとの根拠は韓国で発刊された『金正日と対南工作』という本です。シン・ピョンギルという1970年代に韓国に亡命した元北朝鮮工作機関要員の書いたもの。1970年代半ば、金正日が金日成の後継者に決まった後工作機関を掌握するために工作活動の再点検を行い、その過程で昭和51年(1976)年初めに工作員の現地化を命じたことが計画的日本人拉致につながったと書かれています。

 しかしこれだと警察の幹部が内部で「次に政府認定されるとすれば大澤孝司さんか川口の藤田進さん」と言っているといわれる2人とも該当しなくなります。大澤さんは昭和49年(1974)2月24日ですし、藤田さんは昭和51年2月7日で、どう考えても間に合いません。もちろんその他の失踪者でもこの時期に入らない人は少なくありません。

 元北朝鮮工作員だった安明進氏は「拉致は金日成の時代からやっていたが、金正日の指示はそれを金正日の功績とするためにクローズアップしたのではないか」と言っていました。「山賊国家」とも言える北朝鮮にとってやり方は様々であっても外国人を連れて来て使うというのは最初から当然のことだったのではないでしょうか。

 この時期的な思い込みは単なる錯誤ではなく、内外の様々な機関の様々な意図に基づく情報操作だったのではないかと思います。拉致が北朝鮮という国の体質から導き出されるものである限り、また誰一人として日本国内の工作員・協力者が罪に問われていないという現状では今後も拉致が実行される可能性は常に存在します。拉致の本質を理解し抑止するためにはこの認識からの脱却が欠かせません。

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2014年5月 7日

チャンネル桜(5月6日)

チャンネル桜でお話しさせていただきました。

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拓大「国際講座」でお話しします

H260524
 5月24日の「国際講座」です。今回は私が話します。担当も私なのでワンマン運転で司会者兼任でやります。ご関心のある方おいでいただければ幸です。

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内陸と太平洋側

 【調査会NEWS1544】(26.5.7)

 前号の「思い込み」の続きのような話です。

 今も多くの方々は拉致が日本海側の海岸線で起きたものと思っているのではないでしょうか。しかし、現実に考えると現在の政府認定拉致被害者だけをとっても、決して海岸でやられている人は多くありません。

順番に言えば次のようになります。

●久米裕さん(連れ出されたのが能登半島であるだけで、誘引されたのは東京)

●松本京子さん(現場から海岸まで300メートル以上はある)

●横田めぐみさん(同上)

●田中実さん(連れ出されたのはウィーン、誘引されたのは神戸)

●田口八重子さん(連れ出された現場は宮崎説と佐渡説があるが、誘引されたのは東京)

●曽我ひとみさん・ミヨシさん(現場は国道上で、船が止められていたという国分川の河岸まで200メートルはある)

●原敕晁さん(連れ出されたのが宮崎、誘引されたのは大阪)

●有本恵子さん・松木薫さん・石岡亨さん(欧州での拉致)

 地村保志さんと富貴江さん、蓮池薫さんと祐木子さん、市川修一さんと増元るみ子さんのアベック拉致3件及び富山県高岡市でのアベック拉致未遂はいずれも海岸の近くと言われていますが、偶然海岸でやられたものとは考えにくく、2人のどちらかが狙われていたものと思われます。直接の拉致の現場が海岸近くだったということです。

 こうやって見ていくと日本海側の海岸で、たまたま工作員に出会って連れて行かれたと確信の持てるケースは一つもありません。いわんや特定失踪者になれば内陸も太平洋側も関係なく失踪が起きており、工作員の活動も全国で行われています。この点は私たちが現地調査を通して痛感しているところです。

 今週末、岐阜市内で救う会岐阜主催の集会があります。ここでは岐阜大学の大学院生だった林雅俊さんが平成10年(1998)5月12日に失踪していますが、他にも怪しい情報があったり、元工作員と思われる人物が住んでいます。内陸や太平洋側にお住まいの方は拉致に関する思い込みで、自分たちとは関係ないと思っている場合が多く、情報収集にもネックになっていますが、おそらく眠っている情報が(場合によっては隠されている情報が)相当あると思います。お気づきの点がありましたらぜひご協力下さいますよう、お願い申しあげます。

※上記の岐阜の集会は以下の通り行われます。お近くの方はご参集いただけると幸です。

★5月11日(日)14:00 林雅俊さんの失踪を考える会(救う会岐阜主催)
●ハートフルスクエアーG(JR岐阜駅東隣)
●代表荒木が参加
●問合せ:救う会岐阜・野原代表(090-8336-8621)

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2014年5月 5日

思い込み

【調査会NEWS1543】(26.5.5)

 これは自戒の念も込めての話です。

 特定失踪者ご家族からの聞き取りをやっていて、時折失踪状況などに思い込みがあるのではないかと感じるときがあります。具体的には様々ですが、例えばご家族の中のトラブルが失踪の原因と思い込んでおられる(私たちに届出をするのですから、当然拉致の可能性を考慮しているはずなのですが)というケースがあります。また、非公開の方でご家族の何人かが「自分たちは捨てられた」と決めつけているために、公開したくても反対があってできないというケースもあります。

 このように感じられるのは仕方がないといえば仕方がないことで、ご家族にしてみれば長年自分たちだけで探してこられた方が多いため、どうしても最初の時点で考えたことが固定化しがちです。1万キロ現地調査の中で、皆で現場での議論をしているとそこに気付くことも少なくありません。

 ご家族からすれば拉致なのかそうでないのか、そうでないにしても事故なのか自分の意志でいなくなったのかは一刻も早く知りたいことで、「死んだという情報でも良いから欲しい」とすら度々聞かされています。何も情報がない状態というのはまさに生殺しであり、やはり何かの結論をつけたくなるのは当然とも言えます。特定失踪者ご家族が拉致認定を求める理由の一つには「結論」が欲しいということもあります。

 しかし、思い込みが真実への接近の妨げ、つまり解決の妨げになっていることも少なくありません。私たち自身も思い込みに囚われていることはないのだろうかとあらためて考えています。「拉致は1970年代から1980年代に行われていた」というのもまさに思い込みの最たるものです。情報の見直しは常に必要と思っています。皆様の中でもお気づきの点がありましたら遠慮なくご指摘下さいますようお願い申しあげます。

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2014年5月 3日

男鹿脇本事件

【調査会NEWS1542】(26.5.3)

 去る30日、秋田県男鹿市で男鹿脇本事件に関わると思われる情報を入手しました。

 男鹿脇本事件は昭和56年(1981)8月5日、ひと月前に短期の工作員教育で北朝鮮に密出国した在日朝鮮人工作員が日本に密入国しようとして秋田県男鹿市の脇本海岸で逮捕された事件です。送り込んだ工作員2名はゴムボートで逃走しました(詳しくは下の資料をご覧下さい)。

 これについて、去る4月30日、救う会秋田・男鹿地区のご協力で同時期に近くの海岸に車で行って不審な男に懐中電灯を照らされたというご夫婦(当時は婚約中、ここではご主人をAさん、奥様をBさんとします)のお話しを聞くことができました。内容は次のようなものでした。

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時期:昭和56年6月ないし7月

時間:20時頃

場所:男鹿市船越の海岸

状況:
 2人は同年11月に結婚を控えている婚約者同士であった。そのためBさんが家に帰る途中に2人で待ち合わせることがたびたびあった。

 当日もそのようにしてBさんの自家用車で船越海岸で会っていた。車は波打ち際から30メートル位の距離に海に向かって止めていた。その日は湿度は高かったが気温はあまり高くなく車の窓は閉めていた。月はなかったように思う(新月ではなく曇っていたと記憶。雨は降っていなかった)。運転席にAさん、助手席にBさんが座っていた。その周辺に街灯はなかった。

 車を停めてから少し時間をおいて突然、運転席側の窓から中に懐中電灯が向けられた。単3電池を使用した懐中電灯より少し強い光ではなかったかと思う。しかしドアはロックしていたため開けられることはなく、そのまま男は立ち去った。Bさんは運転席側を向いていたためその男を見ることはできなかったがAさんは見ることができた。男は2名で黒いウェットスーツ様のものを着用していた。頭はフードのようなものをかぶっていた。

 懐中電灯で照らされた後車を移動した。道に出て男鹿大橋方向に少し行くと2人が歩いていたので徐行して「何かあったのですか」と聞いたが返事はなかった。当時は不法入国対策の海岸警備だと思っていた。しかし拉致問題が話題になったときにAさんは初めて男の姿を語り自分たちもそういうターゲットにされかけたのではないかと思った。その後、脇本事件の報道もあり、同時期ではなかったかと思う。

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 お話しを聞いたときは工作員の可能性もあるものの、あるいは逆に警戒配備をしていた警察官の可能性もあるかと思ったのですが、帰京してから下記資料1の『戦後のスパイ事件』を見たところ、逃走した工作員の服装が記載されていました(写真)。Aさんの証言の「ウェットスーツ」「懐中電灯」が一致します。

 一つ不思議なのはこの図で工作員を送り込んで逃走した2人(おそらく作戦部の戦闘員でしょう)の服装が極めて詳細に書いてあるということです。夜中に捕り物をやっているときにどうやってここまで分かったのか。捕まった在日の工作員が白状したのかも知れませんが、それにしても不思議です。

 男鹿は3年前の現地調査で来たところで、そのときに男鹿脇本事件の現場も行ったのですが、今回本件だけでなく次のようなことが分かりました。

(1)40代の男性が昭和52年湯の尻漁港から1人で漁に出て失踪。後に船は見つかったが本人は乗っていなかった。刺し網に本人の長靴が片方だけ引っかかっていた。当時海はべた凪で普通海に落ちた場合は3〜4日で遺体が発見されるのに何も見つからなかった。

(2)秋田港に入るべき北朝鮮船が男鹿船川港沖合でぐるぐる回っているのが目撃され118番(海上保安庁への緊急電話)通報されたことがある。

(3)平成3年、秋田火力発電所の近くで60代の漁師が失踪し船だけ見つかった。

(4)湯の尻漁港の沖合で北朝鮮船で白骨遺体3体の乗った北朝鮮漁船が発見された。

(5)入道崎に来ていたアベックで女性が浜に降りていってそのまま戻って来なかった事件がある。時期等は不明。

 まだ何とも言えませんが、男鹿半島には航空自衛隊のレーダーサイトがあり、当然北朝鮮やロシア、中国には注目されてきたはずです。今後さらに多角的な調査を進めたいと思います。
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<資料1『戦後のスパイ事件(二訂版)』(東京法令出版)男鹿脇本事件に関する記述>

男鹿脇本事件●昭和56年8月5日 秋田県警察検挙

 この事件は

  北朝鮮工作員 A

が北朝鮮に密出入国してスパイ訓練を受け、対韓国工作のための準備、在日朝鮮人に対する金日成思想の浸透などの任務を指示された後、秋田県下の海岸から密入国したスパイ事件である。

 Aは、和歌山県で出生した在日韓国人で、工学院大学卒業後、東京都内で団体職員として勤務していた昭和56年1月、北朝鮮工作員として採用され、その後約半年間にわたって、南北朝鮮の実情、韓国の現体制の矛盾と批判、南北統一の重要性、金日成主義について学習指導を受けた後、スパイ訓練を受けるための北朝鮮への脱出指示を受けた。

 Aは、昭和56年7月5日、秋田県男鹿市の脇本海岸から北朝鮮に密出国し、一か月間のスパイ訓練を受けた後、

 ○ 対韓国工作のための準備
 ○ 在日朝鮮人に対する金日成思想の浸透工作

などの任務を指示され、昭和56年8月5日、工作資金等を携行して、秋田県男鹿市の脇本海岸から密入国した。

 秋田県警察は、昭和56年8月5日、脇本海岸で密入国直後のAと潜入案内の北朝鮮工作員2人を発見し、Aを逮捕したが、工作員2人はゴムボートで逃走した。Aは、10月16日、秋田地方裁判所において、出入国管理令違反で懲役10月、執行猶予2年の判決を受けた。

<資料2 昭和57年警察白書 男鹿脇本事件についての記述>

 昭和56年8月5日夜、秋田県警察は、男鹿半島脇本海岸にゴムボートで不法入国してきた在日韓国人I(29)を外国人登録法違反で逮捕した。

 Iは、在日の韓国系団体の職員として勤務していた56年4月ごろ、在日の北朝鮮工作員Kから工作員になることを執ように説得され、これを承諾した。

 Iは、工作員としての教育訓練を受けるため、Kの指示に従って56年7月5日夜、同海岸から北朝鮮工作船でひそかに不法出国し、北朝鮮の平壌市で約1箇月間の訓練を受けた後、再び北朝鮮工作船で同海岸にひそかに上陸してきたものであった。

 Iは、56年10月、出入国管理令違反で懲役10月、執行猶予2年の判決を受けた。


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2014年5月 1日

「隼CHANNEL」「Sセミナー」

【調査会NEWS1541】(26.5.1)

◎隼CHANNEL(種子島・屋久島現調)

 戦略情報研究所の情報配信「隼CHANNEL」の第12回がアップロードされました。今回は去る1月29〜30日に実施された調査会1万キロ現地調査第19回(種子島・屋久島)についての報告です。

 この現地調査では30日に鹿児島で記者会見を兼ねた報告会が開催されました。今回の隼CHANNELでは大隅半島で海岸近くに行った男女が不審な男たちに襲われかかった事件(調査会NEWS1473(26.2.2)記載)についてのご本人の証言の模様も収録されています。

◎戦略情報研究所Sセミナー

 去る25日に開催された戦略情報研究所のSセミナー第10回「いったい誰の責任なのか?―国内の拉致実行犯・協力者を摘発できない『放置』国家の現状―」の前半部分も配信されています。調査会役員(荒木・岡田・村尾・曽田・杉野)と増元照明家族会事務局長・三宅博衆議院議員がそれぞれ「責任は○○にある」と紙に書いた上でスピーチをしています。

 これらは以前のものも含めて下記のサイトで見ることができます。ぜひご覧下さい。

 http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

 なお、この配信は(株)NetLiveのご厚意で行っているものです。この場をお借りしてあらためて御礼申し上げます。

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