ネットロアをめぐる冒険

ネットにちらばる都市伝説=ネットロアを、できるかぎり解決していきます。

2万件も入浴中の事故死は起こっているのか、情報の見せかた大喜利

冬も深まると恋しくなるのが温泉ですが、入浴の事故が多いんですよと言うお話。

 

 

「風呂で亡くなる人が約2万人」ということで、交通事故よりもはるかに多い数です*1。うち自宅が「5千人」で、温泉などで「1万5千」人が亡くなっているとのこと。予防にはお茶とお菓子、水分補給をあげられていました。

 

こういう伝聞の数字が出てくるとどうしても正しいのかどうか疑ってしまう私の悪い癖があるので、毎度のように小姑めいた検証をしていきたいと思います。今日は大きなデマとかそういう感じじゃなくて、重箱の隅をつつく感じのお話であることをご了承ください。

 

 

***

2万人は推計である

実は、入浴中の死亡数に関しては、きちんと統計が出ています。厚労省が出している「人口動態統計」に、「不慮の溺死及び溺水」という項目があり、厚生労働統計協会が、そのうち発生場所を細かく分類したものを公表してくれています。

www.hws-kyokai.or.jp

 

入浴中の死亡事故と考えられる死因は「浴槽内での溺死及び溺水」及び「浴槽への転落による溺死及び溺水」となるので、それを上記サイトから合計して年次推移として表すと以下の通り。

 

f:id:ibenzo:20171224114708p:plain*2

 

右肩上がりではありますが、だいたい3000件~5000件前後を推移していることがわかります。あれ、2万件もないですね。

 

ではこの数字が間違いかと言うとそうではなく、この死因はあくまで「溺死及び溺水」のみであり、たとえ入浴中であっても、心疾患や他の外因が死因として処理された場合は入浴中の事故として認識されないことになります。なので、厚労省の統計だけでは、正確な入浴中の事故の総数が把握できない、というのが一般的な認識です。

 

ということで、いくつか入浴中の総数の推計に関する調査はあるのですが*3、「約2万人」の数字に近いのは、厚労省助成の研究による、堀進悟らの「入浴関連事故の実態把握及び予防対策に関する研究」の「19000人」という数字と思われます。

 

mhlw-grants.niph.go.jp

 

論文が上記リンクで読めるのですが、当該研究は「19000人」の算出方法として、

 

・入浴関連死の9割以上を65歳以上の高齢者が占める

・2012年10月~2013年3月の全国の心肺停止発生件数を平均値で演繹すると13690件

・上記は冬季のみの件数であり、冬季は通常期の1.37倍の発生件数であることを鑑みると、日本全国の推計値は18755件となる。

 

「入浴関連事故の実態把握及び予防対策に関する研究」P28

 

としています。ちなみに、この研究では「入浴中の心肺停止発生件数は最低気温によって規定される」としており、予測式に当てはめると22000件になるだろうと推測されています*4。

 

なので、19000人という数にある程度根拠はあるのですが、実測値ではないことに留意が必要です。

 

温泉で15000人も死んでない

もうひとつ気になるのが、「5千人は自宅で、後の1万5千名は温泉などで亡くなっている」という数字です。

 

先ほどの堀の研究では、「入浴事故の発生した家屋等の種類」という項目があり、

 

3都県ともに心肺停止群と救助群ではそのほとんどが、一般家屋やマンション・アパート等の集合住宅、あるいはホテル等の宿泊施設の個別の浴室で発生した。

前掲 P30

 

の記載があります。「温泉」と聞くと、公衆浴場的なものを思い浮かべますので、少しずれを感じます。詳細な場所別のグラフを見ても、心肺停止や救助群は8割以上が家庭での出来事です。

f:id:ibenzo:20171224101322p:plain

前掲 P49

 

前述した厚生労働統計情報から、浴槽内の死亡に限ってですが、家庭内と公共やサービス施設の死亡数を比較してみました。

 

f:id:ibenzo:20171224102027p:plain*5

 

明らかに家庭内での事故がほとんどであり、ツイートにあるように、温泉での事故が家庭の3倍もあるとは思えません。また、同研究の中では、温泉地の死亡例が事故件数の割に少ないことに触れられています。

 

温泉地の調査では、事故発生数対し死亡例が極めて少なかった。理由として、適温の温泉が浴槽を常時満しており、浴室の温度が低温になり難くまた湿度が比較的高いため入浴時の湯温による皮膚刺激が少ない事。集団入浴による自動的監視が早期発見に寄与している事が推測される。

前掲 P219

 

「5千人は自宅」は、恐らく厚労省の人口動態統計の数字を指すと推測できますが、「1万5千名は温泉」の根拠となる数字はよくわかりませんでした。何か別の統計があるのかもしれませんが、各種資料を参照する限り、自宅より温泉という外部施設の死亡数が高くなるとはちょっと考えにくいです。

 

お菓子を食べることは予防に有効なのか

もう一つ気になるのが、予防策としてあげられている「旅館に着いたら必ず用意してあるお茶を飲みお菓子を食べる」という記載です。

 

実は、入浴中の死亡事故の原因については、ヒートショックなどの例があげられていますが、巷での認識ほど明確化されていないのが現状です*6。

 

堀は入浴中の心肺停止の原因として、三学会の調査研究を以下のように統合しています。

 

①器質的疾患(脳血管障害、急性冠症候群)のために入浴中に心肺停止となり、あるいは意識障害を発症して出浴困難となり、溺水あるいは高体温のためにショックとなり死亡する。

②非器質的疾患(日本救急医学会:熱中症、日本法医学会:アルコール・眠剤、日本気候温泉物理医学会:血圧低下)により意識障害が誘発され、出浴困難となり、溺水あるいは高体温のためにショックとなり死亡する。

 前掲 P223

 

器質的疾患より、非器質的疾患の方が割合は高くなるので、そちらの予防が大事となります。堀は予防策として、

 

・浴室暖房

・飲酒後入浴の回避*7

・高温入浴の回避

・長時間入浴の回避

前掲 P226

 

を挙げています。「お茶を飲」むという水分補給*8は、「高温入浴による熱中症仮説」という観点からも有効と思いますが、「お菓子」については、これは血糖値の上昇を考えてのことでしょうか。これまでの研究では、残念ながら入浴と血糖値低下の関係については明示されていないため、この予防策が有効がどうかは判断できません*9。

 

むしろ、反対に、入浴前の飲食は血圧低下を招く危険性もあります。

 

また高齢者では、食後に血圧が下がりすぎる食後低血圧によって失神することがありますので、食後すぐの入浴は避けましょう。

消費者庁ニュースリリース 平成28年1月20日「冬場に多発する高齢者の入浴中の事故に御注意ください!」P4

http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/release/pdf/160120kouhyou_2.pdf

 

お菓子一個ぐらいでは問題ないのかもしれませんが、入浴事故の9割は高齢者が占めているのですから、拡大解釈的に「入浴前にごはんを食べたほうがいい」にならないように注意しなくてはなりません。

 

堀らの研究では、

 

・お湯は41度以下で10分まで、長湯はしない様に気を付けましょう。

・浴室、脱衣所も暖めておきましょう。

・転倒防止にてすりを設置しましょう。

・声をかけてからお風呂に入りましょう。

堀 2013 P228

 

という安全対策を提言しています。お茶やお菓子の効用を全く否定するわけではありませんが、「温泉地の工夫が入浴事故防止につながっている!」ような安易な発想だけでもって語られるべきではない、ということです。

 

今日のまとめ

①「約2万人」はあくまで推計であり、統計としての実数は5000件程度である。

②入浴中の事故は明らかに自宅での発生が多く、温泉での死亡数が多くなるとは考えにくい。

③入浴前の飲食は、特に高齢者は血圧低下を招く恐れがあり、「お茶やお菓子」が予防に有効であるというだけの情報が独り歩きすることは注意しなければならない。

 

今日は細かい部分の指摘で恐縮なんですが、結局、耳目をひく情報と言うのはその見せ方にあります。だって、厚労省の研究の予防策の「41度以下で10分まで」とかなんて、まったく面白くないでしょう。それより、 「旅館に着いたら必ず用意してあるお茶を飲みお菓子を食べる」の方が具体的だし、わかりやすいものです。

 

たとえば他の資料にあったのですが、「浴室を暖める」なんて、浴室に暖房でもつけなきゃ無理じゃないか、と思いますが、「高い位置からシャワーで浴槽にお湯をためる」という具体策で示すと*10、なるほどな、と思います。そうすると、浴室全体があったまるんですね。推計とはいえ、入浴時の事故死の数がかなり多いのは事実です。うまい切り取り方で提示していかないと、なかなかこういう事故は減らないんじゃないでしょうか。誰かうまいことを思いついたらtwitterで発信してみてください。

 

*1:

ちなみに細かい部分ですが、2016年の交通事故死者数3904人なので、対2万には約5倍です。

【図解・社会】交通事故死者数の推移:時事ドットコム

温泉の「1万5千」と比較するならば、3倍より「4倍」の方が近いでしょう。いずれにせよ、「交通事故の約3倍」はどちらの数字とも数があいません。

*2:

算出は厚生労働統計協会の「ICD基本分類による年次死亡数データ」を使用。

「W65浴槽内での溺死及び溺水」及び「W66浴槽への転落による溺死及び溺水」を入浴中の事故と判断し合計して算出した。

*3:

本文中の厚労省の研究以外では大きく2つ。

○地方独立行政法人 東京都健康長寿センター

「東日本における入浴中心臓機能停止者(CPA 状態)の発生状況」2013年

2011 年一年間の東日本地域での入浴中 CPA 発症事例を分析した結果、高齢者を中心におよそ 17000 人の方が犠牲になっていると推計された。

http://www.tmghig.jp/J_TMIG/release/pdf/20130328_takahashi.pdf

ここでは、17000人ほどと推計されています。

 

○東京救急協会 入浴事故防止対策調査研究委員会 調査報告書 2000年

元データがネット上で見つからなかったのですが、各種論文の引用を見ると、14000人程度と分析されています。

*4:前掲 P29-30

*5:

算出は厚生労働統計協会の「ICD基本分類による年次死亡数データ」を使用。

「家庭内」は「W65.0 浴槽内での溺死及び溺水,家(庭)」を使用。

「サービス・公共施設」は「W65.2 浴槽内での溺死及び溺水,学校,施設及び公共の地域」+「W65.5 浴槽内での溺死及び溺水,商業及びサービス施設」で算出。

*6:

例えば、ヒートショックのような「血圧変動仮説」について、前掲した研究の中で堀は問題点として、

・高齢者への高温入浴負荷試験が倫理的に困難で心肺停止との因果関係が立証できない

・体温上昇による血圧低下や意識障害は熱中症仮説に含まれる

・熱中症と考えない場合には病名が不明である

前掲 P9

などを挙げています。

*7:ただし、「多くの心肺停止は飲酒なしに発生するので、飲酒しなければ安全と誤解されないように注意が必要」との但し書きもついています。

*8:

カフェインが入っているとだめなんじゃないの?と思ったんですが、現在はカフェインの脱水作用については否定されているんですね。

“カフェインの脱水作用”。その真偽について。水分補給の専門家であるAnn Grandjean先生 へのインタビュー: The Coca-Cola Company

*9:

糖尿病の方は低血糖になりやすいので、注意が必要なようです。

入浴中の低血糖は発見が遅れやすく、溺れることもあります。空腹時は避け、食後2時間くらいで入浴すれば、まず問題ありません。

10. 糖尿病生活Q&A-糖尿病セミナー-糖尿病NET

  インスリン治療を行っているほとんどの症例は低血糖を経験している.特にインスリンの血中濃度がピークとなる時間帯,各食前の空腹時,深夜から早朝,運動をしている最中あるいはその後,入浴後などに起こりやすい. 

「低血糖性昏睡」P686

https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/105/4/105_683/_pdf

*10:

入浴するまでの準備|ヒートショックを防ぐため浴室を温めましょう