香山リカ氏の問題発言

■ソース

 香山リカ「原発維持・推進をしようとする人は心の病気」発言(テキスト書きおこし追加)より、あえて香山氏の発言部分をすべて引用します。

みなさんこんにちは。
精神科医の香山リカです。

去年3月11日、大震災のあと、福島第一原発であの事故が起きたときには
私たちはみんな、そのときは気づいたはずです。
私たちは持ってはいけない発電所を、原子力発電所を持ってしまった。
これは大変な失敗をした。これはただちに、この原子力発電から私たちは卒業して、二度とこのような事故を起こしてはいけないということに気付いたはずなんです。

ところが、それからわずか一年あまりしか経たないのに、それこそ、舌の根も乾かないうちに、もう再稼働。
あるいは、今、政府がエネルギーや環境ということでみなさまたちにいろんなパブリックコメントを求めていますが、それも「3つのシナリオからひとつを選ぶ」、しかもその
選んだものが本当に実現されるかどうかもよくわからないという全くただのパフォーマンスのような意見の募集といったような、とんでもないことをしようとしています。

原発維持や推進をしようとする人たちは、
私、精神科医からみると、心の病気に罹っている人たちに思えます。

(そうだそうだ、と会場からひときわ大きな拍手)

しかも、この人たちの病気は残念ながらもう簡単には治りそうにもありませんが、私たちはそれでもその人たちに対して、なんとか声をあげていかなければいけない。
そんな、心が病気に罹っているような、そういう状態で原発再稼働などと叫んでいる人たちに、私たちの命や生活や未来が奪われるようなことはあってはならないという風に思います。

(拍手)

その人たちの目を覚ます方法はただ一つ、私たちが声をあげ続けていくことだと思います。

(拍手)

私たち人間がやっていくことの中には、あとから考えればあのときはやりすぎたとか間違っていたっていう風に思うこともありますが、私は、この脱原発運動には一点の間違いもない。これは歴史、後から、50年後、100年後になっても、あれは間違いではなかった。それどころか、あれは本当に正しかったのだということを歴史が今後証明してくれる、そんな活動だというふうに信じています。

(拍手)

みなさん、長くこの活動をしていくと、いろいろ迷うことや不安になることもあると思います。
この活動にはいろいろな立場の人が加わっています。
いろいろな考えの人、背景の人、あるいは放射性物質に対しても考えが少しずつ違うような人たちも活動に交じっていると思いますし、正直言って、人間的にはちょっとやだなあと思う人もみなさん一緒に活動しているかもしれません。

(会場・笑い)

しかし、みなさん、ここで仲間割れとかすれ違いとかしているような場合・時間はないんです。
私たちは、原発をやめたいというただその一点のみにおいて、お互い普段だったら喧嘩するような人たちも、あまり一緒にいたくない人たちも、ここは、みんな一つの思いで手をとりあって先に進んでいきましょう。

(拍手)

どうかみなさん、この活動に加わっていること、そして、特に、今日この場にこうやっていること。そういう自分に自信をもって、誇りを持ってですねこれ、ずっと自分の支えにしながら、私はずっと正しいことをやっているんだといつも自分に言い聞かせながらこれからも、一緒に頑張っていきたいと思います。
がんばりましょう!

(拍手)

 香山氏の発言はリンク先に動画でも紹介されております。


■今日の前提

 原発がらみの話題は可燃性が高いので、前置きを慎重に置かせて頂きます。現在の原発に対する姿勢を個人的に大別すると、

  • 反原発派

      とにかく原発はここまま即座に廃止。もちろん電力不足を名目にした一部再稼動も認めない。

  • 脱原発派

      原発は廃止が必要だが、これは原発に置き換わる新たな電源が開発されていくのが前提。現在の電力不足に対する原発の必要分の再稼動は容認。

  • 原発推進派

      無資源国の日本で原発はやはり必要。

 各派の中の色合いにも濃淡がありますが、こんな理解をしています。でもって香山氏は反原発派である事は発言を読めばわかります。今日は言論の自由の観点に基づいて、どの派の主張も発言されるのはまったく問題ないとさせて頂きます。もちろんそれぞれの主張に対しての反論もまた自由です。当然ですが、香山氏が反原発の主張をされる事には何の問題もありません。つまり今日の論点は原発とは次元の違う話であると言う事です。


■発言者としての香山氏の肩書き

 ソースとして引用した香山氏の発言の前に司会者の紹介部分があります。

さて、続きましてもまたメッセージをいただきます。
みなさんまたよくご存知の、精神科医の香山リカさんお願いいたします。

 この紹介を受けての香山氏の発言の冒頭部です。

    みなさんこんにちは。
    精神科医の香山リカです。

 誤解や曲解の余地は少ないと存じます。

    香山氏は精神科医として発言している

 ここが今日の論点です。


■問題部分

 反原発の集会でボルテージも上っており、なおかつ話し言葉なので細かな「てにをは」的な表現は問題としません。問題個所は3点で良いと考えます。

  1. 原発維持や推進をしようとする人たちは、
    私、精神科医からみると、心の病気に罹っている人たちに思えます。

  2. しかも、この人たちの病気は残念ながらもう簡単には治りそうにもありませんが、私たちはそれでもその人たちに対して、なんとか声をあげていかなければいけない。

  3. そんな、心が病気に罹っているような、そういう状態で原発再稼働などと叫んでいる人たちに、私たちの命や生活や未来が奪われるようなことはあってはならないという風に思います。

 この3つの発言で

  1. 脱原発派及び原発推進派の人々に「心の病気」の診断を行った。
  2. 「心の病気」の程度は難治性が高いと診断した。
  3. 「心の病気」の症状として、その言動は信用できるものでないとした。

 これを精神科医である香山氏が公言されたです。


■精神科医が診断すると言う事

 医師は病気を診断するために国家資格を与えられております。医師が行なう診断はいかなる診療科でも重大です。これは勤務中はもちろんの事ですが、プライベートであっても同様とするのが医師の倫理です。私だってプライベートでそういう発言をする事はありますが、発言するまでには相手の症状を出来るだけ聞き取り、その上で「可能性としてのもの」と丁寧に断りをつけ、さらには必要ならば医療機関での正式の受診をお勧めします。

 これさえも、相手の状況、親密度、信用の置き方で、病名までは出さずに、「どうも良く無さそうだから、ちゃんと診てもらったほうが良い」ぐらいのニュアンスで留めます。病名は重ければ重いほど、これを専門家として口にする時には、いかなる状況でも慎重の上に慎重を重ねるです。当たり前すぎるお話です。もちろん精神科であっても全く変わりありません。

 全く変わりない上に「さらに」が付くのが精神科医であると言う意見もあります。いずれもHaruki kazano氏のもので、まず2012年7月16日 - 22:41から、

意見の違う人を精神病者扱いするというのは、かつて全体主義国家とそれに荷担した精神科医がやってきたことで、その反省を踏まえれば精神科医は絶対に口にしてはいけないことなのに。

 もう一つ、2012年7月17日 - 8:46から、

精神科医が他科の医者と違うのは、患者を精神疾患と診断し、強制的に入院させる権限を国から保証されているってこと。診断には慎重じゃなきゃいけないし、そうでないと信用されない。だから名の売れた精神科医が軽々しく他人を心の病気扱いするのは、精神科医への信頼性を損なう行為ですごく迷惑。

 個人的には名の売れていない精神科医でも、軽々しく他人を心の病気扱いするのは宜しくないと存じます。


■比喩の使用者の問題

 今回の発言が医師(とくに精神科医)以外であれば問題の程度は質が変わります。問題の次元は比喩の品の良し悪しに帰結するです。医師以外であってもみだりに他人を「心の病気である」とするのは好ましいものとは到底思えませんが、あくまでも品の問題、発言者の良識の問題になります。しかし心の病気の専門家である精神科医が発言するのは質も次元も異なるとするのが妥当です。

 至極単純には医師以外が「あいつらはビョーキだ!」とするのと、医師が「あなた方は病気です」とするのは同列に置けないです。医師が他人を病気と発言するからには、専門家としてある程度以上の根拠と責任をもっての発言でなければならないです。


■どうすればの選択枝さえ乏しいと思います

 医師でなくとも専門家が専門領域の発言に注意深さが求められるのは常識と言うか、専門家としての基本的な矜持です。そういう役割を専門家は期待され、これを果たそうとするのが職業倫理と考えています。ではこれを場に応じて外せるかです。たとえば発言の前に「これは精神科医としてではなく、個人としての発言です」と断りを入れても難しいと思います。

 ではでは極論ですが、医師免許を返上しての発言ならどうかです。これさえ「元」であっても準専門家としての発言としての責任を求められるとするのが妥当です。個人的にはそれぐらいの十字架を常に背負っていると考えています。

 えらく重そうな責任ですが、正直なところ医師としての職業倫理の初歩の初歩であり、そのレベルの問題を指摘しないといけないのは非常に悲しく思います。