父も祖父も医師という家系で育ったダンス&ボーカルグループ「TRF」のSAMさん(62)は私立医科大の系列の中学校を受験した。入試に向けて「本番で平常心を発揮するための準備力」を培ったといい、その習慣が今も身を助けているという。
病院を営む家に生まれ
埼玉で病院を営む家に生まれました。医師だった曽祖父が開院。曽祖父から祖父、祖父から父へと医師の家業が受け継がれて、総合病院になりました。物心がついた頃から「医者になるんだよ」と言われて育ちました。公立小学校に通っていた頃も、何の迷いもなく医者になるんだな、と思いながら勉強していたんです。
ただ、僕は低学年の頃は勉強がそんなに好きではありませんでした。体を動かす「体育」のほうを好んでいました。母は僕に最低限の学びをと考えてくれていたようです。それでも、僕は「なぜ」を理解するまでに時間がかかってしまう子供でした。たとえば母から「1リットルは1000ccと同じ」と教わっても、どうして「1000cc」に置き換える必要があるのかと疑問を覚えてしまう。その意味を何回も聞いた記憶があります。
そこで小学3年生になると、近所に住む小学校の元校長先生から勉強を教わるようになりました。北海道庁に属する出先機関の「14支庁」(平成22年に9総合振興局と5振興局に移行)をリズムにのせて覚えた記憶があります。そんなユニークな勉強法のおかげでスラスラと言えるようになったんです。
4年生になると東京の大手進学塾で日曜にテストを受けるようになりました。僕は5人きょうだいの次男。その塾には年子の兄も通っていました。地元の塾でも勉強していた時期があります。
算数は苦手だったけれど、暗記は得意でした。コロンブスのアメリカ大陸発見の年号を「意欲に(1492年)燃えるコロンブス」と覚えるなど、さまざまな語呂合わせを活用しました。歴史をドラマのようにイメージしながら学ぶのも楽しかったです。
受験が近づくと、塾の夏期講習に通いながら、夜も学習参考書『自由自在』を開き、自宅でひたすら問題を解いていた記憶があります。塾のテストで成果を出せたときは、すごくうれしかったですね。
準備で培う「平常心」
志望したのは、医科大の系列校、獨協中学・高校(東京)です。それと埼玉県内のもう1校。両方とも行きたい学校で、滑り止めは受けませんでした。
入試の本番は、まったく緊張しませんでした。日曜に塾のテストを受けていたので、場の空気に慣れていたんだと思います。その延長線上に受験がある、みたいな感覚でした。
これから受験する人に伝えたいのは、入試にたどりつくまでの心の準備の大切さです。塾のテストや模擬試験を受けるときに毎回、本番だと思って臨んでいれば、入試のときに割と「平常心」でいられるのではないでしょうか。そのほうが焦らずに実力が発揮できると思いますよ。
2校を受け、その結果、1校は不合格でした。落ちたときは親に申し訳なくてね。だから獨協中学・高校に受かったときは「ヤッター」というより、ほっとしたという感じでした。
医師になろうと思って選んだ学校でしたが、高校生になるとディスコに魅了され、僕はダンサーになりました。
それでも中学受験の経験は無駄にならず、ダンスの世界でも生きました。例えば、僕は急にオーディションを受けることになっても、慌てなくて済みました。いつチャンスが巡ってくるか分からない世界。直前に焦って対策を立てても間に合いません。でも、スタジオで受ける毎回のレッスンをオーディションだと思いながら臨んでいれば、集中力の高め方が分かり、よい緊張感につなげられるはずです。受験のときに培った「本番で平常心を発揮するための準備力」はダンスにも通じていると思います。
いとこと再会した50代
50代では、医師を志して中学受験したときの気持ちを思い出すような出来事がありました。
僕と同じ獨協中学・高校に進み、循環器系の医師になったいとこと、地元で開催されたイベントで久しぶりに再会。そこで「リハビリになるようなダンスを作れないか」と相談されたんです。高齢者でも踊れて健康の維持に役立つものをと、いとこと一緒に作ったのが、「ダレデモダンス」です。いとこのおかげで医学界とのつながりもできました。
実家から足が遠のいていた僕が医療に携わるきょうだいたちと改めて関わるようになりました。度々、ダンスのワークショップも開いています。僕を動かすのは、人々の健康のために何かしたいという気持ち。その思いできょうだいともつながっているような気がするんです。
還暦を意識し始めた頃からは、老化を肯定的に捉える学問、ジェロントロジー(高齢期の学問)を学び始めました。南カリフォルニア大学デイビススクールの通信教育課程を修了したんですよ。ダンスのプログラムを作るうえでも役立つ知識を得たいと思っていたので、この学問を習得するのはとても楽しかったです。今はダンスを通じて多くの人たちに元気になってもらいたい、と思っています。(竹中文)
プロフィル
SAM(サム) 昭和37年生まれ。埼玉県出身。高校生のときにディスコでダンスに目覚め、その後、ニューヨークで学ぶ。平成4年にダンスボーカルグループ「TRF」を結成し、そのメンバーとして5年にメジャーデビュー。振付師としても活躍し、平成28年に健康寿命の伸長を目指して一般社団法人「ダレデモダンス」を設立。令和4年発売のシニア向けエクササイズ「リバイバルダンス」のCDとDVDのセットは販売数10万セットを突破した。