日経サイエンス  2010年10月号

宇宙のエネルギー保存則は破れているか

T. M. デイビス(クィーンズランド大学)

 エネルギーは無から生じることも失われることもない。この「エネルギー保存則」は物理学で最も重要な基本法則の1つだ。しかし,この法則は広大な宇宙全体に対しては成立しないのではと思えるような現象がある。はるか彼方の銀河から届いた光の波長が引き伸ばされる「赤方偏移」と呼ばれる現象だ。

 

 波長が長い光ほどエネルギーが低いことから,光子は遠くの銀河から私たちの太陽系まで旅する間にエネルギーを失っていることになる。光子は本当にエネルギーを失ったのだろうか?

 

 宇宙論的な赤方偏移は光が伝わる空間そのものが膨張しているために起こり,緊急車両のサイレン音など,音源と観測者との間の相対運動が原因で起こるおなじみの「ドップラー効果」とは別の現象だと一般に考えられている。しかし,銀河と観測者の運動を「時空」上の軌跡としてとらえると,銀河の赤方偏移は,放射源である銀河が観測者から遠ざかっているからだとも解釈できるようだ。そうなると,光子がエネルギーを失っているように見えるのは観測者の視点と相対運動に起因する見せかけにすぎないことになる。

 

 結局のところ,1つ1つの光子は赤方偏移を受けても,エネルギーを失ってはいない。天の川銀河内で起こるあらゆる現象でも,エネルギーは保存されている。では,宇宙全体では? 著者はいう。「宇宙全体のエネルギーはそもそも定義できない」し,「宇宙はエネルギー保存則の及ばない領域にある」。

 

 

再録:別冊日経サイエンス196「宇宙の誕生と終焉 最新理論でたどる宇宙の一生」

著者

Tamara M. Davis

2004年にニューサウスウェールズ大学でPh.D.を取得,現在はオーストラリアのブリスベーンにあるクィーンズランド大学の研究員であるとともにコペンハーゲン大学准教授。天体物理学の大規模データを通じて,暗黒エネルギーや暗黒物質の性質などを調べている。オーストラリア物理学会の優秀若手研究者賞とオーストラリアのロレアル・ユネスコ女性科学者賞を受賞。オーストラリアとデンマークのアルティメット・フリスビーの代表選手でもある。

原題名

Is the Universe Leaking Energy?(SCIENTIFIC AMERICAN July 2010)

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