枕草子は新規性に価値があったから残っているとかいうけど、別に清少納言がいなくても誰かがいずれはあのような文章を書いている程度のもので、あいつがいなかったら今のようなエッセイの筆致が存在してないとかはとても考えにくい。
新規性といっても、こいつがいなかったら前にも後にも同じ発想をする人が到底出てこないほど複雑で深淵なアイディアってのと、そうでなくてまあいずれは似たような人が生まれて同じことをするだろって考えられるようなものとは区別すべきだろう。
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土佐日記はどうなんですか?
土佐日記がない世界線でもなんjお嬢様部みたいなものはあるだろうな