漆の研究でコーヒーを科学する。異色の共同研究から考える、これからのものづくり<前編>
株式会社サザコーヒー 鈴木太郎 代表取締役社長(左)
明治大学 理工学部 応用化学科 本多貴之 准教授(右)
茨城県ひたちなか市に本店を構えるSAZA COFFEE(サザコーヒー)は、喫茶業のみならず、コーヒー豆の輸入や加工、さらにはコロンビアで自社農園を運営する、コーヒー業界のトップランナーです。世界最高級の豆「ゲイシャ」を取り扱うことでも知られ、国内外から高い評価を得ています。そんなサザコーヒーの鈴木太郎代表取締役社長が、コーヒーの香りについて明治大学 理工学部 応用化学科の本多貴之准教授と共同研究を展開。1杯3,000円のパナマ・ゲイシャを飲みながら始まった、対談の模様をお伝えします。
コーヒーの価値の中枢である「香り」を分析してみたかった
本多:ゲイシャはフルーティな独特の香りがいいですよね。初めて飲んだときはものすごい衝撃だったんですが、何度か飲むうちに馴染んできました。
鈴木:ほかにはない香りでしょう? 私も最初に出会ったときは衝撃を受けたんですが、出がらしまで吸い込みたくなるぐらいウマいなと思ったんですよ。
本多:それぐらいのインパクトがありますよね。鈴木社長にとって美味しいコーヒーとは何ですか?
鈴木:家に帰って家内が淹れてくれた一杯ですね(笑)。
本多:確かにひと仕事終わったあとに飲むコーヒーは美味しいです(笑)。
鈴木:仕事ではないときのコーヒーが最高ではあるんですが、産地で豆を選んでいるときに飲むコーヒーも好きですね。以前、ケニアへ行ったときには、すべて別々に豆を焼いて粉にしてお湯をさしたものが400カップくらい用意されていたですよ。そこから自分の好きなものが見つかると、なんと幸せなことか…。コロナ禍になりサンプルが400個送られてきたことで、現地の人に淹れてもらうコーヒーがいかに贅沢で最高だったかを再認識しました。
ケニアでのコーヒーの試飲。「すべて別々に豆を焼き、粉にして、お湯をさしたコーヒーが400カップも並んでいる様は壮観」と鈴木社長
本多:400杯も試飲されること自体、すごいです…。鈴木社長とはもともと、共通の知り合いだった日本原子力研究開発機構の関根(由莉奈)先生を介してお目にかかったんですよね。関根先生との共同研究の打合せの際に、「コーヒーの香りの分析はできますか?」って訊かれ、ちょうど香木の研究をしていたので「できますよ」と答えたら、ウェブ会議をセッティングしてくださって。
鈴木:ちょうど僕が、横浜の治療院へ行く前の空き時間に、その近くの公園から参加したんですよ。
本多:「今、横浜なら、川崎(明治大学 生田キャンパス)までいらっしゃれますか?」と伺ったら「行けます」と(笑)。それで直接、匂いの分析をするための吸着装置などを紹介させていただいて、「じゃあ一緒にやりましょう」と共同研究がスタートしましたもんね。
鈴木:本多先生と出会えたのは本当にありがたいご縁です。肩の治療へ行ったのも、その前に時間が空いていたのもラッキーでした(笑)。
本多:そもそも鈴木社長が香りの分析に興味を持たれたきっかけは、なんだったんでしょう。私は博士課程時代、漆が硬化すると匂いがなくなってしまうのは何故なのか気になって研究を始めました。その分析手法を香木に活用し、今回はコーヒーに転用したわけなんですが…。
鈴木:コーヒーは置いておくと嫌な匂いがしてくるんですよ。焙煎してしまったら2~3週間でダメになってしまいます。ワインなら10年でも20年でも置いておけ、むしろ価値が上がることもあるのに、長年置いたコーヒーは飲めたもんじゃない。価値の中枢は香りだと思うので、ぜひ分析してみたいなと。
本多:なるほど。コーヒーの違いって、豆の処理や焙煎の仕方など、いろんな要素がありますけど、どこが一番美味しさにつながっていると思われますか?
鈴木:やっぱり豆そのものですね。
本多:素材ですか。
鈴木:そうです。その次は焙煎機。加工してしまった後は、砕くなりお湯をかけるなりしかできず、大きくは変えられませんからね。「米が良くて炊飯器が良かったら、そこそこ美味くできるでしょ」っていう(笑)。
本多:それ、すごくわかりやすいです(笑)。
鈴木:ただ、お米の場合は炊きたてが一番ウマいんですけど、コーヒーの場合、焼きたてよりしばらく経ってからのほうが、香りも増していくんです。
分析装置にも勝る、バリスタの嗅覚の鋭さに感動した
本多:コーヒーって、軸になる成分に0.1~0.2%ほど入っている香りの成分で味が変わってくるんですよね。ゲイシャの香りを特徴づける、リモネンという柑橘系の香り成分も0.2%程度です。そのわずかな違いの由来は、焙煎の過程なのか、豆そのものなのか、豆が育つときに吸い上げる水なのか。私には想像もつきません。
鈴木:水の要素は大きいと思います。
本多:焼き物や墨画なども、それぞれの地方がもつ川や湖の水によって味わいが違ってくるようですしね。布を染める場合も、水の中に鉄分が多いと色が変わってしまうと。
鈴木:色もトレーサビリティが取れてしまうわけですね。
本多:結構な影響力ですよ。墨汁を和紙にひたすと、水の硬度によって墨の広がり方が変わるのだそうです。おそらくコーヒー豆でも、土地の水が関わっているのではないかと。
鈴木:確かに育つのに使われる水分が違うと、得られる果実の味も違ってきます。同じタネをまいても、エチオピアよりケニアの豆の方が、リン酸が多いんです。
本多:タネが同じでも、違う味になるんですね。
鈴木:ええ。例えば、パナマのゲイシャはとくに香りが強いんですが、それをコロンビアに植えるとボディ(コク)が強くなり、香りの強さがわかりづらくなる。熟度の問題もあります。赤道が近いコロンビアは年に6回くらい収穫できるので、「赤くなったら採ろう」ぐらいの感覚なんですが、雨季と乾季がはっきりとしたパナマは年に1回、完全に熟してから収穫するため香りが強く残っているんです。
1996年、コロンビアで購入し、2017年には国内の品評会で優勝も果たしているサザコーヒーの農園。土壌のポテンシャルが高いため、鈴木社長が惚れ込んだ「パナマのゲイシャ」を超える栽培も可能だろうと模索を続けている
本多:熟度で香りが変わると。
鈴木:イチゴなんかもダメになる寸前くらい真っ赤になると、すごく美味しそうじゃないですか。完熟になる最後の方で香りが増えるのではないかと私は思っているので、それも調べていただきたいなと。
本多:測る対象は無限大ですね。もちろん、測ってくれと言われれば測ります(笑)。
鈴木:現場で思っていることを研究として分析してくださる方がおられると、鬼に金棒です(笑)。
本多:私たちの共同研究は、焙煎して挽いたあとのコーヒー豆の劣化がパッケージによってどれぐらい抑えられるのかをテーマに、2021年度から始めましたが、そもそもサザコーヒーの「サザカップオン」(1杯取りコーヒー)の賞味期限を3年にされたのって、バリスタの方が実際に淹れて飲んで、「3年は大丈夫」となったのでしょうか。
鈴木:まずは加速度実験、つまり常温だと3年待たなきゃいけないものを、加熱することで同じくらい時間が経ったとみなしたコーヒーと、新しいコーヒーをバリスタなどが飲み比べる官能検査をしました。ポイントは、嫌な匂いが出ていないかと、いい匂いが残っているか、この二つです。
本多:なるほど。それに対し我々は、科学的な観点から評価をしようと製造年月ごとに香り成分を分析しましたが、それを見る限り3年経ってもほとんど変化はない。賞味期限が2021年のものと2026年のものを現時点で飲み比べてみても、ほとんど変わっていないですよね。
鈴木:パッケージ自体も改良を重ねていますからね。現在は5年経っても大丈夫かどうかにチャレンジしているところです。
本多:今後は、焙煎に違いによって何が変わるのか、産地ごとに味や香りが違うのは何に由来してくるのかといったことも研究したいですよね。ただ現状、同じブランドなら異なる時期の生産品であっても、成分比がほぼ同じということもわかっています。本当にごくわずかな違いを分析で評価できたときには、「バリスタの皆さんすごいっ!」と驚きましたよ。よく「人の嗅覚は分析装置にも勝る」と言いますが、本当にそうなんだと実感した瞬間でした。
鈴木:そう言っていただけると、なんだかうれしいですね。
コーヒーの甘さは、香りにも味にも現れる
鈴木:2020年に進学した筑波大学大学院での僕の研究課題は、焙煎時の加熱の頃合いによってコーヒー豆がどう変わるかです。例えば麺を茹でるときも、たくさんのお湯でさっと茹でるとか、ゆっくりお湯を入れてから3分待つとか、いろいろな方法があるじゃないですか。コーヒーも焙煎時の温度を前半に上げるのと後半に上げるのとで味が変わってくるんです。渋くなったり甘くなったり、同じ豆かよ!というぐらい味が濃くなったり。どうすれば一番ポテンシャルが高い状態になるのかを割り出したいです。
本多:コーヒーの甘さって、どこから来てるんでしょう。香りなのでしょうか、味なのでしょうか。
鈴木:油に溶ける成分と水に溶ける成分の両方に、「甘い」はあると思っています。昔、油の実験をしたことがありまして。ゲイシャは非常に香りが強いですが、油だけを取り出すとガソリンのような味がするものの、それを除けば甘みが出てきます。一方、その残りカスにお湯をかけると、コーヒーの味がほとんどしないのにゲイシャの香りだけがプンプンするんです。
本多:匂いは水分のほうにいきますよね。そして味の甘さは油分に出ると。
鈴木:そうなんですよね。コーヒー豆って10~15%くらいが油なんですけど、まるっきり油分が入ってないも豆もあり、それだと甘みを感じないんです。甘みと拮抗しているものは渋みですが、少し時間を置いた生豆や、2回焙煎したコーヒー豆などは渋みがなくなります。これも謎で…。豆の中の水の状態なのかなと思っているんですが。
本多:水の力は偉大ですからね。やはり水で抽出して淹れるわけですから、水に溶けるものが味のキーになってくると考えられます。
(後編に続く)
鈴木太郎
株式会社サザコーヒー 代表取締役社長。コーヒー研究家。修士(農学)。日本スペシャルティコーヒー協会理事。2008年にコロンビアで自社農園を開き、2011年からゲイシャ品種の栽培に着手。2020年より筑波大学大学院の農産食品加工研究室で焙煎コーヒー豆の品質について研究している。
本多貴之
明治大学 理工学部 応用化学科 准教授。博士(工学)。天然物化学研究室 主宰。専攻分野は、高分子化学、天然物分析、文化財分析、有機物劣化解析、天然物合成など。研究テーマは、微量天然有機物試料の分析。微量試料を利用した天然有機物の解析を主に行っている。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。