東京で消耗したい人生だった

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「この世界の片隅に」の聖地巡礼は、ほとんど痕跡がないからこそ心にくる

※本記事は映画「この世界の片隅に」の聖地巡礼を扱うという性格上、致命的なネタバレは避けているものの作品を観てからのほうがより楽しめると思います(未視聴のかたは今更とか言わずはやくみるんだ…)  

 

「この世界の片隅に」観たんですけどね

 先日、転勤を繰り返したどり着いた現在の住まいのある広島郊外の映画館で、ようやく「この世界の片隅に」という映画を観た。あまりの出来事に、目から垂れ流される水分もそのままに、舞台の一つとなった呉の街へ車を走らせた。映画を観た場所からは、車があればものの30分もあればついてしまう(こういうときに機動性が無駄に上がりまくるのが自動車の自己所有のいいとこの一つですね)。

 呉についた私は、「聖地巡礼」のつもりで、ネット上にすでに多く存在する先行事例を参考に、作品の痕跡を探した。呉海軍下士卒集会所や、義父が入院した海軍病院の階段など、多少は、あった。しかし、街中の光景は、作中で観たそれとは全くといっていいほど別のものだった。

 そりゃそうだ。史実の通り、また作中の描写のとおり、1945年の春までに、この街の中心部はほぼ完全に焼失してるのだもの*1。

 

作中の痕跡は街中にはほとんどない

f:id:yamamoto_f:20170224123738j:plain すずさんと周作さんが川を眺めながら会話した小春橋は架けかえられ、作中の姿とはだいぶ違う。奥の山は灰ヶ峰。

 

f:id:yamamoto_f:20170224122857j:plain 映画館があったはずの地。見ての通り今は駐車場です。ビリー・ザ・キッドは広島土着のカラオケ屋です。

 

 呉の市街地の写真はほとんど撮っていない。なぜなら痕跡がガチで少ないからだ。映画館は見ての通り、西日本最大を誇った遊郭は消滅、消防署は現代的に建て代わり、闇市など無論ない。

 …呉を訪れた「この世界の片隅に」ファンは、作中の痕跡が少なくて、がっかりすべきなのだろうか?

 

「変わった」ことを積極的に楽しむ

 ふつう、現代を舞台にした創作の「聖地巡礼」というと、作品に登場したそのままの光景をみてキャッキャしたりすることが多いと思う。凝る人は、作中のとおりの画角の写真を撮って、作中の描写と比較したりして楽しんだりもするだろう。

 でも、「この世界の片隅に」の聖地巡礼においては、呉は猛烈な空襲で、広島は絶大な出力と忌まわしい副作用を持つ一発の新型爆弾によって焼き尽くされており、作中の光景はほとんど残っていないか、大きく姿を変えてしまっている。

 だが、これを悲観することはない。むしろこの作品については、「作中の光景があまり存在しないことを楽しむ」、痕跡が「ない」ことにむしろ積極的に価値を見出す聖地巡礼がふさわしいのではないだろうか。というか、「ない」ことこそが、心に刺さる。

 作中の風景は焼かれ、なくなった。しかしそこから、広島や呉の人は立ち上がり、今でも「普通に」生きている。戦中のすずさんがあまりにも普通だったように。だからこそ、「映画の中の光景とは変わってしまっていること」つまり「今も現役の街として、そこに普通の人々の日々の生活がある」ことが、あの映画を経た私の心に来たのだ。

 

もちろん変わらないものもある

 主人公であるすずさんの嫁いだ北條家は、街の中心部や港湾エリアの軍事拠点*2からはいくぶん距離がある。だから、「作品の情景を見る」という「普通の聖地巡礼」が可能な場所がある。

f:id:yamamoto_f:20170224124811j:plain 三ツ蔵。この世界の片隅にの呉聖地巡礼には外せない場所だ(だってここくらいしか「そのものずばり」な光景がないのだから)。

 

「そのものずばり」でなくても、変わってないものもある

f:id:yamamoto_f:20170224124829j:plain  すずさんが北條家へ初めて訪れる際、木炭バスが登って来れなかった辰川バス停。かなりの坂の上にあるので、まぁたしかにシンドそう。みてのとおりいまでも現役のバス停で、狭い坂を登ってきたバスはここで折り返し、隣の坂を降りて呉駅へ戻る。

  辰川のバス停は、今も昔も坂の上だった。そう、地形は変わっていないのだ。いくら爆弾を落とそうとも、いくら70年経とうとも、この地形は変えられず残っている。

 

f:id:yamamoto_f:20170224122544j:plain ガチ山道ドライブを堪能し、灰ヶ峰の山頂へ。ここには気象レーダーと展望台がある。この展望台は、作中にも登場した、灰ヶ峰山頂に設置された高射砲の土台を戦後そのまま再利用したものらしい。呉市街や呉の港を一望できるこの場所は、高射砲を設置して防衛拠点にするにも便利だったが、同じ特性を今はいちゃつくカップルとカメラおじさんを引きつけることに活かしている。素敵な平和転用だ。

 

f:id:yamamoto_f:20170224125446j:plain 灰ヶ峰展望台からの、日没直後の呉市街を望む。あの焼け野原が、こうして光を放つまでになっている。「天の光はすべて星」*3という本があるが、地の光はだいたいヒトである。

 

 

すずさんの生まれ故郷のほうにも行ってきた

 後日、すずさんの実家のあった広島市・江波にも訪れた。江波は広島市の南西のエリアにあたる。ちなみにおばあちゃんの住む「草津」は、江波からさらに西へ向かい、三角州の川を2つ渡ったところにある。距離にして4kmほどだ。

 江波のあたりは作品中でどんどん沖合への埋め立てが進み、終戦前にはいちばん海側で三菱重工業の工場も稼働した。

 

f:id:yamamoto_f:20170224132445j:plain 三菱重工の工場は現在も同じ地て稼働を続けているが、現代の江波はほぼ単なる住宅地といって差し支えがない。入江に船は残り、岸壁になんとなく面影が残るものの、ちょっと内陸を向けば目に入るのはとにかく住宅と高速道路ばかりだ。

 

f:id:yamamoto_f:20170224130159j:plain すずさんの生家のあった江波の入江。地形は作中の時代とほぼ変わっていないはずだ。かつては海苔の生産で栄えたが、いまは船溜まりとドック、そして牡蠣の加工場*4。

 

f:id:yamamoto_f:20170224130946j:plain 今の江波の入江は、牡蠣の加工場である。

 

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f:id:yamamoto_f:20170224130151j:plain 海神さま。 被爆建物ということは、すずさんも同じものを観ていたはず。こういうのも、多くはないけれどなくはない。

 

f:id:yamamoto_f:20170224130213j:plain 振り返るとこんな感じで広島高速3号線がドーン。海鳥が飛んでいるだけで涙が出てくるのでつらい映画である。

 

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f:id:yamamoto_f:20170224130234j:plain ファンにはおなじみ松下商店。これも「変わらない」数少ない例だが、周囲の風景はまるで違うので、「変わった江波」と「作中の、かつての江波」を巡礼者の心の中で繋ぐための重要な接着剤となっている。既に閉店しているそうだが、店頭には「この世界の片隅に」のマップが貼ってあった。愛されている。

 

f:id:yamamoto_f:20170224130400j:plain 江波の入江につながる太田川。遠くに見えるのは安芸小富士。「安芸にあるちっちゃい富士山ぽいやつ」という見たまんまネーミング。

 この太田川を遡上すると、そのまま原爆ドームのある平和記念公園の脇、そして爆心地となった相生橋に至る*5。余談だけど、「この世界の片隅に」は、「我々が自明のものとして“平和記念公園”だと思ってる一帯は、あの日までは公園などではなく、じつは広島有数の繁華街だった」という重要な史実を改めて提示してくれる作品でもあった。一等地すぎるし言われてみたら当然なんだが、あそこにも街があったなんて、マジで意識したことすらなかった。

 

 

f:id:yamamoto_f:20170224130425j:plain すずさんも歩いた川沿いの道。いまは歩道が整備され、春には桜も咲くでしょう。

 

 2017年の「普通の江波」を堪能する

  最後に、「聖地の普通の生活を感じる」という本記事の推奨する行動に沿ったものを紹介したい。

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 広島人にとって現代の江波といえば、広島ラーメンの代表的名店・「中華そば 陽気」である。メニューは「中華そば 600円」と書かれた札がひとつ下がるのみ(大盛りなども無し!)、店員には「1杯でいいですか」としか聴かれないなど、ある意味メチャクチャ強度のある店である。それでも日曜日の夜の陽気の広くない店内は、ひっきりなしに訪れる家族連れでにぎわっていた。食べ終わるころには行列もできていた。ああ、なんでこんな「普通の有名ラーメン店の、普通の日常」なのに、心に来るんだろう。

 

f:id:yamamoto_f:20170224130730j:plain 陽気江波本店。わざわざこんな辺境*6まで来なくても街中や横川にも支店や暖簾分けがあるけれど、聖地巡礼で江波に来ておなかがすいたらぜひ立ち寄ってほしい。「今」の江波の普通の暮らしがそこにあるからだ。

 

f:id:yamamoto_f:20170224130736j:plain 中華そば、600円。醤油豚骨・細麺・控えめなチャーシューに適量のネギにもやし。あんまりメジャーではないが広島ラーメンのフォーマットそのもの。変化球はないが、美味い。

 

 「この世界の片隅に」の、「風景が変わったこと」も含めて楽しむ聖地巡礼は、戦争中にもすずさんたちのような普通の暮らしをしている人たちがいたように、聖地となった場所にも2017年の今を普通に生きている人たちがたくさんいるのだ、というとても当たり前のことに改めて気付かされる旅だった。

  たまには、こんな聖地巡礼もいいと思う。

 

 

*1:こういう街は広島や呉だけじゃなく、全国の主要都市の主要な街がだいたい似たような状況である。Wikipediaによくまとまっているが、凄まじい。 日本本土空襲 - Wikipedia 

*2:言うまでもないかもしれないけど、呉は海軍の拠点、広島は陸軍の拠点でありました

*3:「天元突破グレンラガン」最終話のサブタイトルとしてあまりにも有名ですね

*4:広島の街から意外とすぐのところにも牡蠣の養殖場があります

*5:平和記念公園〜原爆ドーム周辺についてはヨッピーさんの素晴らしいレポートが先日アップされたのでそちらを参照されたい

*6:現代の広島における江波は、市内に張り巡らされた路面電車の終点の一つでもあります