産婦人科医不当起訴関連

(何度か追記しています)

<福島県立病院>産科医逮捕・起訴 死亡事故が思わぬ波紋(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060311-00000098-mai-soci

 県立大野病院の作山洋三院長は「当初は(届け出が必要な)医療過誤と考えなかった」と説明するが、福島地検の片岡次席は「医療過誤でないから届け出ないのは誤った法律の解釈」と批判する。患者団体「陣痛促進剤による被害を考える会」(愛媛県今治市)の出元明美代表も「医療ミスの有無を第三者が確認するためにも広く解釈すべきだ」と訴える。
 一方、医療問題弁護団の鈴木利廣代表は「今回の逮捕には、異状死の疑いがある事案をすべて警察に届けさせるという国策的な意図を感じる。刑事罰を科すのは誰もがひどいと思う事故に限定すべきで、警察権力を中心とした医療安全づくりは間違っている」と指摘している。

「誤った法律の解釈」と言いますが、こんなにも統一見解の出ない法律自体に問題があるのであって、そんなあやふやなもので裁くほうに問題があると思います。弁護団の見解を全面的に支持します。

大野病院医療ミス:副院長クラスの検討組織、解決策など協議へ−−県病院局 /福島(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060311-00000104-mailo-l07

◇産婦人科医起訴受け
 帝王切開手術の女性が大量出血で死亡した事故で、執刀医である県立大野病院の産婦人科医が10日起訴されたのを受け、県病院局は、すでに設置を決めている副院長クラスで構成する検討組織で、それぞれの病院から問題点や改善策のアイデアを集め、協議する方針を明らかにした。
 改善策としては、現在各病院で医療事故防止マニュアルの再点検を実施しているほか、リスクの高い症例に関しては、複数の専門医によるチーム医療を徹底し、安全を確保するよう指示している。
 病院局はこの日の起訴を受け「引き続き医療の安全確保に努め、再発防止に全力を尽くしたい。遺族とは補償の話し合いを誠意を持って継続していきたい」との茂田士郎・病院事業管理者のコメントを発表した。

 ミスというタイトルが無理解の象徴です。改善策は結構ですが、あなたがたの無策の中で頑張っていた医師は結局人身御供なのでしょうか。

逮捕の波紋:大野病院医療事故/上 産婦人科医の衝撃 /福島(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060311-00000103-mailo-l07

◇「僕だって同じ判断を」−−「教科書通り」の手術なし
 「手術が教科書通り進むことなんてない」。県立医大産婦人科学講座の佐藤章教授は力説した。起訴された医師は佐藤教授の弟子だ。
 04年12月17日の事故から1週間後。佐藤教授は医師を大学に呼び、直接事情を聴いた。医師は落ち込んだ様子だったが、手術の経過について冷静に答えたという。説明からは、逮捕されなければならないような重大な医療過誤とは思わなかったという。
   ◇   ◇
 県の事故調査委員会は昨年3月、女性(当時29歳)の死因を「癒着胎盤の剥離(はくり)による出血性ショック」と結論づけた。報告書では、女性は胎盤が子宮内部の筋肉に強く付着する癒着胎盤だったため、医師は胎盤を子宮から手ではがすことができず、手術用はさみで無理に剥離させたことが大量出血をまねいたとしている。医師不足で、医師の応援体制や輸血対応の遅れも要因として指摘した。
 報告書発表の際、調査委委員長の宗像正寛・県立三春病院診療部長(現院長)は「胎盤の剥離が難しい時点でやめていれば助かる可能性は高かった」と述べた。手術用はさみで胎盤をはがす方法も通常あり得ないとも指摘した。
 だが、佐藤教授の見方は異なる。手術用はさみで切ったのではなく、そぎ落としたもので、このケースで使用するのはありうるという考えだ。「手ではいで傷口の表面積が広くなるよりは合理的な決断とも言える」との見解も示した。

<医療事故防止>医師への聴取や調査に強制力 厚生省方針(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060311-00000017-mai-soci

 繰り返される医療事故を防ぐため、厚生労働省は医師や歯科医師に対する行政処分を強化する抜本的な体制整備に乗り出す。医師法などを改正し、これまで任意で行ってきた医師への聴取やカルテなどの提出、医療機関への立ち入りを強制的にできるようにする。拒否すれば50万円以下の罰金を科す。

 厚労省はこれまで刑事事件で有罪が確定したケースなどに限って医師らを処分してきたが、02年12月に民事裁判で過失が認められたケースも処分対象とする方針を決定。05年3月、旧富士見産婦人科病院事件で元院長の免許を取り消す処分などを行い、初適用した。

 厚労省は今国会で医師法と歯科医師法を改正し、任意調査から強制調査に切り替える。さらに改正法の施行を予定している07年度からは厚労省本省の担当職員を増員するとともに、全国の地方厚生局(7局1支局)にも医師資格を持った担当職員を順次配置する。

このタイミングでこういう動き。とりあえず厚生労働省は、「本当の医師」と関わって制度づくりをすべきだと思います。単に医師免許を持っているというだけでほとんど臨床経験のない人だけ入省させたって、現場の医師の見地は全く届きません。また、本来、医療事故なども含めて、厚生労働省が監督すべきであって、安易に警察を介入させるというのは、医療先進国としては恥ずべきことだと思います。

産科医起訴/適切な処置とらず(朝日)

http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000603110003

 福島地検の片岡康夫次席検事は、「術前で『付着』に気づいた時点で罪に問うているわけではない。手術中、手ではがれなかった時点で子宮摘出に移行すべきだった」とする。
 医師法違反の罪について、片岡次席は「大量出血すべきでない状況で大量出血しており、過誤に関係なく、異状死と認識できる」とした。「異状死」について定まった定義はないが、「判例や実務でとらえられている通常の法律解釈に基づいて異状死と判断した」と述べた。

 専門家がこぞって「完全正解ではなかったかも知れないが、妥当な判断、適切な処置」と判断しているのに、医療の素人が何を持って「子宮摘出に移行すべきだった」と言うのでしょうか。確かに、すみやかに子宮摘出に移行することで母体を救命できた可能性はあがったのかも知れません、そうしても命を失ったのかも知れません。ただ、産婦人科医が各所で見解を述べているように、癒着胎盤というのはそもそもはがしてみないと診断のつかないものであり、子宮を温存しようと剥離を試みたところ、大出血してしまったということです。これを否定するならば、産婦人科医は剥離を試みて出血させるのを防ぐため、高い頻度で子宮摘出を行わなくてはいけなくなります。検察の主張を受け入れるのならば、少なくとも、民事で何度となく争われている、「子宮摘出への賠償」は一切認められないことになりますね。それらは「大出血のおそれがあったので、子宮を摘出した」ものですから。

医者の逮捕はけしからん(読売)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news001.htm (既に別のニュースになってしまいました)

 一方、事故調査委員会が「癒着胎盤の無理なはく離」を事故の要因とし、医療ミスと認定しているのは明白な事実。「医療事故情報センター」(名古屋市)理事長の柴田義朗弁護士は「あまり情報がないまま、医者の逮捕はけしからんという意識に基づく行動という気はする」と指摘する。

 片岡康夫・福島地検次席検事は10日、逮捕や起訴の理由について説明し、「はがせない胎盤を無理にはがして大量出血した」とした上で、「いちかばちかでやってもらっては困る。医師の判断ミス」と明言。手術前の準備についても「大量出血した場合の(血液の)準備もなされていなかった」と指摘した。

「あまり情報がないまま」ではありません。今までの医療事故とは明らかに違うものであり、情報を分析した結果、あれだけの抗議に動いたのです。再三述べていますが、医者も、不誠実な医者の存在は苦々しく思い、糾弾されるべきと考えています。自分が真っ当に働いても、同業者の不誠実な行動によってまとめて非難されることは、多くの医者が避けたいと考えるわけです。
 今回は、「医者の逮捕はけしからん」と言っているのではありません。医者であるなしに関わらず、刑事罰に相当するとは思えないものを、不当に逮捕していることに抗議しているわけです。
 あと、「いちかばちかで」とおっしゃいますが、医療行為には少なからず「いちかばちか」という部分があると思います。

(追記:弁護士の発言は、マスコミによって誤って要約され、本来の意味とは異なった表現をされている可能性が高いようです。マスコミを一方的に悪者にしようとは思いませんが、意図的にせよ、そうでないにせよ、影響力のあるメディアが、ある人の発言として、誤った報道をするというのはまずいことだと思います。事前のチェックが、言論統制や検閲にあたるというのであれば、せめて、後日同じメディアに訂正記事を報道してもらう権利があるのではないかと思います。)

刑法38条

第38条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

 業務上過失致死というのはそもそもが刑法の例外規定であり、その適応は慎重であるべきだと思います。また、今回の産婦人科医逮捕・起訴の根拠の一つ、医師法21条違反ということについては、そもそも広く社会でいままでも再三その一定しない定義について議論されてきたのに、統一の見解がないままであり、臨床家の多数派の意見として、今回の死は異状死ではなく、病死でした。それを「誤った法律の解釈」だとして罰するのはおかしいのではないでしょうか。法律に関しては素人ですので、誤解があったらすみません。専門家の意見は謙虚にきこうと思います。ですから、法律家も医療の専門家の意見を謙虚にきいて頂きたいと思います。

福島県の産婦人科医逮捕、広がる波紋(ライブドア・PJニュース)

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1769286/detail

 ここで不思議に思うことは、すでに05年4月に同院に対する強制捜査・証拠書類の押収が行われており、また、福島県も事故調査を行ったうえで報告書を作成し、同容疑者の判断ミスを認めて遺族に謝罪した上で、6月には同容疑者を減給1カ月の懲戒処分、病院長を戒告処分としているということだ。また、同医師はその後も大野病院唯一の産婦人科医として献身的に勤務し続け、逮捕当日も診療中であったとのことである。このような状況の中、なぜ約1年も経過した現在、この医師の身柄を拘束しなければならなかったのだろうか。同容疑者の逮捕後、県立大野病院では同医師に代わる常勤医を確保することができず、入院者には転院先を紹介するとともに、外来は11日から休診することとになった。

 東京地検は4年前から同地検刑事部に医療専門捜査班を新たに設置して医療過誤事件の捜査に当たらせているが、そもそも高度な医療行為の内容に関わる是非を司法の判断に委ねるのが適正なのだろうか。既成事実を積み重ねて判例を築き上げてしまう前に十分な議論を尽くしていく必要があるように思われる。
パブリック・ジャーナリスト 和田牧夫【東京都】

おおむね僕らの考えと一致した報道です。このジャーナリストの個人見解であるという注意書き入りでした。

逮捕の波紋:大野病院医療事故/中 医師法21条の解釈 /福島(毎日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060312-00000105-mailo-l07

 医師が診療行為に絡み業務上過失致死容疑で逮捕されるのはきわめて異例だ。97年以降からデータをとっている警察庁によると、今回のケースを含め、01年3月の東京女子医科大学病院で起きた心臓手術、02年11月の東京慈恵会医科大学付属青戸病院で起きた前立腺がん摘出の腹腔(ふっくう)鏡手術の医療事故の3件に過ぎない。
 「今回(県立大野病院)の事件は『青戸』に似ている」と、県警幹部は指摘する。青戸病院の事故は、泌尿器科の医師3人が業務上過失致死容疑で逮捕された。千葉県の男性(当時60歳)に、前立腺摘出の腹腔鏡手術をした際、止血や輸血が不十分だったため、大量出血となり、1カ月後に死亡させた疑いが持たれた。
 当時、同病院でこの手術は初めてだった。逮捕された医師は調べに対し、「高度先進医療をやってみたかった。自分たちで研究して問題点を探したかった」と供述した。
 起訴された医師は癒着胎盤という症例の少ないケースの手術は初めてだった。ともに、経験のない症例の手術だった点では、共通点がある。ただ、医師が難度の高い手術にあえて挑もうとしていたとは医療事故調査委員会の調査報告書や関係者の証言からはうかがえない。
 福島地検の片岡康夫次席検事は、手術について「一生懸命やっていたのは間違いない」としつつも「判断ミスがあった。手術には危険なものはいっぱいある。そういう手術をやるならやるで、万が一の備えをしなくてはならない」と指摘した。

 青戸病院事件とは状況が全く異なるというのは、僕も含め、多くの医療系テキストで何度も綴られています。ここにきてなお、こういうことを報道するのは、県警幹部に全く理解力がないか、分かった上で、敢えて世論操作をしているのか、どちらかしか考えられません。県警は、青戸病院の事件で、今回のような大々的な抗議活動が起こらなかった理由を説明して下さい。
(補足:慈恵医大青戸病院の事件も、構造上の問題や、手術手技とは別に輸血が適切に行われなかったことなど、医師個人の責任とは言い切れない部分もあるという主張があります。報道されてはいない事件の詳細を知ることにより、青戸病院の事件も、単純に医師個人をバッシングはできないという思いに変化しつつあり、前述のような表現は適切ではないかも知れません。ただ、当時の僕の認識が、報道や世論と同様に前述の如くであったことは確かですので、原文は残しておきます。大野病院の事件は、こうした過去の事件まで含めて、冷静にいろいろと考えるきっかけとなっています。)

戦うときに大切なこと

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2006/03/post_333.html

戦うときに一番大事なのは、相手の面子をおもんじることだ。

勝つことに力を尽くすのはもちろん大切なのだけれど、それよりも「相手が負けやすい環境」を作ることに力を入れる。解決はそれだけ早まる。

全面戦争の末の勝利は気分がいいけれど、致命的な禍根を残す。

味方というのは一時のものだけれど、敵は一生のものだ。

負けた者の面子というのは、しばしば命よりも重い。

警察 vs 医者という側面から見た今回の事件。どう考えても医療者側には非はない(民事はともかく、刑事ではないと思う)けれど、医療者側が勝ったら警察の面子は潰れる。

復讐はなされなくてはならない。相手の「象徴」となった人物をつけまわして、何かの罪を探す。痴漢とか、万引などの軽犯罪なら最高だ。ネガティブキャンペーンの効果は、こうした恥ずかしい犯罪の法が効果的。

疑い病名さえ付ければなんだってありなのは、医療の業界だけではない。医者が病名をつけるプロならば、警察だって罪名をつけるプロだ。なんだってあり。少なくとも自分が警察のえらい人なら、迷わずそうする。

闘争の規模がどんどん大きくなっている現状。「建前」の部分だけ見ると、「勝つ」努力は見えていても、「負けやすくする」努力は見えない。

大切なのは水面下
この闘争で大切なのは、医療従事者の司法独立性を勝ち取ることとか、疲弊しきった地域医療の体制の不備を国民に訴えるとかじゃなくて、警察に連行された産科の先生に、一刻も早く日常臨床に復帰してもらうことだ。

できることなら、以前よりも少しだけいい条件で。

警察の思惑はなんだったのだろうか?

一人の逮捕を通じて、医者全体に警告をしたかったのか。それとも、告発者家族に、誰か謝るべき相手が他にいるのか。

警察だって、人が動かす組織だ。誰かに何らかの意図があるから、法律を解釈して、組織が動く。

表に出てくる話だけでは、意図というのは絶対に分からない。

医療従事者の目的が、全面戦争じゃなくて当事者の先生の日常の回復(ですよね?)にあるのと同様、警察サイドにも「被告を刑事告発する」以外の意図は、当然あるはずだ。

 いつもながらはっとさせられるテキストです。全面対決というのは、確かに当事者をとても苦しめる結果にも繋がるし、現実問題としては、正しいとか正しくないとかいうことだけで決着をはかるのではなく。何らかの落としどころを探すというのは非常に大切なことだと思います。
 しかし、起訴されてしまった時点で、この落としどころを探すのが非常に難しくなってしまったことは事実です。そして、みんなが不幸になる全面対決を避けようとするために、医師たちが、今まで呑み込み続けてきた不満を一気に爆発させてしまっています。こういう闘い方は、医療者の多くは、決して望んではいなかったのだと思うのですけれど。

みんな腐っていくぜ!

 昨日は大学時代に所属していた部活動の「卒業生を送る会」でした。出席したOB・OG全員が祝辞を述べる時間を与えられるのですが、ここしばらく、僕の心の中は「大野病院事件」で一杯でしたので、おおむね次のような言葉を述べさせてもらいました。
「みなさんには、是非、今の気持ち、純粋に医療に邁進していこうという気持ちを大切にして頂きたいと思います。ただ、昨今の情勢をみていると、性善説だけではうまくいかない、おかしな社会になっていることも確かです。極端に保身に走って、自分の理想とする医療が行えないのでは本末転倒ですが、是非、アンテナを高くして、いろいろな状況を知って、必要な防衛はして頂きたいと思います。これは、みなさんや私が、医療界の中心になっているであろう10年後、20年後に、医療システムが崩壊してしまっているというような悲惨なことを避けるためには必要かと思います。もちろん、医療行為を行うためにということではなく、我々が患者になったときに、きちんとした医療を受けるためにも必要なことです。おめでたい席で、出鼻をくじくようなことを申し上げるのは少々ためらわれましたが、善意だけで突っ走っても必ずしも報われるわけではなく、場合によっては不当な扱いを受けるという、おかしなことがおきている医療界へ飛び込んでいくみなさんには、心に留めておいて頂きたいと思い、お話ししました」
全体に向けての言葉では、直接的に事件には触れなかったので、論点がなんだったのか、わかりにくかったとは思います。その後、個人的に会話する中で、少しこの話題に触れたりもしました。
 同様に祝辞を述べたOBの中で、ある研修医は「去年、この場所で見送られるとき、期待が2割、不安が8割だったけれど、実際に働いてみたら、良いことが2割、嫌なことが8割くらいでだいたい予想通りでした。でも、人間、良いことが少しでもあれば頑張れるもので、みなさんも、部活動を通して築いた良い人間関係や、良い思い出を大切に、これからの生活を頑張ってください」と、前向きなんだか後ろ向きなんだかわからない発言をしていました。
 でも、医者ってだいたいこんなもんかも知れないな、と思い返してみました。普通の社会人が特に疑問も感じずに、毎週土日の休みを貰っている中、自分の体調をおしてまで当直病院にでかけ、場合によっては自分より軽症の患者を診たりして、月に1回くらい完全フリーの休日なんてもらった日には、「こんなに幸せなことがあっていいんだろうか」なんて思ったりするんです。病棟で患者を受け持っていたりすると、そもそも「休んでいいよ」と言われてもなんとなく罪悪感があって、遊びに出かけても、病棟のことが気になって仕方がなかったりするものです。日本の医者の多くは、こういうことを美徳として頑張ってきました。いつしか、そんな自己犠牲が当然のことのように思いこまれてしまっていました。
 僕は、今回の事件以前より、医者の労働のおかしさについて愚痴ばかり吐いてきました。そもそもペーペーの分際で、休みが欲しいとか、仕事が辛いとかいうことを嫌う先輩医師も多くいますし、コンビニ化した救急外来に苦言を呈するのを「医療不信が進むから、そういうのを一般の人に言うのはやめろ」と諫められることもありました。じっと耐えた結果が逮捕だと分かった今、そうして耐える美徳を守ってきた医者たちも、とうとう怒りだしているわけですが。
 さて、ある後輩小児科医に、先述の研修医の発言を受け「辛いの何割?」と尋ねたら、「私は10割です」と答えていました。この小児科医は、僕の知る限り、僕の数倍忍耐強く、患者に優しく、理不尽な状況にもにこやかに応じ続けていた良くできた人間なのですが、その彼女に「辛いこと10割」と言わせてしまう現状。彼女の病院では、大野病院事件が医局会でもとりあげられて話題になっていたそうですが、やはり、そのニュースで相当働く気力を失ったと言っていました。普段激しい言動のない彼女をして「懸命に医療の前線に働いている者に対する侮蔑だ」と言わしめるのです。