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ミクスチャーブログ

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俺なりのミニマリスト

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最近、ミニマリストという言葉が流行している。

 

ミニマリストとは「持たない暮らし」を好む人たちのことを言うらしい。つまり「生活に必要最低限のモノだけを残し、モノにあふれる暮らしから開放されようとする人たち」という解釈でいいのだろうか。

俺はつい最近までこのミニマリストの人たちのこと不法に廃棄を続ける集団のことだと思っていたが違ったようだ。ミニマリストの方々すいませんでした。

語源はもともとロシアだそうで。

最小限綱領派と訳す。最小限度の要求を掲げる社会主義者の一派をいう。かつてロシア社会革命党内の妥協的な穏健分子がこう呼ばれた

 コトバンクより

 

この暮らしについて俺はすごく賛成。やっぱり自分の家を見渡してみてもそうだが、本当に毎日必ず使っているモノはごく少数だ。俺も昔からの癖で使わなくなったモノでも捨てられず「いつか使えるだろう」と取っておくことがある。(クッキーの缶や瓶詰めのプリンの瓶など) 

だから自宅はいつもモノで溢れかえっている。「捨てにゃきゃ、捨てにゃきゃ」という強迫観念にかられて毎日過ごしている。モノを躊躇なく捨てられる自分になったらどれだけ楽なことだろう。

 

俺はいつも捨てられずにいる。2人で過ごした思い出も。あの娘の笑顔も。いつも目を閉じれば心の奥に捨てられないクッキーの缶のようにいつまでも、いつまでも残っている。俺の中のミニマリストとマキシマリストが戦っている。「捨てろ、捨てるな、すてろ、すてるな、ステロ、ステルナ」

 

よくモノを粗末にしたり、むやみに捨てたりすると「もったいないお化け」が出るという。むかし、一度だけもったいないお化けに会ったことがある。もったいないお化けは俺に向かってこう言う。

 

「お前にはあの娘はもったいないよ。だからお前の前に現れたんだ」

 

たしかにあの娘は、俺にはもったないほどの良い娘だった。だけど、そのときの俺はそれでもそばにいたかったんだ。

 

あれから5年。今日、俺はやっと捨てることができた。クッキーの缶を捨てたんだ。いや、捨てるんじゃない。大切なモノだけをミニマリストした。大切な思い出だけを残して。 

最後にあの娘のことを思い出して一人でオナリストをした。俺はオナニリストだ。俺の決して捨てることのできないミニマムなモノはたちまちマキシマムなモノになり、溜まっていたものをミニマリストした。とうぜん数分も「もたなかった」