【第2の人生「食の道」あの選手の逸店】プロスポーツ界を去った後、第2の人生として食の道を選んだ人物やそのお店、人気の秘密を探る新企画。1回目は、2001、02年に巨人のセットアッパーとして活躍した條辺剛さん(34)だ。現在、埼玉県ふじみ野市で「讃岐うどん 條辺」を営む。05年に引退後、地道に修業を重ね、セカンドキャリアを成功させた同氏が明かす「成功の秘訣」とは――。

 條辺さんの朝は早い。早朝4時30分には店に入り、うどん、だしの仕込みに入る。常にお客さんに打ちたてのうどんを味わってもらうため、30分以上たっても注文が入らない場合は残っていても廃棄してしまう。1日平均20回ほど打ち、作りたての味の提供を心がけているという。

 そのため、常にシコシコ、モチモチ。店で一番よく出るという「かけうどん」(1玉・400円)は香川産のいりこだしがしっかり効いて、シンプルながら、味わい深い。ひと口だしを飲むと、もうひと口飲みたくなる。コシのある麺との相性は抜群で毎日食べたくなる味でもある。

 他にも冬場は根菜、きのこ、豚肉をだしで煮込んだしっぽくうどん(1玉・520円)も人気。野菜のうまみが凝縮されたつゆを飲めば、身も心も温まると評判だ。

 こだわりは値段設定にもある。2玉でプラス50円、3玉でプラス100円と破格の安さには自身が「大食いだったから」(條辺さん)ということもあるが、根底には讃岐うどんのおいしさを、多くの人に味わってもらいたいとの願いがある。

 ここに至るまでには苦労もあった。修業は讃岐うどんの名店、香川県高松市にある「中西うどん」で1年半ほど行った。店主からの条件が当時、まだ籍を入れていなかった妻・久恵さん(37)も一緒に修業を行うことだった。

 プロ野球界から畑違いの転身ということで本気度を不安視された部分もあった。そこを「彼女と一緒だったら」と受け入れてもらった。その間は家賃4万5000円の1Kのアパートに2人暮らし。収入は修業中ながら店からもらった月給、2人合わせて約20万円でまかなっていたという。

 修業時代は店に入るのは午前4時30分。お昼に1時間の休憩を挟むものの、その後は基本的に午後5時まで働きどおしだった。立ち仕事だったこともあり「足がむくんで大変でした」と打ち明ける。一方の妻は総菜作りや接客を学んだ。2人力を合わせての共同作業が今の店につながった。

 厳しい道を乗り越え、セカンドキャリアを成功させた秘訣には「家族の支え」を挙げる。「僕の考えでは、妻の支えが大きかった。うどん屋をやりたいというのを一緒に修業まで手伝ってくれた。あと妻のお母さんも子育て、お店を手伝ってくれたりして、そういうのが大きいと思いました」と感謝の気持ちを示す。

 一方、現役時代は無軌道にお金を使っていたが今はお小遣い制。「今考えても、何であんなバカなことをしていたんだろうと思います」と散財の過去を悔いる條辺さん。地道に生きることの大切さを引退後は痛感しているという。

 08年4月にオープンし、今では1日平均300玉が出る人気店になった。休日、祝日には行列ができることも。古巣・巨人に関しては高橋由伸監督(40)と親交もあり「一ファンとしていつも楽しく見ています。優勝目指して頑張ってほしいですね」とエールを送ることも忘れなかった。

◇「讃岐うどん 條辺」=埼玉県ふじみ野市上福岡1―7―9。東武東上線上福岡駅から徒歩5分。7~15時(麺売り切れ次第終了)。火休(祝日の場合営業、翌休)。

☆じょうべ・つよし=1981年6月8日生まれ。徳島県出身。阿南工業から99年ドラフト5位で巨人入団。プロ2年目の2001年は中継ぎとして46試合に登板し、7勝8敗6セーブ。02年も47試合に登板し、チームの日本一に貢献した。05年に引退。