『夏、至るころ』池田エライザ初監督、田川の懐で描いた青春
フクオカ☆シネマペディア(15)
モデル、俳優で、弾き語りの歌やテレビ番組の司会をこなし、エッセーも書く。才能豊かな池田エライザ(福岡市出身)が今度は映画監督に挑んだ。旧産炭地・福岡県田川市を舞台とする初監督作「夏、至るころ」(全国公開中)は池田の時代感覚と、「懐が広くて愛情深い」という田川の人たち、風土、景観が結び付いて描き出される青春映画だ。
監督就任は、「地域」「食」「高校生」を題材とする青春映画制作プロジェクト「映画24区」のオファーがきっかけ。池田自身が田川市を訪ね、市民の協力で開かれた世代ごとの座談会で話を聞き、取材を重ねて作品の原案をまとめた。
高校3年の夏を迎えた主人公、翔(倉悠貴)はまだ進路が決まらない。家族は3世代6人。両親、祖父母は、ぼんやりしたところがあって風変わりだが実は考えが深い翔をそっと見守っている。勉強だ何だとせき立てない。
家族造形のベースにあるのは、池田が取材で感じた田川の気風だろう。「静かなようで内側に触れるとすごく大きくて、あたたかい」「個を大事にして、人それぞれの違いを重んじている。(田川が)IKKOさんや小峠英二さん(バイきんぐ)、バカリズムさん、井上陽水さんたちを輩出しているのもうなずける」
食卓はにぎやかだ。祖母(原日出子)と母親(杉野希妃)は、ホルモンとジャガイモの煮込み「ホルじゃが」(プロジェクトで考案された新名物)やパスタに腕をふるう。「全部大盛りで『たんと、食べな』っていう感じ」だった田川の食堂のイメージを重ねたか。
物語は翔の同級生、泰我(石内呂依)が翔と一緒に参加する和太鼓グループをやめ、受験勉強に専念することで動き始める。公務員になって「普通の幸せ」を得たいという。
翔はしっかり者の友が離れて寂しい。太鼓はやめない。「なぜ大学に行くのか」と問う翔に、泰我はいらだつ。そんな青春の葛藤を、田川市の伊田商店街や昭和の雰囲気が漂う食堂、風治八幡宮、東鷹高校などを舞台に描き出す。
2人は「ギターを売りたい、歌手をやめる」という若い女性、都(さいとうなり)と出会う。注文通りに歌を作って歌う中で「歌も自分も嫌いになった」という。迷路の中にある2人の心はさらに波立つ。
幸せとは何か。翔は本を読み、家族らに問う。祖父(リリー・フランキー)は田川のシンボル、旧炭鉱の2本煙突が重なって1本に見える場所に立つと幸せになる、と語った女性との昔話を始める-。
「夢を描きにくくなっている」と池田がいう時代、描き出す10代の2人は繊細で、迷い苦しむ。だが、心はまっすぐだ。幸せは足元にある。先ばかり見ずに好きなことは続ける。友は大事にする。その価値を池田は思う。「今を生きてほしいな」と言うのである。
田川の景観は緑豊かでおだやかだ。池田が田川で最も好きな景色だという、香春岳が霧にけぶって美しい。緑の田川盆地が、若者たちを静かに見守って育む揺籃(ようらん)のように見えてきた。 (吉田昭一郎)
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