1世紀走り続けたJR北上線 鉱山の繁栄を支えた鉄路…

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 JR北上線が全線開通してから、15日で100年を迎えた。北上駅(北上市)から横手駅(秋田県横手市)までの計15駅(61・1キロ)を約1時間20分で結ぶローカル線。沿線住民や観光客を乗せて、有数の豪雪地帯や奥羽山脈の四季折々の自然の中を走り抜けてきた1世紀を振り返った。

 1924年(大正13年)11月15日。北上線は、「横手駅」と「黒沢尻駅(現・北上駅)」の頭文字から取った「 横黒おうこく 線」の名で全線開通した。

 その原点となったのは07年に開通した和賀軽便鉄道。当時は、現在の北上市西部から西和賀町にかけて水沢、綱取、仙人、大荒沢など多くの鉱山があった。銅や鉄などの産出をなりわいに多くの人々が居住し、仙人には製鉄所もあった。軽便鉄道は鉱石や、できた鉄を仙人製鉄所から黒沢尻駅へ運んだ。当初は人力、その後は馬力だったという。

 北上市和賀地域の歴史に詳しい元教員の菊池篤さん(83)は「軽便鉄道は鉱山には不可欠な存在だった。軽便鉄道の実績は横黒線のプラスになった」と考える。

昭和30年頃の横黒線の蒸気機関車(岩沢駅近くで)=早川さん提供
昭和30年頃の横黒線の蒸気機関車(岩沢駅近くで)=早川さん提供

 世界的な金属需要の高まりから16年、沿線に数多くの鉱山がある横黒線の建設が国会で決まった。横黒線として全線開通した後は、貨物列車としてだけでなく、沿線住民の足として生活を支えた。

 岩沢駅(北上市)の近くで生まれ育った岩沢自治会長の早川英信さん(76)は、55年頃の駅の光景が目に焼き付いている。「(貨車に積み込む作業をするための)引き込み線があって、当時は銅の採掘は終わっていたが、代わりに石こうでにぎわっていた」

 横黒線は66年に北上線に改称。翌年には蒸気機関車の走行が終わった。隣駅まで列車に揺られ中学に通った早川さんは「途中でディーゼルになり、煙が車内に入ってこなくなった」と当時を懐かしむ。

 時代は移ろい、安価な輸入鉱石に押されるなどして、一帯の鉱山は70年代までに閉山した。今ではわずかに遺構が残るのみだが、時代を映す遺構の存在に改めて注目が集まっている。

ツアーで巡る水沢鉱山の煙道の遺構=北上巣箱提供
ツアーで巡る水沢鉱山の煙道の遺構=北上巣箱提供

 北上市を中心に人や自然とふれ合うツアーを企画する「北上巣箱」は、5年前から春と秋にそれぞれ1か月間ほど、水沢鉱山の遺構を巡るツアーを開催。岩沢駅の展示品で鉱山について学んだ後、土台の跡が残る劇場や製錬所などを巡り、実際に触れてもらう。

 深津咲奈代表(34)は静岡県出身。地域おこし協力隊員として北上市に来て水沢鉱山にひかれた。「現在の山中に、かつて3000人以上が暮らし、劇場や小学校もあった。調べるほどロマンを感じた」といい、「鉱山が北上の一つの時代を支えたことを知ってほしい」と思っている。

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6005894 0 北上線100年 2024/11/15 05:00:00 2024/11/15 05:00:00 /media/2024/11/20241114-OYTAI50012-T.jpg?type=thumbnail

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