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2005年7月 5日

戦争について

 先日私の授業を受けている学部の学生(3、4年)にアンケートをとってみた。設問は「君が生きているうちに日本は戦争をする(あるいはしかけられる)と思うか」である。結果は次の通りだった。
①思う  51%
②思わない 40% 
③分からない・無回答 9%
 この数字をどう見るかは判断の分れるところだろう。ただ、自分が学生だった当時なら、「思う」という答えはもっと少なかったと思う。今の学生の方が現実的なのかも知れない。

 この国は戦後、「自分が悪いことをしなければ人からも悪いことをされるはずがない」という前提で成り立ってきた。憲法前文にもそれを謳っているが、当時からそれはまったく現実にそぐわないものだった。冷戦の「おかげ」で、安全保障の根幹を米国に任せて、都合の悪いときには「米国の戦争に巻き込まれる」と言って知らん顔をしておけばよかったのである。しかし、それで済んだ牧歌的な時代も終わった。永田町も霞が関もまだ、それに気付いていないが、一般国民はもう身体で感じているのではないか。
 誰だったか忘れたが、私の書いたものについて「日本を戦争のできる国にしようとしている」とか批判していた人がいた。批判の当否はさておき、この指摘は正しい。私は日本を戦争のできる国にしようと思っている。戦争のできる国であることこそが、戦争を避けることができるからである。「非戦」とは、日本を戦えない国にすることであって、他国からの直接間接の侵略を防ぐすべではない。言っている本人が気付いているかどうかは別として、これは日本を滅ぼすための一種の謀略である。
 かつて帝国海軍はミッドウェー以来の敗北をひた隠しにし、いわゆる「大本営発表」で、連戦連勝を装った。その情報を元に陸軍は南方での作戦を展開して敗れていった。陸軍は中国軍が余りにも弱かったために、米英も甘く見て準備を怠った。今私は戦史について少しずつ勉強しているのだが、戦争というのは国際政治から戦略、戦術に至るまで、教訓の宝庫である。これを「非戦」という言葉で隠してしまうのは余りにももったいないし、散華された英霊にも申し訳がたたない。「どうしたら米国との戦争を避けられたのか」「どうしたら中国大陸の泥沼にはまることを避けられたのか」「どうしたらミッドウェーで勝てたのか」など、考えていけば現代に通用する様々な教訓が得られるのである。
 もっと戦争を身近なものにしよう。本当に平和を望むなら、それは絶対に避けては通れないことであるはずだ。

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