しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

名医はシュッと治さない

正月帰省中、こどもの右肘が脱臼した。こどもが「脱臼した」と自己申告することはないのだが、昼寝せずにぐずぐずと泣き、右手を動かそうとしない。上着を着せようとすると泣いていやがる。おそらく脱臼だろうとアタリを付けて妻が#8000(子ども医療電話相談)に電話した。遠方の病院を紹介されたのち、こどもを診察してくれる病院に当たるかわからないが#7119も使うよう薦められた。

#7119は正月休み期間でも空いている整形外科を3つ教えてくれた。そのうちの一つが近場の病院だったので電話すると、診療できるから来るようにと言っていただいた。「脱臼は初めてか」「高いところから落ちたりしたか」と問われ、いずれも当てはまらないと答えた。

タクシーの車中、よかったねえ、きっとお医者さんシュって治してくれるよ、とこどもに言った。病院の待合室は真っ白で透明な椅子が並んでおり、キューブリック映画の内部に迷い込んだような感覚だった。他に患者はおらず、入院患者の家族が着替えを持参するぐらいだった。

待っている間、こどもは「シュって治してくれる?」と2回ほど確認した。「シュッ」というのは関西弁的な擬態語であるのか日本全国共通なのかわからないけれど、とにかくシュッと迅速スムーズに解決してくれるであろうという期待を込めていた。「せやで、シュッ!て治してくれはるわ」とわたしは答えた。

そうして20分ほど経ってわれわれは診療室へ案内された。いかにもベテランという雰囲気の男性医師がどっかと座って、右手ですか?とこどものトレーナーの右袖をまくりあげて右肘を確認しはじめた。その触診に次いで「シュッ」と施療が始まるとわれわれは期待した、が医師はそれ以上何もせず、コンマ数瞬、わたしたちは医師を見つめていた。痛かったー、とこどもは泣き始めた。呆とした間合いをいったん引き受けたのち、医師は「もう治ってますよ」と言った。わずかにニヤリとした響きがあったかもしれない。

わたしたちは再びきょとんと意識をつんのめらせ、ようやく何が起きたかを理解した。「右手ですか?」と触診するかのようにこどもの腕に触れたその瞬間、いかなる妙技であるのか、すでに医師の手はこどもの肘関節を元通りに格納していたのだった。触診と施療がほぼ同時に起きていたのだろう。何をどうしていたのか、全くわからなかった。

今から治療しますよ!と患者を切迫させたうえで会心の治療を為すような医師を世人は期待するが、真の霊妙の技はそうした構えさえ作らせないようである。中島敦『名人伝』の弓使い、あるいは『シグルイ』虎眼先生の七丁念仏試し斬りを思い起こした。名医はシュッと治さない。「シュッ」が出る前にすでに治している。お名前を控えるのを忘れたが、神戸市灘区・吉田アーデント病院でのひとこまだった。

 

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