三つ子愛憎譚
- 2021/12/15
- 22:36
↑のナラティブの続きというか再構成。
陰陽道の大家である杠家に双子の男女が生まれた。
陽である男児の忍、陰である女児の偲。
陰陽を司る男女の双子は彼等にとって吉兆であり、一族の繁栄を予感して大いに喜んだ。
そう、双子であったなら。
廃ビルの中で二人の人間が対峙していた。
一人は長い黒髪を結い一見すると女性のようにも見える青年。
もう一人は黒髪を短く切り揃え、ともすれば少年に間違えそうになる女。
青年は視線だけで人が殺せるのではないかという形相で女を睨む。
「何をそんなに怒っているんだい、お兄様。私達は元々一つだった。それが再び一つになった所でむしろ自然な形じゃないか。ああいや、興が乗って腕を切り落としたのは些かやりすぎだったかもしれないけど、それだって杠の優秀な術者ならすぐ治せるだろ?」
悪意なく弁明(とすら本人は思っていないだろう)をする女――恕に対して青年――忍の視線はいっそう鋭くなる。
「偲に寄生していた畸形嚢腫のお前も助けてほしいと長老衆に訴えたのは生涯の不覚だった」
古から人外と戦ってきた杠には喪った臓器を補う秘奥が存在する。
それを最大限に活用して生物と言えないような肉塊だった恕は人の体を手にした。
ただ、そもそもの出生からして異常だった恕だが、更にその体は普通ではなかった。
上半身には男性にはない筈のものがあり、下半身には女性にはない筈のものがあったのだ。
――両性具有、個でありながら太極を表す異形。
当初こそ妹が助かった事を純粋に喜んでいた忍だったが、徐々に恕から得体の知れないものを感じるようになった。
杠の大人が見ていない時に限って垣間見える人を観察する視線や言動。それに接していると恕が人でないものに感じられた。
違和感は日に日に大きくなり、両親や長老衆に相談しようとした矢先、恕は忽然と姿を消した。
当時は心配よりむしろホッとした忍だったが今思えばなんとしても探しだして監視しておくべきだった。
それを怠ったせいで偲に一生消えない傷を残してしまった。
忍は一度深呼吸して呪符を取り出す。
「兄としての最後の慈悲だ。俺が殺してやる。来い、我が式神【
クリエイティブ・デフォルト
犬神】よ」
犬神と呼ばれる紙製の使い魔が複数枚召喚され恕を取り囲む。
この場に来る前に予め仕込んでおいたものも含め総数十二枚の呪符は既に起動しており、いつでも命令を送れる状態になっている。
対する恕もまた指先に墨色の火球を生成して忍に向けた。
しかし両者の戦いは始まった直後に決着した。
犬達が一瞬だけ目映く光ると、次の瞬間には跡形もなく消し飛んだからだ。
「一体なにが起こって――」
狼籍にも近い声を上げる忍の胸に黒い何かが纏わりついた。
(なんだこれは……?)
最初はただ闇があるように見えたそれは段々と輪郭を明確にしていき――やがて一つの姿を取った。
(――狗? 否違う。これは牙の生え揃った口に、爪の長い手足を持つ獣の姿だが明らかに――)
そこまで考えた忍の顔から一切の血の気が引く。
(まるで妖怪そのものではないか!!)
ただそこにあるだけの物体だというのに全身を嘗め回されるかのような悪寒が走る。
気がつくと自分の周囲に展開していたはずの術式の悉くが消失している事に気付き、目の前にいる存在の危険度を理解した。
しかし時すでに遅く、忍は意識が暗転しその場に倒れた。
***
「忍お兄様も甘いね。私がここにいる事が分かったならビルごと潰せばいいのに」
倒れる恕を見下ろす恕の口元が釣り上がる。彼女の肉体はとうに人間ではなくなっており、今は様々な怪異をベースに人間の形を形成しているに過ぎない。
「さて。偲ちゃんの体は堪能させてもらったけどお兄様はどうかな?」
昏倒する兄の体に手を伸ばしながら、恕の笑みはさらに深くなった。
***
夜道を一人の女性が歩く。彼女はつい最近恋人にフラれたばかりだったため、沈んだ気分を引きずっていたのだが、今夜はその比ではないくらいに落ち込んでいた。仕事で大きなミスをしてしまったのだ。
(はぁ……もういっそ死んじゃおうかな)
元々自己肯定感の低かった彼女だが今回の一件はかなり堪えたらしく、自殺まで思い至るほどだ。
とぼとぼとあてどなく歩いていると前方に公園が見えてきた。
街灯が少ないせいかあまり人気のない場所だ。ちょうど良いと女性は公園に足を運んだ。
夜の静寂に包まれる空間に虫の音が微かに聞こえる中、ブランコの側で座り込む女性の目に人影が入る。こんな場所に人が居る事に少し疑問を抱いたが気にしないことにした。
どうせ死のうとしているのだから他人なんて知ったことか。
すると人影がゆっくりと近づいてきた。
その足取りはとてもゆっくりだ。まるでスローモーションのように感じられる光景の中、遂に相手の顔が確認できる位置に来た。
青年かと思ったが胸に膨らみがあった。女性だ。
「こんばんは、お姉さん♪」
鈴の音のような声で話しかけられる。声音は少女めいているのに言葉には艶がある不思議な印象を受けた。
それにしても美しい子だと女は思った。その美貌は同性の自分から見ても思わず見惚れてしまう程で、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
「ねえねぇ、今死ぬところだったよね?」
(何故それを!?)
まさか自分が死のうとしていることを見抜かれて驚いたが、この少女ならそれくらい察してもおかしくない空気があった。
そう考えているとクスリと妖しく笑いかけられた。
「私は何でも知っているよ。例えば……そう、好きな人のこととかね」
(え……何言って――?)
その言葉を理解するよりも早く体が動いた。咄嵯にその場を離れようとしたが後ろから抱き締められてしまい逃げられなくなった。
「そんな怖がらないでも大丈夫だよ。私はあなたに酷いことは絶対しないと誓うから」
耳元に囁かれる甘い声に思考が霞んでいく。同時に何故か抗いがたい眠気が襲ってきた。
(ダメ、眠っちゃ……あれ、どうして私寝ちゃいけないと思ってたんだっけ……?)
急速に薄れていく意識。その中で女性はあることを誓った。
(あー……やっぱり死にたくないなぁ)
そして、それを最後に彼女は意識を失った。
数日後、行方不明になっていた女性が死体で発見されたというニュースが報道された。
クリエイティブ・セリフ
八瀬童子】!」
瞬間的に構築された結界が二人の周囲を満たすと同時に無数の呪符が飛び交う。
それはまるで雪の様に二人を覆い隠した。
(ふむ、確かにこの数はちょっとキツいな)
恕は自分を囲むように展開された無数の札を見て感心する。
これだけの数となるとさすがの自分も防ぎきる自信はない。
「とはいえまぁ無駄なんだけどね」
その言葉の通り彼女の体には一切傷がない。
ただ忍の目だけが驚愕に見開かれるのがわかった。
(じゃあね、お兄様)
無数に降り注ぐ紙切れに向かって右手を伸ばして一閃。
それきり結界は完全に崩れ去り後には忍の死体だけが残った。
(うんうんやっぱり死体になってもイケメン……っていうか男前かな?とりあえず拝んでおく?)
兄の死体を目の前にして全く動じることなく呑気にしていると、
「ねぇ、そっちは終わったかしら?」
「……まだ」
兄の遺体に愛撫する恕に声をかける少女。彼女の名前は七竈朱莉という。この辺り一帯の土地を買い占めた一族の娘でもある。
彼女が買い取った事でここらの霊脈は大よその制御下に置かれており、今回の事件でもかなり有効に使われたと言えるだろう。
「まったく私を置いて逝っちゃうなんて酷いわよね。まあ私に殺されたんだけど」
笑いながら遺体の指を切り落として舐める様子はとても猟奇的だが咎める者はいない。
「んー美味しくはないけど嫌いじゃないわ」
クスリと笑う顔からは好意しか読み取れない。
「その死体、どうする気?」
内心ドン引きしながら朱莉を訊ねた。
「うーん、そうだ! 一緒に偲ちゃんに会いに行こう! それで生まれる前みたいに三人で仲良く……」
恍惚の表情を浮かべる恕に朱莉はまたもや引いた。
(……相変わらず変な趣味してるわねこの子)
「決まり! それじゃあ早速準備しましょう」
ルンルン気分で死体を背負う恕を見ながら朱莉はこんな化け物と家族になってしまった兄妹に同情した。
……垂れ下がった死体の腕が僅かに動いた事に気付かないふりをしながら。
クリエイティブ・ナラティブ
白虎】!」
忍が取り出した五芒星を描く呪符が爆発したかと思うほど白い閃光に包まれる。
光が収まるとそこにいたのは全長3mを超える巨大な獣。毛並みはとても美しい純白で光を乱反射する輝きを放っている。
(これが……白虎)
伝承に残る霊験あらたかな四聖の一つにして中国に伝わる最強の霊獣。
神話に登場する怪物であるテュポーンやオルトロスにも引けを取らない伝説の化け物の登場に恕は思わず生唾を飲み込んだ。
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恕と白虎の力比べが始まると同時に廃ビルは瞬く間に崩壊した。
それは二人の戦いの余波によるものというわけではなく文字通り倒壊したと表現する他ないだろう。
(まさかこれほどとはね!)
瓦礫の上を走りながら恕は心の中で叫ぶ。
最初は白虎の動きを止めようと考えていた恕だが実際に戦う段になって考えが変わった。
何せ伝承にある通り、本当に規格外の怪物なのだ。
(流石お兄様。人間にしては上々)
爪を叩きつけようとした瞬間に生じた斥力により吹き飛ばされた白虎はそのまま近くのビルへと激突した……のだが、白虎の姿が霧のように掻き消えた。恐らくだが兄の術により強制的に移動させられたようだった。
そう考えた直後。恕の目前に先程と同じように白い閃撃が発生した。防御などせずに咄嵯に横へ跳んで回避したが一瞬前に立ってた場所はコンクリートが崩れていた。
攻撃が当たらないことに気付いたらしい白虎が唸る。
(さてさて。では少しは本気を出そうか)
そして恕は――笑みを浮かべた。
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忍は自分に迫る脅威に気が付いた。
白虎を呼び出した後はすぐさま廃ビルから飛び出して身を隠したが無駄だったようだ。
ビルの屋上から口を血で濡らす巨大な蛇がこちらに首をもたげている様子が見えた。その蛇の名は悪食龍・九嬰。九つの頭を持つ巨大妖蛇である。
本来なら日本の大地に存在する筈のない中国の怪物。忍はその正体を的確に看破した。恕のペット、というか肉体の一部だろう。
あの化物がもしこの辺り一帯の住民を食べ始めたらどうなるか想像するまでもない。
最悪な事態を避けるために雷撃の術をもって悪食龍を攻撃する。しかし、命中する直前に雷撃は不自然に曲がって逸れていった。
(なんだ!?)
忍は自分の目を信じられなかった。雷撃が何かに当たって弾かれたような現象ではなく、雷が勝手に軌道を変えて避けたのである。
その不可思議さに忍は混乱しそうになる頭を叱咤して冷静に対処を考える。
考えられる可能性はいくつかあるが――
「……っ」
背後からの殺気に振り返ればそこには複数の首をもった蛇がいた。それも、一匹だけではない。二匹の蛇がそれぞれ違う場所にいた。
――九頭竜、そして八岐大蛇。
どちらも伝説に語られる龍神である。白虎を失った忍には手に余る存在であるが、
(……それでもやるしかないか)
忍が覚悟を決めた時、彼の足下に大きな魔法陣が現れた。
忍は驚いてその中心を見るといつの間にいたのか、一人の女がそこ立っていた。
黒い髪を後ろで束ねた女――否、少女。彼女は右手に筆を持っていて、左手は印を結んでいる。
まるで陰陽師のようないでたちだった。
忍は彼女を知っている。いや、「知っている」などと他人行儀な相手ではない。自分にとって実の妹に当たる存在、偲だった。
その額には小さな角があり、全身に禍々しい呪紋が浮かび上がっていた。
忍が困惑する間にも偲は魔法陣を起動させる。
それと同時に彼女の体が青白い光を帯び始め、凄まじい霊力が放出されていくのを感じた。
(召喚魔術だと?)
忍の混乱を無視して偲の周囲に無数の人魂が現れる。それらは次第に形を成していき、最終的には一振りの刀となった。
それを両手に握った偲は大きく息を吸って叫ぶ。
その瞳はどこか焦点があっていないように見えるが意識はあるようだ。
その証拠に彼女は忍に笑いかけてきた。
(一体どういうことだ。なぜあいつがこんな力を)
妹の様子は明らかに異常だ。このままでは命に関わるかもしれないと思った忍は止めようと駆け寄ろうとしたが、それよりも早く妹は二体の龍に向かって駆け出し刀を振るう。
人とは思えない動きによって繰り出される斬撃だが、所詮人間の腕力での技である。龍神には傷一つ付けられない……はずだった。
――ザシュッ。
ザシュッ! グジャアッ。
音を立て、肉が切り裂かれる。
呆然とする忍の横を一筋の血が流れ落ちていく。
それを理解して慌てて目を凝らすと龍神達の首の一箇所から血が出ているではないか。傷口を見た限りではそれほど深くはないらしいが、龍神達は苦痛に身をよじっていた。
だが、それだけでは終わらない。
(そんなバカな!)
先程まで無力な人間としか思えなかった妹の振るった一撃が突如恐ろしいほどの切れ味と威力を持ったのだ。
――これは最早人外の動きだ。少なくとも常人の成せる業ではない。
動揺して動けなかった自分に苛立つ忍だったが不意に背筋を走る怖気を感じてその場から離れる。
次の瞬間、先程忍がいた場所に巨大な鎌のようなものが通り過ぎていった。
それをした人物を確認する。
「恕!」
先程まで戦っていた相手だ。ただ、雰囲気が違う。
先程の龍神の比にならないプレッシャーを放ち、髪の間からは一本、二本の小さな突起が伸びており、手や足の先が獣のように変化していた。
「嬉しいな。忍お兄様だけでなく偲ちゃんまで会いに来てくれるなんて」
そう言って舌なめずりをする姿に忍は吐き気を覚えると同時に確信した。やはりこの場で殺さなければ。
そして兄妹三人の邂逅が果たされた。
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