主権者の育て方(ドイツ編)
- 2017/10/29
- 07:00
「選挙で多数をとれなかった負け組は、何か言いたかったら次の選挙で勝ってから言え」という「自民党が言うところの民主主義」が本来の民主主義だと思ってる人に読んで欲しいです。
●ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由
まず役所、次に地元紙、それでもダメなら?
http://toyokeizai.net/articles/-/193857
選挙のたびに話題になるのが、投票率。日本では「若者の政治離れ」が問題視されて久しいが、昨年6月から選挙権年齢が「満20歳以上」から「満18歳以上」に引き下げられたことで、若者の政治参加を促す必要性は増している。
諸外国に目を向けると、若者による政治参加が活発な国として挙げられるのがドイツだ。言論の自由をおびやかすようなことがあると集会などがすぐに起こり、デモクラシー(民主主義)の健全性に敏感なお国柄である。日本との差は何によって生まれているのか。その1つに幼少期から受けている政治教育がある
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小学生が「デモの手順」を学校で学ぶ
政治に限らず、ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。発言の有無が成績にもつながるため、堂々と意見を表明することが「ごく普通」に身に付いている。喋る中身は玉石混交だが、何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている。デモクラシーの基本は他者との自由な議論だが、その土壌が小学校から作られる。
また、小学校で「抗議から社会運動までの手順」を学ぶ機会もある。たとえばマンホールから異臭がするという問題があれば、「まず市役所に言う。それで解決しない場合は地元紙の『読者の手紙』へ投稿する。それでもだめなら、社会運動を行う」といった内容だ。
子供向けチャンネルのテレビ番組でも、町の公園に問題があると、子供たちが市長や行政の担当部署に掛け合うというようなことをドキュメンタリー番組で放送している。番組では最終的に改善される場合も、できない場合も紹介される。
(引用ここまで)
「デモは民主主義への冒涜だ」と仰る皆さん、いかがですか?
小学生にデモの仕方を教えているドイツは、民主主義を冒涜しているのでしょうか?
日本で子ども連れでデモに参加すると、子どもを政治利用してるとか、子どもが可哀想だとか非難する人が結構いますが、それもドイツでは、というより日本以外では誰も理解してくれそうにないですね
『ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。』
『何でも発言できること、そしてそれが排除されないことが徹底されている。デモクラシーの基本は他者との自由な議論だが、その土壌が小学校から作られる。』
日本は小学校でこんな土壌を養ってるでしょうか?
「ドイツの教育はとにかく「喋る」ことに小学校から重点をおく。」
— KoichiroKOKUBUN國分功一郎 (@lethal_notion) 2017年10月27日
日本の教育はとにかく「静かにする」ことに小学校から重点を置く。
ドイツの小学生が「デモの手順」を学ぶ理由 まず役所、次に地元紙、それでもダメなら?東洋経済オンライン https://t.co/3knqTj4iYL
「静かにする」という表現は、まだソフトだと思う。
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2017年10月27日
日本の教育はとにかく「黙る」ことに小学校から重点を置く、ではないか。考えが次々と頭に沸いてくるのに「黙る」のはストレスが溜まる。従って「黙る」ためには「考えない」が最良の策となる。https://t.co/uxL4N96zN6
全体主義やファシズムは、自分の頭で考える人間を嫌い、上からの命令を鵜呑みにする思考停止の人間を好みますね。
では以下、記事の続きの内容をかいつまんでみます(リンク先もお読みください)
ドイツの中学、高校(ギムナジウム)でも政治教育は引き続いて行われます。
ギムナジウムで学ぶ倫理やドイツ語、歴史、経済、社会といった科目は、現在世界で起こっていることと関連付けて学ぶカリキュラムとなっている。
そのため、中学生に相当する学年の授業でも、教員が各政党の政策をコンパクトにまとめた雑誌の記事のコピーを前もって配布し、それを参考にしながらどの政党を選ぶか考える授業もある。これは歴史の教科での話だ。
ドイツの政治教育の大原則は
「生徒が自由に発言し政治的に成熟できるよう、教員が生徒を圧倒しないこと」
「実際の政治で議論があることは、そのまま授業でも扱うこと」
「生徒が自分の関心や利害をもとに政治参加できるよう、能力を取得させること
生の政治を授業で取り上げ、生の政治に参加できる能力を身につける教育を行っています
スウェーデンでもノルウェイでも実在の政党の議員や候補者を呼んで話を聞いていますね
日本では、どの政党がどういう政策を主張しているのかという生の政治を教えているでしょうか?政党の議員や候補者を学校に呼んだりするでしょうか?
もしそんなことを日本でやったらニュースになりそう。そして学校を非難するコメントが来そう
でも、与党党首が学生に囲まれて質問攻めにあっている光景は、是非見てみたいですね
きっとこんな返答しかできないんじゃないでしょうか(笑)
↓
「いわば、私は総理大臣なのでありまして、私が総理大臣である中に於いて、その中に於いてですね、私が総理大臣であることは、事実、であると同時に、大切なことは、この、私が総理大臣であることであって、これは、まさに、私は間違いなく、総理大臣なんだろう、と、このように思う次第でございます」
— buu (@buu34) 2017年1月31日
そしてドイツでもスウェーデンと同じく、選挙権を持たない若者の投票が行われます
それからこれは意外と盲点ですが、歩行者ゾーンや広場の使い方です
若者が政治を身近なものと感じるきっかけとして、広場や歩行者ゾーンも重要な役割を果たしている。たとえば選挙期間中の週末には、各政党が市街地の歩行者天国になった道路や広場で情報ブースを設置し、党員や候補者が道行く人に政策を直接紹介し、対話を行っている。そこには過剰な握手やアピールはなく極めて自然体で、一見すると世間話をしているような雰囲気だ。また、選挙期間かどうかは別に、デモや集会もよく見かける光景だ。
いうなれば公共空間が政治的な言論空間になっているのだ。日本では公共空間での政治活動といえば、選挙カーや右翼の街宣カー、昔の学生運動の過激な映像を想像するのか、拒否感をおぼえる人も少なくない。しかし、ドイツでのそれは拡声器でがなりたてるようなことはほとんどないし、暴動のような様相にもならない。
若者も足をとめるようですし、
拡声器での応援演説を一方的に聞かされるよりも、「誠実な対話」があり、政治と日常が乖離していない社会の姿として印象的だった。
日本でこれやったら、公職選挙法にひっかかるのかしら?どうなんでしょう?
話は少しそれますが、そもそも日本の都市にはヨーロッパような広場~誰もが行き交うフリースペースで思い思いの発信をして意見を交わす公共の空間がありません。そういう都市作りがなされていないのも、市民の中から民主主義が育ちにくい一因かもしれません。(これに関してはまた別エントリーを書けると良いなと思っています)
公共の空間では政治に限らず、自由に文化の発信ができることも大事だと思います
しかし日本ではほとんど広場がないので、しかたなくストリートミュージシャンや大道芸人なんかは路上にいくことになるのですが・・・
●「池袋の路上アーティストたち、気を付けて」 警察に連行されたミュージシャンの「警告ブログ」が波紋
https://www.j-cast.com/2014/12/02222255.html?p=all
日本では、通行の邪魔、うるさい、聞きたくない人には迷惑、などの理由でどんどん自由な発信が制限されていきます。日本のお家芸とも言える「他人に迷惑をかけるな」という御旗によって。
本当に息苦しく、精神が貧困になりそうです。
話を元に戻します。
ドイツでは労働時間が短く時間のゆとりがありますから、政治について考える余裕を持つことができます。
ドイツ人は4時には仕事終わりだそうですよ
午後6時以降は仕事メールNGのドイツ。
— かばさわ洋平 (@ykabasawa) 2016年5月17日
派遣社員は賃金10%上乗せのフランス。
帰宅ラッシュは4時〜5時のデンマーク。
世界を知り、日本を知ろう。そして人間らしく働ける社会を実現しよう。 pic.twitter.com/2wD8vpvlUc
しかし日本では残業低賃金休み無しで働かされすり減らされて、考える時間も気力もありません
安倍内閣の「働き方改革」が進められたら、もう死んでしまいそうです(赤旗日曜版こちらを参考に)
ドイツでは政治が自分たちの身近な問題としてごく自然に受け入れられていく環境があり、教育がありますから、日本みたいに政治の話、興味ない、ダサイ、話題を避ける、タブー、という空気はうまれようがないだろうな、と想像できます
こうして、思考停止にならず、自分の頭で考え、少数派はだまっていろと言われることもなく、常に主体的に政治に関わっていくメンタリティが一人一人に備わっていくのですね。
もちろん彼らは、「自民党がいうところの民主主義」など民主主義ではない、「デモは民主主義への冒涜」なんて寝言は寝てから言え、ときっぱり拒否するでしょう
第二次世界大戦まで同じファシズム国で、戦後は民主主義国として出発したドイツと日本ですが、一体どこでこんなに明暗が分かれてしまったのか・・・
骨の髄まで皇民教育、臣民教育がしみこんでいた日本では、民主主義をよく理解し、教えていける大人達がほとんどいなかった、ということなのでしょうか
何度でもしつこく書きますが、民主主義を担保できるのは、議会とか選挙とかいった公的制度(ハード)ではありません
こういうメンタリティ(ソフト)をもった主権者を育てることが民主主義を維持する源なのです。
憲法12条はその義務を国民に課しています
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