保阪正康 日本史縦横無尽
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「きけわだつみのこえ」(4)徴兵された大正世代学徒兵の不運
あえて「きけわだつみのこえ」というベストセラーを論じる時に、大正10年前後生まれの学徒兵の中にわだかまっている不信感、あるいは怨嗟のまなざしについて語っておきたいと思う。学徒兵に限らず、太平洋戦争で…
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「きけわだつみのこえ」(3)22歳で逝った学徒兵が命の代償に伝えたこと
自らの志と反するこの国の政治体制に不満を持ちながら特攻隊員としてアメリカ軍の艦艇に体当たりした学徒兵。上原良司らの残した言辞を私たちも記憶にとどめておきたい。 上原の妹さんは、軍内での日記、…
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「きけわだつみのこえ」(2)特攻隊員・上原良治の妹から聞いた話
「きけわだつみのこえ」(戦後社会の初期のベストセラー)に収められている学徒兵の上原良司の遺稿について、記述を進めていく。この遺稿で、上原は自らの心情を正直に吐露している。そこには、戦争においての勝敗は…
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「きけわだつみのこえ」(1)1年で20万部を超えるベストセラーに
戦後すぐのベストセラー「旋風二十年」を大衆の怒りの表れと分析すると、もう一つのベストセラー「きけわだつみのこえ」は、学徒の心からの叫びが多くの読者を獲得することになったと言えるであろうか。学びの場か…
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「旋風二十年」(10)このベストセラーは大衆の反乱だった
昭和50年代初め、東條英機という軍事指導者はいかなるタイプであったのか、私は次代の者としてその実像を確かめようと取材を進めた。そして評伝を書こうと思ったのである。戦争が終わって30年近くが経っていた…
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「旋風二十年」(9)私が取材で会った旧軍人たちの「認識」とは
東條が権力を握り、我が物顔に昭和10年代の日本の軍事を振り回したとの主張は、「旋風二十年」に限らず、戦後刊行された書籍に共通している。これはGHQ(連合国軍総司令部)の対日方針とも合致したのである。…
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「旋風二十年」(8)東條英機はいかに権力維持を図ったのか
「旋風二十年」という戦後初のベストセラーは、戦争の責任が誰にあるのか、あるいはどういった組織機構に問題があったのか、さらには国民の知らない事実などを明確に書いて読者(国民)を驚かせている。戦後80年を…
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「旋風二十年」(7)グルーの拝謁をうやむやにした東條英機と東郷茂徳
ルーズベルト大統領からの親電を受け取ったのは12月7日(昭和16年)の午後10時半であった。駐日大使のグルーはすぐにその親電を外交上の文書にして、外相公邸の東郷茂徳の元に駆けつけ、「訓令通り天皇に捧…
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「旋風二十年」(6)ルーズベルト親電 遅延事件
ルーズベルト大統領が、昭和天皇に宛てて打った電報はいかにもアメリカの好む平和希求の表現に満ちていた。「陛下の軍隊」はほとんど一方的に南部仏印に入っていったと語り、こうした行動で、フィリピンや東インド…
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「旋風二十年」(5)日本が歴史的汚名を浴びた真珠湾攻撃
前回に続いて、ハルノートの背景ともいうべき歴史的事実を箇条書き風に記していこう。意外な事実もある。こうした事実の全てを「旋風二十年(解禁昭和裏面史)」が記しているわけではないが、ジャーナリストたちは…
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「旋風二十年」(4)ハルノートの真実は
日本が対米英蘭戦争に踏み切った最終的な理由は、昭和16(1941)年11月26日にアメリカの国務長官C・ハルから駐米大使の野村吉三郎に手交されたハルノートが原因だとされる。この通牒に触れた日本の軍事…
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「旋風二十年」(3)徹底的に批判された軍事指導者と協力者たち
さてそれではベストセラー「旋風二十年(解禁昭和裏面史)」では、日米開戦の経緯についてはどのように書かれているのであろうか。その点も確かめてみたい。 まず軍閥に対して容赦ない批判を浴びせている…
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「旋風二十年」(2)東京裁判の主任検事キーナンも参考にした
東京裁判の主任検事のJ・キーナンが、その職を命じられて日本にやって来たのは昭和20(1945)年の12月であった。キーナンはマッカーサーに命じられて来日したのである。しかし現実にはどのような起訴状を…
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「旋風二十年」(1)新聞記者の悔しさがにじみ出たベストセラー
店頭に並ぶやたちまちのうちに、売り切れとなってしまう。今からでは想像もできないほどの売れ行きであった。そして昭和22(1947)年、23年のベストセラートップから動かない。それが「旋風二十年(解禁昭…
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戦後に噴出した知への渇望
戦後社会の特徴は、これまで見てきたように、エロを中心としたカストリ雑誌の隆盛という側面と、その一方で、極めて真面目な知的関心に応える書もまた売れたのである。昭和21(1946)年のベストセラーのラン…
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「肉体文学」「ストリップ」、性にまつわる大衆芸能が広がる
カストリ雑誌は大体が昭和20年代の中ごろから後半には、ブームも去ってしまうのだが、戦後間もなくのころは「性」にまつわる文学作品や社会的な動きが表面化している。肉体文学とかストリップなどがそうなのだが…
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とにかく支配階級をからかい嘲笑した暴露雑誌
カストリ雑誌という範疇に組み込まれるのだが、エロ・グロよりも昭和期のファシズム体制下に伏せられていた史実を暴露する雑誌もあった。主に左派系のジャーナリストなどによって編集されていたのであろうが、こう…
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『アベック』『ラブリー』…カストリ雑誌は戦後に横文字化していった
カストリ雑誌はそのタイトルもまたユニークであった。収集家の元にある実物を見た時に、私はその幅広さに驚いた。「猟奇」は、警視庁の摘発第1号(昭和22年1月9日)として有名であった。わいせつ物頒布罪とい…
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カストリ雑誌は性に関して何でもありだった
日本の歴史上、性に関してほとんど制限なしに自由に扱えるようになったのは、この占領期からであった。それゆえに、というべきであろうか、カストリ雑誌の性的表現やそのストーリーは極端な内容に満ちていた。そう…
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戦後2、3年はエロ・グロが売りのカストリ雑誌が流行した
戦後の「言論の自由」や「出版の自由」という新しい時代の到来には、まず3つの特徴を挙げることができる。第1が、暴露モノ。戦前、戦時下は真相や真実が報じられることは許されなかった。そこで庶民は、「本当は…