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2005年7月31日

実感とバーチャルな感覚について

 一昨年位から何度かパソコンが故障した。毎日持ち歩いて、ハードに使っているのだから仕方ないとも言えるのだが、仕事の忙しいときにハードディスクがいかれてしまい、絶望感に浸った経験を持った方は私だけではないだろう。
 何度かそんなことが続くうちに、ふと「これはパソコンに頼り過ぎるな」という天の啓示ではないかという気がしてきた。そんなときふと広告が目にとまったのが柳田邦男氏の『壊れる日本人』(新潮社)である。読んでみてなるほどと思った。
私はもともと機械物が好きだったこともあり、ワープロの時代から人より早くこの手のものを使ってきた。人にもあちこちで勧めてきたし、だからこそブログも始めたのだが、最近になってITの限界を感じるようになった。やはり実感と、機械を媒体にしたバーチャルな感覚は異なるのではないかということだ。これまでの反動なのか、最近、「実感」にやたらこだわりたくなっている自分に気がついた。
 もちろん、そうは言ってもITと無縁の生活を送ることは不可能だ。必要に応じてお付合いしていくというところだろう。そんなことで、このところ、このブログはともかく、一般の原稿はしばらくぶりに原稿用紙で書き、清書にパソコンを使っている。原稿の中身の善し悪しはさておき、原稿用紙にペンを走らせるのは新鮮である。

 ところで、「実感」と言えば一昨年(だったと思う)の8月15日に靖国神社で感じたことがある。あのときは靖国参拝がクローズアップされ、年齢を問わず非常に多くの人が参拝したのだが、私は何か不思議な違和感を感じていた。
 こういうとお参りに行った人たちに失礼かもしれないし、私もお参りした1人ではあるのだが、戦争経験のある人が少なくなると、逆にバーチャルな感覚で戦争を受け止める人が増えてくるのではないか、「戦争」の実感が遠ざかって、靖国の英霊は寂しい思いをしているのではないかということだった。
 そして、あのときふと感じたのは、「自分も含めて、戦争体験なしにお参りに来ている人よりも、2002年6月の黄海での南北朝鮮の海軍艦艇の衝突、いわゆる『西海交戦』で戦死した韓国海軍の兵士達の方が、靖国の英霊と共有できるものがあるのではないか」ということだった。 「西海交戦」の翌日の韓国紙には1面トップ記事の見出しに「戦死」という大きな活字が乗った。私はあの活字を見て「朝鮮戦争は終わっていなかった」ということを再認識したのだった。

 総理の靖国参拝はもはや国際的な政治問題になっており、参拝しないわけにはいかないだろうし(常識的な総理であれば、だが)、参拝すべきだと思うが、個人個人の参拝は「中国や韓国が気にくわないから当てつけに参拝する」というのでは英霊に失礼である。今年は、250万柱の死にどういう意味があるのか、列に並びながら静かに考えてみたいと思う。

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2005年7月24日

米国と共産主義

 最近話題の本『アメリカはアジアに介入するな!』(ラルフ・タウンゼント著 田中秀雄・先田賢紀智訳 芙蓉書房出版)は新聞記者、大学の教師、国務省職員などをつとめた著者が、戦前に書いたものである。そこには米国民に対する警告が繰り返し述べられている。曰く対日戦争を煽る人間がマスコミなどを牛耳り、扇動している。日本は米国に危害を加えておらず、中国の支援は逆に米国の国益に反すると。
 私は日米開戦においてルーズベルト政権の中枢にソ連のスパイがいたことが日米開戦に米国が追い込んだことの最大の要因だと思っていたのだが、事態はもっと深刻だったようだ。戦前の米国に大衆運動としての共産主義が強く根を張っていたとは想像していなかった。
 あらためて考えると、当時の日本がやったことは、他の欧米列強に比べて特にひどくはなかったことが良く分かる。なぜ、それが今「世界に類を見ない極悪非道な侵略」にされているのか、誰がそれを指導してきたのか、そして、得をしたのは誰なのか、もう少し冷静に分析してみる必要がありそうだ。

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2005年7月17日

国連安保理

 国連改革、もっとはっきり言えば常任理事国入りのことが大詰めを迎えているらしい。外務省にとっては悲願でもあり、同省にいる友人も大変な苦労をしているようだ。
 しかし、そんなときに申し訳ないのだが、私には正直なところ「何でそんなに一所懸命になるんだ」という思いが払拭できない。
 私の記憶に間違いがなければ、金丸信・元副総理は国連を「田舎の信用組合のようなもの」と言ったように思うが、事実であればこれが金丸氏の唯一の業績と言ってもいいだろう。べつに国家をあげてやることではないと思う。
 先日の「60年体制研究会」シンポジウムのタイトルになった「日本第一主義」(これは福井義高・青学大助教授の言葉)で何か問題があるのだろうか。中国や韓国が反対しているのを逆手にとって、ここは引き下り、その代わり負担金も中国以下にした方がよほど国益にかなっている。
 そもそも、拉致された自国民を取り返すのに話し合いしかない、経済制裁すらできない国が、なんで「安全保障」理事会ので常任理事国になれるのか。それとも、国連が「日本は拉致被害者救出のために軍隊を使うべきだ」と決議してくれればやるというのだろうか。
 国際的な枠組みが不要だと言うつもりはない。それに過大な期待をかけてはいけないということである。少なくともこれ以上多数派工作(それは当然、国民の税金を使ったアメをちらつかせてのことだろう)をすべきではないと思う。

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2005年7月 5日

戦争について

 先日私の授業を受けている学部の学生(3、4年)にアンケートをとってみた。設問は「君が生きているうちに日本は戦争をする(あるいはしかけられる)と思うか」である。結果は次の通りだった。
①思う  51%
②思わない 40% 
③分からない・無回答 9%
 この数字をどう見るかは判断の分れるところだろう。ただ、自分が学生だった当時なら、「思う」という答えはもっと少なかったと思う。今の学生の方が現実的なのかも知れない。

 この国は戦後、「自分が悪いことをしなければ人からも悪いことをされるはずがない」という前提で成り立ってきた。憲法前文にもそれを謳っているが、当時からそれはまったく現実にそぐわないものだった。冷戦の「おかげ」で、安全保障の根幹を米国に任せて、都合の悪いときには「米国の戦争に巻き込まれる」と言って知らん顔をしておけばよかったのである。しかし、それで済んだ牧歌的な時代も終わった。永田町も霞が関もまだ、それに気付いていないが、一般国民はもう身体で感じているのではないか。
 誰だったか忘れたが、私の書いたものについて「日本を戦争のできる国にしようとしている」とか批判していた人がいた。批判の当否はさておき、この指摘は正しい。私は日本を戦争のできる国にしようと思っている。戦争のできる国であることこそが、戦争を避けることができるからである。「非戦」とは、日本を戦えない国にすることであって、他国からの直接間接の侵略を防ぐすべではない。言っている本人が気付いているかどうかは別として、これは日本を滅ぼすための一種の謀略である。
 かつて帝国海軍はミッドウェー以来の敗北をひた隠しにし、いわゆる「大本営発表」で、連戦連勝を装った。その情報を元に陸軍は南方での作戦を展開して敗れていった。陸軍は中国軍が余りにも弱かったために、米英も甘く見て準備を怠った。今私は戦史について少しずつ勉強しているのだが、戦争というのは国際政治から戦略、戦術に至るまで、教訓の宝庫である。これを「非戦」という言葉で隠してしまうのは余りにももったいないし、散華された英霊にも申し訳がたたない。「どうしたら米国との戦争を避けられたのか」「どうしたら中国大陸の泥沼にはまることを避けられたのか」「どうしたらミッドウェーで勝てたのか」など、考えていけば現代に通用する様々な教訓が得られるのである。
 もっと戦争を身近なものにしよう。本当に平和を望むなら、それは絶対に避けては通れないことであるはずだ。

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