国民感情にかなった常識的な判断だ。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の献金勧誘訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷は教団勝訴の2審・東京高裁判決を破棄し、審理を差し戻した。
教団が適法性の根拠にしてきた元信者の念書の有効性を否定した。宗教団体の献金トラブルが各地で被害を発生させた過去を思えば遅きに失した感はあるが、最高裁の判示は妥当で意義は大きい。
元信者の女性は約1億円を献金し、娘とともに賠償提訴した。女性は献金後の86歳のときに、献金は自分の意思であり、教団に返金や賠償を求めない、との念書を作成し、署名押印した。教団はこれを反論の根拠として、1、2審は教団の献金勧誘に違法性なしと原告敗訴の判決を言い渡していた。
女性は念書作成の半年後に認知症と診断された。そのような状態でこんな念書など作成可能だったか。作成時の様子は撮影され、審理で教団側から証拠提出されたが、それ自体が周到すぎないか。そもそも洗脳が疑われた女性の署名押印が有効なのか―それが一般感覚だろう。
だが1、2審は「念書は公序良俗に反しておらず、教団は女性の自由意思を阻害していない」と原告の訴えを退けた。
これを最高裁は全面的に否定した。念書は公序良俗に反すれば無効だが、それは「当事者の状況」や「念書作成の経緯」「目的」「当事者が被る不利益の程度」などの要素を総合勘案して判断すべきと判示した。また教団の献金勧誘は、寄付者らの生活維持を困難にしないよう十分配慮すべきとし、「勧誘の在り方が社会通念上、相当に逸脱する場合は違法」と断じた。宗教団体の献金勧誘を巡る、明快で道理の通った最高裁の初判断である。評価したい。
その上で女性は洗脳状態だったとして念書を無効と判断し、それを踏まえた勧誘の違法性の検討を求めて審理を差し戻した。差し戻し審は献金勧誘を違法とする判決が出るだろう。
信教の自由が国権に過剰に抑圧された時代の名残で、警察や司直は宗教団体への介入に長く消極的だった。これが悪用され、オウム事件などを誘発した歴史を忘れてはなるまい。社会通念から外れた活動は宗教でも許されない。ようやく真っ当な道理が通るようになった。