最大震度7を観測した能登半島地震では、石川県七尾市の老舗温泉街「和倉温泉」でも甚大な被害が発生した。年末年始をこの地で過ごそうとしていた観光客は浴衣姿のまま避難を余儀なくされた。温泉街には激震の傷痕がいたるところに残り、営業再開には難問山積だが、利用客や地元住民からは、避難誘導や物資の支援に尽力した旅館側に対して感謝の声も上がっている。
「元日は233ある部屋がほぼ予約で埋まり、揺れが起きた時間帯は8割方のお客さまがご到着されていました」
和倉温泉を代表する旅館「加賀屋」広報担当の張原滋さんは、地震発生当日を振り返る。同市の最大震度は6強。立っていられないほどの揺れの後、間もなく大津波警報が発令された。旅館は海に面しており、すぐに避難所に指定されている高台の小学校などに誘導する作業が始まった。
「地震が起きたときは夕食までの間、お風呂を楽しまれていらっしゃるお客さまも多かった。浴衣にコートを羽織って避難していただくような状態でした」
エレベーターが止まったため、最上階の20階まで従業員が駆け上がって避難を呼び掛けた。激しい揺れのためにアスファルトは割れ、避難所まで利用客を送迎した車の何台かはタイヤがパンクしたという。足の不自由な利用客の車いすを必死に押して避難所へ連れていった。
当時、旅館内では300人程度の従業員が勤務しており、利用客の誘導のほか、避難所に布団を持ち込んだり、食事のおにぎりを届けるなど、それぞれが役割を分担して対応に当たった。張原さんは「夕食を楽しみにされていたところに起きた地震だった。みなさま、おなかをすかせていらっしゃると考え、(旅館内の)売店のお菓子も全て避難所に持っていきました」と話す。
◇
一夜が明け、不安を感じる利用客のなかには早めに避難所から旅館に戻り、荷物をまとめ始める人もいたという。2日午前8時ごろから、自家用車でやってきた人々が帰宅をはじめ、11時半ごろからマイクロバスやワンボックスカーなどで、その他の利用客の送迎を開始した。
「どの道が通れるか分からないので、タクシー会社や警察などに片っ端から連絡を入れました」といい、通常なら1時間15分ほどで行けるJR金沢駅まで約3時間をかけて利用客を送り届けたという。
揺れで館内はひどい状態だといい、現在は限られた従業員のみで確認を行っている最中だ。建物の外観にもヒビが入っており、「いまは1月に予約されたお客さまにご利用ができない旨、ご説明している」とし、「いつ再開できるかは分からない」とも続けた。
そんな厳しい状況のなか、癒やしになっているのが旅館側の対応によって難を逃れた人々の声だ。X(旧ツイッター)では利用客とみられるユーザーが感謝の思いを投稿。張原さんによると、旅館にも直接「『いま、家に着きました』と(従業員に)伝えてください」といったメッセージも届けられたという。
◇
感謝の声は、地元住民の間からも上がっている。加賀屋などから避難した多くの観光客を受け入れた市立和倉小学校では1日の地震直後、地元住民も含めて約1400人が身を寄せ合った。
避難所の運営を担っている市職員は「来た人は拒めないので避難所に定員はない」と話すが、備蓄物資は明らかに不足。食料は加賀屋をはじめとした複数の旅館から持ち込まれた分で何とかしのいだという。
5日時点で同校に避難しているのは地元住民を中心とした約200人。電気とガスは使えるが、断水は続く。朝夕にボランティアが炊き出しを行い、昼はインスタント食品と水が配られている。エアコンが効く教室は体が不自由な人などが優先的に使い、他の人は灯油ストーブが3台置かれただけの体育館で過ごす。
金沢市在住で七尾市の実家に帰省していた田端清治さん(63)は、2日から母(89)と体育館で暮らしている。1日は学校前の坂道に車を止めて車内で一夜を明かしたが、「旅館の従業員に誘導され、寒そうにしながら校内へと入っていく浴衣姿の観光客を100人くらいは見た。その後で、たくさんの布団を荷台に積んだトラックが次々と通り過ぎていった。初めて見た光景だった」と話す。
同市在住で1日から体育館に避難している旅館従業員の男性(71)は、同日夜の状況について「たくさんの人が避難しており、布団が敷き詰められて足の踏み場もないほどだった」と振り返る。布団は加賀屋が運び込んだもので「1人ずつ配られた。これがなかったら、とても寒かったと思う。助かった」と笑顔を見せた。(小野晋史、宇都木渉)