安倍晋三元首相が遊説中に銃撃され、落命した事件から1カ月がたとうとしている。容疑者が動機を世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みと供述したことから、政治と旧統一教会の関係が焦点となっている。
その過程で旧統一教会に家庭を破綻させられた容疑者の成育環境に同情が集まり、「犯行はテロではなかった」とする誤った言説や、容疑者を礼賛する声まで散見される。極めて危険である。容疑者の肯定は、次なるテロを生む。
テロリズムとは何か。
平成25年に公布された特定秘密保護法は「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」と規定した。これが公の、最も新しいテロリズムの定義である。
目的は政治に限定されない。政治テロ以外に思想テロ、宗教テロもあり得る。朝日新聞の記者が殺害され、社屋が銃撃を受けた「赤報隊」による一連の事件も、同紙の論調を標的とするテロである。だから産経新聞も、厳しく一連の犯行を批判してきた。
同様に、安倍氏銃撃も明白なテロ事件である。
それを例えば、朝日新聞は7月16日付の朝日川柳に「動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです」との句を掲載し、同紙OBの選者が「テロリズム=政治目的のために暴力に訴えること」と解説を加えた。これは読者投稿を用いた明らかなミスリードであろう。
テロ対処の要諦は、テロリストの主張に耳を傾けないことだ。旧統一教会の問題を論じるな、ということではない。「霊感商法」による多額の詐欺被害や、洗脳の果ての合同結婚式など、悲惨な被害者を多数生んだ反社会的集団である。政治家がそうした団体との関係を断つべきは当然である。
ただ、こうした議論や運動を容疑者による犯行の成果ととらえることは、絶対に避けなくてはならない。テロに、いいテロも悪いテロもない。白色テロも赤色テロも全て等しく指弾すべきである。
インターネット上では「真相解明のためには第2、第3の事件が必要だ」といった書き込みも目にする。安倍氏銃撃という悲惨なテロ事件の肯定を、決して許してはいけない。