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バック・トゥ・カリフォルニア!

第5回

PCTの最終地点ノースターミナスへ辿り着いた後は、スキップしていたシエラへ向かう。自分と向き合いながら歩く楽しみも、人と出会いつながる楽しみも、この旅でいろんなことを楽しめるようになった増田翔は旅の終わりをどう迎えるのだろう。

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約20時間くらいだろうか。電車とバスに揺られて懐かしい街へと辿り着いた。ここは2ヶ月前に訪れたTehachapi。

当時、僕は街に着く時期が遅れたため他のハイカーに遭遇することもなく、どこか寂しくこの街を歩いたのを覚えている。でも、今回は遠藤夫妻と3人だ。
街へと降り立った瞬間は言うまでもなく楽しく、心強かった。

僕たちがTehachapiへ戻ってきた本来の目的はもちろんトレイルを歩くことだけど、今回はそれだけじゃない。
この街には絶品で名高いベーカリーがあると遠藤夫妻が旅の道中で教えてくれていたから、僕の頭の中はパンとサラダのことでいっぱいになっていた。

噂のベーカリーKounen’s Country Bakery

僕たちはその噂のベーカリーに行くために、朝早く起きた。店に着くと大量のパンが並び、店内はドイツ風の鮮やかな装飾と地元感漂う雰囲気でかなり良い。

僕はパンを3つ注文して、3人で1つのサラダを注文した。「ウマイ!」サラダは新鮮で美味しく、量もかなり多い。それなのに値段も安い。これはハイカーなら行かない手はない。これまでアメリカのパン屋はいくつか行ったけれど、ここにきて1番好きなパン屋を見つけたかもしれない。

再びの砂漠地帯

カリフォルニアのサンセットは赤い

僕たちは、以前あまりの暑さに悩まされた砂漠地帯のトレイルへ戻った。
気温は20度くらいまで下がっていて、2ヶ月前に比べて格段に過ごしやすくなっていた。緑の木々が少なく茶色い風景が広がるこのエリアは、遠くの景色まで見渡すことができる。

「懐かしいね〜」と話したのも束の間、そんな景色にもすぐに慣れてどこか退屈さも感じながら黙々と歩いた。

夜は同じテントサイトで囲んでタープ泊

ケネディー・メドウズ

ケネディー・メドウズ

シエラの玄関口ケネディー・メドウズに近づくにつれて、植生が変わり岩が増えてくる。
「これこれ!これを待ってた!」と3人で歩いていると、トレイルからそう遠くない木陰で黒い影が動いた。僕にとって3度目のクマとの遭遇。幸いなことに僕が遭遇したクマたちは人慣れしていなかったため、危険な目には合わずにすんだ。

トレイルで遭遇する動物たちに驚かせてゴメンねなんて思いながら、自然で遊ばせてもらってることに対して感謝の気持ちが強くなっていくのを感じた。

ケネディー・メドウズに到着すると20人くらいのハイカーが拍手で迎えてくれた。この場所は南カリフォルニアからシエラへと変わるセクションの境目で、先に着いたハイカーが後から来るハイカーを拍手で祝福するという伝統のような習慣がある。

毎年PCTハイカーはNOBO(北向き)で歩くハイカーが大多数を占めていて、SOBO(南向き)で歩くハイカーは少ない。
ここに9月の下旬の到着となると、例年であればほとんどハイカーはいないはずだけど、僕と同じようにルート変更した人が多い年のため、たくさんのハイカーがそこにいた。

大雪でシエラをスキップすることを決めた時は後悔や不安が大きかったけれど、そのおかげでトレイルでの出会いと再会が増えたように思う。

トレイルを速く歩くのも楽しいし「日本人最速いけるかな?」なんて思うこともあったけど、ゆっくり歩いたことで全く違う面白さに気付くことができて本当に良かった!

親友と3度目の再会

ケネディー・メドウズの門をくぐり、ハイカーからの祝福を受けながら奥へと進むと、1人でハンバーガーを食べる男が僕の目に止まる。「Hey Alex!」僕の親友アレックスと3度目の再会だった。

前回会ったのはCascade Rocksの手前のTiberline Lodge。約1ヶ月ぶりの再会。もう会うことはないだろうと思っていた分、この再会は本当に嬉しかった。彼を語らずに僕のPCTはありえない。

何度目かの別れ

出会いがあれば別れもある。日本での再会を約束し、これまで何度別れを告げるも偶然の再会を重ねてきた遠藤夫妻とついに別れることにした。

2人と過ごした1ヶ月間はとても楽しかったし、そのおかげで1人で歩く寂しさとは無縁になっていた。まるで親子のような関係になった彼らとの別れを決断することは辛かったけれど、最後のシエラセクションは1人で気ままに歩きたいと思っていた。

2人は僕の出発を見送る形で姿が見えなくなるまで手を振って送り出してくれた。

「また日本で!」
さぁ気持ちを切り替えて、この旅、最後の冒険のスタートだ。

アメリカで1番高いところ

ホイットニーの山

ケネディー・メドウズを出発してしばらく歩くと、のっぺらと茶色い山が見えてくる。「あれがホイットニーかな?」アメリカで1番高い標高(4,421m)の山と聞いていたけれど、遠くから見るとただの丘のように見えた。
少し拍子抜けしたけどガッカリしたって仕方がない。昼寝をしながらのんびりと向かった。

ホイットニーの山頂は、PCTのルートから10miles(約16km)ほど離れたところにある。
多くのPCTハイカーは、アメリカ最高地点を踏むために暗い内にスタートする。僕もその1人で、日の出を見るために暗い中歩き始めた。

標高4,000mを越えると流石に空気の薄さを感じずにはいられなかった。「3時間あれば間に合うか」と早朝に出発するも標高が高いために思うように歩くことができず、山頂に着く前に東の空が色づき始める。

周囲の山々を照らすモルゲンロートはとても綺麗で何度も立ち止まり「山頂じゃなくても綺麗だしいっか」と朝食をとる。山頂に着く直前に太陽は完全に昇ってしまったけど、最高の景色を見ることができた。

山頂にある小屋とハイカーたち

標高4,421mの山頂はかなり寒かった。山頂に着くとダウンジャケットの上にキルト型寝袋を羽織って、体を丸めて小さくなるハイカーもいた。
360度広がるパノラマをゆっくり眺めたいところだが、山頂手前に荷物の大半を置いてきたため充分な保温着がない。僕は記念撮影をすませると、すぐに退散することにした。

山頂からは、周囲の山も高く大きいためあまり高度感はなかった。それでもひとつの目標を達成したことが嬉しかったことを覚えている。

下山を開始すると、登りの時には暗闇で気付かなかった景色が目に飛び込んできた。
荒々しく佇む山と緑の植物、そこを流れる小川とその先の湖。全てが美しかった。

頂上で見た景色よりも、ホイットニーからPCTを繋ぐ10miles(約16km)のトレイルから眺めた景色の方が好きだった。

標高4,023mのForester Pass

PCTのトレイルへ戻ると、そこからはJMT(ジョン・ミューア・トレイル)とルートが重なってくる。「自然保護の父」と呼ばれたジョン・ミューアの功績を讃えて作られた約340kmのトレイルだ。

このエリアは特に標高が高いエリアでトレイルの大部分が2,500mを越え、Forester Passをはじめ3,000mオーバーの峠をいくつも越えてゆく。イメージしていたシエラの景色へと移り変わっていく様子はワクワクして仕方なかった。

再会

絶景のKersage Pass

澄んだ湖が印象的なKersage Passを抜け、リサプライのために近くの街へ降りることにした。

これまでのセクションは比較的電波が入りやすいイメージがあったけど、シエラは標高が高く街とも離れてるせいか、電波なしがほとんど。
絶景ポイントでもないのにハイカーが群がってる時は電波がある合図。ハイカーは間違いなく電波が大好きなんだろう。

僕もすかさずスマートフォンを開くと、1件のメッセージが入っていた。以前、北カリフォルニアセクションで出会った日本人ハイカー”Sonic“が近くの街Lone Pineに着いたという。
僕はかけ足で山を降り、Lone Pineへと向かった。

Lone PineのバーでSonicと遠藤夫妻

Lone Pineに着くなり安いモーテルを予約した僕は、洗濯とシャワーを済ませる。待ち合わせのサンドイッチ屋の前で立っていると、真っ黒に焼けた男が接近してきた。

「久しぶり!」。会うのが2回目とは思えないほどフランクな彼は良い意味で日本人らしくない。すぐ横のアメリカンなバーに「ぼったくられないよなぁ」なんて心配しながら入った。

カウンターでSonicとしばらく話し込んでいると、僕のスマートフォンが光った。連絡をくれたのはなんと遠藤夫妻だ。
「スノーストームが来るから街へ降りた方がいい」と他のハイカーに忠告され街へ戻って来たらしい。僕のSNSを見て同じ町にいることが分かりメッセージをくれたのだ。

まさかまさかのミラクルで、ビールで酔った僕は再会の嬉しさからニヤニヤしていたことだろう。

歩いてドライブスルー

遠藤夫妻と合流して4人になった。「腹が減ったからマクドナルドへ行こう!」と店を出る。既に22時を過ぎていたため、営業はドライブスルーのみ。

「歩きでも行けるよ」とSonicが一言。
車に混ざって立ち並ぶ姿は滑稽に見えて可笑しかった。しかし、僕たちの他にも同じ様に並ぶ地元の人がいて「マジか」と僕たちは笑った。

SonicはSOBO(南向き)のためアメリカで会うのはこれが最後だ。別れと日本での再会を約束して、僕たちは各々の旅を続けるためにトレイルへ戻った。

ヨセミテ国立公園

エルキャピタンを登る米粒大のクライマーが写っている

PCTやJMTを知らない人でも「ヨセミテ」を知ってる人は多いと思う。ヨセミテには某アウトドアブランドのロゴになったハーフドーム、クライマーの聖地であるCAMP4、スカイツリーよりも300m程高い巨大岩壁エルキャピタンなどがある。

公園内(公園といっても東京都の1.5倍の面積を有する)を観光し、エルキャピタンの壁を眺めると米粒大の大きさのクライマーや、ぶら下がってビバークしている姿が見えた。

僕はクライミングを始めて1年ちょっとのビギナーだから、その凄さとかっこよさに体がビリビリと震えた。「日本に帰ったらクライミングだ!」そう意気込み、僕はクライマー観察を楽しんだ。そしてその夜、残りわずかなトレイルを歩くためヨセミテをあとにした。

稲妻マークがカッコイイ有名な岩“MIDNIGHT LIGHTNING”

最後のパートナー

LIke a Ninja step!!

ヨセミテ発の最終バスへ乗ってトレイルヘッドへたどり着くと、僕と同じPCTハイカーが1人だけ降りてきた。

彼の顔にはどこか見覚えがあった。
「Pa’lanteのバッグパック使ってなかった?」と僕は話しかける。彼と出会ったのは、たしか北カリフォルニア。しかも話したのはたった10分程度。

でも、唯一僕と色違いのバックパックを背負っていたからよく覚えていた。彼は博識でバックパッキングのことは何でも詳しいからスターウォーズのキャラクターの名をとって”Yoda”というトレイルネームを付けられたらしい。

しかし、後から聞いた話によると、彼の好きな映画はインディー・ジョーンズだった。

Yodaは軽快なステップで忍者のように歩く、しかもそのスピードもかなり速い。
僕もかつては速いハイカーだったことを思い出し、なんとかついていった。

彼はギアの知識やトレイルのTIPSにも詳しくて、テントサイトの選び方や道具の使い方などを丁寧に教えてくれた。そう時間が経たずとも、次第に兄のような親友のような存在になった。

次第に高度感は薄れて、湿地帯が増え、勾配もなだらかになり歩くペースが上がっていく。周囲の景色もところどころ、北カリフォルニアやオレゴンにも似ているように感じた。その変化は、シエラの終わりのサインでもあった。

Yodaとトリプルチーズハンバーガー

ケネディー・メドウズ・ノースに到着。ケネディー・メドウズはシエラの北と南に2つあって、前に行ったのはサウスの方。

ノースの方はサウスより少しラグジュアリーな感じ。レストランでPCTトリプルチーズバーガーとホットドッグを食べて、腹がはち切れそうになった。

ハイカーボックスには、大量の食料とまだ使えそうなギアが山盛り。僕は食べ飽きたインスタント麺と要らないマットを置いてきた。最後の4日間に向けて荷物の最終チェック。シャワーと洗濯、バッテリーの充電を済ましたら、すぐにトレイルへ戻った。

透き通った湖にはトラウトも

「なぜPCTを歩いてるの?」「日本語でこれなんて言うの?」「あの岩登ろうぜ!」僕たちは歩きながらよく話した。時に励まし、時にふざけ合いながら、といってもオナラをしたり変な声を出したりしてほとんどふざけていたような気もする。

体はボロボロで肉体的には辛かったけど「この旅がずっと続けばいいのになぁ」と、ただただ楽しい時間を過ごした。

Yodaと過ごした最終日の夜は、同じテントサイトで食事をした。お互い別れを意識していたのか、その夜は口数が少なかった。
2人で歩いたのはたったの4日間だけ。だけど僕にはそれ以上に感じたし、別れるのは辛かった。「いつかスイスに行ったらまたハイキングいこうぜ!」と約束し、僕らは各々のテントへと戻っていった。

Yodaとの最後の時間を過ごす

バックパッキング最終日

空腹と睡魔で疲労度MAXでフィニッシュ!

PCT最終日。
僕は朝2時に起きてテントを撤収し歩き始めた。その日の内に街に着かなければ予約した飛行機を逃してしまう。

40miles(約64km)を歩くため、念には念をと早めにスタートしたのだ。この近辺でクーガー(別名ピューマ。ネコ科のため執拗に追いかけてくるらしい)を見たという情報があったから、恐怖で冷や汗をかきながら歩いた。

最終日が最も怖い思いをした気がする。周囲を警戒しながら歩くのは想像以上に疲れた。
なんとか予定の場所まで歩き切って最後のヒッチハイクをする道路に着いたのは16時過ぎ。なんの特徴もないただの道路が僕のゴール地点だ。

ゴールした瞬間に特別な感情が湧くこともなく、僕の旅は静かに終わった。

ヒッチハイクした車の助手席に座って外の景色を眺める。
街へ近づくにつれて木々が少なくなり、道路が広がっていくのを眺めながら「もうトレイルには戻らないのか」という寂しさを感じつつも、街へ降りて食事をすることで僕の頭は支配されていた。

結局、色んな感情よりも食欲が先行したのは僕らしいなと。

旅を振り返って

スタート地点メキシコ国境にあるサザンターミナス

Pacific Crest Trailを歩いたことは、僕の人生において間違いなく記憶に残るシーンのひとつ。

「PCTを歩こうと思ったきっかけは何だったのだろう」。
トレイルを歩きながら何度も考えた。ほとんどノリで決めたこの旅に、僕は何を求めていたんだろうか。

結局その答えは見つからなかったし、そもそもそんなもの無かったのかもしれない。

実際に歩き終えてみても大した変化なんてないし、特別な人間になれたなんてこれっぽちも思わなかった。
ハッキリ言えることは、人混みがより苦手になったことくらい。

だけど、118日間で訪れた多くの出会いや別れ、学びと気づき、反省や後悔。辛いことも楽しいことも経験したことで、僕は人生における経験値を獲得し、少しはレベルアップしたに違いない。

ロングトレイルにはロングトレイルでしか味わうことのできない経験があって、自分の性格や行動で旅は良くも悪くもなるだろう。何年後かにまたPCTを歩いてみたら、間違いなく違う旅になると思う。そんなことを考え出したら、次の旅の妄想は止まらなくなってしまった。
その時は、円安でない事を強く願う。

こうして素晴らしい経験ができたのは、僕に関わってくれてた全ての人のおかげだ。
現地で出会ったハイカーやトレイルエンジェル、ヒッチハイクで車に乗せてくれた運転手、そして立ち寄った街の人たち。日本で待ってくれたパートナーや友人、家族。応援メッセージをくれたみんな。この場を設けてくれたYAMA HACKの大迫さん。出発前にトレイルについて多くのことを教えてくれたプロハイカーの斉藤正史さん。

全ての方に感謝の言葉を込めて。
本当にありがとうございます。

僕のロングトレイルはこれで最後かもしれないし、まだこれからも続くかもしれない。人生もロングトレイルも何が起きるか分からないから楽しくて面白い。これからも多くのことを経験して、面白いことに挑戦していこうと思う。

この118日間で感じたワクワクのどれもが、今でも僕の記憶に鮮明に残っている。

Text&Photo:Sho Masuda
Edit:Michitaro Osako(YAMA HACK)