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2005年5月28日

森岡政務官の発言について

 森岡正宏厚生労働政務官の発言が波紋を呼んでいます。誰かが波を起こしているといった方がいいかも知れませんが、どこに問題があるのかよく分かりません。そもそも、敗戦国だけ戦犯が存在するということ自体、東京裁判が裁判に名を借りた報復である証拠です。同時に東京大空襲や原爆投下の責任者が裁かれたのならまだ多少の説得力はありますが、米国にも、そして日本にもほとんどそういう発想はありません。
 森岡政務官の発言は極めてまっとうな発言であり、このブログでも前に書いたように、国家というのは今生きている人間だけのものではないのですから、今を乗り切るために先人を冒涜したり、根拠のないことで次の世代に荷を背負わせてしまってはならないと思います。
 それにしても不可解なのは民主党の対応です。党首や国対委員長はこの発言で鬼の首でもとったように批判していますが、こちらの方がよほど理不尽だと思います。若手などでも極めて良識的な議員がいるのに党内で問題が起きないのでしょうか。私は党首が自ら靖国神社を参拝し、自民党よりはっきりとした歴史観を打ち出せればすぐにでも民主党政権は実現すると思っているのですが。

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2005年5月24日

中国・反日の効用

 呉儀・中国副首相が小泉首相との会談をキャンセルしたのは誠に結構なことである。
 4月のデモに続く国際常識を逸した無礼のおかげで、ますます日本国民の意識は中国政府の懸念する方向に動いていくだろう。こういうことはもっと起きた方がいい。
 もしここで、中国が物分りの良いことを言ってしまうと、日本の中の親中共(あえてこう書いておく)派勢力には追い風になる。得意の「話し合い」「相互理解」というのが僅かでも説得力を持ち得るからだ。しかし、中国が無礼なことを続ければ続けるほど、そういう人たちの発言は説得力を失っていくだろう。
 「愛国無罪」などと言われれば、今既に中国に出ていっている企業はともかく、これから出て行くことを考えている企業は二の足を踏むに違いない。さらに進めばすでに進出している企業も中国から東南アジアなどに移っていく可能性がある。それは外資依存、自転車操業の中国経済を危機に至らしめ、中国国民の不満となって中国政府に跳返るだろう。逆に日本国内ではもっと主権意識や安全保障に対する認識が高まるはずだ。
 中国の反日の大部分は事実に根差したものではないのだから、事実関係で論破するのはそう難しいことではない。これまで足りなかったのは気合である。そもそも、現在チベットや東トルキスタンを抑圧し、法輪功を弾圧し、法律まで作って台湾を威嚇し、国内の民主化を求める声を踏躙している中国共産党に過去の問題を言われる筋合はない。もし、日本に何か言うなら最低限、複数政党制を認め、民主的な手続きで国家主席を選出してからにするべきである。
 日本の戦争責任の最大のものは国民党と戦ったことによって共産党政権の成立に手を貸してしまったことである。これを償うのは侵略戦争の謝罪ではなく、共産党政権を弱体化させ、中国を民主化することによってのみ実現する。そんな意味も含めて、今回の呉儀副首相の行動に拍手を送りたい。

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2005年5月22日

自衛隊の用語について

 「陸上自衛隊」を英語訳すると「Ground Self-Defense Force」になる。
 知らない人がこれを見ても何のことだか分からないだろう。だから、外国に行くと陸上自衛隊は「Army」になる。
 なぜこんなことになるのか、いわずもがなだが憲法9条は軍隊を持つことを禁じているからだ。2項の「前項の目的を達するため」という芦田修正の文言もあるが、確かに誰が見ても憲法の条文からは軍隊を持ってはいけないことになっている。
 これについては前に書いた通りだが、私たちはいままで「自衛隊」という言葉で何となく自分をごまかしてきたのではないか。これは国民も自衛官も同様で、この国際社会の中で軍隊なしで国家を維持するなどということが夢物語であることは誰でも分かっているのに、皆が現状追認をするだけで、軍の重要性に正面から向合ってこなかった。そして、それに対する後ろめたさを言葉の遊びでごまかしてきたと言えるのではないか。
 例えば陸軍の一番基礎になる歩兵を自衛隊では普通科という。大尉は一尉、将校は幹部、そしてもちろん、軍人は自衛官。様々な行動に「戦争につながる」と指摘されるようなことは排除され、民間も含めて「戦争のことを考えると戦争になる」といったマインドコントロールが行われてきた。
 それでも、例えばかつて「特車」と言っていたのを「戦車」に戻すなど、少しずつ変わってきてはいるのだが、今でもはっきりと自衛隊が軍であるという認識を持っている人は少ないのではないか。これは旧軍の悪い部分を絶ち切るといった前向きの考えというより、自衛隊が軍隊ではないという逃げの姿勢だと言える。
 もういい加減、軍隊=悪(それも、特に日本の軍隊だけが悪いということだ)などという、安保闘争当時のプロパガンダにとらわれているときではない。日本にあるのは陸海空3軍であり、それがなければ日本は守れないし、軍人はこの祖国を守るために命をかけてもらわなければ困る。もちろん、自衛官は任官するときにその宣誓をするし、私たち予備自衛官も召集されていれば同様の扱いになるのだが、国民も含めてその認識をし自衛官を軍人として尊敬し、自衛官は自ら、もっと明確に軍人としての責任を自覚するべきだろう。
 言葉の遊びによるマインドコントロールを、まずは自分から脱するため、今後可能なところでは旧軍の呼称を通称として使っていこうと思っている。ちなみに私の場合は予備役軍曹になる。

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2005年5月21日

戦略情報研究所HPリニューアル

戦略情報研究所のホームページをリニューアルしました。ぜひご覧下さい。右側の「関連サイト」のところから入れます。

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2005年5月15日

憲法改正の落とし穴

以下は3月に戦略情報研究所の会員向けメールマガジン「おほやけ」45号に書いたものです。
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 最近憲法改正についての論議が盛んになっている。
 これ自体は望ましいことである。占領下に作られた憲法が、独立回復後半世紀余を経て未だ一字一句変えられていないこと自体が異常であり、もしその条文に効力を持たせようとするなら、当然時代に合わせた見直しが必要だからだ。与党自民党は昭和30年の結党当時から改憲が党是であり、最近では民主党も公明党も改憲に否定的ではなくなりつつある。
 しかし、ここには大きな落し穴が存在する。憲法改正を主張する人の多くが「改憲しなければどうしようもない」、逆に言えば「改憲すれば大丈夫」と思い込んでいることだ。
 現行憲法の手続きを踏んで改憲しようとすれば、国会で総議員の3分の2、国民投票での過半数が必要である。大多数の賛成を得るためには当然リベラルの立場の意見も入れなければならない。ああでもない、こうでもないと議論をしているうちに訳の分からない憲法草案になってしまうだろう。そしておそらく、現在護憲の立場にいる勢力は、憲法改正が具体化すれば、その中に入って新しい憲法を自分たちに都合の良いものにしようとするに違いない。しかも、良い憲法ができたとしても、その条文はできた途端にまた時代遅れになっていく。憲法の中に「毎年改正する」とでも書いておかないと、また同じことの繰り返しになるのである。
 現行憲法で考えればお分かりと思うが、第1章は天皇について書かれており、第1条には「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であつて、この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く」とされている。当然尊重し、敬意を持ってあたるべきだが、「護憲」派は皇室に対して極めて敵対的である。彼らの言葉をもって言えば、これは「憲法違反」ではないのか。
 つまり、もともと「護憲」派には憲法を護る意志はないのである。憲法を本当に護ろうとするなら、時代にあわせて変えていかなければならないはずだ。それをしないで9条(戦争放棄)と20条(信教の自由)のみを取り上げて、これを金科玉条として国家共同体の破壊を目指しているのが「護憲」派である。彼らにとって憲法の条文は自分たちの政治信条を実現するための武器でしかない。
 「護憲」派の心情には米国の民主党など、リベラルと同様のものも見えるのだが、思い込みのみならず、やっていることには謀略の臭いも存在する。例えば9条にしても、憲法問題で釘付けにしておけば、日本の周辺国への影響力行使や主権侵害への軍事力の行使を抑止できるからだ。
 そしておそらく、保守派の中に存在するエージェントは「憲法が改正されなければどうしようもない」と叫び続けているのだろう。極めて改正が難しい憲法で、「改正されなければ」ということは、保守派の動きを封じるためのマインドコントロールとしては非常に効果的である。
 憲法改正がもう止められないとなれば、護憲派は一気に改憲に鞍替えして憲法の条文を自分たちが有利に使えるようにしようとするだろう。今の憲法であれば「占領時代に作られたもので、もう死文化しているが、改正手続は極めてハードルが高いので、別途の基本法等でそれを補う」という理屈がつくが、改正してしまえばもう逃げ場がない。
 従って、この憲法を棚上げして、現実に必要なこと、例えば拉致被害者の救出に軍事力を用いる(これは直ちに武力行使をすることを意味しない。北朝鮮の政権崩壊時に救出することや居場所を特定する情報収集なども含まれる)ことなどを実行していくのが一番合理的である。
 今この話をすると、多くの人が「憲法が…」と反応する。しかし、第11条には「國民は、すべての基本的人權の享有を妨げられない。この憲法が國民に保障する基本的人權は、侵すことのできない永久の權利として、現在及び將來の國民に與へられる」、第12条には「この憲法が國民に保障する自由及び權利は、國民の不斷の努力によつて、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と書かれている。これからすれば拉致被害者を放置することは憲法違反であり、自衛のための戦争として北朝鮮に武力行使することですら何の問題もないことになるのではないか。いわんや北朝鮮の政権崩壊時に拉致被害者を自衛隊を使って救出するのに何の不思議があるはずもないのである。
 いずれにしても、全面改正など考えて「それができるまでは何もできない」と思考停止に陥るよりは、理屈は後から貨車に乗ってついてくるということで割り切って、常識的な判断をしていった方が余程生産的だと思う。もし変えるなら前文の「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というところと9条2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない」を削除するぐらいにとどめておくべきだ。いずれにしても、半世紀以上変わっていない憲法というのは、そのこと自体が国家の基本法としての意味を成さないと思うべきである。
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「北斗の拳」風に言えば「日本国憲法よ、お前は既に死んでいる」ということになりましょうか。例えば自衛隊にしても、憲法9条を読めば、どう考えても軍隊を持つことは「憲法違反」です。そして、自衛隊は誰がどうみても軍隊でしょう(あれが軍隊でないなどと言ったら、かえって外国からは不信感を持たれるはずです)。しかし、今政府が「よく考えたら自衛隊は憲法違反なので解散する」と言ったら、すぐに政権は引っ繰返るでしょう。現実の方が遥かに前に進んでいるということです。
 考えてみれば護憲派の皆さんが、この間まさに「不磨の大典」として、憲法の一字一句変えることはまかりならんとしてヒステリックに叫んできてくれた(今もやっている人たちがいますが)ことはかえって追い風になるかも知れません。

 ところで、PRで恐縮ですが、戦略情報研究所では会員を募集しています。現在は特定失踪者問題調査会を少しでも財政的に支えることが主目的ですが(実際にはそううまくいっていないのですが)、徐々に国家の基本方針を提言し、実現するためのシンクタンクとしての役割を強めていこうと考えています。心ある皆様のご参加をいただけると幸いです。詳しいことは戦略情報研究所のホームページ(リンクが右にあります)をご覧下さい。

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2005年5月14日

この国は私たちだけのものではない

 日本人は国民性の為せる技か、「謝って済むことなら」と、つい考えがちです。中国や韓国に対しても、「彼らの言っていることは不条理ではあるが、大局に立って考えたとき、一歩引いて謙虚な姿勢を示すべきだ」と考える人が少なくありません。左翼ではなく、保守派の中にも、特に政治家やビジネスマンなどで、仕事上それらの国とつきあっている人の中には相当いると思います。
 しかし、この発想には大きな欠陥があります。日本は、今生きている私たちだけのものではなく、過去この国を築いてくれた先人と、これからこの国に生れてくる(あるいはこの国の国籍を取得する)人たちのものでもあるということです。人数から考えれば、今生きている私たちはそのごく一部にしか過ぎません。
 過去の国民も、未来の国民も選挙権はもちろん、声を上げることさえできません。しかし、だからこそ今生きている私たちはそれらの人たちに対する責任を負っているのではないでしょうか。
 「今を乗りきればいい」という発想は、文字通りその場凌ぎであり、先人を冒涜し、子孫を危機に落し入れることになりかねません。
 今も太平洋の島々に、あるいは海の底に眠り、おそらく永遠に遺骨の収集もされぬまま土に帰るであろう英霊のことを考えれば、大東亜戦争を単純に「侵略戦争だった」あるいは「聖戦だった」と結論づけることはできないでしょうし、これからこの国に生れてくる子供たちのことを考えたら、拉致問題や領土問題でも、もちろん国内の問題でも小手先の解決をしてはいけないと思うようになるでしょう。
 逆に言えば、過去から未来へとつながる流れの中の一つの点として今を意識したとき、私たちの心の中にももっと自信が生れるように思うのです。

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2005年5月13日

「責任」について

昨日の曽我さんの講演が関心を集めています。このブログのトラックバックでも曽我さんの講演要旨が掲載されています。
 私は曽我さんのこととなると思い出すのが平成14年12月18日、帰国2ヶ月後に5人が初めて一同に会したときのことです。あのとき、ちょうど拙著『拉致救出運動の2000日』ができたばかりで、新潟のホテルに送ってもらい、5人に配りました。
 そこで、渡すときに気付いたのが、この2000日の記録の中で曽我さんのことは一番最後のところにしか出てこないということでした。「佐渡で看護婦さんがいなくなっているんだ」という話は9.17以前から新潟の小島さん(元救う会全国協議会会長代行)に聞いていましたし、9.17の3ヶ月前に佐渡で地元の清野県議(当時)らが中心になって開催された集会の折にも「このあたりでいなくなったらしい」とは聞いていました。ただ、新潟県警は拉致ではないとみているらしいとのことで、佐渡の場合、状況は曽我さんよりも大沢孝司さんの方が怪しかったということもあり、自分自身何も手をつけようとしませんでした。
 そのことに、本を渡す段になって気がつき、曽我さんに謝りました。もちろん、自分が拉致だと思っていたところで、どれだけのことができたか分かりませんが、少なくとも運動をやってきた者としての責任はあると、今でも思っています。
 ことき気付いたのは、曽我さんの拉致が分かってから、国の機関、警察でも、内閣でも、だれも責任をとっていないということでした。24年間拉致に気付かなかったことにはどこかに責任があるはずではないのか、逆に言えばこの国には拉致された人が誰なのか、調べる機関がないのではないか。その思いが年明けの1月10日に特定失踪者問題調査会設立へとつながりました(12月18日の時点では正直なところ特定失踪者問題調査会はまだ影も形もありませんでした)。
 曽我さんの場合、帰国から家族を取り返すまでの一連の騒ぎの中で、24年間放置されたことの責任は誰も(私も)とっていません。JRの事故は、ある意味責任が一目瞭然だから、あれだけ問題になりますが、拉致問題はそれが分かりにくいのと、そこを突き詰めるとあまりにも大きな問題であるためにかえって責任問題が見過されているように思います。
 田中実さんの認定は一歩前進です。しかし同時に、認定に27年かかったことの責任も問われるべきです。また、それ以上に、今でも拉致された状態が続いていることについての責任問題もあることは忘れてはなりません。認定に至る捜査は警察の責任でも、警察には拉致被害者を救出する能力はないのですから、それはもっと上、政府、総理の責任ということになります。
 拉致が放置されてきたのは、ある意味では国民全体の責任でもあり、責任の問い方を誤れば、現在真剣に取り組んでいる人の動きを止めることにもなりかねません。その意味では個人を苛めて憂さ晴しをしたりするものであってならず、あくまで一刻も早い全被害者の救出が最優先ですが、「誰が拉致被害者を見つけることに責任を持つのか」「誰が拉致被害者を救出することに責任を持つのか」という、職務上の責任関係はもっと明確にされるべきだと思います。

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2005年5月10日

田中実さんに関する情報について

以下は今日発信した特定失踪者問題調査会のニュースに書いた内容です。

[[[[[[[[調査会ニュース Vol.244]]]]]](2005.5.10)


■田中実さんに関する新たな情報について

 本日の朝刊に田中実さんについて失踪前に本人が北朝鮮に行くと複数の友人に言っていたとの報道がなされています。

 記事の内容からすれば警察からのリークのようですが、これが事実なら確かに新しい証言ということになるのでしょう。

 しかし、あらためてその前提で考えたとき、全く別の問題点が見えてきます。結局現在の、警察の捜査に依拠するやり方では拉致問題は解決できないということです。

 警察は「法と証拠」の原則に基づいてやっているから、怪しい事件だとは思っていたが、証拠が固められなかったので拉致と認めてこなかったということなのでしょう。しかし、この事件は平成9年1月号の月刊『文藝春秋』に記事が出た時点から極めて拉致の疑いの濃い事件でした。それが、救う会兵庫の長瀬代表、調査会岡田理事らの関係者に対する告発などによってやっと警察が重い腰を上げ、8年余り経ってやっと拉致と正式に認めたということです。

 平成14年3月に有本恵子さんの拉致認定がされたときも、そもそも有本さんが拉致されていることが分かった発端である手紙を出した石岡亨さん、その手紙に書かれていた松木薫さんについては政府は拉致認定をしませんでした。この2人については北朝鮮が「死亡」と発表してからやっと拉致認定に至ったのです。

 つまり、今のシステムでいけば、結局どんなに拉致の疑いが濃厚でも、それを政府が認めるのは本当に氷山の一角で、しかも極めて長い時間がかかるということになります。そして、例外を除いて政府は、拉致認定しない限り北朝鮮に安否確認すらしません。例えば前述の『文藝春秋』が出てから今日までの間に、田中実さんに危害が加えられたりしていたら、誰が責任をとるのでしょうか。警察庁長官でしょうか、あるいは兵庫県警本部長でしょうか。

 国家の責任(それは国民全体の責任でもありますが)でやらなければならないことは拉致を認定することではなく、拉致被害者を救うことです。拉致認定というのは救出に至るアプローチのうちの一つに過ぎません。その根本は政治家も、官僚も、マスコミも、国民も絶対に忘れてはならないと思います。(荒木和博)

■調査会役員の参加する講演会等の予定

★5月12日(木) (社)鳥取県人権文化センター主催講演会
14:00〜15:00 於 ウェルシティ鳥取・砂丘の間(JR鳥取駅南口からすぐ)
松本孟さん(松本京子さんの兄)と調査会常務理事妹原が参加

★5月14日(土) 拉致被害者の救出支援はびきの集会(大阪ブルーリボンの会主催)
14:00〜 於 LICはびきの 羽曳野市立生活文化情報センター(0729-50-5500)
家族会から飯塚繁雄さん、有本明弘・嘉代子夫妻、調査会から理事三宅が参加

★5月15日(日)第2回高砂集会 (東播磨ブルーリボンの会主催)
14:00〜 於 高砂市福祉保健センター 中ホール(0794−42−4831 山陽電鉄高砂駅徒歩5分)
 家族会から有本明弘・嘉代子夫妻・飯塚繁雄さん、調査会から代表荒木が参加

★5月20日(金)公開講座(拓殖大学海外事情研究所主催)
14:00〜 拓殖大学文京キャンパス(03-3947°2261)
家族会飯塚繁雄副代表と荒木が参加

★6月25日(土)「古川了子さんを救う千葉集会in市原」(古川了子さんを救う千葉集会実行委員会主催)
14:00〜 於 市原市民会館
家族会増元照明事務局長(調査会常務理事)と調査会専務理事真鍋が参加

★7月17日(日)第11回「拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」
14:00〜 於 藤沢産業センター(JR藤沢駅北口より徒歩5分・藤沢郵便局隣り)
家族会横田拓也さん・斎藤文代さん・市川龍子さんと真鍋が参加
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特定失踪者問題調査会ニュース
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〒112-0004 東京都文京区後楽2-3-8 第6松屋ビル401
Tel 03-5684-5058 Fax 03-5684-5059
email:[email protected]

調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp

戦略情報研究所ホームページ: http://www.senryaku-jouhou.jp

発行責任者 荒木和博 (送信を希望されない方、宛先の変更は
[email protected] 宛メールをお送り下さい)

●資金カンパのご協力をよろしくお願いします。

郵便振替口座 00160-9-583587 特定失踪者問題調査会
(ポスター・ストラップの代金と混乱する可能性がありますので、
通信欄に「調査会へのカンパ」「家族支援基金へのカンパ」
「ポスター代金」「ストラップ代金」など、使途をご記入下さい)
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2005年5月 8日

人情の海

「terakoshi.pdf」をダウンロード
 このファイルは寺越武志さんの著書『人情の海』を家内が翻訳したものです。前にも公開したことがあるものですが、ブログに載せておくのも意味があると思いますのでアップロードしました。まるまる本一冊ですので、読むのも大変ですが、参考になれば幸いです。

 この本はもちろん、寺越武志さんが自分の意志で書いたものではありません。北朝鮮で自分の意志で本を出版できるのは金正日だけでしょう。これは北朝鮮のプロパガンダです。それにしても『人情の海』とは、よくもこんなタイトルをつけたものだと思います。
 この本の中で、どう考えても日本人が書いたものにしては不自然な話がいくつもあります。例えば武志さんの中学の担任の先生、本の中では「ニシ・アズマ先生」となっているのですが、これは実は「西東(さいとう)先生」のことです。西東というのは能登にある名字だそうですが、少なくとも自分の担任の名前をこういう間違え方はしないでしょう。結局、武志さんの話を元に当局が書いた本ということです。あるいは武志さんは、この部分をあえて直さないで、自分の本意ではないということを知らせているのかも知れません。

 なお、この本は9.17の前に出たため、当時の北朝鮮の宣伝そのままに、「拉致はでっち上げ」と言っています。ここら辺も逆に興味のあるところです。
 北朝鮮の公文書を読むときの原則は「全て嘘だと思って読む。そして、『北朝鮮はなぜこんな嘘をつくのだろう』と考える」ということです。なぜ嘘をつくのか、裏を考えれば、意外と簡単に真実が分かります。興味のある方はその練習問題のつもりで読んでみて下さい。

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2005年5月 6日

海岸線

まだ慣れていないもので、レイアウトが見苦しくてすみませんが…。

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 左の写真は韓国江陵市の海岸です。ご覧のように韓国の海岸には頑丈な鉄柵が巡らされており、哨所があって陸軍の兵士が警備をしています。そういう中でも前に掲載した潜水艦のようなものを使って工作員は浸透してくるのです。
setana1
 こちらは北海道瀬棚町の海岸です。日本の、極く普通の風景ですが、韓国と比べるといかに浸透しやすいか、一目瞭然でしょう。
setana

 その瀬棚の港です。真ん中のちょっと上に突起のように見えるのが通称「ロウソク岩」。工作員侵入の目印の一つです。ちなみに瀬棚では、ここから内陸にしばらく入った旧国鉄瀬棚線(現在は廃止)北桧山駅の近くで昭和46(1971)年12月2日、仕事帰りの店員・名取志津子さんが原因不明の失踪をしています。
kashiwazaki
 柏崎の荒浜海岸。昭和59(1984)年6月4日に甲府市で失踪した山本美保さんのバックが同月8日に見つかったところです。山本美保さんの件については支援組織のホームページをご覧下さい。
http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/
山梨県警は美保さんがここでバックを置いて自殺したことにしているようです(もちろん、示唆しているだけですが)。どう考えてもそうではないと思いますが、それはともかく、このあたりも工作員の出入があるところと思われます。偽装のためにバックだけを置いていったということも考えられるでしょう。
funakakushi
久米裕さんが昭和52(1977)年9月に拉致された石川県能登町の宇出津(うしづ)海岸(通称「舟隠し」)です。


 こういうところを回っていると、よくまあ、こんないい場所を探したものだと、妙に感心してしまいます。こんなことをやっている暇があったら、まともに働けば北朝鮮も餓死者など出ないのですが、そういう常識的な論理で動いているところではないということですね。
 いずれにせよ、そういう国が直ぐそこにあるわけですから、それにどう対処しなければならないか、現実を見る必要があると思います。これは警察や海保や軍だけに任せておけばいいという問題ではないのですから。

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2005年5月 5日

李承福記念館

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 ソウル市営地下鉄2号線江辺駅の前にある東ソウル高速バスターミナルからバスで2時間余り行ったところ、中部山岳地帯の真ん中あたりにある珍富(チンブ)というバスターミナルで下車、タクシーで30分程行ったところに李承福記念館があります。
 李承福というのは1968(昭和43)年12月、東海岸への北朝鮮ゲリラ浸透事件で殺害された9歳の小学生です。李君は家に押し入ったゲリラに「共産党は嫌いだ」と言ったために惨殺されました。この事件で家族は李君以外にも母親と弟・妹が殺されました。祖母と父と兄は助かりましたが祖母(1980年逝去)と父はそのショックで精神病になり、お兄さんだけが現在普通の暮しをしています。
 この事件は有名になり、反共教育の教材としても取り上げられましたが、昨今左傾化の風潮の中で「作り話ではないのか」との声が出たこともありました。後に事実だったことが立証されるのですが、今、記念館の中には「「参与政府 平和繁栄政策」と題する盧武鉉政権の対北政策を宣伝するパネルも展示されています。これ自体が韓国の病気だとも言えるでしょう。
 今、韓国の中で「反共」を鮮明にする人はほとんどいません。これは、かつての韓国の反共意識が、朝鮮戦争当時の北朝鮮人民軍の残虐行為等に根差した体験的なもので、その後の世代には問答無用のステレオタイプな教育しかしていなかったことによります。左翼思想と闘う必要のない、一種の無菌状態だったため、朝鮮戦争を知っている世代が少なくなり、「民主化」で、左翼の情報が入ってくるようになると、思想的に闘うだけの力を反共勢力が持っていなかったということです。私よりもう少し下の世代までは、子供の頃、北朝鮮の人間は本当に角が生えていると思っていた人も少なくありませんでした。そういう教育だと、北朝鮮の普通の人間の写真1枚で、「自分たちが受けてきた教育はすべて嘘だった」ということになってしまうのです。
 もう四半世紀前、私が学生時代お世話になった仁荷大の尹教授は「韓国には『反共』がないんだ」と言っておられました。当時の韓国は街中のあちこちに「滅共」「統一」「防共」「防諜」というスローガンが書いてありました。国民にもそういう意識は今とは比べ物にならないほど強かったので、当時は言葉の意味が分かりませんでしたが、今になってみればそういうことかと思います。
 何はともあれ、韓国に行かれる方は一度足を運ばれることをお勧めします。ちなみに、記念館のホームページは
http://www.leesb-memorial.or.kr/
です(韓国語)。

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2005年5月 3日

警察はどの位分かっているのか

 おそらく、警察の関係者はこのブログもチェックしているでしょうから、可能であれば教えてもらいたいところですが、推測では、相当数の事件について警察は拉致の疑いを持ってきたのではないかと思います。
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 この画像は宮崎県警が海岸で撒いたビラです。昭和63年に宮崎で会社社長の林田幸男さんが友人とプレジャーボートに乗り釣に出たまま船ごと失踪する前ですが、このビラからすると拉致のことまでは書かれていないものの、宮崎県警が北朝鮮工作員侵入に相当神経を使っていたことが分かります。
 そして、林田さん失踪のとき、周囲の方は拉致の可能性を感じたと言いますが、県警は「証拠がない」という返事だったそうです。
 警察組織の限界と、工作員を、工作活動をやっているという理由で取り締る根拠法もなく、妨害こそあれ応援のない最前線の人々の苦労は、担当者個々人の名人芸で取返せるものではありません。システム自体を変えていくことが必要だと思います。そして国民が「どうにかしてくれるだろう」というお客様意識ではなく、警察組織に対しても厳しい目をむける一方、果たすべき責任は果たし、応援すべきは応援することが必要だと思います。
 現状を追認していれば拉致被害者は救われません。警察の幹部は、拉致問題に関して事実上唯一の捜査権を持つ組織として、放っておいたら尼崎の事故におけるJR西日本の幹部以上の責任を取らされるという思いであたって欲しいものです。そして、その第一歩が「一体誰が拉致されているのか」についての国民に対する情報開示であることは言うまでもありません。

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御礼

コメントをいただいた皆様に御礼申し上げます。
 このコメントに限らず、何人かの方から去る4月24日の国民大集会における私のスピーチへの評価をいただきました。大変光栄なことですが、問題はそれを実行できるかどうかだと思います。口で言うのは誰にでもできることですから、後で「受けを狙ってホラを吹いただけだ」と言われないよう、肝に銘じてやって参ります。
 なお、6月号から「諸君!」に「月報北朝鮮問題」というのを連載することになりました。機会がありましたらお目通しいただけると幸いです。

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2005年5月 2日

田中実さん関連資料

 以下は田中実さんの拉致認定にあたり、警察庁が発表した文書です。困難な情況の中、いかに警察が一所懸命やってきたか滔々と書いてあります。将来に渡って記録として見ることができた方がいいと思うので、掲示しておきます。世論が変わったからということのようですが、それならそもそも「法と証拠に基づいて厳正にやっている」などとは言わないで欲しいのですが。
 私は救う会の役員の時代から、警察関係者に「現場では拉致ではないかと上部に上げたが握りつぶされた」という話を何回も聞かされました。その話を何代か前の警察庁外事課長に言ったら色をなして「そんなはずはない、それはどこの県警ですか」と言ってきました。この人は現在たしか某県警の本部長だったと思います。あの言葉は「ばれるはずがない」ということだったのでしょうか。
 もちろん、私は警察のすべてを信じないわけではありません。私たちが見えないところで、血のにじむ苦労をしている人は少なくないはずです。その人たちには深甚の敬意を払いつつ、あえて警察の姿勢には疑義を唱えざるをえないのです。
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                  平成17年4月25日
                      警察庁

   元飲食店店員拉致容疑事案(兵庫)について

Ⅰ 被害者
 氏名:田中実
 年齢:28歳(当時)
 住所:兵庫県神戸市東灘区(当時)
 職業:元飲食店店員

II 事案の概要
 神戸市内の飲食店に出入りしていた被害者が、昭和53年6月、北明鮮からの指示を受けた同店の店主である在日朝鮮人により、甘言により海外へ連れ出された後、北朝鮮に送り込まれたもの。

Ⅲ 拉致であるとの判断に至った理由
1、警察において、拉致容疑事案としているものは、そのいずれも、北朝鮮の国家的意志が推認される形で、本人の意思に反して北朝鮮に連れて行かれたものと考えている。

2、他方、本事案については、我が国からの出国の事実は確認されているものの、同人が欺罔・誘因により連れ出された状況や、同人について北朝鮮への移送が企図されていた状況について、従来の捜査では十分な証拠の収集には至っていなかったところ、近年における捜査を取り巻く諸情勢の変化を背景とした徹底した再捜査により、この度、複数の証人等から、同人が甘言に乗せられて北朝鮮へ送り込まれたことを強く示唆する供述証拠等を、新たに入手するに至ったものである。

3、こうして得た新証拠も含め、一連の捜査結果を総合的に検討した結果、警察では、本事案を北朝鮮による日本人拉致容疑事案と判断したものである。

Ⅳ 捜査の経緯
1、本事案については、関係者が、雑誌記事等において、北朝鮮の工作組織が敢行した拉致事案であることを強く示唆しているところであるが、兵庫県警察では、それ以前より独自に情報を入手した上で、発生当時にさかのぼって関係者を割り出し、参考人からの事情聴取や、広範囲に及ぶ聞込み調査を実施した上、所要の裏付捜査を行うなど、北朝鮮による拉致の可能性を視野に、鋭意捜査を進めてきた。しかしながら、発生から相当の年月が経過していることなどから、当時の状況を把握することは困難を極めていたところである。

2、こうした中、平成14年9月、金正日国防委員長が、日朝首脳会談の席上で、日本人拉致を認め、謝罪して以降、拉致容疑事案に対し国民が高い関心を示すようになったほか、報道においても、拉致被害者やその可能性が指摘される失踪者について、大きく報じられるなど、捜査を取り巻く環境に大きな変化が生じた。

3、警察では、こうした状況を受け、拉致容疑事案の全容解明に向けて、昨年10月、全国の拉致容疑事案担当課長を招集した会議を開催するなどして、関係都道府県警察や関係部門が緊密に連携し、警察の総合力を発揮して捜査を推進してきたところである。

4、本事案についても、白紙の立場から、捜査事項の徹底した洗い直しを行い、関係者等と思料される人物から事情聴取を試みるなどしたところ、本事案を拉致容疑事案と判断するに足る具体的な供述を、新たに入手するに至ったものである。

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