コメント
コメントさせていただきます。
はじめまして。私はこのブログにコメントを差し上げるのにはふさわしくない人間であるということは百も承知の上ですが、このコメントを拝見して、どうしても意見を述べずにはいられなくなったので、あえて発言させていただきます。
まず、
>他国の国旗国歌とは違って、日本の国旗国歌はこのような負の歴史を背負っているのです。
というのは明白な嘘ですね。ユニオンジャックやトリコロール、星条旗や五星紅旗も、いずれも戦争や植民地主義、あるいは国内の弱者やマイノリティへの抑圧のシンボルとして使われた歴史があります。そもそもどのような国や民族にも「負の歴史」はあるのであって、それらも自分たちの過去として受け止めていかなければいけないものです。日の丸や君が代にその負の歴史をなすりつけて、それを断罪して済むものではないですね。
しかし私が問題にしたいのは、このようなことではありません。秋原さんのコメントを拝見しても、どこかの書物で読みかじったようなことの受け売りばかりで、秋原さん御自身の考えや意見というものがないのですね。
もし秋原さん御自身が、本当に日の丸や君が代に痛い目にあわされたという実体験でもおありであれば、日の丸や君が代を拒否するのも、少なくとも心情としては理解できます。しかし実際に秋原さんは、パソコンを使ってこのようなブログを書け、それで何の咎めも受けないという、今の日本の自由や豊かさを十分に享受しているではないですか。これで「日の丸や君が代の強制は自分の頭で考えない、上からの命令に従うだけの人間を育てる」とは、冗談としか言いようがないですね。
秋原さんは以前このように書きましたね。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-407.html
これを拝見して、秋原さんは北欧が理想だと考えていること、そして自分の受けた教育は個性を抑圧する管理教育だったという不満が、秋原さんのネット上での活動の原点であるということは理解できました。
しかし「個性を表すおしゃれやファッション」がしたければ、渋谷か原宿にでも行けばいいだけの話でしょう。今では渋谷や原宿のファッションは、ヨーロッパの若者よりずっと個性的だし、世界各国の若者の注目の的になっていますよ。
そもそも学校や教師、大人や社会に対して反撥心を抱くことなど、十代の若者ならあって当然ですが、学校が面白くないなら面白くないで、友達と遊ぶなり、趣味を持つなりできなかったのでしょうか。秋原さんが非常にまじめな人だということは認めますが、私は秋原さんはそのまじめさゆえに、このようなストレスを心の中に溜めこんだまま暴発させてしまったように思えますね。あまりカリカリしないで、心を大きく持ってはいかがでしょうか。
そもそも、北欧を持ち上げるのは勝手ですが、秋原さんはもしその北欧に行って、「日本ってどんな国?」と聞かれたら、何て答えるのでしょうか。
もし私が外国人と知り合いになったら、その人と話をしてまず聞きたいと思うのは、その国の名所や生活習慣や自然、文化や歴史、年中行事、あるいはうまい食べ物や流行っているものなど、要するにその国のいいところですね。もしその人が、「うちの国は最低などうしようもない国です。それに比べたら日本の方がずっとすばらしい国です」とか言ったら、むしろかえってバカにされているような感じがします。
だからいくらスウェーデンが好きでも、そこで卑屈に振舞っては相手にされないでしょうね。
もちろん、日の丸や君が代が日本の国旗や国歌にふさわしくないと考えること自体は全くの自由です。しかしそれならば、「平和と民主主義の日本にふさわしい、新しい国旗や国歌をつくる運動」でもやればいいだけの話ではないですか。今の日本は民主主義の国だから、そのどちらが日本の国旗や国歌にふさわしいかは、国民が判断することです。ただ「自分が気に入らないから」というだけの理由で横紙破りの行動をするのでは、阿久根市の竹原市長とやっていることは同じですよ。
長くなりましたが、私は橋下知事の「声が小さい」と一喝するのは、さすがにやりすぎだと思っています。念のため。
まず、
>他国の国旗国歌とは違って、日本の国旗国歌はこのような負の歴史を背負っているのです。
というのは明白な嘘ですね。ユニオンジャックやトリコロール、星条旗や五星紅旗も、いずれも戦争や植民地主義、あるいは国内の弱者やマイノリティへの抑圧のシンボルとして使われた歴史があります。そもそもどのような国や民族にも「負の歴史」はあるのであって、それらも自分たちの過去として受け止めていかなければいけないものです。日の丸や君が代にその負の歴史をなすりつけて、それを断罪して済むものではないですね。
しかし私が問題にしたいのは、このようなことではありません。秋原さんのコメントを拝見しても、どこかの書物で読みかじったようなことの受け売りばかりで、秋原さん御自身の考えや意見というものがないのですね。
もし秋原さん御自身が、本当に日の丸や君が代に痛い目にあわされたという実体験でもおありであれば、日の丸や君が代を拒否するのも、少なくとも心情としては理解できます。しかし実際に秋原さんは、パソコンを使ってこのようなブログを書け、それで何の咎めも受けないという、今の日本の自由や豊かさを十分に享受しているではないですか。これで「日の丸や君が代の強制は自分の頭で考えない、上からの命令に従うだけの人間を育てる」とは、冗談としか言いようがないですね。
秋原さんは以前このように書きましたね。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-407.html
これを拝見して、秋原さんは北欧が理想だと考えていること、そして自分の受けた教育は個性を抑圧する管理教育だったという不満が、秋原さんのネット上での活動の原点であるということは理解できました。
しかし「個性を表すおしゃれやファッション」がしたければ、渋谷か原宿にでも行けばいいだけの話でしょう。今では渋谷や原宿のファッションは、ヨーロッパの若者よりずっと個性的だし、世界各国の若者の注目の的になっていますよ。
そもそも学校や教師、大人や社会に対して反撥心を抱くことなど、十代の若者ならあって当然ですが、学校が面白くないなら面白くないで、友達と遊ぶなり、趣味を持つなりできなかったのでしょうか。秋原さんが非常にまじめな人だということは認めますが、私は秋原さんはそのまじめさゆえに、このようなストレスを心の中に溜めこんだまま暴発させてしまったように思えますね。あまりカリカリしないで、心を大きく持ってはいかがでしょうか。
そもそも、北欧を持ち上げるのは勝手ですが、秋原さんはもしその北欧に行って、「日本ってどんな国?」と聞かれたら、何て答えるのでしょうか。
もし私が外国人と知り合いになったら、その人と話をしてまず聞きたいと思うのは、その国の名所や生活習慣や自然、文化や歴史、年中行事、あるいはうまい食べ物や流行っているものなど、要するにその国のいいところですね。もしその人が、「うちの国は最低などうしようもない国です。それに比べたら日本の方がずっとすばらしい国です」とか言ったら、むしろかえってバカにされているような感じがします。
だからいくらスウェーデンが好きでも、そこで卑屈に振舞っては相手にされないでしょうね。
もちろん、日の丸や君が代が日本の国旗や国歌にふさわしくないと考えること自体は全くの自由です。しかしそれならば、「平和と民主主義の日本にふさわしい、新しい国旗や国歌をつくる運動」でもやればいいだけの話ではないですか。今の日本は民主主義の国だから、そのどちらが日本の国旗や国歌にふさわしいかは、国民が判断することです。ただ「自分が気に入らないから」というだけの理由で横紙破りの行動をするのでは、阿久根市の竹原市長とやっていることは同じですよ。
長くなりましたが、私は橋下知事の「声が小さい」と一喝するのは、さすがにやりすぎだと思っています。念のため。
>南溟さん
はじめまして。
>私はこのブログにコメントを差し上げるのにはふさわしくない人間であるということは百も承知の上ですが
その割には恐ろしく長いコメントですね。
他人のブログのコメント欄で延々ヘイトスピーチを語るのはブログマナーに反します。
ご自分の意見を延々語りたかったら、ご自分のブログでなさってください。
そしてそれを私に読んで貰いたければトラックバックしてください。それが通常のマナーです。
コメントが余りに長いんで二点だけお答えしましょう。もっとも「私が問題にしたいのは、このようなことでは」ないようなので恐縮なのですが、おつきあいください(笑)
>他国の国旗国歌とは違って、日本の国旗国歌はこのような負の歴史を背負っているのです。
というのは明白な嘘ですね
天皇制軍国主義と日の丸君が代との結びつきの度合いはハーケンクロイツとドイツのファシズム並みです。
それを「明白な嘘」と完全に否定してしまうのは、「南京大虐殺はなかった「とか「慰安婦なんていなかった、いたのは売春婦」というのと同じくらい歴史的事実に無知ですから、あまり堂々と言われるのは恥ずかしいことだと思いますよ。
>そもそもどのような国や民族にも「負の歴史」はあるのであって、それらも自分たちの過去として受け止めていかなければいけないものです。日の丸や君が代にその負の歴史をなすりつけて、それを断罪して済むものではないですね
仰る意味が不明なんですが。
戦前の軍国主義という「負の歴史」を自分たちの過去として受け止めているからこそ、その象徴である日の丸君が代を強制されたくないと主張しているのです。
コメントの大半が私に対する人格攻撃なのには苦笑してしまいました。秋原葉月はどうにも鼻持ちならない人間だと「どうしても述べずにはいられなくなった」のですね。
君が代日の丸の強制に反対する人間にどうしても苦情をつけたくなる人物はどういう傾向を持っているのかがよくわかるサンプルでしたので、コメントを承認して皆さんに見ていただこうと思った次第です。
>私はこのブログにコメントを差し上げるのにはふさわしくない人間であるということは百も承知の上ですが
その割には恐ろしく長いコメントですね。
他人のブログのコメント欄で延々ヘイトスピーチを語るのはブログマナーに反します。
ご自分の意見を延々語りたかったら、ご自分のブログでなさってください。
そしてそれを私に読んで貰いたければトラックバックしてください。それが通常のマナーです。
コメントが余りに長いんで二点だけお答えしましょう。もっとも「私が問題にしたいのは、このようなことでは」ないようなので恐縮なのですが、おつきあいください(笑)
>他国の国旗国歌とは違って、日本の国旗国歌はこのような負の歴史を背負っているのです。
というのは明白な嘘ですね
天皇制軍国主義と日の丸君が代との結びつきの度合いはハーケンクロイツとドイツのファシズム並みです。
それを「明白な嘘」と完全に否定してしまうのは、「南京大虐殺はなかった「とか「慰安婦なんていなかった、いたのは売春婦」というのと同じくらい歴史的事実に無知ですから、あまり堂々と言われるのは恥ずかしいことだと思いますよ。
>そもそもどのような国や民族にも「負の歴史」はあるのであって、それらも自分たちの過去として受け止めていかなければいけないものです。日の丸や君が代にその負の歴史をなすりつけて、それを断罪して済むものではないですね
仰る意味が不明なんですが。
戦前の軍国主義という「負の歴史」を自分たちの過去として受け止めているからこそ、その象徴である日の丸君が代を強制されたくないと主張しているのです。
コメントの大半が私に対する人格攻撃なのには苦笑してしまいました。秋原葉月はどうにも鼻持ちならない人間だと「どうしても述べずにはいられなくなった」のですね。
君が代日の丸の強制に反対する人間にどうしても苦情をつけたくなる人物はどういう傾向を持っているのかがよくわかるサンプルでしたので、コメントを承認して皆さんに見ていただこうと思った次第です。
> 他人のブログのコメント欄で延々語るのはブログマナーに反します。
すみません、以後気をつけます(^_^;)←前科が多すぎるこねこ。でした(T_T)
すみません、以後気をつけます(^_^;)←前科が多すぎるこねこ。でした(T_T)
>こねこさん
すみません!言葉足らずで誤解を与えてしまいましたm(_ _)m
南溟さん宛てのコメントに一言足しておきましたので。→「他人のブログのコメント欄で延々ヘイトスピーチを語るのはブログマナーに反します。」
前にいたサイトでもヘイトコメント、自爆史観者の粘着にはうんざりさせられました。
自分の気にくわない意見のブログを見かけると、どうしても押しかけて延々コメントしたがる人々っているんですよね~。イヤなら見なきゃ良いだけなのに、噛みつかないと気が済まないらしいです(^^;
私なら、わざわざネトウヨ電波ブログを訪れてそこのコメント欄で延々語ろうなんて思わないですけど。
コメント欄の方針は村野瀬さんの方針と同じです。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-507.html
村野瀬さんはじめ、リベラルなブログを書いてる人は、ヘイトコメントや粘着には悩まされますからね~(^^;
南溟さん宛てのコメントに一言足しておきましたので。→「他人のブログのコメント欄で延々ヘイトスピーチを語るのはブログマナーに反します。」
前にいたサイトでもヘイトコメント、自爆史観者の粘着にはうんざりさせられました。
自分の気にくわない意見のブログを見かけると、どうしても押しかけて延々コメントしたがる人々っているんですよね~。イヤなら見なきゃ良いだけなのに、噛みつかないと気が済まないらしいです(^^;
私なら、わざわざネトウヨ電波ブログを訪れてそこのコメント欄で延々語ろうなんて思わないですけど。
コメント欄の方針は村野瀬さんの方針と同じです。http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-507.html
村野瀬さんはじめ、リベラルなブログを書いてる人は、ヘイトコメントや粘着には悩まされますからね~(^^;
> 秋原さん
> 言葉足らずで誤解を与えてしまいましたm(_ _)m
「あ、これわたしにも当てはまるな」と思って、勢いで投稿しちゃったものですから、あまりお気になさらないでください。というか、むしろこちらこそ、お気遣いいただいちゃってすみません。(^_^;)
でもまぁ、やはり無駄に長々とコメントするのは、マナーとして誉められた事ではないと思うので(^_^;)、気をつけたいと思います。・・・努力はしてみますけど、結果は保証できない、かもしれない…(笑)
> 延々コメント
いますいます(^_^;)
論理的にはとっくに破綻してるんだけど、オレ定義やオレ解釈、勝手な論点の排除、切断、抽出、すり替え、議論のループ、シャドーボクシング・・・もうありとあらゆる手段で粘る粘る(笑)
何人かそういう人を見てきましたけど、あの精神力は、ある意味すごいですよね・・・。わたしだったら恥ずかしくてとても意居座れない・・・・(笑)
> ヘイトコメントや粘着には悩まされますからね~(^^;
秋原さんも、いつもご苦労様です(^_^;)
ネトウヨコメント展覧会のエントリを読ませていただくと、もう、すごいですね(笑)めまいがしそう(^_^;)
> コメント欄の方針は村野瀬さんの方針と同じです
了解しました。
お邪魔にならない程度に、これからもちょくちょくお邪魔したいと思いますので、どうぞよろしくお願いしますm(__)m
…結局、長文になってしまいました(笑)
> 言葉足らずで誤解を与えてしまいましたm(_ _)m
「あ、これわたしにも当てはまるな」と思って、勢いで投稿しちゃったものですから、あまりお気になさらないでください。というか、むしろこちらこそ、お気遣いいただいちゃってすみません。(^_^;)
でもまぁ、やはり無駄に長々とコメントするのは、マナーとして誉められた事ではないと思うので(^_^;)、気をつけたいと思います。・・・努力はしてみますけど、結果は保証できない、かもしれない…(笑)
> 延々コメント
いますいます(^_^;)
論理的にはとっくに破綻してるんだけど、オレ定義やオレ解釈、勝手な論点の排除、切断、抽出、すり替え、議論のループ、シャドーボクシング・・・もうありとあらゆる手段で粘る粘る(笑)
何人かそういう人を見てきましたけど、あの精神力は、ある意味すごいですよね・・・。わたしだったら恥ずかしくてとても意居座れない・・・・(笑)
> ヘイトコメントや粘着には悩まされますからね~(^^;
秋原さんも、いつもご苦労様です(^_^;)
ネトウヨコメント展覧会のエントリを読ませていただくと、もう、すごいですね(笑)めまいがしそう(^_^;)
> コメント欄の方針は村野瀬さんの方針と同じです
了解しました。
お邪魔にならない程度に、これからもちょくちょくお邪魔したいと思いますので、どうぞよろしくお願いしますm(__)m
…結局、長文になってしまいました(笑)
思想信条の問題ではなく、躾けの問題に過ぎないのでは…
秋原葉月さん、こんばんは。
貴方の記事を拝見していていまいち判断できないので一つお伺いしたいのですが、貴方は日の丸・君が代そのものを嫌っているのですか?
それとも、それを強要する人びとを嫌っているのですか?
日の丸そのものを嫌っているとすれば、生理的な嫌悪感に起因しているように思います。
日の丸そのものは、負の歴史を持つとはいえ、国民の大多数が認める共同体のシンボルでもあります。日の丸を毛嫌いする国民はあまりいないでしょう。
もちろん、南瞑さんが指摘しているように、日の丸を断罪すれば済むものではありません。
小室直樹氏が、「地震が起きるのはナマズが暴れるからだ、ナマズを殺せば全ては解決する。」とトンチンカンな主張をする人の考え方を「地震ナマズ説」と呼んでいますが、日の丸を嫌悪する人びとの行いは、これの類いのように思えてならないのですが…。
日の丸そのものではなく、日の丸を強要する人びとを嫌っているというのであれば、ある程度理解できなくもありません。
ただ、そうした人たちも、”教育現場でのみ”強制しているに過ぎないのですがねぇ…。
子ども達に、国旗・国歌へ対する一般常識的な接し方を教えているだけなのです。
強制する人たちですら、その子ども達が、結果として将来、反日的な大人になろうと無頓着ですし、社会人に対して強制するつもりもありません。
つまりは、純然に教育上の「躾け」の問題に過ぎないのです。
なぜ、そのような人びとを、そのように毛嫌いされるのでしょうか。
やり過ごせば済む一種の通過儀礼のようなものでしかないのに、なぜそんなに大げさに騒ぐのか?
この問題は、決して思想信条の問題ではないのに、なぜかそのように誤解して反対しているように思うのですが、この私の意見を貴方はどう思われますか?
長文失礼しました。
貴方の記事を拝見していていまいち判断できないので一つお伺いしたいのですが、貴方は日の丸・君が代そのものを嫌っているのですか?
それとも、それを強要する人びとを嫌っているのですか?
日の丸そのものを嫌っているとすれば、生理的な嫌悪感に起因しているように思います。
日の丸そのものは、負の歴史を持つとはいえ、国民の大多数が認める共同体のシンボルでもあります。日の丸を毛嫌いする国民はあまりいないでしょう。
もちろん、南瞑さんが指摘しているように、日の丸を断罪すれば済むものではありません。
小室直樹氏が、「地震が起きるのはナマズが暴れるからだ、ナマズを殺せば全ては解決する。」とトンチンカンな主張をする人の考え方を「地震ナマズ説」と呼んでいますが、日の丸を嫌悪する人びとの行いは、これの類いのように思えてならないのですが…。
日の丸そのものではなく、日の丸を強要する人びとを嫌っているというのであれば、ある程度理解できなくもありません。
ただ、そうした人たちも、”教育現場でのみ”強制しているに過ぎないのですがねぇ…。
子ども達に、国旗・国歌へ対する一般常識的な接し方を教えているだけなのです。
強制する人たちですら、その子ども達が、結果として将来、反日的な大人になろうと無頓着ですし、社会人に対して強制するつもりもありません。
つまりは、純然に教育上の「躾け」の問題に過ぎないのです。
なぜ、そのような人びとを、そのように毛嫌いされるのでしょうか。
やり過ごせば済む一種の通過儀礼のようなものでしかないのに、なぜそんなに大げさに騒ぐのか?
この問題は、決して思想信条の問題ではないのに、なぜかそのように誤解して反対しているように思うのですが、この私の意見を貴方はどう思われますか?
長文失礼しました。
>一知半解さん
>この私の意見を貴方はどう思われますか?
支離滅裂だし、思想良心の自由という憲法上の最も根本的な基本的人権について全然理解できていないので、多分初歩的な憲法の勉強をする機会に恵まれなかったのかもしれないな、
それだとおよそ議論など成立しないだろうなあ、
と思いましたよ。
支離滅裂だし、思想良心の自由という憲法上の最も根本的な基本的人権について全然理解できていないので、多分初歩的な憲法の勉強をする機会に恵まれなかったのかもしれないな、
それだとおよそ議論など成立しないだろうなあ、
と思いましたよ。
>こねこ。さん
こちらこそよろしくお願いします。
またそのうちネトウヨコメント展覧会しますね。
前のサイトの時は私のブログそのものが展覧会状態だったけど(笑)
またそのうちネトウヨコメント展覧会しますね。
前のサイトの時は私のブログそのものが展覧会状態だったけど(笑)
「思想良心の自由」は、全てに優先するとは限らない。
>思想良心の自由という憲法上の最も根本的な基本的人権について全然理解できていないので、多分初歩的な憲法の勉強をする機会に恵まれなかったのかもしれないな、 それだとおよそ議論など成立しないだろうなあ、
そう頭ごなしに断定されては、確かに議論は成り立たないでしょうね。
一応、私でも「思想良心の自由」が尊いものであることぐらいわきまえておりますよ。
ただ、「思想良心の自由」を場違いな教育現場で振り回すことはおかしいのでは…と指摘しているに過ぎません。
そもそも「思想良心の自由」は、ありとあらゆる場で最優先に保護されるべきものではないと思います。
秋原さんだって、時と場合によっては、嫌だと思いつつも従うことがあるでしょうに…。
貴方はそういう時にも、自らの「思想良心の自由」を振り回してますか?してないでしょ。
なぜ、それを日の丸・君が代問題に限って、無制限に振り回すのか?
しかも教育現場において。
そんなに、「思想良心の自由」を大切にしたいなら、特定の問題において声高に主張するのではなく、全てにおいてその姿勢を貫くべきでしょう。
それこそが言行一致のはず。
でも、無人島ならともかく、人間社会で生きていく以上、そんなことはできません。
できないにも関わらず、「思想良心の自由」を特定の問題に限って”錦の御旗”の如く振り回すのは、偽善にしか思えない。
それに、教育現場で「思想良心の自由」を振り回すことは、非常に不適切な行為でしょう。
教育には、強制が不可欠ですから、それを教えるべきはずの教師自らが「思想良心の自由」を盾に拒む行為は、教育の自殺に等しい。
なぜ自殺なのかは、次に紹介する北大の永田教授の言葉を読めば明らかです。その言葉を一部引用して終わりにしたいと思います。またも、長文失礼いたしました。
教育とは、人間形成です。それは、守破離の段階を追って行われます。
「守」は学びの段階、「破」は洗練と創造の段階、「離」は独自の境地を構築する段階です。
「守」をおろそかにしては、その後の「破」も「離」も達成不可能です。
「守」の段階で行われる教育は、基本的には、価値観の押付けと訓練の強制です。
子供に対してこれをしっかりと提供してあげないということは、彼らが人生において「破」、「離」と成長していく権利を奪うことを意味します。ですので、子供の教育に関わっている皆さん、自信を持って、価値観を押付け、訓練を強制してください。
そう頭ごなしに断定されては、確かに議論は成り立たないでしょうね。
一応、私でも「思想良心の自由」が尊いものであることぐらいわきまえておりますよ。
ただ、「思想良心の自由」を場違いな教育現場で振り回すことはおかしいのでは…と指摘しているに過ぎません。
そもそも「思想良心の自由」は、ありとあらゆる場で最優先に保護されるべきものではないと思います。
秋原さんだって、時と場合によっては、嫌だと思いつつも従うことがあるでしょうに…。
貴方はそういう時にも、自らの「思想良心の自由」を振り回してますか?してないでしょ。
なぜ、それを日の丸・君が代問題に限って、無制限に振り回すのか?
しかも教育現場において。
そんなに、「思想良心の自由」を大切にしたいなら、特定の問題において声高に主張するのではなく、全てにおいてその姿勢を貫くべきでしょう。
それこそが言行一致のはず。
でも、無人島ならともかく、人間社会で生きていく以上、そんなことはできません。
できないにも関わらず、「思想良心の自由」を特定の問題に限って”錦の御旗”の如く振り回すのは、偽善にしか思えない。
それに、教育現場で「思想良心の自由」を振り回すことは、非常に不適切な行為でしょう。
教育には、強制が不可欠ですから、それを教えるべきはずの教師自らが「思想良心の自由」を盾に拒む行為は、教育の自殺に等しい。
なぜ自殺なのかは、次に紹介する北大の永田教授の言葉を読めば明らかです。その言葉を一部引用して終わりにしたいと思います。またも、長文失礼いたしました。
教育とは、人間形成です。それは、守破離の段階を追って行われます。
「守」は学びの段階、「破」は洗練と創造の段階、「離」は独自の境地を構築する段階です。
「守」をおろそかにしては、その後の「破」も「離」も達成不可能です。
「守」の段階で行われる教育は、基本的には、価値観の押付けと訓練の強制です。
子供に対してこれをしっかりと提供してあげないということは、彼らが人生において「破」、「離」と成長していく権利を奪うことを意味します。ですので、子供の教育に関わっている皆さん、自信を持って、価値観を押付け、訓練を強制してください。
>一知半解さん
残念ですが、やはり基本的人権、とりわけ思想信条の自由について何もご存じないのだな、と再度確信させてくれるコメントですね。
一度簡単な憲法入門書でも読まれてある程度人権について学ばれることをお勧めします。
私にはとても一から説明申し上げる時間がありませんので。
追加
↓
>価値観を押付け、訓練を強制してください。
今の天皇は「国旗国歌は押しつけにならないのが好ましい」って言ってましたけど。
一度簡単な憲法入門書でも読まれてある程度人権について学ばれることをお勧めします。
私にはとても一から説明申し上げる時間がありませんので。
追加
↓
>価値観を押付け、訓練を強制してください。
今の天皇は「国旗国歌は押しつけにならないのが好ましい」って言ってましたけど。
さようなら。
コメントを拝見しましたが、どうやら秋原さんは5・15事件の青年将校と一緒で、「話せばわかる」相手ではなさそうですね。自分の主張を押し通すときにはあれだけ「思想良心の自由」を声高に言い張るくせに、自分と異なる主張(たとえば秋原さんのおっしゃる「自爆史観」)に対しては「思想良心の自由」は認めないし、自分と異なる意見に対しては「ヘイトスピーチ」「人格攻撃」呼ばわりして、一切耳を貸そうとしないわけですからね。
繰り返しますが、秋原さんがここで主張している「日の丸・君が代否定論」は、左翼系教職員組合が主張してきたようなことの受け売りで、とても秋原さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えないのですね。だからこのような対応しか取れないのではないでしょうか。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-407.html
ここでしたり顔して
>自分の頭で考え主張し、同時に真摯に相手の意見も聞いて議論するのが民主主義社会の基本的な姿です。
などと書いていた、自称「リベラル」の本性がわかっただけでも、ここに意見を書いたことは大きな収穫でした。
私や一知半解さんと秋原さんの主張のどちらを支持するかは、このブログを見ている人が判断するでしょう。そういうわけで、私はここにはもう書き込みません。どうぞお幸せに。
繰り返しますが、秋原さんがここで主張している「日の丸・君が代否定論」は、左翼系教職員組合が主張してきたようなことの受け売りで、とても秋原さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えないのですね。だからこのような対応しか取れないのではないでしょうか。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-407.html
ここでしたり顔して
>自分の頭で考え主張し、同時に真摯に相手の意見も聞いて議論するのが民主主義社会の基本的な姿です。
などと書いていた、自称「リベラル」の本性がわかっただけでも、ここに意見を書いたことは大きな収穫でした。
私や一知半解さんと秋原さんの主張のどちらを支持するかは、このブログを見ている人が判断するでしょう。そういうわけで、私はここにはもう書き込みません。どうぞお幸せに。
うーん・・・
横から失礼します。
> 一知半解さん
> 「思想良心の自由」をなぜ、それを日の丸・君が代問題に限って、無制限に振り回すのか?
ではなぜ「”日の丸・君が代問題に限って”思想良心の自由が制限されても当然」なのでしょう。それがおかしいってお話を秋原さんはしているのです。
「国旗掲揚・国歌斉唱は一般常識」というのは、一知半解さんを含めた一部の人の価値観でしかないのではないですか?もし国民の99%がそういう価値観であったとしても残り1%の人にそれを強制するのはおかしいです。「国旗掲揚・国歌斉唱」をしないと人命に関わるというなら話は別ですけども、そういった事情でもおありになるんですか?
「国旗掲揚・国歌斉唱は一般常識」というのは前提がそもそも疑わしい、そして歴史的経緯(日本が先の戦争に対して十分な補償も謝罪もしていないことも含め)から日の丸とか君が代に嫌悪感を持つ人がいてもおかしいことではないでしょう。ですから、「これが常識、躾の問題」と仰っても、国旗掲揚・国歌斉唱に反対する人を説得できないと思いますよ。
国旗掲揚・国歌斉唱の強制は非喫煙者に向かって喫煙を強制するようなものですよ。非喫煙者はタバコを吸うならご自由に、でもそれを公の式典なんかで全員に強制しないでほしいといってるだけです。
> 「思想良心の自由」は、全てに優先するとは限らない。
では、どこでどのように制限されるのか、そしてそれを誰がどのように決定するのか、その法的根拠は何でしょうか。
権力がその恣意にしたがって、国民の思想良心の自由を制限しても良いのであれば、極端な話、資本主義が気に入らない政権ができれば、その思想を制限しても構わないことになります。ちょっと危ない気がしますね。
> 教育現場で「思想良心の自由」を振り回すことは、非常に不適切な行為
教育現場で「思想良心の自由」を実践的に教えないで、一体どこで教えるのか、ご教示いただけますか。
> 一知半解さん
> 「思想良心の自由」をなぜ、それを日の丸・君が代問題に限って、無制限に振り回すのか?
ではなぜ「”日の丸・君が代問題に限って”思想良心の自由が制限されても当然」なのでしょう。それがおかしいってお話を秋原さんはしているのです。
「国旗掲揚・国歌斉唱は一般常識」というのは、一知半解さんを含めた一部の人の価値観でしかないのではないですか?もし国民の99%がそういう価値観であったとしても残り1%の人にそれを強制するのはおかしいです。「国旗掲揚・国歌斉唱」をしないと人命に関わるというなら話は別ですけども、そういった事情でもおありになるんですか?
「国旗掲揚・国歌斉唱は一般常識」というのは前提がそもそも疑わしい、そして歴史的経緯(日本が先の戦争に対して十分な補償も謝罪もしていないことも含め)から日の丸とか君が代に嫌悪感を持つ人がいてもおかしいことではないでしょう。ですから、「これが常識、躾の問題」と仰っても、国旗掲揚・国歌斉唱に反対する人を説得できないと思いますよ。
国旗掲揚・国歌斉唱の強制は非喫煙者に向かって喫煙を強制するようなものですよ。非喫煙者はタバコを吸うならご自由に、でもそれを公の式典なんかで全員に強制しないでほしいといってるだけです。
> 「思想良心の自由」は、全てに優先するとは限らない。
では、どこでどのように制限されるのか、そしてそれを誰がどのように決定するのか、その法的根拠は何でしょうか。
権力がその恣意にしたがって、国民の思想良心の自由を制限しても良いのであれば、極端な話、資本主義が気に入らない政権ができれば、その思想を制限しても構わないことになります。ちょっと危ない気がしますね。
> 教育現場で「思想良心の自由」を振り回すことは、非常に不適切な行為
教育現場で「思想良心の自由」を実践的に教えないで、一体どこで教えるのか、ご教示いただけますか。
コメントさせていただきます。
国旗国歌強制肯定論者の「思想良心の自由」は、全てに優先するとは限らない。
以上、終わり。^^
以上、終わり。^^
ひとりよがりな主張になってませんか?
秋原葉月さん、再レス及びコメントを表に出していただきありがとうございます。
憲法至上主義者の貴方にしてみれば、考えられないコメントだったかもしれません。
しかし、憲法という法規範にのみ縛られて我々日本人が日々生きているわけではない現実というものを、少しは理解していただきたいものです。
私が見るに、左翼の方々は、現実では他の日本人同様、憲法どおりに生きていないくせに、こうした問題では都合よく憲法とか基本的人権を持ち出すような傾向が強いように思います。
(良い例が共産党ですね。唱えることと自らの行動がまったく違う。)
いわゆる日の丸・君が代問題についても同様の印象を抱きます。
なんていうのかな…、自分が気に入らない問題については、都合よく「思想良心の自由」を持ち出して反対しているに過ぎないように思うのですよ。
そんなに「思想良心の自由」を尊ぶことを最優先にするのならば、なぜあえて強制する職場にしがみつくのか。
(そもそも、強制される原因を作ったのも、自らの不作為によることなのに…)
民間だったら、仕事に係る命令を無視するような舐めたことをいっていたら即クビの厳しい世界なのが現実ですよ。
そうした厳しい「現実」を生きる庶民からしてみれば、職にしがみつつ「思想良心の自由」とやらを振り回し反対活動にいそしむ先生方は、モンスターペアレンツやクレイマーと同類に見えて仕方がないでしょう。
そういうご都合主義も、あなた方の主張がまったく共感を呼ばない理由だと思います。
それを指摘した相手を、「基本的人権に疎い人間だ」とか、「自らの主張を理解しない世間が悪い」とか、一人よがりに決め付けているのもご自由ですが、それでは、何時までたっても世間から相手にされないことは間違いないでしょう。
なぜ自らの主張が、世間一般から顧みられないのか?
少しはそうした点について考えてみられたらいかがでしょうか。
またもや、長文になってしまいました。
失礼しました。
憲法至上主義者の貴方にしてみれば、考えられないコメントだったかもしれません。
しかし、憲法という法規範にのみ縛られて我々日本人が日々生きているわけではない現実というものを、少しは理解していただきたいものです。
私が見るに、左翼の方々は、現実では他の日本人同様、憲法どおりに生きていないくせに、こうした問題では都合よく憲法とか基本的人権を持ち出すような傾向が強いように思います。
(良い例が共産党ですね。唱えることと自らの行動がまったく違う。)
いわゆる日の丸・君が代問題についても同様の印象を抱きます。
なんていうのかな…、自分が気に入らない問題については、都合よく「思想良心の自由」を持ち出して反対しているに過ぎないように思うのですよ。
そんなに「思想良心の自由」を尊ぶことを最優先にするのならば、なぜあえて強制する職場にしがみつくのか。
(そもそも、強制される原因を作ったのも、自らの不作為によることなのに…)
民間だったら、仕事に係る命令を無視するような舐めたことをいっていたら即クビの厳しい世界なのが現実ですよ。
そうした厳しい「現実」を生きる庶民からしてみれば、職にしがみつつ「思想良心の自由」とやらを振り回し反対活動にいそしむ先生方は、モンスターペアレンツやクレイマーと同類に見えて仕方がないでしょう。
そういうご都合主義も、あなた方の主張がまったく共感を呼ばない理由だと思います。
それを指摘した相手を、「基本的人権に疎い人間だ」とか、「自らの主張を理解しない世間が悪い」とか、一人よがりに決め付けているのもご自由ですが、それでは、何時までたっても世間から相手にされないことは間違いないでしょう。
なぜ自らの主張が、世間一般から顧みられないのか?
少しはそうした点について考えてみられたらいかがでしょうか。
またもや、長文になってしまいました。
失礼しました。
したい人としたくない人がいたら、したい人だけでするものですよ。
> 南溟さん
「あなたが問題にしたいこと」とは秋原さんが「不幸な学生時代を過ごした」ことと「自分の気に入らないから国旗国歌に反対する」ことですね。前者はあなたの勝手な推測ですし、後者は「なぜ国旗国歌を拒否するのか」の理由を書いているエントリに対して「気に入らないから」とまるで感情面だけで反対しているかのように書いていて印象操作でしかないです。立派にヘイトコメントだし、人格攻撃ですよ。
> 一知半解さん
> そんなに「思想良心の自由」を尊ぶことを最優先にするのならば、なぜあえて強制する職場にしがみつくのか。
> 民間だったら、仕事に係る命令を無視するような舐めたことをいっていたら即クビの厳しい世界なのが現実ですよ。
民間だろうと公務員だろうと、「思想良心の自由」を主張したために職を追われたり、懲罰を受けること自体がおかしいと思うんですけど。
そもそも「思想良心の自由」を主張するということは、「その命令ががその人の思想や良心を侵すものだった」ということでしょう。なぜそこを考えないのですか?その人にはその人なりの譲れない一線というものがあるんです。それを不躾に踏み越えておいて、とにかく従えと迫るのは近代以前の封建社会や北朝鮮のような国ならばやむをえない事かもしれません。ですが、ここは21世紀の日本ですので、思想良心を侵すような命令に対して異を唱え従わない権利を、この国に住む全ての人が持っています。
誰かに対して「思想良心の自由」を侵すような命令をしても、会社や役所の業務だから構わないという考え方が、労働現場における低賃金長時間労働や根拠のない中間搾取、突然の解雇、賃金未払い、食品の産地、製造日偽装、医療ミス隠し、虚報・誤報をはじめとした報道被害、警察・検察・裁判所が一体化した冤罪作り、裏金作り、公費流用、公共事業における談合や水増し請求、学校でのいじめの隠蔽といった数々の法令違反を常態化させることにつながっているのではないですか?コンプライアンスなんて、やって当たり前の事をことさら言われなければならないのが、この日本の社会の実情です。
「つべこべ言わずとにかく命令に従う」のは奴隷の美徳であって、それを強制する権利は誰にもありません。
「あなたが問題にしたいこと」とは秋原さんが「不幸な学生時代を過ごした」ことと「自分の気に入らないから国旗国歌に反対する」ことですね。前者はあなたの勝手な推測ですし、後者は「なぜ国旗国歌を拒否するのか」の理由を書いているエントリに対して「気に入らないから」とまるで感情面だけで反対しているかのように書いていて印象操作でしかないです。立派にヘイトコメントだし、人格攻撃ですよ。
> 一知半解さん
> そんなに「思想良心の自由」を尊ぶことを最優先にするのならば、なぜあえて強制する職場にしがみつくのか。
> 民間だったら、仕事に係る命令を無視するような舐めたことをいっていたら即クビの厳しい世界なのが現実ですよ。
民間だろうと公務員だろうと、「思想良心の自由」を主張したために職を追われたり、懲罰を受けること自体がおかしいと思うんですけど。
そもそも「思想良心の自由」を主張するということは、「その命令ががその人の思想や良心を侵すものだった」ということでしょう。なぜそこを考えないのですか?その人にはその人なりの譲れない一線というものがあるんです。それを不躾に踏み越えておいて、とにかく従えと迫るのは近代以前の封建社会や北朝鮮のような国ならばやむをえない事かもしれません。ですが、ここは21世紀の日本ですので、思想良心を侵すような命令に対して異を唱え従わない権利を、この国に住む全ての人が持っています。
誰かに対して「思想良心の自由」を侵すような命令をしても、会社や役所の業務だから構わないという考え方が、労働現場における低賃金長時間労働や根拠のない中間搾取、突然の解雇、賃金未払い、食品の産地、製造日偽装、医療ミス隠し、虚報・誤報をはじめとした報道被害、警察・検察・裁判所が一体化した冤罪作り、裏金作り、公費流用、公共事業における談合や水増し請求、学校でのいじめの隠蔽といった数々の法令違反を常態化させることにつながっているのではないですか?コンプライアンスなんて、やって当たり前の事をことさら言われなければならないのが、この日本の社会の実情です。
「つべこべ言わずとにかく命令に従う」のは奴隷の美徳であって、それを強制する権利は誰にもありません。
>南溟 さん
>自分の主張を押し通すときにはあれだけ「思想良心の自由」を声高に言い張るくせに、自分と異なる主張(たとえば秋原さんのおっしゃる「自爆史観」)に対しては「思想良心の自由」は認めない
いつどこで私が自分と異なる主張に対しては「思想良心の自由」を否定しましたか?ちゃんとそれを呈示してくださいね。やってもいないことで非難するのを「誹謗中傷」と申します。
ちなみに、その意見を私が支持せず批判したからといって、その意見を言う人の「思想信条の自由」を否定したことになりませんよ。それとこれとは別物です。
私はあなたや一知半解さんがそういう思想を持つ自由は認めています。ただ私はそれにくみしないだけです。それは私の「自由」ですね。
それから私が、長々返信する必要がないコメントだと判断すればスルーすることもありますが、それも私の自由ですね。私が返信しないからと言って「相手の思想信条の自由を認めない」などというのはお門違いです。それは単なる「返信しろ~相手にしてくれ~」というワガママですね。
「私の主張は日の丸君が代が嫌な人にそれを強制するな」であって、「君が代を歌いたい人も歌うな。」ではありません
>自分と異なる意見に対しては「ヘイトスピーチ」「人格攻撃」呼ばわりして、一切耳を貸そうとしないわけですからね
いやいや、あなたのコメントは日の丸君が代そのものについてでなく私の人格非難がほとんどだったでしょ。それ、ヘイトスピーチでなかったらなんなんですか。
>秋原さんがここで主張している「日の丸・君が代否定論」は、左翼系教職員組合が主張してきたようなことの受け売りで、とても秋原さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えないのですね
とても秋原さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えない、というあなたの空想に基づいて非難されても答えようがありませんし、だいたい非難されるべき事柄でもないと思いますが。
だって、私が実際に処分を食らった実体験を持つ教職員でなければ日の丸君が代について意見を書くな、ということになりますから。
いつどこで私が自分と異なる主張に対しては「思想良心の自由」を否定しましたか?ちゃんとそれを呈示してくださいね。やってもいないことで非難するのを「誹謗中傷」と申します。
ちなみに、その意見を私が支持せず批判したからといって、その意見を言う人の「思想信条の自由」を否定したことになりませんよ。それとこれとは別物です。
私はあなたや一知半解さんがそういう思想を持つ自由は認めています。ただ私はそれにくみしないだけです。それは私の「自由」ですね。
それから私が、長々返信する必要がないコメントだと判断すればスルーすることもありますが、それも私の自由ですね。私が返信しないからと言って「相手の思想信条の自由を認めない」などというのはお門違いです。それは単なる「返信しろ~相手にしてくれ~」というワガママですね。
「私の主張は日の丸君が代が嫌な人にそれを強制するな」であって、「君が代を歌いたい人も歌うな。」ではありません
>自分と異なる意見に対しては「ヘイトスピーチ」「人格攻撃」呼ばわりして、一切耳を貸そうとしないわけですからね
いやいや、あなたのコメントは日の丸君が代そのものについてでなく私の人格非難がほとんどだったでしょ。それ、ヘイトスピーチでなかったらなんなんですか。
>秋原さんがここで主張している「日の丸・君が代否定論」は、左翼系教職員組合が主張してきたようなことの受け売りで、とても秋原さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えないのですね
とても秋原さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えない、というあなたの空想に基づいて非難されても答えようがありませんし、だいたい非難されるべき事柄でもないと思いますが。
だって、私が実際に処分を食らった実体験を持つ教職員でなければ日の丸君が代について意見を書くな、ということになりますから。
>こねこ。さん
ね?
申し訳ないけど一知半解さんは「思想良心の自由」について必要最低限度の知識も持ち合わせてらっしゃらないでしょ?
すこしでも知識があれば、軽々しく制限できるといっちゃったり、一時のことだから我慢すりゃいいじゃないか、なんて口が裂けても言えないはずなんですけど(^^;
「憲法という法規範にのみ縛られて我々日本人が日々生きているわけではない現実というものを、少しは理解していただきたいものです。 」
←憲法という法規範が縛っているのは国家であって国民ではないことも御存知ないし、
憲法と全く無関係に生きているという現実があると(どんな現実なんだろ、笑)いうのは、まるで、地上にいるのに「重力やその他物理の法則に縛らて生きてるわけではないという現実があるということを理解していただきたい」というのと同じに聞こえますね。
だから、せめて憲法の入門書程度の本を読んでくださいと申し上げたんですが、やはり伝わらなかったみたいで(^^;
一知半解さんが仰ってることは別の所で別の人がしたコメントに驚くぐらい似ているんです。どこかに元ネタがあってコピペしてるんじゃないかと思うくらいね。
そのコメントも、しつけだとか礼儀作法だとか、教育は守・破・離って言ってました。
これでは南溟さんに
「ネット右翼が主張してきたようなことの受け売りで、とても一知半解さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えない」と怒られちゃいますよ(笑)
それから話は全然関係なくて恐縮です。字が大きい方が見やすいかとテンプレートを変えたんですが、コメントする場所が一番上にきてるのでコメント欄使いづらくないですか?
申し訳ないけど一知半解さんは「思想良心の自由」について必要最低限度の知識も持ち合わせてらっしゃらないでしょ?
すこしでも知識があれば、軽々しく制限できるといっちゃったり、一時のことだから我慢すりゃいいじゃないか、なんて口が裂けても言えないはずなんですけど(^^;
「憲法という法規範にのみ縛られて我々日本人が日々生きているわけではない現実というものを、少しは理解していただきたいものです。 」
←憲法という法規範が縛っているのは国家であって国民ではないことも御存知ないし、
憲法と全く無関係に生きているという現実があると(どんな現実なんだろ、笑)いうのは、まるで、地上にいるのに「重力やその他物理の法則に縛らて生きてるわけではないという現実があるということを理解していただきたい」というのと同じに聞こえますね。
だから、せめて憲法の入門書程度の本を読んでくださいと申し上げたんですが、やはり伝わらなかったみたいで(^^;
一知半解さんが仰ってることは別の所で別の人がしたコメントに驚くぐらい似ているんです。どこかに元ネタがあってコピペしてるんじゃないかと思うくらいね。
そのコメントも、しつけだとか礼儀作法だとか、教育は守・破・離って言ってました。
これでは南溟さんに
「ネット右翼が主張してきたようなことの受け売りで、とても一知半解さんご自身の生活の実感から得られたもののようには思えない」と怒られちゃいますよ(笑)
それから話は全然関係なくて恐縮です。字が大きい方が見やすいかとテンプレートを変えたんですが、コメントする場所が一番上にきてるのでコメント欄使いづらくないですか?
>村野瀬玲奈さん
そういうときっと
「国旗国歌強制否定論者の「思想良心の自由」は、全てに優先するとは限らない。 以上」ってコメントが来るに1000G
(1)(2)も併せて「展覧会」の様相を示してきましたね。
別に「展覧会」のネタ拾いのための釣りじゃあないんですよ(爆)
「国旗国歌強制否定論者の「思想良心の自由」は、全てに優先するとは限らない。 以上」ってコメントが来るに1000G
(1)(2)も併せて「展覧会」の様相を示してきましたね。
別に「展覧会」のネタ拾いのための釣りじゃあないんですよ(爆)
>一知半解さん
あなたがおっしゃってることの細かい点についてはいずれ別エントリーで触れることもあろうかと思いますので、ここでは述べません。なのでひとつだけ。
>左翼の方々は、現実では他の日本人同様、憲法どおりに生きていないくせに、こうした問題では都合よく憲法とか基本的人権を持ち出すような傾向が強いように思います。
(良い例が共産党ですね。唱えることと自らの行動がまったく違う。)
いわゆる日の丸・君が代問題についても同様の印象を抱きます。
なんていうのかな…、自分が気に入らない問題については、都合よく「思想良心の自由」を持ち出して反対しているに過ぎないように思うのですよ。
「左翼の方々は、現実では他の日本人同様、憲法どおりに生きていないくせに」、って具体的に何のことをさしているやらさっぱりわかりません。こういう意味不明なことを書かれると表に出さない場合もあることを申し添えておきます。
それから、「自分が気に入らない問題については、都合よく「思想良心の自由」を持ち出して反対しているに過ぎないように思うのですよ。」←それを言うなら南溟さんにどうぞ。私に向かって「(私とは意見の違う)自分の思想信条の自由を認めない。」とクレームをつけてきています。つまり、「自分(南溟さん)の思想信条の自由は認めろ」と「都合よく思想良心の自由を持ち出してきてる」わけですからね。
>左翼の方々は、現実では他の日本人同様、憲法どおりに生きていないくせに、こうした問題では都合よく憲法とか基本的人権を持ち出すような傾向が強いように思います。
(良い例が共産党ですね。唱えることと自らの行動がまったく違う。)
いわゆる日の丸・君が代問題についても同様の印象を抱きます。
なんていうのかな…、自分が気に入らない問題については、都合よく「思想良心の自由」を持ち出して反対しているに過ぎないように思うのですよ。
「左翼の方々は、現実では他の日本人同様、憲法どおりに生きていないくせに」、って具体的に何のことをさしているやらさっぱりわかりません。こういう意味不明なことを書かれると表に出さない場合もあることを申し添えておきます。
それから、「自分が気に入らない問題については、都合よく「思想良心の自由」を持ち出して反対しているに過ぎないように思うのですよ。」←それを言うなら南溟さんにどうぞ。私に向かって「(私とは意見の違う)自分の思想信条の自由を認めない。」とクレームをつけてきています。つまり、「自分(南溟さん)の思想信条の自由は認めろ」と「都合よく思想良心の自由を持ち出してきてる」わけですからね。
このデザインもいかにも午後ティーって感じで良いですね
> 秋原さん
たびたびお邪魔しますm(__)m
レスありがとうございます。
どうにも…権利の制限とか無邪気に言われると、普段当たり前に行使している権利を、自分たちだけは奪われることがないと思っているのか、それとも奪われても構わないと思っているのか…。少なくとも「自分たちの気に入らない」思想良心の自由を「お上」に頼んで制限してもらおうって言う発想は、相当ヘタレていると思います。
> コメント欄
そうですね、最初は「あれ、コメント欄どこだろう」と戸惑いましたけども、慣れれば使いにくいということはないと思いますよ。あ、本文を書くこの欄はもう少し大きいほうがいいかもしれないです。…長文を書くときは(^_^;)←逆に考えれば長文防止に効果ありかも(笑)
たびたびお邪魔しますm(__)m
レスありがとうございます。
どうにも…権利の制限とか無邪気に言われると、普段当たり前に行使している権利を、自分たちだけは奪われることがないと思っているのか、それとも奪われても構わないと思っているのか…。少なくとも「自分たちの気に入らない」思想良心の自由を「お上」に頼んで制限してもらおうって言う発想は、相当ヘタレていると思います。
> コメント欄
そうですね、最初は「あれ、コメント欄どこだろう」と戸惑いましたけども、慣れれば使いにくいということはないと思いますよ。あ、本文を書くこの欄はもう少し大きいほうがいいかもしれないです。…長文を書くときは(^_^;)←逆に考えれば長文防止に効果ありかも(笑)
>こねこ。さん
>普段当たり前に行使している権利を、自分たちだけは奪われることがないと思っているのか、それとも奪われても構わないと思っているのか…。
多分前者じゃないかしら。後者ならドMですね。
今テンプレートを探し中なのでしばらくあれこれ試してみます。なかなかコレ!というのが見つからなくて・・そのうち使い勝手が良いのをみつけますのでしばしお待ちをm(_ _)m
多分前者じゃないかしら。後者ならドMですね。
今テンプレートを探し中なのでしばらくあれこれ試してみます。なかなかコレ!というのが見つからなくて・・そのうち使い勝手が良いのをみつけますのでしばしお待ちをm(_ _)m
仮に、どんな業務命令にも絶対服従すべきだというなら、こういうことになりますね。
「一知半解君、ちょっと話があるんだが」
「なんでしょうか、山本課長」
「君、研修を受けてほしいんだが」
「どんな研修でしょう」
「これから一年間毎日、君には駅前で日の丸君が代強制に反対する演説をしてほしいんだ」
「えっ?そんなことできませんよ」
「これは重要な研修なのだ。自分の意思に反しても物事を貫徹しなければならないことを学ぶための重要な研修だ」
「私には思想良心の自由があります。私は日の丸君が代強制賛成なんです。そんな研修お断りします」
「私は君のプライベートでも日の丸君が代強制に反対しろなんて言っていないんだよ。”労働現場でのみ”強制しているに過ぎないんだ。仕事へ対する一般常識的な取り組み方を教えるだけなんだよ、この研修は。秋原葉月さんのブログのコメント欄での君の発言にならって言うと、純然に職業教育上の『躾け』の問題に過ぎない、というところかな」
「いえ、お断りします」
「この研修は、君が理不尽な得意先の要求に従うのに役に立つのだよ。やり過ごせば済む一種の通過儀礼のようなものでしかないのに、なぜそんなに大げさに騒ぐのか?」
「いえ、思想良心の自由というものがありますのでお断りします」
「そうか、では君にはこれ以上仕事をまかせられないな。実は当社もこの不況でなかなか苦しいんだ。この研修が受けられないというのなら、人件費削減の一環で君には今日限りでやめてもらう」
「えっ、それは困ります。私だって生活があるんですから。それは労働法規違反、憲法違反ですよ」
「あれ?君はたしか、秋原葉月さんのブログのコメント欄で、『憲法という法規範にのみ縛られて我々日本人が日々生きているわけではない現実というものを、少しは理解していただきたいものです』って言っていたよね?当社は、労働法や憲法に縛られずに日々営業している会社なのだ」
「え?そんなの困ります」
「だったら、きみ、今の2倍働いて、当社に2倍の売り上げをもたらしなさい。一日18時間毎日働いてもらおうか」
「いくらなんでもそれは無茶です」
「これは業務命令だ。君、強制や業務命令には従うものなんだろう?秋原葉月さんのブログのコメント欄あたりで君自身がそう言っていなかったか?」
「いえ、ですけど...」
「命令に従えないって言うなら、うちの会社にしがみつかなくてもいいんだよ」
「えー、せめて解雇予告手当てをください」
「さっきも言ったろう、うちは労働法規とか憲法とかにしばられない、って。民間だったら、仕事に係る命令を無視するような舐めたことをいっていたら即クビの厳しい世界なのが現実ですよ。 そうした厳しい『現実』を生きる当社からしてみれば、職にしがみつきながら『思想良心の自由』とやらを振り回し研修を拒否する君のような社員は、モンスター社員やクレイマーと同類に見えて仕方がないでしょう。そういうご都合主義も、君の主張がまったく共感を呼ばない理由だと思います。それを指摘した相手を、『守・破・離の躾けに疎い人間だ』とか、『俺の主張を理解しないブログ主や日の丸君が代強制反対の教師が悪い』とか、一人よがりに決め付けているのもご自由ですが、それでは、何時までたっても世間から相手にされないことは間違いないでしょう。とにかく君は毎日一日18時間働いて2倍売り上げを上げるか、駅前演説研修を受けるか、今日限りで即クビか、好きにしなさい。まあ、君は他人のブログのコメント欄で粘るバイタリティがあるから、ほかの会社でもその粘りを発揮して頑張ってください」
「なんでしょうか、山本課長」
「君、研修を受けてほしいんだが」
「どんな研修でしょう」
「これから一年間毎日、君には駅前で日の丸君が代強制に反対する演説をしてほしいんだ」
「えっ?そんなことできませんよ」
「これは重要な研修なのだ。自分の意思に反しても物事を貫徹しなければならないことを学ぶための重要な研修だ」
「私には思想良心の自由があります。私は日の丸君が代強制賛成なんです。そんな研修お断りします」
「私は君のプライベートでも日の丸君が代強制に反対しろなんて言っていないんだよ。”労働現場でのみ”強制しているに過ぎないんだ。仕事へ対する一般常識的な取り組み方を教えるだけなんだよ、この研修は。秋原葉月さんのブログのコメント欄での君の発言にならって言うと、純然に職業教育上の『躾け』の問題に過ぎない、というところかな」
「いえ、お断りします」
「この研修は、君が理不尽な得意先の要求に従うのに役に立つのだよ。やり過ごせば済む一種の通過儀礼のようなものでしかないのに、なぜそんなに大げさに騒ぐのか?」
「いえ、思想良心の自由というものがありますのでお断りします」
「そうか、では君にはこれ以上仕事をまかせられないな。実は当社もこの不況でなかなか苦しいんだ。この研修が受けられないというのなら、人件費削減の一環で君には今日限りでやめてもらう」
「えっ、それは困ります。私だって生活があるんですから。それは労働法規違反、憲法違反ですよ」
「あれ?君はたしか、秋原葉月さんのブログのコメント欄で、『憲法という法規範にのみ縛られて我々日本人が日々生きているわけではない現実というものを、少しは理解していただきたいものです』って言っていたよね?当社は、労働法や憲法に縛られずに日々営業している会社なのだ」
「え?そんなの困ります」
「だったら、きみ、今の2倍働いて、当社に2倍の売り上げをもたらしなさい。一日18時間毎日働いてもらおうか」
「いくらなんでもそれは無茶です」
「これは業務命令だ。君、強制や業務命令には従うものなんだろう?秋原葉月さんのブログのコメント欄あたりで君自身がそう言っていなかったか?」
「いえ、ですけど...」
「命令に従えないって言うなら、うちの会社にしがみつかなくてもいいんだよ」
「えー、せめて解雇予告手当てをください」
「さっきも言ったろう、うちは労働法規とか憲法とかにしばられない、って。民間だったら、仕事に係る命令を無視するような舐めたことをいっていたら即クビの厳しい世界なのが現実ですよ。 そうした厳しい『現実』を生きる当社からしてみれば、職にしがみつきながら『思想良心の自由』とやらを振り回し研修を拒否する君のような社員は、モンスター社員やクレイマーと同類に見えて仕方がないでしょう。そういうご都合主義も、君の主張がまったく共感を呼ばない理由だと思います。それを指摘した相手を、『守・破・離の躾けに疎い人間だ』とか、『俺の主張を理解しないブログ主や日の丸君が代強制反対の教師が悪い』とか、一人よがりに決め付けているのもご自由ですが、それでは、何時までたっても世間から相手にされないことは間違いないでしょう。とにかく君は毎日一日18時間働いて2倍売り上げを上げるか、駅前演説研修を受けるか、今日限りで即クビか、好きにしなさい。まあ、君は他人のブログのコメント欄で粘るバイタリティがあるから、ほかの会社でもその粘りを発揮して頑張ってください」
>村野瀬玲奈さん
座布団一枚!
これ、ハンネふせてエントリーで取り上げさせてください。
コメント欄に埋もれるのはもったいないです(^^)
これ、ハンネふせてエントリーで取り上げさせてください。
コメント欄に埋もれるのはもったいないです(^^)
こねこさんへ
>ではなぜ「”日の丸・君が代問題に限って”思想良心の自由が制限されても当然」なのでしょう。それがおかしいってお話を秋原さんはしているのです。
そもそも強制されているのは”教育現場のみ”でしょ。しかも強制されているのは、実質反抗する教師のみ(生徒は歌わなくても停学処分など受けることはありえないですし)。
私は、権利を主張するのも結構だが、T.P.Oをわきまえて欲しいといっているんです。
教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし、どんな態度を取ろうと、一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもしませんよ。日本は、北朝鮮などと違ってそうした自由で寛容な社会です。
常識に過ぎないから強制するな…という意見はわからなくもないけど、とりあえず「守」の段階では、常識を教えるのが教育でしょう。
それを強制しないでどうするのですか。
常識を教えないことこそ、永田教授が主張するように「子供の成長していく権利を奪う」ことに他なりません。
こうした教師に教わらざるを得ない子供たちが可哀想です。
>教育現場で「思想良心の自由」を実践的に教えないで、一体どこで教えるのか、ご教示いただけますか。
あの先生方の行動を見て、「思想良心の自由」を学べるとは到底思えません。
むしろ、そうしたタテマエを振り回せば、自分の気に入らないことをやらずに済むのだという、クレーマー予備軍を育てるだけじゃありませんか。
一見、思想良心の自由を訴えているように見えますが、その実、権利の濫用を教えているだけに過ぎない。私はそう思います。
>そもそも「思想良心の自由」を主張するということは、「その命令がその人の思想や良心を侵すものだった」ということでしょう。なぜそこを考えないのですか?その人にはその人なりの譲れない一線というものがあるんです。
そりゃ、人それぞれ譲れない一線があるのはわかりますし、レベルも違うでしょう。
ただ、権利の行使は社会常識に沿った形で行なわれるべきですし、ましてや、教育現場や子供をダシに使って行なうべきではありません。
そもそも強制されているのは”教育現場のみ”でしょ。しかも強制されているのは、実質反抗する教師のみ(生徒は歌わなくても停学処分など受けることはありえないですし)。
私は、権利を主張するのも結構だが、T.P.Oをわきまえて欲しいといっているんです。
教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし、どんな態度を取ろうと、一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもしませんよ。日本は、北朝鮮などと違ってそうした自由で寛容な社会です。
常識に過ぎないから強制するな…という意見はわからなくもないけど、とりあえず「守」の段階では、常識を教えるのが教育でしょう。
それを強制しないでどうするのですか。
常識を教えないことこそ、永田教授が主張するように「子供の成長していく権利を奪う」ことに他なりません。
こうした教師に教わらざるを得ない子供たちが可哀想です。
>教育現場で「思想良心の自由」を実践的に教えないで、一体どこで教えるのか、ご教示いただけますか。
あの先生方の行動を見て、「思想良心の自由」を学べるとは到底思えません。
むしろ、そうしたタテマエを振り回せば、自分の気に入らないことをやらずに済むのだという、クレーマー予備軍を育てるだけじゃありませんか。
一見、思想良心の自由を訴えているように見えますが、その実、権利の濫用を教えているだけに過ぎない。私はそう思います。
>そもそも「思想良心の自由」を主張するということは、「その命令がその人の思想や良心を侵すものだった」ということでしょう。なぜそこを考えないのですか?その人にはその人なりの譲れない一線というものがあるんです。
そりゃ、人それぞれ譲れない一線があるのはわかりますし、レベルも違うでしょう。
ただ、権利の行使は社会常識に沿った形で行なわれるべきですし、ましてや、教育現場や子供をダシに使って行なうべきではありません。
>一知半解さん
あなたのその論理をそのままあなたの立場に当てはめると、先の村野瀬さん作のショートコントになるのですが、それについてはいかがですか?(村野瀬さんのコメントをあけるのをうっかりとばしていたので、遅くなりましたが)
詭弁と揶揄に満ちたショートコント
いやはや、前回の投稿前に村野瀬さんの
ショートコントが投稿されていたとは気付きませんでした。
秋原さんのリクエストでもありますので、再度コメントいたします。
私をコメ禁処置して相手にしない村野瀬さんにしては、珍しく反論に応じてくださいましたね。
このショートコントはなかなかの労作だと思います。
しかし、典型的な詭弁のテクニックが見られますので、二点ほど指摘しておきます。
まず、こういう仮定そのものがありえない。
国旗・国歌に対し敬意を表するのは、万国共通の常識であり、それを「守」段階の教育で強制するのは、当然のことなのに対し、村野瀬さんの仮定は、なんの裏付けも根拠もない荒唐無稽な設定に過ぎません。
片や、理に適った強制なのに対し、村野瀬さんの仮定は誰が見ても理不尽そのものなのですからね。現実的にもありえない。
このようにありえない仮定を設定して反論するのは、詭弁第15条の1「事実に対して仮定を持ち出す(註)」に当たると思います。
(註)拙ブログ記事↓参照。
・テンプレ「詭弁15条」について
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-262.html
次に、私は「守」段階の教育には強制が必要だという論旨で、”正当な”強制や業務命令を是としているに過ぎません。
それを村野瀬さんはあたかも、私があらゆる強制や業務命令を是としているようにすり替え、反論している点がおかしい。
論点をごっちゃにするのは、詭弁のテクニックの一つですが、これも一つの好例と言えるでしょう。
しかしながら、詭弁や揚げ足取り、相手への揶揄でしか、反論することができないのはちょっとお粗末ではないかと。
それとどうも誤解されているようなので断っておきますが、別に私もあなた方に私の考えを受け入れろ!なんて思ってませんからご安心ください。
私は、あなた方の主張にたいする反論を行ない、第三者に違う「視座」というものを提供したいだけなのです。
村野瀬さんのように都合の悪い相手をコメ禁にするブロガーさんがたくさんいる中、私にそうした機会を与えて下さった秋原さんには素直に感謝してます。
相変わらずの長文コメで申し訳ございません。
ショートコントが投稿されていたとは気付きませんでした。
秋原さんのリクエストでもありますので、再度コメントいたします。
私をコメ禁処置して相手にしない村野瀬さんにしては、珍しく反論に応じてくださいましたね。
このショートコントはなかなかの労作だと思います。
しかし、典型的な詭弁のテクニックが見られますので、二点ほど指摘しておきます。
まず、こういう仮定そのものがありえない。
国旗・国歌に対し敬意を表するのは、万国共通の常識であり、それを「守」段階の教育で強制するのは、当然のことなのに対し、村野瀬さんの仮定は、なんの裏付けも根拠もない荒唐無稽な設定に過ぎません。
片や、理に適った強制なのに対し、村野瀬さんの仮定は誰が見ても理不尽そのものなのですからね。現実的にもありえない。
このようにありえない仮定を設定して反論するのは、詭弁第15条の1「事実に対して仮定を持ち出す(註)」に当たると思います。
(註)拙ブログ記事↓参照。
・テンプレ「詭弁15条」について
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-262.html
次に、私は「守」段階の教育には強制が必要だという論旨で、”正当な”強制や業務命令を是としているに過ぎません。
それを村野瀬さんはあたかも、私があらゆる強制や業務命令を是としているようにすり替え、反論している点がおかしい。
論点をごっちゃにするのは、詭弁のテクニックの一つですが、これも一つの好例と言えるでしょう。
しかしながら、詭弁や揚げ足取り、相手への揶揄でしか、反論することができないのはちょっとお粗末ではないかと。
それとどうも誤解されているようなので断っておきますが、別に私もあなた方に私の考えを受け入れろ!なんて思ってませんからご安心ください。
私は、あなた方の主張にたいする反論を行ない、第三者に違う「視座」というものを提供したいだけなのです。
村野瀬さんのように都合の悪い相手をコメ禁にするブロガーさんがたくさんいる中、私にそうした機会を与えて下さった秋原さんには素直に感謝してます。
相変わらずの長文コメで申し訳ございません。
>一知半解さん
>まず、こういう仮定そのものがありえない。
国旗・国歌に対し敬意を表するのは、万国共通の常識であり、それを「守」段階の教育で強制するのは、当然のことなのに対し、村野瀬さんの仮定は、なんの裏付けも根拠もない荒唐無稽な設定に過ぎません。
>片や、理に適った強制なのに対し、村野瀬さんの仮定は誰が見ても理不尽そのものなのですからね
←もしこういうふうにされたらいやでしょう?というたとえ話ですので、現実的にありえるかどうかの問題ではありませんよ。それに実際あるかもしれません、極左団体が経営する小さな会社の研修とかで(笑)
まずあなたは「国旗国歌の強制は当然のこと、絶対正しい理にかなったことで万国の常識である」と信じて疑ってらっしゃらないようですね。だから「自分がする強制は良い強制だが、おまえがする強制は悪い強制」とはっきり断言なさいましたねw
のちの引用させていただくかも。ご容赦下さい
>私は「守」段階の教育には強制が必要だという論旨で、”正当な”強制や業務命令を是としているに過ぎません。
それを村野瀬さんはあたかも、私があらゆる強制や業務命令を是としているようにすり替え、反論している点がおかしい。
←では、あなたは「あらゆる強制や業務命令を是としているのではない。その強制や命令が不当なものであれば従う必要はない」と考えてる、ということでよろしいですね?
ここも引用するかも
さて、ひとつあなたに申し上げておきたいことがあります。
>別に私もあなた方に私の考えを受け入れろ!なんて思ってませんからご安心ください。
←その割には自分と違う意見のブログに延々と自分の考えを語りにいらっしゃるようですね。
そういう行為は、相手が押しつけられてるように感じないだろうか、と、相手の立場に立って想像してみることも社会生活上大事かと思います。
もし本当に自分の意見を押しつけるつもりがないというなら、他人のブログで延々語らずご自分のブログで意見を発信するのが筋というものでしょう。そうでなければ違う意見の相手を何とかしてねじ伏せ言い負かそうと粘着してると思われても仕方がありませんよ。
私は相手の気持ちを推しはかって、意見の違う相手のブログに押しかけて延々自分の意見を語ったりしません。自分のブログで語ります。相手がどう感じるか、気持ちを推しはかることこそ「常識」だと思うからです。
これは既にこのコメント欄でこねこさん宛に書いていますね。
↓
『自分の気にくわない意見のブログを見かけると、どうしても押しかけて延々コメントしたがる人々っているんですよね~。(略)コメント欄の方針は村野瀬さんの方針と同じです。』
>私は、あなた方の主張にたいする反論を行ない、第三者に違う「視座」というものを提供したいだけなのです。
←あなたはそうしたいのかもしれませんが、わたしがそんなことを私のブログでして欲しいと、あなたに頼んだでしょうか?
私は既にあなたのいう「違う視座」がどのようなものか既に十分知っていますから、それを引き合いに出す形でこのシリーズを書き始めています。ですから、私にとっては「違う視座」などわざわざあなたに長々提供していただかなくても構わないのです。この点覚えておいてくださいね。
あなたが自分の意見と違う意見に反論し、第三者に違う視座を提供したいと思うなら、「あなたのブログ」でなさるか、掲示板でなさってください。
こう書くと「反論を受け付けないのか」と言われそうですが、反論は受け付けています。但し粘着するな、ということです。でなければ、相手を言い負かすための不毛な議論が延々続くことになりますから。
私のコメント欄の基準は村野瀬さんと同じですから、そういう節度の保てない人だと判断した場合、その人を最初からコメント拒否することもあります。
>村野瀬さんのように都合の悪い相手をコメ禁にするブロガーさんがたくさんいる中、私にそうした機会を与えて下さった秋原さんには素直に感謝してます。
あなたはどうやら村野瀬さんにコメ禁にされているようですが、恨みがましくここで名指しするのは感心しませんね。
コメ禁にした相手が悪いのであってご自分に非はないとお思いでしょうか。何故コメ禁になったか考えられたことはありますか。
あなたを他のブログでもみかけたことがありますが、延々居座ってることがありましたね
「都合が悪い」からコメ禁にしたのではなく、粘着行為にうんざりしたからコメ禁にしたのだと想像してみたことはありませんか
大抵の人は基本、意見発信をしたくてブログを書いているのであって、異なる意見との議論が主目的でブログを書いている人は少ないと思います。
少なくとも、異なる意見との議論を主目的にしていない人にいつまでも議論を強いるような真似は「常識」に反するでしょう。そうは思いませんか?
以後、コメントする際には熟考くださることを望みます
国旗・国歌に対し敬意を表するのは、万国共通の常識であり、それを「守」段階の教育で強制するのは、当然のことなのに対し、村野瀬さんの仮定は、なんの裏付けも根拠もない荒唐無稽な設定に過ぎません。
>片や、理に適った強制なのに対し、村野瀬さんの仮定は誰が見ても理不尽そのものなのですからね
←もしこういうふうにされたらいやでしょう?というたとえ話ですので、現実的にありえるかどうかの問題ではありませんよ。それに実際あるかもしれません、極左団体が経営する小さな会社の研修とかで(笑)
まずあなたは「国旗国歌の強制は当然のこと、絶対正しい理にかなったことで万国の常識である」と信じて疑ってらっしゃらないようですね。だから「自分がする強制は良い強制だが、おまえがする強制は悪い強制」とはっきり断言なさいましたねw
のちの引用させていただくかも。ご容赦下さい
>私は「守」段階の教育には強制が必要だという論旨で、”正当な”強制や業務命令を是としているに過ぎません。
それを村野瀬さんはあたかも、私があらゆる強制や業務命令を是としているようにすり替え、反論している点がおかしい。
←では、あなたは「あらゆる強制や業務命令を是としているのではない。その強制や命令が不当なものであれば従う必要はない」と考えてる、ということでよろしいですね?
ここも引用するかも
さて、ひとつあなたに申し上げておきたいことがあります。
>別に私もあなた方に私の考えを受け入れろ!なんて思ってませんからご安心ください。
←その割には自分と違う意見のブログに延々と自分の考えを語りにいらっしゃるようですね。
そういう行為は、相手が押しつけられてるように感じないだろうか、と、相手の立場に立って想像してみることも社会生活上大事かと思います。
もし本当に自分の意見を押しつけるつもりがないというなら、他人のブログで延々語らずご自分のブログで意見を発信するのが筋というものでしょう。そうでなければ違う意見の相手を何とかしてねじ伏せ言い負かそうと粘着してると思われても仕方がありませんよ。
私は相手の気持ちを推しはかって、意見の違う相手のブログに押しかけて延々自分の意見を語ったりしません。自分のブログで語ります。相手がどう感じるか、気持ちを推しはかることこそ「常識」だと思うからです。
これは既にこのコメント欄でこねこさん宛に書いていますね。
↓
『自分の気にくわない意見のブログを見かけると、どうしても押しかけて延々コメントしたがる人々っているんですよね~。(略)コメント欄の方針は村野瀬さんの方針と同じです。』
>私は、あなた方の主張にたいする反論を行ない、第三者に違う「視座」というものを提供したいだけなのです。
←あなたはそうしたいのかもしれませんが、わたしがそんなことを私のブログでして欲しいと、あなたに頼んだでしょうか?
私は既にあなたのいう「違う視座」がどのようなものか既に十分知っていますから、それを引き合いに出す形でこのシリーズを書き始めています。ですから、私にとっては「違う視座」などわざわざあなたに長々提供していただかなくても構わないのです。この点覚えておいてくださいね。
あなたが自分の意見と違う意見に反論し、第三者に違う視座を提供したいと思うなら、「あなたのブログ」でなさるか、掲示板でなさってください。
こう書くと「反論を受け付けないのか」と言われそうですが、反論は受け付けています。但し粘着するな、ということです。でなければ、相手を言い負かすための不毛な議論が延々続くことになりますから。
私のコメント欄の基準は村野瀬さんと同じですから、そういう節度の保てない人だと判断した場合、その人を最初からコメント拒否することもあります。
>村野瀬さんのように都合の悪い相手をコメ禁にするブロガーさんがたくさんいる中、私にそうした機会を与えて下さった秋原さんには素直に感謝してます。
あなたはどうやら村野瀬さんにコメ禁にされているようですが、恨みがましくここで名指しするのは感心しませんね。
コメ禁にした相手が悪いのであってご自分に非はないとお思いでしょうか。何故コメ禁になったか考えられたことはありますか。
あなたを他のブログでもみかけたことがありますが、延々居座ってることがありましたね
「都合が悪い」からコメ禁にしたのではなく、粘着行為にうんざりしたからコメ禁にしたのだと想像してみたことはありませんか
大抵の人は基本、意見発信をしたくてブログを書いているのであって、異なる意見との議論が主目的でブログを書いている人は少ないと思います。
少なくとも、異なる意見との議論を主目的にしていない人にいつまでも議論を強いるような真似は「常識」に反するでしょう。そうは思いませんか?
以後、コメントする際には熟考くださることを望みます
> 一知半解さんへ
レスありがとうございます。
以下、一知半解さんへの疑問です。これ以上秋原さんのブログで議論を展開するのは、好ましくないと思っておりますので、お答えはいただかなくてけっこうです。一知半解さんとわたしの相違点もはっきりしましたので。
> そもそも強制されているのは”教育現場のみ”でしょ。
わたしはなぜですか?とお尋ねしたのですが、それに対するお答えが「ここだけだからいいでしょ」というのでは答えになっていません。
> しかも強制されているのは、実質反抗する教師のみ
では、国旗掲揚・国歌斉唱の強制は、それに反対する人々の思想良心の自由を侵したということをお認めになるわけですね。
共通の理解が得られて嬉しく思います。
> (生徒は歌わなくても停学処分など受けることはありえないですし)
しかし、自分たちが歌わないと先生が処分を受けます。生徒たちにも負担を課しています。「子どもをダシにしている」のはどちらなんでしょうね。
> 私は、権利を主張するのも結構だが、T.P.Oをわきまえて欲しいといっているんです。
ひょっとして”知識として”国旗国歌を教えることと、掲揚・斉唱を強制することを混同していませんか?
> 教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし、
えっと、これは「万国共通の常識」なんですか?それとも教育現場というきわめて限定された場所でしか強制されない、特殊な状況なんですか?社会に出れば「一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもし」ない事―つまりそれぞれの自由ということが認められているということですよね。それは、本当に「常識」なんですか?一知半解さんの仰る「常識」の定義がよくわからなくなってしまいました。
> あの先生方の行動を見て、「思想良心の自由」を学べるとは到底思えません。
なるほど、普段は言葉で思想良心の自由を教えながら、いざというときには思想良心の自由を捨てて業務命令に従うヘタレた姿を子どもたちに見てもらえば、子どもたちは「へー、思想良心の自由ってその程度のものなんだ」と理解してくれるでしょう。「思想良心の自由」は制限されることもある、というお立場ならばそれでけっこうなのでしょうが、わたしは既に申し上げたとおり「権力がその恣意にしたがって、国民の思想良心の自由を制限するのは危険だ」という立場ですから、受け入れられません。
> タテマエを振り回せば、自分の気に入らないことをやらずに済むのだという、クレーマー予備軍を育てるだけじゃありませんか。
建前は大事です。建前があるからこそ、人は理想を逸脱することに後ろめたさを覚えます。うしろめたさは行動の歯止めになります。建前をなんとか守り通そうとすることで、理不尽な現実を理想に少しでも近づけることができます。所詮は建前なのだからそれを守らなくても良いというスタンスを一概に否定はしませんが、居直られては困ります。特に子どもたちには社会の建前をまず教えなければなりません。最初から所詮建前という態度では、理想が軽んじられるのも当然、社会が後退していくのも当然です。
また自身の正当な権利を主張するのも大事なことです。正当な権利の主張を単なるわがままのように捉えられる誤った理解がまだまだ根強いのは問題です。自身の権利を不当に侵害されたとき、それに抵抗する。そうしなければ、権利の侵害を当然とする社会になってしまいます。そのとき、権利を侵害・制限する側が、節度を保ってくれると言う保障はどこにもありません。
それから「気に入らない」「振り回す」という感情面のみで抵抗をしているかのような書き方はやはりフェアではないですよ。「思想良心の自由」を主張している人たちもきちんと理由を説明しているはずです。その理由を批判せずに、ただ単に「常識だから」とか、「特定の場所で思想良心の自由を主張すること」ことのみを批判するのは、それこそ、その主張が「気に入らない」から、頭ごなしに権利を制限しようとしているように見えます。
> そりゃ、人それぞれ譲れない一線があるのはわかりますし、レベルも違うでしょう。
「思想良心の自由」に従って、己の譲れない一線をまもるというのは大事なことです。本来主張すべきことを主張しなかったために、さまざまな弊害が生じるのではないかとの懸念を先のコメントでも書きました。集団の同一性を重んじるあまり、個人の尊厳が圧殺されるとしたら、それは中国共産党や金正日の支配下にある社会とどこが異なるのでしょうか。集団における個人の圧殺を当然とするならば、何らかの不正に対して内部告発を行うことさえ正当性を失いますし、人々は自身の良心に信頼をおくことができなくなります。結果、自立した思考よりも、集団への恭順が優先され、集団への帰属意識だけがより強化されてしまい、客観的視点が失われてしまうのではないでしょうか。
> 一見、思想良心の自由を訴えているように見えますが、その実、権利の濫用を教えているだけに過ぎない。
わたしからすれば、国旗国歌の強制は権力を濫用して、強制に反対する人々の思想良心の自由を踏みにじっています。踏みにじられた側が足をどけてくれ(わたしたちにも踏ませろとは言っていません)と言っているのに、その必要はないと仰っている。なぜ強制する側は、自分たちだけにはその権利があると確信できるのか、わたしには理解できません。
根本的なスタンスが異なりますので、どうにも会話が噛み合わないもどかしさはありましたが、「国旗掲揚・国歌斉唱の強制は、それに反対する人々の思想良心の自由への侵害である(一知半解さんはそれを妥当とし、わたしはそれを失当とする立場ですが)」という点で共通の認識が得られたのは、良いことだと思います。
「(思想良心の自由が)どこでどのように制限されるのか、そしてそれを誰がどのように決定するのか、その法的根拠は何でしょうか。
権力がその恣意にしたがって、国民の思想良心の自由を制限しても良いのであれば、極端な話、資本主義が気に入らない政権ができれば、その思想を制限しても構わないことになります。ちょっと危ない気がしますね。」
この点について、お答えがいただけなかったのが残念です。多分ここが一知半解さんとわたしの決定的な意見の分かれ目だと思うので。
> 秋原さん
すみません、またまた長文になってしまいました。気をつけたいとは思っているんですが(^_^;)
このエントリでのわたしの書き込みはこれを最後にしたいと思います。長々とコメント欄を使ってしまい、申し訳ありませんでした。
以下、一知半解さんへの疑問です。これ以上秋原さんのブログで議論を展開するのは、好ましくないと思っておりますので、お答えはいただかなくてけっこうです。一知半解さんとわたしの相違点もはっきりしましたので。
> そもそも強制されているのは”教育現場のみ”でしょ。
わたしはなぜですか?とお尋ねしたのですが、それに対するお答えが「ここだけだからいいでしょ」というのでは答えになっていません。
> しかも強制されているのは、実質反抗する教師のみ
では、国旗掲揚・国歌斉唱の強制は、それに反対する人々の思想良心の自由を侵したということをお認めになるわけですね。
共通の理解が得られて嬉しく思います。
> (生徒は歌わなくても停学処分など受けることはありえないですし)
しかし、自分たちが歌わないと先生が処分を受けます。生徒たちにも負担を課しています。「子どもをダシにしている」のはどちらなんでしょうね。
> 私は、権利を主張するのも結構だが、T.P.Oをわきまえて欲しいといっているんです。
ひょっとして”知識として”国旗国歌を教えることと、掲揚・斉唱を強制することを混同していませんか?
> 教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし、
えっと、これは「万国共通の常識」なんですか?それとも教育現場というきわめて限定された場所でしか強制されない、特殊な状況なんですか?社会に出れば「一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもし」ない事―つまりそれぞれの自由ということが認められているということですよね。それは、本当に「常識」なんですか?一知半解さんの仰る「常識」の定義がよくわからなくなってしまいました。
> あの先生方の行動を見て、「思想良心の自由」を学べるとは到底思えません。
なるほど、普段は言葉で思想良心の自由を教えながら、いざというときには思想良心の自由を捨てて業務命令に従うヘタレた姿を子どもたちに見てもらえば、子どもたちは「へー、思想良心の自由ってその程度のものなんだ」と理解してくれるでしょう。「思想良心の自由」は制限されることもある、というお立場ならばそれでけっこうなのでしょうが、わたしは既に申し上げたとおり「権力がその恣意にしたがって、国民の思想良心の自由を制限するのは危険だ」という立場ですから、受け入れられません。
> タテマエを振り回せば、自分の気に入らないことをやらずに済むのだという、クレーマー予備軍を育てるだけじゃありませんか。
建前は大事です。建前があるからこそ、人は理想を逸脱することに後ろめたさを覚えます。うしろめたさは行動の歯止めになります。建前をなんとか守り通そうとすることで、理不尽な現実を理想に少しでも近づけることができます。所詮は建前なのだからそれを守らなくても良いというスタンスを一概に否定はしませんが、居直られては困ります。特に子どもたちには社会の建前をまず教えなければなりません。最初から所詮建前という態度では、理想が軽んじられるのも当然、社会が後退していくのも当然です。
また自身の正当な権利を主張するのも大事なことです。正当な権利の主張を単なるわがままのように捉えられる誤った理解がまだまだ根強いのは問題です。自身の権利を不当に侵害されたとき、それに抵抗する。そうしなければ、権利の侵害を当然とする社会になってしまいます。そのとき、権利を侵害・制限する側が、節度を保ってくれると言う保障はどこにもありません。
それから「気に入らない」「振り回す」という感情面のみで抵抗をしているかのような書き方はやはりフェアではないですよ。「思想良心の自由」を主張している人たちもきちんと理由を説明しているはずです。その理由を批判せずに、ただ単に「常識だから」とか、「特定の場所で思想良心の自由を主張すること」ことのみを批判するのは、それこそ、その主張が「気に入らない」から、頭ごなしに権利を制限しようとしているように見えます。
> そりゃ、人それぞれ譲れない一線があるのはわかりますし、レベルも違うでしょう。
「思想良心の自由」に従って、己の譲れない一線をまもるというのは大事なことです。本来主張すべきことを主張しなかったために、さまざまな弊害が生じるのではないかとの懸念を先のコメントでも書きました。集団の同一性を重んじるあまり、個人の尊厳が圧殺されるとしたら、それは中国共産党や金正日の支配下にある社会とどこが異なるのでしょうか。集団における個人の圧殺を当然とするならば、何らかの不正に対して内部告発を行うことさえ正当性を失いますし、人々は自身の良心に信頼をおくことができなくなります。結果、自立した思考よりも、集団への恭順が優先され、集団への帰属意識だけがより強化されてしまい、客観的視点が失われてしまうのではないでしょうか。
> 一見、思想良心の自由を訴えているように見えますが、その実、権利の濫用を教えているだけに過ぎない。
わたしからすれば、国旗国歌の強制は権力を濫用して、強制に反対する人々の思想良心の自由を踏みにじっています。踏みにじられた側が足をどけてくれ(わたしたちにも踏ませろとは言っていません)と言っているのに、その必要はないと仰っている。なぜ強制する側は、自分たちだけにはその権利があると確信できるのか、わたしには理解できません。
根本的なスタンスが異なりますので、どうにも会話が噛み合わないもどかしさはありましたが、「国旗掲揚・国歌斉唱の強制は、それに反対する人々の思想良心の自由への侵害である(一知半解さんはそれを妥当とし、わたしはそれを失当とする立場ですが)」という点で共通の認識が得られたのは、良いことだと思います。
「(思想良心の自由が)どこでどのように制限されるのか、そしてそれを誰がどのように決定するのか、その法的根拠は何でしょうか。
権力がその恣意にしたがって、国民の思想良心の自由を制限しても良いのであれば、極端な話、資本主義が気に入らない政権ができれば、その思想を制限しても構わないことになります。ちょっと危ない気がしますね。」
この点について、お答えがいただけなかったのが残念です。多分ここが一知半解さんとわたしの決定的な意見の分かれ目だと思うので。
> 秋原さん
すみません、またまた長文になってしまいました。気をつけたいとは思っているんですが(^_^;)
このエントリでのわたしの書き込みはこれを最後にしたいと思います。長々とコメント欄を使ってしまい、申し訳ありませんでした。
>こねこさん
「教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし社会に出れば一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもしない」
なあんだ、所詮この程度のことなんですね、君が代斉唱って。じゃあ躍起になって、先生を懲戒してまで強制するほどのこともありませんね(爆)
なあんだ、所詮この程度のことなんですね、君が代斉唱って。じゃあ躍起になって、先生を懲戒してまで強制するほどのこともありませんね(爆)
異論を排除する者は、日本軍と見なす。
反論すべき点は多々ありますが、一つだけ反論しておきます。
>なあんだ、所詮この程度のことなんですね、君が代斉唱って。じゃあ躍起になって、先生を懲戒してまで強制するほどのこともありませんね(爆)
もう一度、永田教授の言葉をよく御覧ください。
これは子供の教育に関する重要な「しつけ」の問題であって、「所詮この程度のこと」で済ますような問題ではありません。
残念ながら、あなた方には、そうした視点が全く欠けています。
子供の教育はどーでもよくて、あるのは己自身の権利の主張のみ。
基本的人権とか民主主義とか、本来高邁な理想を、己の欲求を満足させる為だけに利用する浅ましい行為です。そこが世間の共感を呼ばない理由でしょう。
これでは、モンスターペアレンツやクレーマーが量産されるのも無理はありませんね。
それはさておき、なにやら粘着質とか、居座ると仰いますが、議論が続けば自然と長くなるだけの話に過ぎません。
勿論、こねこさんのレスや貴方のレスに反論しようと思えば幾らでも反論できますが、流石に迷惑でしょうから反論のかわりに、私のスタンスがわかる拙記事↓を貼っておきます。
意見や質問があればこちらの記事にどうぞ。幾らでもお答えします。
・日の丸・君が代強制問題は、決して「思想・信条の自由」の問題ではない。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-180.html
ただ、私も相手を言い負かすのが目的ではありませんし、とりあえず自分の主張を展開できれば結構なので、更なる反論は封印し、今回のコメントで終わりにするつもりです。
(実際、前々回のコメントで終わりにしようとも思いましたが、貴方のリクエストを頂いたので投稿した次第であって、粘着したいからではありませんから誤解なきよう。)
最後の最後に、コメントの扱いについて一言。
>あなたはそうしたいのかもしれませんが、わたしがそんなことを私のブログでして欲しいと、あなたに頼んだでしょうか?
それでは、「賛同の意見のみ寄越せ」ということと何が違うのですか?
貴方も政治系ブログを運営し、曲がりなりにもコメント欄を設けている以上、異論反論が投稿されることぐらい承知しているはずです。
それが嫌なら、「きっこのブログ」のように最初からコメ欄を設けないか、お仲間メンバーだけが投稿できるように設定すればいいだけの話でしょうに。
ちなみに、コメ欄の扱いで、その政治系ブログの評価が定まると私は思ってます。
その評価基準は、自分の主張に対する異論を許容できるか否かということです。
山本七平が、日本軍が同胞におかした罪悪のうちもっとも大きなものは「(反論する)言葉を奪った」ことだと指摘していますが、異論を許容しない人間ほど、日本軍の悪しき体質を表していると言ってよいと思います。
要するに、異論を許容できない人間というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターであるということです。
そういう意味で「きっこのブログ」や「天木直人のブログ」などはまず論外。
ただまあ、異論を受け付けないことを堂々と表している点だけは、素直に評価してもよいかも…。
それより悪質なのは、一見、コメ欄をオープンにしているように見せかけながら、都合の悪いコメを恣意的に表に出さなかったり(※編集の詐術)、相手の反論を許さないまま再反論したり、表に出さないくせにその一部を取り上げて反論するようなブログです。
※これについては、拙記事↓を参考にしてください。
・アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-141.html
誰とはいいませんが、こちらのブログにもよくコメント・TBされてますね。
きっこなどは、まだ自分が(異論を受け付けない)扇動家であることを正直にさらけ出してますが、上記のようなブロガーはそれを隠す分だけ(本人はまったくそう思ってないでしょうが)悪質で、より日本軍的体質を持つ扇動家だと言ってよいでしょう。
願わくば、秋原さんがそのようなブロガーの一人でないことを期待してコメントを終わります。
長文失礼。
>なあんだ、所詮この程度のことなんですね、君が代斉唱って。じゃあ躍起になって、先生を懲戒してまで強制するほどのこともありませんね(爆)
もう一度、永田教授の言葉をよく御覧ください。
これは子供の教育に関する重要な「しつけ」の問題であって、「所詮この程度のこと」で済ますような問題ではありません。
残念ながら、あなた方には、そうした視点が全く欠けています。
子供の教育はどーでもよくて、あるのは己自身の権利の主張のみ。
基本的人権とか民主主義とか、本来高邁な理想を、己の欲求を満足させる為だけに利用する浅ましい行為です。そこが世間の共感を呼ばない理由でしょう。
これでは、モンスターペアレンツやクレーマーが量産されるのも無理はありませんね。
それはさておき、なにやら粘着質とか、居座ると仰いますが、議論が続けば自然と長くなるだけの話に過ぎません。
勿論、こねこさんのレスや貴方のレスに反論しようと思えば幾らでも反論できますが、流石に迷惑でしょうから反論のかわりに、私のスタンスがわかる拙記事↓を貼っておきます。
意見や質問があればこちらの記事にどうぞ。幾らでもお答えします。
・日の丸・君が代強制問題は、決して「思想・信条の自由」の問題ではない。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-180.html
ただ、私も相手を言い負かすのが目的ではありませんし、とりあえず自分の主張を展開できれば結構なので、更なる反論は封印し、今回のコメントで終わりにするつもりです。
(実際、前々回のコメントで終わりにしようとも思いましたが、貴方のリクエストを頂いたので投稿した次第であって、粘着したいからではありませんから誤解なきよう。)
最後の最後に、コメントの扱いについて一言。
>あなたはそうしたいのかもしれませんが、わたしがそんなことを私のブログでして欲しいと、あなたに頼んだでしょうか?
それでは、「賛同の意見のみ寄越せ」ということと何が違うのですか?
貴方も政治系ブログを運営し、曲がりなりにもコメント欄を設けている以上、異論反論が投稿されることぐらい承知しているはずです。
それが嫌なら、「きっこのブログ」のように最初からコメ欄を設けないか、お仲間メンバーだけが投稿できるように設定すればいいだけの話でしょうに。
ちなみに、コメ欄の扱いで、その政治系ブログの評価が定まると私は思ってます。
その評価基準は、自分の主張に対する異論を許容できるか否かということです。
山本七平が、日本軍が同胞におかした罪悪のうちもっとも大きなものは「(反論する)言葉を奪った」ことだと指摘していますが、異論を許容しない人間ほど、日本軍の悪しき体質を表していると言ってよいと思います。
要するに、異論を許容できない人間というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターであるということです。
そういう意味で「きっこのブログ」や「天木直人のブログ」などはまず論外。
ただまあ、異論を受け付けないことを堂々と表している点だけは、素直に評価してもよいかも…。
それより悪質なのは、一見、コメ欄をオープンにしているように見せかけながら、都合の悪いコメを恣意的に表に出さなかったり(※編集の詐術)、相手の反論を許さないまま再反論したり、表に出さないくせにその一部を取り上げて反論するようなブログです。
※これについては、拙記事↓を参考にしてください。
・アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-141.html
誰とはいいませんが、こちらのブログにもよくコメント・TBされてますね。
きっこなどは、まだ自分が(異論を受け付けない)扇動家であることを正直にさらけ出してますが、上記のようなブロガーはそれを隠す分だけ(本人はまったくそう思ってないでしょうが)悪質で、より日本軍的体質を持つ扇動家だと言ってよいでしょう。
願わくば、秋原さんがそのようなブロガーの一人でないことを期待してコメントを終わります。
長文失礼。
嫌がる他人への強制は、己の欲求を満足させる為だけに利用する浅ましい行為。
結論が出ました。
日の丸君が代強制論者は、秋原葉月さんのように物事を深く多様な視点から考えるという子供の教育はどーでもよくて、あるのは他人に自分の好みを一方的に強制したいという己自身の権利の主張のみ。
「日の丸君が代を強制しないでほしい」という異論を許容できない日の丸君が代強制論者というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターである。
それから、「教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし社会に出れば一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもしない」と書いておきながら、社会人である秋原葉月さんや私を何度もキイキイ咎めに来る人の書く文章を「詭弁」もしくは「支離滅裂」というと思います。
日の丸君が代強制論者は、秋原葉月さんのように物事を深く多様な視点から考えるという子供の教育はどーでもよくて、あるのは他人に自分の好みを一方的に強制したいという己自身の権利の主張のみ。
「日の丸君が代を強制しないでほしい」という異論を許容できない日の丸君が代強制論者というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターである。
それから、「教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし社会に出れば一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもしない」と書いておきながら、社会人である秋原葉月さんや私を何度もキイキイ咎めに来る人の書く文章を「詭弁」もしくは「支離滅裂」というと思います。
>一知半解さん
>これは子供の教育に関する重要な「しつけ」の問題であって、「所詮この程度のこと」で済ますような問題ではありません
↑
これについては(3)で説明してますので興味があればご一読下さい。
何のための「しつけ」なのかちゃんとした理由がなければ、意味のないシゴキと同じでしょう?
あなたは「あらゆる強制や業務命令を是としているのではない。その強制や命令が不当なものであれば従う必要はない」旨仰いましたよね?
「しつけ」も同じでしょう?「しつけ」と名が付けば何でも是とされるわけではないはずですよね、あなたの論旨から行くと。
>>あなたはそうしたいのかもしれませんが、わたしがそんなことを私のブログでして欲しいと、あなたに頼んだでしょうか?
それでは、「賛同の意見のみ寄越せ」ということと何が違うのですか?
↑
ほら、、私の書いたことを読んでないかきちんと理解しないまま、やっぱり決まり文句を仰いましたね、「異論を受け付けないのか」という決まり文句を。
きっとそう仰るだろうと予想して私はその後ちゃんと理由を説明してますでしょう?→『こう書くと「反論を受け付けないのか」と言われそうですが、反論は受け付けています。但し粘着するな、ということです。でなければ、相手を言い負かすための不毛な議論が延々続くことになりますから。』と。
あなた、これを一切スルーしてますよね。
お読みにならなかったのか、それとも読解力が少々寂しいのか、私にはわかりませんが。
あなたの今回のコメントがまさに「相手を言い負かすための不毛な議論」所謂「ためにする議論」であり、粘着の典型的一例ですよ。
私が書いたことを理解しないで(あるいは読まないで)判で押したように「異論をうけつけないのか」というのは止めてくださいね。
それから私はこうも説明していますよね→『大抵の人は基本、意見発信をしたくてブログを書いているのであって、異なる意見との議論が主目的でブログを書いている人は少ないと思います。
少なくとも、異なる意見との議論を主目的にしていない人にいつまでも議論を強いるような真似は「常識」に反するでしょう。そうは思いませんか? 』
これについてもあなたは読んでないか理解できなかったようですね、残念です。
こうして私が再度おなじ事を書いて説明しないといけない「議論のループ」を建設的な議論とは言いません。
私は建設的でない不毛な議論に時間を費やす気はありませんし、たとえ異論を受け付けてても、そんな不毛な議論で埋め尽くされたコメント欄の政治ブログにあまり高い評価はしませんね。
それから山本七平以下色々書かれていらっしゃいますが、それも右翼ブロガー(とお呼びして良いのかしら)がよく書き込む典型的なコメントですよね。
他人のブログに来て「自分の反論を載せろ、自分が反論することを認めよ。そうでなければ言論弾圧に等しい。」という手合いのコメント。
それ、実は私、ミミタコなんです。で、以前いたサイトでは以下のように説明したら納得したのか、以後二度と反論を受け付けろだのという文句を言わなくなりました。
↓
『他人のブログに来て、そのコメント欄の方針に文句をつけるのは、まるで他人の家にズカズカ土足で入ってきて、オレの「他人の家に入る権利」を許容できないとはけしからん、といってるようなものです。』
>それより悪質なのは、一見、コメ欄をオープンにしているように見せかけながら、都合の悪いコメを恣意的に表に出さなかったり(※編集の詐術)、相手の反論を許さないまま再反論したり、表に出さないくせにその一部を取り上げて反論するようなブログです。
>誰とはいいませんが、こちらのブログにもよくコメント・TBされてますね
↑
いや、未練タラタラなんですね、村野瀬さんに(笑)
↑
これについては(3)で説明してますので興味があればご一読下さい。
何のための「しつけ」なのかちゃんとした理由がなければ、意味のないシゴキと同じでしょう?
あなたは「あらゆる強制や業務命令を是としているのではない。その強制や命令が不当なものであれば従う必要はない」旨仰いましたよね?
「しつけ」も同じでしょう?「しつけ」と名が付けば何でも是とされるわけではないはずですよね、あなたの論旨から行くと。
>>あなたはそうしたいのかもしれませんが、わたしがそんなことを私のブログでして欲しいと、あなたに頼んだでしょうか?
それでは、「賛同の意見のみ寄越せ」ということと何が違うのですか?
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ほら、、私の書いたことを読んでないかきちんと理解しないまま、やっぱり決まり文句を仰いましたね、「異論を受け付けないのか」という決まり文句を。
きっとそう仰るだろうと予想して私はその後ちゃんと理由を説明してますでしょう?→『こう書くと「反論を受け付けないのか」と言われそうですが、反論は受け付けています。但し粘着するな、ということです。でなければ、相手を言い負かすための不毛な議論が延々続くことになりますから。』と。
あなた、これを一切スルーしてますよね。
お読みにならなかったのか、それとも読解力が少々寂しいのか、私にはわかりませんが。
あなたの今回のコメントがまさに「相手を言い負かすための不毛な議論」所謂「ためにする議論」であり、粘着の典型的一例ですよ。
私が書いたことを理解しないで(あるいは読まないで)判で押したように「異論をうけつけないのか」というのは止めてくださいね。
それから私はこうも説明していますよね→『大抵の人は基本、意見発信をしたくてブログを書いているのであって、異なる意見との議論が主目的でブログを書いている人は少ないと思います。
少なくとも、異なる意見との議論を主目的にしていない人にいつまでも議論を強いるような真似は「常識」に反するでしょう。そうは思いませんか? 』
これについてもあなたは読んでないか理解できなかったようですね、残念です。
こうして私が再度おなじ事を書いて説明しないといけない「議論のループ」を建設的な議論とは言いません。
私は建設的でない不毛な議論に時間を費やす気はありませんし、たとえ異論を受け付けてても、そんな不毛な議論で埋め尽くされたコメント欄の政治ブログにあまり高い評価はしませんね。
それから山本七平以下色々書かれていらっしゃいますが、それも右翼ブロガー(とお呼びして良いのかしら)がよく書き込む典型的なコメントですよね。
他人のブログに来て「自分の反論を載せろ、自分が反論することを認めよ。そうでなければ言論弾圧に等しい。」という手合いのコメント。
それ、実は私、ミミタコなんです。で、以前いたサイトでは以下のように説明したら納得したのか、以後二度と反論を受け付けろだのという文句を言わなくなりました。
↓
『他人のブログに来て、そのコメント欄の方針に文句をつけるのは、まるで他人の家にズカズカ土足で入ってきて、オレの「他人の家に入る権利」を許容できないとはけしからん、といってるようなものです。』
>それより悪質なのは、一見、コメ欄をオープンにしているように見せかけながら、都合の悪いコメを恣意的に表に出さなかったり(※編集の詐術)、相手の反論を許さないまま再反論したり、表に出さないくせにその一部を取り上げて反論するようなブログです。
>誰とはいいませんが、こちらのブログにもよくコメント・TBされてますね
↑
いや、未練タラタラなんですね、村野瀬さんに(笑)
>村野瀬玲奈さん
気の毒なほどブーメランがささってますよね・・・
「私のタイプじゃない人」(^^;;;
>いや、未練タラタラなんですね、村野瀬さんに(笑)
以前、一知半解さんは私をナンパするのに失敗していますから。^^
ご本人が以前ご自分のブログに書いた記事によると「ナンパではない」そうです。でも、「ナンパ」でなければなんなんでしょう。ナンパでないなら、さよならして帰ってもいいはずですよね?それとも、私、帰っちゃいけないの?一知半解さんは私に何を無理強いしようっていうんでしょうね?
以前、一知半解さんは私をナンパするのに失敗していますから。^^
ご本人が以前ご自分のブログに書いた記事によると「ナンパではない」そうです。でも、「ナンパ」でなければなんなんでしょう。ナンパでないなら、さよならして帰ってもいいはずですよね?それとも、私、帰っちゃいけないの?一知半解さんは私に何を無理強いしようっていうんでしょうね?
>村野瀬玲奈さん
『コメ禁にした相手が悪いのであってご自分に非はないとお思いでしょうか。何故コメ禁になったか考えられたことはありますか。
あなたを他のブログでもみかけたことがありますが、延々居座ってることがありましたね
「都合が悪い」からコメ禁にしたのではなく、粘着行為にうんざりしたからコメ禁にしたのだと想像してみたことはありませんか 』
↑
一知半解さんには、このように、一度ご自分の行動をを客観的に振り返ってみるよう進言したのですが、華麗にスルーしてひたすら「自分は悪くない、コメ禁にする相手が悪い」の一点張りですもの。
これじゃあナンパされても女性はドン引きですよねえ(笑)
あなたを他のブログでもみかけたことがありますが、延々居座ってることがありましたね
「都合が悪い」からコメ禁にしたのではなく、粘着行為にうんざりしたからコメ禁にしたのだと想像してみたことはありませんか 』
↑
一知半解さんには、このように、一度ご自分の行動をを客観的に振り返ってみるよう進言したのですが、華麗にスルーしてひたすら「自分は悪くない、コメ禁にする相手が悪い」の一点張りですもの。
これじゃあナンパされても女性はドン引きですよねえ(笑)
さすが村野瀬さん(笑)
>一知半解さん曰く
ちなみに、コメ欄の扱いで、その政治系ブログの評価が定まると私は思ってます。 その評価基準は、自分の主張に対する異論を許容できるか否かということです。
山本七平が、日本軍が同胞におかした罪悪のうちもっとも大きなものは「(反論する)言葉を奪った」ことだと指摘していますが、異論を許容しない人間ほど、日本軍の悪しき体質を表していると言ってよいと思います。
要するに、異論を許容できない人間というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターであるということです。
>村野瀬さん曰く
「日の丸君が代を強制しないでほしい」という異論を許容できない日の丸君が代強制論者というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターである。
一知半解さんのコメ読んで村野瀬さんとまったく同じことを思いました。さすが村野瀬さん見逃さなっかったようで(笑)個人のブログで「もうけっこう」と拒否されるのと権力側が敬礼しろ歌えさもなければ・・・ってどっちが日本軍同様の扇動家なのさって感じです。
ちなみに、コメ欄の扱いで、その政治系ブログの評価が定まると私は思ってます。 その評価基準は、自分の主張に対する異論を許容できるか否かということです。
山本七平が、日本軍が同胞におかした罪悪のうちもっとも大きなものは「(反論する)言葉を奪った」ことだと指摘していますが、異論を許容しない人間ほど、日本軍の悪しき体質を表していると言ってよいと思います。
要するに、異論を許容できない人間というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターであるということです。
>村野瀬さん曰く
「日の丸君が代を強制しないでほしい」という異論を許容できない日の丸君が代強制論者というのは、日本軍同様の扇動家・アジテーターである。
一知半解さんのコメ読んで村野瀬さんとまったく同じことを思いました。さすが村野瀬さん見逃さなっかったようで(笑)個人のブログで「もうけっこう」と拒否されるのと権力側が敬礼しろ歌えさもなければ・・・ってどっちが日本軍同様の扇動家なのさって感じです。
政治ブログの価値
>コメ欄の扱いで、その政治系ブログの評価が定まる
矛盾に満ちた詭弁のようなコメントにブログ主が賛同しているようだったら、その政治系ブログの評価はワタシ的には低くなります。秋原葉月さんもひろとさんもそう思いますよね。^^
矛盾に満ちた詭弁のようなコメントにブログ主が賛同しているようだったら、その政治系ブログの評価はワタシ的には低くなります。秋原葉月さんもひろとさんもそう思いますよね。^^
コメ欄の扱いで、その政治系ブログの評価が定まる
熱湯浴のスーパーアイドル(笑)だったころ、矛盾に満ちた詭弁のようなコメントに延々つきあうのは「何一つ生産的なものはなく、何の意味もないものだ」ということをイヤというほど学びました。
かなりエネルギーを消費するのにダイエットにもなりゃしませんし(笑)
かなりエネルギーを消費するのにダイエットにもなりゃしませんし(笑)
再びおじゃまします。
ものすごく詳しく書かれているのでまたお邪魔しました。あまりにも量がおおく全部読めていなくてずれてたらすみません。
うちの印象はなんか噛み合ってないようにみえます。
国旗国歌か人かというのがどこかにありましたが、曰く付きの国旗国歌より強制推進の一部の人が怖いです。
指摘のとおり多くの国は負の歴史もあるでしょう。それをなつかしむような言動の方がいるのが不安です。
そう言う人に限って他者には義務をいい服従求め、自分に課せられるルールには認めないようなので。
うちの印象はなんか噛み合ってないようにみえます。
国旗国歌か人かというのがどこかにありましたが、曰く付きの国旗国歌より強制推進の一部の人が怖いです。
指摘のとおり多くの国は負の歴史もあるでしょう。それをなつかしむような言動の方がいるのが不安です。
そう言う人に限って他者には義務をいい服従求め、自分に課せられるルールには認めないようなので。