懐かしくて、温かい。「谷内六郎」の世界
「週刊新潮」の表紙絵を創刊時より描き続けた谷内六郎。多くの人々の心を魅了した独特の画風と、郷愁とやすらぎに満ちた日本の原風景が、現代の複製技術によって、ここに甦りました。
日本人の心の奥深くに宿る抒情詩を鋭利な感性で捉えた画人、谷内六郎
日本人の心の片隅にある情景を、奥深い抒情詩的な世界で描き上げた異才、谷内六郎画伯。1921年(大正10年)12月2日、9人兄弟の6男として東京・恵比寿に生まれ、6歳の頃に田園地帯が広がる世田谷へ転居。多感な幼少期を野の草や花々、雑木林のざわめきにつつまれる環境で過ごし、幼い頃から絵を描くのが大好きだったといいます。
尋常高等小学校を卒業後は、宿痾の喘息に悩まされながらも電球工場、町工場、看板屋、雑誌社の給仕と職を転々とし、そのかたわらで漫画やカットを新聞や雑誌に多数投稿していたほどです。
やがて「キング」や「少年倶楽部」などに度々入選するなど、徐々にその才能を発揮。そして1955年、「漫画讀本」に発表した「行ってしまった子」で第一回文藝春秋漫画賞を受賞。これにより、後の漫画界に大きな影響を与えることになる画伯独特の作風とともに、鮮烈な画壇デビューを果たしたのです。
翌1956年には「週刊新潮」の創刊と同時に表紙絵を担当。以降25年間にわたって、お馴染みの“日本人が忘れかけていた懐かしい風景”を描き続けていくことになります。子供たちの無邪気な様子、空、海、木々など自然の美しさを清々しく捉えた独特の描写力、そしてときには幻想的に、あるときは抒情的に描き出される一枚一枚の絵は、見る人の心を癒し、やすらぎをもたらしてくれました。
「僕は頭の中に引き出しがあるんです」と画伯が語っていたように、旅に出かけてもスケッチはほとんどせず、鋭利すぎるほどの想像力で独自の創作活動を続けていましたが、1981年1月23日、惜しくも59歳の若さで急逝。今回ご紹介する表紙絵ギャラリーでは、数々の作品を通して独特の谷内ワールドを築き上げた偉大な画業を今に甦らせていきます。
超高密度技法(※ジークレー法)で複製された「谷内六郎・表紙絵ギャラリー」
表紙絵の複製にあたっては、絵画複製の分野で定評があるジークレー法を採用。ミュージアムクオリティ(美術館級の所蔵作品)として通用する驚くべき再現力を誇り、これまで再現が難しかった微妙な色合いも見事に表現することができました。
※ジークレー法
原画をデジタル情報として一旦読みこみ、この情報をもとに非常に精緻な8色(「少女」シリーズでは7色)の噴き付け印刷を行う、復元方式。絵画複製の分野では定評があり、特に水彩画の複製においてはリトグラフに匹敵するクオリティを誇ります。
特注の額装と限定製作を証明する限定番号
谷内六郎「週刊新潮」表紙絵ギャラリーの作品はいずれも注文製作の希少価値の高いコレクションです。サイズは実際に描かれた表紙絵の原寸大で、画伯の絵を飾るにふさわしい額装を施し、限定番号をお入れしてお届けします。ご注文を受けてからジークレー法によって一点一点丹念に複製を行い、各作品とも限定数に達した段階で製作を終了いたします。
※「少女シリーズ」と春夏秋冬の「四季シリーズ」では額装が異なります。各ページでお確かめください。
※ホームページの写真と実際の商品の色は、多少異なります。
※「少女」各120部限定、「四季」(春夏秋冬)各300部限定。
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