北米生活

 北米にやって来て既に一年が経過しました。海外流浪の生活が始まってからはいつの間にか10年ほど経過していて、既に「海外で暮らすこと」自体は刺激のある非日常ではなく、淡々とこなす日常となって久しく、何年かごとに任地が変わるとはいえ、当初ほどの新鮮さは失われ、海外で暮らすこと自体には特別な感情を抱かなくなってしまっています。気候とか文化とか、日本では体験できないことが海外にはいろいろあることは確かですが、僕にとっては、治安とかインフラとか食べるものとか、そういった諸々を総合するとやはり日本はとても暮らしやすい国であり、今のような仕事を継続できるのであれば、そろそろ日本に帰ってもいいのかな、とは思っています。現状、僕の仕事は海外にいてナンボ、というところもあり、外科の一線の勤務医に戻れるのかというと今更微妙なところもありますので、このあたりはゆるゆるとバランスを考えたいと思います。

 海外生活を続けているとは言え、日本と縁を切ったわけではないので、日本の諸々を管理しなくてはならないのですが、ネットや遠隔では限界もあります。日本の各種制度は、日本に住民票が無くなったり、血縁者がいないと様々な手続きが非常に困難になってしまうので、そのあたり日本にいる親族などにいろいろ頼りながら、なんとか管理を続けているところです。無人となってあちこちガタがきている実家のこととか、長期入院の状態となった父親のこととか、母亡きあと親族に任せている小さな会社のこととか、援助をせざるを得ない生活力のない親族のこととか、先々のことを考えるとどうしたらいいのかよくわからないあれこれについては、今考えてもどうしようもないのに、定期的にあれこれ思い出しては不毛なシミュレーションをし始めて暗い気持ちになってしまったり、なんだか生産的ではない行動をしてしまいがちです。あらかじめ心の準備をしておける、という意味では利点ですが、トータルで考えると、長い期間心配事を考え続けてしまうというマイナスの面が多いような気はするのですが、性格というか性質というか、どうしようもないですね。核家族化、少子化の流れの中で、家の問題ってそれこそ人口の数だけ生じているように思いますが、みなどうしているのでしょうか。

 自分自身も確実に齢を重ね、健康診断であれやこれやの問題が顕在化してきたりしているのも、いろいろネガティブなことを考えがちな要因かも知れません。遺伝的要因とか、自分自身の不摂生などで、まあいずれは治療が必要なレベルになるのだろう、と考えていたことでも、いざ実際に突きつけられるとそれなりにストレスです。特に医療費の高いエリアにいるこのタイミングで、現地の医療にお世話になるためには、保険のカバーの内容や自己負担についてきちんと整理しておかないととんでもないことになります。今年の検診結果を踏まえ、当地である慢性疾患の治療を開始したのですが、提案された処方、日本だったら10割負担でも5,000円〜10,000円程度の薬が、近隣の薬局で1か月分で800ドル超え。幸い、立て替え払いを要するものの、当面は加入している保険でカバーされるという確認がとれたので胸を撫で下ろしたところです。単純な受診と処方でこのレベルなので、この国の破産原因の多くが医療費に起因する、というのはよく理解できます。

 幸い、すぐに帰国が必要というような健康不安は無く、まだ当面は今の生活を続けることになろうかと思います。もはや日記と呼ぶのは憚られる更新頻度となり、定期的にここを覗きに来てくださる方がどの程度いらっしゃるのかよくわかりませんが、また頃合いをみて近況報告できれば、と思っております。