立秋も遠に過ぎて、夜には秋の虫の鳴き声が聞こえ始めると、夏もそろそろ終わりだと感じる。夏の終わりは、人をちょっぴりセンチメンタルな気分にさせる。
そんな季節に聴きたくなるのが、フジファブリックの「若者のすべて」。2007年にリリースされた彼らの10枚目のシングルだ。
楽しんだり、はしゃぎ過ぎたり、あるいは恋をしたり、または、誰かを傷つけてしまったり、悩んだり、思いを伝えられなかったり。青春を謳歌した夏は、もうこれが最後かもしれないと思うと妙に感傷的になってしまったり。
若者にとっての夏とは、まさにそんな感じではないだろうか。
例えば人生を、幼少期、青年期、中高年期、老齢期と大きく4つに分けて、それを季節に重ねてみれば、青年期はまさに夏真っ盛りと言える。
そんな若者としての夏を終えて、大人への一歩を進めて行こうとする時の気分を的確に描いているのが、この「若者のすべて」なのかもしれない。
「夕方5時のチャイム」や、「最後の花火」など、何かの終わりを感じさせるようなフレーズが散りばめられていて、感傷的な気分を誘う。しかし、ここに歌われる歌詞には、誰が誰と見た花火なのか、そして、思い出してしまうのは花火なのか、それとも花火とともに思い出される大切な人のことなのか、夏の出来事なのか、具体的には描かれていない。
フジファブリックの楽曲の、ほとんどのソングライティングを手がけてきたのが、ギター&ヴォーカルの中心人物であった志村正彦だ。2009年の12月に29歳という若さで急逝した後も、彼の作る歌に魅了されるファンの数は今でも後を絶たない。
「これはこうだ」という表現をなるべくしたくないと語る志村は、例えば「君が好き」というよりも「君を嫌いじゃない」と表現すると語っている。そうすると「好き」になるかもしれないし「普通」のままかもしれない。そんな曖昧さこそが、素晴らしいラブソングになる可能性を秘めていると志村は信じていた。
人の心はいつも不安定で移ろいやすい。志村の紡ぎ出す言葉は、そんな心の揺れに対してあまりにも正直だ。強い断定的な言葉で聴く者をリードするのではなく、曖昧な言葉でそっと心に寄り添う。だからこそ、聴く者はそれぞれの状況や思いを重ねることができるのだろう。
一見、何のことを歌っているのかさっぱりわからないような、隙間だらけの歌詞に思えるが、揺れる心を的確に表した志村独特の表現だと言える。それが、実際に多くの共感を呼んでいるのだ。
立ち止まって思い悩むよりも、歩きながら悩む方が得策ではないかと思い、この歌が生まれたのだと志村は語っている。「若者のすべて」は、まさに当時20代の若者であった志村正彦のすべてでもあったのかもしれない。
今では多くのアーティストにカヴァーされ、また、テレビ番組やCMにも度々使用されている「若者のすべて」は、ゼロ年代に生まれたスタンダード曲と言っても過言ではないだろう。
槇原敬之によるカヴァー
Bank Bandによるカヴァー
なお、志村亡き後もフジファブリックは3人で活動を続けている。最近では、ハナレグミとのスペシャル・コラボレーション「ハナレフジ」としてツアーも予定されていて、要注目だ。
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