取材規制が厳しい今では考えられないが、かつてのサッカー日本代表の選手たちはおおらかで、とても取材に協力的だった。それを象徴する思い出がひとつある。1992年に広島で行われたアジアカップでのことだ。

 この大会は今でこそ広く知られるようになったが、当時はJリーグ開幕前。世間的にはあまり認知されていなかったように思う。ところが、日本は予想外の快進撃を見せる。予選リーグを突破すると、準決勝では1人退場になりながら中国に逆転勝ち。予想外の盛り上がりを見せた。

 しかし、困った。ネタがないのだ。当時の自分はサッカー担当になって1か月ちょい。はっきり言ってサッカー協会の関係者もよく知らない。途方に暮れながら、夜10時過ぎに選手の宿泊しているホテルを訪れた。

 そこでサッカー協会の広報担当者の部屋に連絡し、準決勝で決勝ゴールを決めたゴンこと中山雅史選手に話を聞けないか、頼んでみた。すると、意外にもあっさりOKが出たのだ。数分後、ゴンがロビーに下りてきて取材に応じてくれたのだ。もちろん、ゴンと顔見知りというわけではない。話をすること自体初めてだったと記憶している。そんな、見ず知らずの素人記者のために、わざわざ夜中の取材に応じてくれたのである。

 取材でのゴンは嫌がる顔ひとつせず、というよりも、こちらがたじろぐほどのテンションの高さで応じてくれた。取材のテーマは、GKのことだった。実は準決勝では正GKが退場。GK登録を2人しかしていなかった日本は、控えGKがいないという状況で決勝を戦わなければならなくなった。

 これを聞くとゴンは「大丈夫です! 私は大学時代GK経験もありますから。いざとなったら私がGKをやります」と大リップサービスをかましてくれたのだ。これが翌日の新聞の見出しとなった。

 日本は決勝でサウジアラビアを破り、見事大会初優勝。サッカー日本代表がヒーローとなった瞬間だった。

 ゴンだけではない。当時はカズやラモスといった大物たちも、素人記者の取材に誠実に対応してくれた。彼らは「サッカー冬の時代」を知るからこそ、日本サッカーを盛り上げたい、そんな熱い思いがあったのだと思う。

(編集顧問・原口典彰)