まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ

『現代思想』誌2021年10月号は「現代思想 2021年10月号 特集=進化論の現在 ―ポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来―」と題された特集だった。わたしはこの特集全体の企画意図に問題があると考えるので、手短に述べたい。

わたしの不満は一言で言うと「この号の中身は『進化論の現在』という題名と釣り合っていない、とくにこの題名で生物学の哲学の成果をほぼ無視するのは問題ではないか」ということだ。

まず前半からいこう。哲学・思想系の雑誌が「進化論の現在」という特集を組むときにどういうことを扱うべきか。もちろん決まったルールがあるわけではないが、次のようなトピックが扱われると考えるのが自然だろう:

  • 進化論(進化生物学)の研究の現状
  • 進化論の種々の側面についての哲学的論争の現状(たとえばやや古い話だがここで触れられているような議論)
  • 進化論からの哲学研究へのインプリケーション(たとえば意識の進化的起源をめぐる研究は最近有卦に入っている分野であり、邦訳も次々と出版されている(これ、これ、これ)。こうした研究は心の哲学へのインプリケーションがあると期待されている)

実際、同誌の過去の進化論特集(これやこれやこれ)では、そうしたトピックについての寄稿が多くを占めていた。ところがこの特集ではそうしたトピックについての寄稿がほとんどない。代わりにあるのはスペンサーやベルクソン、グレーバーといった人たちや米国のニューソート運動についての思想史的考察や、肥満についての社会学的な考察である。これはある意味当然で、というのは執筆者の方の専門を調べると、思想史・文化人類学の研究をされている方がかなりの割合を占めているからである。

もちろんわたしはこうした論考の学術的価値を疑っているわけではない*1。しかしこれが「進化論の現在」を表しているかというと、それは疑わしい。こうした研究は進化論(の哲学的考察)そのものではなく、そのいわば周辺領域に属する議論であって(繰り返すが、だからといって各研究の学術的価値が減ぜられるわけでは全くない)、これで「進化論の現在」を名乗るのは麓の神社だけ参詣して本体に参拝しないようなものである。

もう一つ気になる点は、この特集における生物学の哲学の不在である。上で述べた〈思想系の雑誌が「進化論の現在」で扱うべきトピック〉の多くは生物学の哲学と呼ばれる分野が議論してきたものである。例えば日本における生物学の哲学者(だけでなく哲学的な側面に興味を持つ生物学者)が集まる生物学基礎論研究会のウェブサイトを見ると、こうしたトピックが恒常的に議論されていることがわかるだろう。にもかかわらず、今回の特集の寄稿者には生物学の哲学に関わる研究者がほとんどいない。例えば生物学の哲学の輸入期に出版された二つの教科書(『進化論の射程―生物学の哲学入門 (現代哲学への招待Great Works)』『セックス・アンド・デス―生物学の哲学への招待』)の翻訳者とこの特集の執筆者の間にはほとんど重なりがない*2。

これが5年前ならこれも理解できる面がある。というのは生物学の哲学およびその研究者はほとんど知られていなかったからだ。しかし今となっては事情が異なる。例えば日本人の著作に限っても、『進化論はなぜ哲学の問題になるのか―生物学の哲学の現在“いま”』『生物学の哲学入門』『進化という謎 (現代哲学への招待Japanese Philosophers)』『創発の生命学 ―生命が1ギガバイトから抜け出すための30章―』*3『エントロピーから読み解く生物学―めぐりめぐむわきあがる生命』『The Role of Mathematics in Evolutionary Theory (Elements in the Philosophy of Biology) (English Edition)』『理性の起源 (河出ブックス)』『種を語ること、定義すること: 種問題の科学哲学』といった本が出版されている。

さらにこうした研究者は国際的な出版物も多い。例えばこれやこれやこれやこれやこれやこれやこれやこれやこれやこれやこれである。そうすると「進化論の現在」と銘打って思想誌が特集を組むのにどうやってこうした人たちを半ば無視することができるのか、わたしにはわからない。

こうして書くと、この問題は結局この特集の題名と内容のミスマッチに過ぎないと思う人もいるかもしれない。確かにその面もある。しかしわたしから見ると、内容にもう少し即した、それでいて売り上げに同程度の正の影響を与えるような題名を付けることができたはずである*4。それができなかったということは、編集部が「進化論の現在」が何を意味するかをこの分野の哲学的・思想的地図に位置づけないままに、この号を編集したように思えるのである。

*1:実際、米田氏や伊東氏、橋本氏などの議論には蒙を啓かされた。

*2:ただし美馬達哉氏の論考では"Biology and Philosophy"誌に掲載された論文について議論がある――これはわたしには哲学・思想誌で「進化論の現在」と銘打った特集を行う限り生物学の哲学から逃れるのは難しい(にもかかわらず編集部はその事実を無視した)ことを示しているように思える。

*3:なおこの本は『現代思想』誌と同じ出版社から出されている。

*4:例えば「進化論の文化学」とか「進化論と人類の未来」といったものが考えられる。