約90年前に国鉄有馬線(三田-有馬間)を走っていた蒸気機関車が、佐賀県鳥栖(とす)市の重要文化財として保存されていることが分かった。兵庫県三田市三輪出身の鉄道愛好家・中川常伸さん(44)=神戸市北区=が文献を調べて突き止めた。有馬線を走った機関車の現存が確認されるのは初めて。今年は同線の開設に尽力した山脇延吉(えんきち)の没後80年に当たる。中川さんは「この年に縁の深い機関車が見つかってうれしい」と話す。(高見雄樹)
有馬線を走っていたのは、旧国鉄の「230形」と呼ばれる機関車。「汽車製造」(1972年に川崎重工業と合併)が1902(明治35)年から、大阪工場で作った。国内で初めて量産に成功した機関車で、旧国鉄が保有していた約40両のうち、「268号」がJR鳥栖駅東側に保存されている。同形の「233号」は国の重要文化財に指定され、京都鉄道博物館に展示されるほどの貴重な機関車だ。
中川さんは、西宮コミュニティ協会が発行する地域情報誌「宮っ子」に掲載された写真や住民の証言を手がかりに、鉄道専門誌や文献との照合を重ねた。すると、268号は33(昭和8)年と37(同12)年に有馬線が属する吹田機関区に配置されていたことが分かった。
他の機関車の状況などから、中川さんは「少なくとも32(同7)年3月ごろから34(同9)年の夏ごろまでは有馬線を走っていた」と結論づけた。最も長く見積もると41(同16)年まで運行された可能性はあるが、詳細な時期の検証は難しいという。
268号を管理する鳥栖市教育委員会によると、機関車は05(明治38)年に新潟県の北越鉄道向けに製造され、昭和10年代に鳥栖にやってきたという。ただ、その間の動きはこれまで分かっていなかった。
有馬線は乗客が伸び悩み、28(昭和3)年に神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄)三田線が開通するとさらに減少。第2次世界大戦の激化で不要不急の路線とされ、43(同18)年に事実上の廃線となった。
中川さんは「約90年前の三田を走った機関車に巡り合えるとは、思ってもみなかった。コロナ禍が落ち着けば、鳥栖市に行って“対面”してみたい」と話している。
【国鉄有馬線】後に大蔵大臣を務める片岡直温(なおはる)・日本生命社長らが発起人となった「有馬鉄道」が1913(大正2)年に敷設免許を申請、15(同4)年4月に開業した。社長は神戸電鉄の創業者でもある山脇延吉。福知山線と一体運営するために当初から国(鉄道院)が借り受け、4年後に買い取った。三田-有馬間約12キロに塩田、新道場(ともに神戸市北区)、有馬口(西宮市山口町)の各駅があった。43(昭和18)年に事実上廃止された。
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