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生成AIと大学教育:2026年1月の雑感

1.
前回

 

2.
この問題は、まず第一段階として、「フェアな成績評価が成り立たなくなる」というものがある。例えば英作文の課題。ある学生は自分で書き、別の学生はAIに書かせる。AIに書かせたものの方が評価が高くなる。これは公正じゃない。なんとかしなければ。

 

3.
これに対する第一段階の対応として、「成績評価を教室での筆記試験・実技試験で行うようにする」がある。教員の監視下でAIを使っていないことを確認しましょう、ということですね。実際、多くの大学教員は、これまでレポート課題で成績評価していた授業を筆記試験に切り替える、ということをやっている。

 

4. 
しかしここで、第二段階の問題が生じる。英作文やレポートや、あるいは卒業論文など、「時間をかけて書く作業を行う課題」は、これまでの大学教育のカリキュラムに深く深く埋め込まれていた。一年生の授業から四年間、分野を問わず何らかの形でそういう課題が出されていた。それは、時間をかけて書くという作業に重要な教育効果が見出されていたからである。しかしその、「書くために考える」ことを学生がAIに丸投げするようになってしまうと、大学が提供するはずだった学修体験が致命的な部分で空洞化しかねない。この問題は、「レポートを筆記試験にする」では解決しない。

 

5.
というわけで、本当に考えなければいけないのは「カリキュラムをAIネイティブ時代にどう対応させるか」ということなんである。カリキュラムを通して、どのように学生自身の知的スキルと、AIの活用スキルを同時に向上させることができるのか。そのためにはどのような種類の課題が有効なのか、それをカリキュラム上でどの位置に配置していくか、などなど。

 

6.
なんですが、現状の大学組織でこのような方向に話が進む見込みは全然ない。殆どの場合、学部学科や大学全体の意思決定に関わるような人々は、「AI?禁止すればいいでしょ?」くらいの認識だからである。個人個人の教員が自分の担当授業で様々な工夫や苦労を重ねても、それがカリキュラムのレベルまでフィードバックされる道筋がまったくないし、作ろうともしていない。

 

7.
なので、大学レベルの対応としては、「ハルシネーションにちゅういしましょう!あとはたんとうきょういんのしじにしたがいましょう!」みたいなガイドラインを作っておしまい、になってしまう。悲観的な予測をすれば、大学がそういう程度のことで仕事したった感に浸っているうちに、大学教育の空洞化は取り返しのつかないところまで進むだろう。