石井茂吉(いしいもきち 1887- 1963)
石井茂吉は東京帝国大学機械工学科卒業し、神戸製鋼を経て星製薬に入社(1924)。そこで印刷部主任をしていた森澤信夫と出会い、ともに写真植字機の実現を目指す。
1925年に写真植字機第一号機を公表し、翌1926年、東京王子に「写真植字機研究所」を設立。1951年、大修館書店から「大漢和辞典」(諸橋轍次 編)を刊行するために使用する文字(写植原字)の製作を依頼された。独力で47,500字の写植原字を3年がかりで書き上げたという。
ちなみに陸地測量部が写真植字機を初導入したのは、1938年のこと。地形図作成に写真植字機を導入したのは1948年のことである。
石井茂吉
石井茂吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 16:02 UTC 版)
写研創業者。「石井中明朝 オールドスタイル小がな」をはじめとする石井書体のデザインで知られる。1963年没。
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