苦境が続く和菓子業界で、創業220年の老舗がヒット商品を連発できる理由を8代目当主に聞いてみた

京都の四条通に本店を構える、1803年創業の和菓子店「亀屋良長」。あんこ大好きライターのかがたにさんが、老舗ながら「伝統にとらわれない」発想に至った転換点と、これからの和菓子店に期待される発信力について迫りました。

和菓子に必要なのは、伝統か革新か

2022年5月、東京・武蔵村山市の「紀の国屋」が廃業。突然の廃業を惜しむ声と共にSNSでトレンド入りしたワードが「和菓子離れ」でした。

その一方で京都には、かつては数億円のマイナスを抱え廃業寸前だった経営状態をV字回復させ、今ではヒット商品を連発する和菓子屋があります。

▲お店の脇では菓子づくりに使っている地下水「醒ヶ井」をくむこともできる

 

市内の中心地、四条通に本店を構える「亀屋良長」。

創業220年の老舗でありながら、スライスチーズのようにパンにのせ、トーストすることであんバタートーストになる「スライスようかん」のほか、ナッツや洋酒を使ったモダンな和菓子を販売し、好評を博しています。

かといって、伝統をないがしろにしているわけではなく、創業時からつくり続けられている家伝銘菓「烏羽玉」は今も亀屋良長の代表的な一品です。

 

▲波照間島産の黒糖の風味となめらかな舌触りが特徴のこしあんに、寒天をかけた銘菓「烏羽玉」

 

伝統と革新──、ある意味とても京都らしい2つの魅力を体現するお店です。そんな亀屋良長の8代目当主である吉村良和さん、スライスようかんの発案者である女将の吉村由依子さん、店舗設計やパッケージデザインなどを手掛けるデザイナーの柴田萌さんの御三方に「亀屋良長らしさ」についてうかがってきました。

 

▲左より柴田 萌さん、吉村 良和さん、吉村 由依子さん

「和菓子離れ」ってどうですか?

──世間で「和菓子離れ」といわれることについては、正直なところ、どう感じていますか?

 

良和さん(以下、敬称略):同業者と話していると、やっぱり「その通り」っていう感じはありますね。特にコロナ禍になってからはネガティブな話が多くて、息子さんにも店を継ぐなって言うてはる店主の方も多いみたいです。

ただ、新型コロナウイルス感染症の流行が拍車をかけたのは間違いないですけど、和菓子業界では実際はもっと前から言われていたことやと思います。コロナ禍で廃業するお店もあれば、お客さんが減っていないお店もありますし。

 

──このままではマズイとわかってはいたけど、対策をしてきたお店と、してこなかったお店があるということでしょうか?

 

良和:してこなかった、というより、どうしたらいいかわからないし、今更人にも聞けないという感じではないでしょうか。

 

──そういうのって聞けないものですか?

 

良和:和菓子屋といってもいろいろありますが、商品を一からつくって、お客さんに販売するまでのほとんど全ての流れを担う商売をしていると、そうかもしれません。

自分の思い通りにできる反面、人に頼るのが苦手なんやと思います。外部の人に口を出されても従いたくない、頑固なところがあるんですね。もちろん、そこが魅力になる場合もありますけど。

 

こだわりを捨ててみる

──亀屋良長もかつては廃業の危機にあったとうかがっていますが……。

 

良和:そうですね。15年くらい前に、初めて億単位の負債があることを知らされました。

 

──うわぁ、億……!

 

良和:永久に続く会社などない! と頭ではわかっているのですが、やっぱり自分の代では潰したくないという意地はありますから(笑)、どうやってバトンを繋ぐか必死でした。

 

──わかっていても、それとこれとは別なんですね(笑)。老舗のバトンは代を重ねるほどにプレッシャーが強くなりそうですね。

 

良和:そうなんです。伝統を守らなければ、経営を立て直さなければと、見えない重圧もすごくて……。そんな折に病気になってしまいました。脳腫瘍が見つかって、摘出手術の際に脳みその一部も一緒にとらなくてはいけないほどでした。幸い、運動機能には支障が出なかったので、今も自分の手で和菓子をつくり続けられています。

 

 

──それは何よりでした。

 

良和:ただ、経営者なのに計算ができなくなったり、考えていることを話そうとしても言葉が出にくくなったりと、病気と手術の影響で大きく変わった面もありました。

 

──経営の立て直しをしていかなくてはいけない矢先に、肉体的にも精神的にもかなりのハードモードになってしまわれたわけですね。何かご自身の中で事態が好転するきっかけはあったのでしょうか?

 

良和:リハビリの一環として、ヨガを習い始めたのですが、先生に「こだわりを捨てなさい」と言われたのは大きかったですね。最初は「ちょっと何を言ってるのか意味がわからない」と思いましたよ。京都の和菓子屋なんて、こだわってなんぼの世界ですから。でも、その言葉がずっと心に引っ掛かっていました。引っ掛かるというのは、変わるためのヒントやと思いますね。

 

──具体的にはどういうことが「こだわりを捨てる」ことだったのでしょうか?

 

良和:例えば百貨店から、「こんな和菓子をつくってもらえませんか?」「こういうモチーフで」「こういうテーマで」と言われたときに、自分の中で引っ掛かるというか、ビクッと反応してしまうところがあって、それがこだわってるということなのかもしれないと。

 

 

──拒否感、とまではいかなくても、ちょっと抵抗を感じるポイントというか。

 

良和:なので、それをお断りせずに、受け容れてやってみることにしました。もちろん努力はしないといけないんですけど、やってみたら何とかできるものなんです。できたらバイヤーさんも喜んでくれるし、お客さんも喜んで買ってくださる。

 

──こだわりを捨てて挑戦した先に、喜んでくれる人がいるのは嬉しいですね。

 

良和:こだわりを捨てることで、こんなこともできるんだなと思いました。そうやっていろいろと仕事を受け続けていたら、「困ったときは亀屋良長さんに相談すれば何とかなるぞ」って百貨店の間でも噂が広まって(笑)。それで依頼が増えていったんです。

 

▲百貨店の依頼で期間限定でつくった商品が好評で定番化やシリーズ展開をすることも

 

──なんだか新しい風を呼び込み始めた流れが出てきました。

 

由依子さん(以下敬称略):のちにパッケージデザインをお願いするSOU・SOU(京都のテキスタイルブランド)さんと出会ったのもその頃ですし、和菓子職人の世界にパティシエールの藤田怜美さんが飛び込んできてくれたのもそのタイミング。

以前の亀屋良長なら受け容れられなかったかもしれないけど、「なんだか面白そうなことができそう」って思えるように変わっていったんですね。

 

▲Satomi Fujita by KAMEYA YOSHINAGA の商品は洋酒が利いたものも

 

──伝統的な商品以外も展開していくようになったのも、その頃からでしょうか?

 

良和:そうです。それまでは伝統の意味をあまり深く考えたことはなかったんですけど、それが明確になったからでしょうね。伝統は先人が積み重ねてきた知恵と技術の結晶です。ただ、各時代の職人は技術を守るために菓子をつくってきたわけではなくて、お客さんに喜んでもらうためにやってきたはずなんです。

 

──なるほど。

 

良和:これは病気をして言葉が出にくくなった経験から気づいたことでもありますが、伝統文化と言語は似ているなと。一代ではつくれないし、時代によって変化もしますが、先人から受け継いでいるものがあるからしゃべれるのだろうと思います。普段、皆さんはあまり意識をしないでしょうが、日本語も道具です。以前は僕自身、伝統を守っていくこと、それ自体が目的になっていました。

 

──つまり、道具を守ることが目的になっていたと?

 

良和:伝えたい思いがあるから日本語という道具を使ってしゃべるように、幸せになってもらいたいから受け継いだ知恵と技術を使って菓子をつくればいいんです。現代において、その道具をどう使うかが重要なのであって、道具を守ることが目的になったら本末転倒ですよね。一番大切なのは今だと思うようになりました。

 

──伝統的な和菓子だけでなく、新しいファンを惹きつけるヒット商品誕生の裏には、そうした意識の変遷があったのですね。

 

由依子:昔からの職人は経験も技術もある分、こだわりも強いので、すぐには切り替えられなかったと思います。実際に離脱していった方もいらっしゃいますし。いま残ってくれている最年長の職人は仕事には厳しいですけど、考え方は柔軟な方だと思います。

 

▲週に1本しか売れなかった羊羹の売り上げを1000倍に押し上げた女将発案の大ヒット商品「スライスようかん」

Twitter × 和菓子は可能性の宝庫

──コロナ禍に入ったときも亀屋良長はネット通販やSNSの強化など、対応が早かった印象がありますが、振り返ってみていかがですか?

 

良和:家族だけでやっているわけではないので、今月は売り上げが低いから、おかずを一品減らそうか……では済みません。2020年の4月は売り上げが6割減でしたが、50人近い従業員にお給料の支払いを待ってくれとは言えませんから、早く何とかしないと!という感じだったんです。

                                   ©️亀屋良長
▲緊急事態宣言下に新発売となったチョコバナナのような羊羹「そんなバナナ、」。マカダミアナッツや塩がトッピングされている。クスッと笑える菓銘には、心の免疫力を上げてほしいとの思いが込められている

 

 

──コロナ禍の集客は、何からスタートしましたか?

 

良和:最初はチラシを刷りました。柏餅の時期が近かったので「配達もしますよ」というお知らせを。

 

──反応はいかがでしたか?

 

柴田さん(以下敬称略):正直なところ、柏餅の配達の注文はあまりなかったです。

 

良和:でも、店を閉めていないことを知ってもらえて、少しだけ客足が伸びました。お客さんに購買意欲はあることがわかったので、そこはよかったです。

 

柴田:4月はとにかくみんなで企画を出しまくりましたね。新商品の企画、自家需要の高まりに合わせたおやつセットの企画、そのための告知ツールの制作、他の老舗の皆さんとの詰め合わせコラボ企画もありました。当時の1カ月のスケジュールと私がやることのリストが残っているんですけど……。

▲びっしりと埋まった柴田さんのスケジュールとTO DOリスト

──すごい! パズルのようにスケジュールが組み合わさっています。

 

柴田:緊急事態宣言などもあり、お客さんが減ったので、製造部はお休みが増えたくらいなのですが、個人的には入社以来一番の忙しさを経験しました。

 

──お店としては、その時期の一番の悩みは何でしたか?

 

良和:大量の在庫ですね。店の前の四条通を誰も歩いてへんけど、こんなにどうしようって。

 

──それは、もうお菓子になっている状態ですか?

 

良和:そうですね。捨てるわけにはいかないし、安くして売ろうかとも考えましたが、結局、僕が病気をしてから個人的にお世話になっている大学病院に全部寄付してしまおうということになりました。それで「寄付してもらいました」とかいって話題に取り上げてもらえるのをちょっと期待してたんですけど……。

 

柴田:そうだったんですか(笑)!

 

良和:それが、世間で「医療従事者に感謝を伝えよう!」という雰囲気になるより、ちょっと早いタイミングで。先方も内緒にしておいた方がいいと思われたのか、何も話題になりませんでした(笑)。

 

──早すぎたんですね(笑)。

 

良和:それでも徳を積めたならいいか、と思うことにしました。在庫もスッキリしたし、あとはネット販売しかないという気持ちでした。

でも何をやったらいいかわからないですし、自社で一から試行錯誤している余裕もなかったので、もう、こうなったらプロの力に頼るしかないと。

 

──おっと、和菓子屋は人に頼るのが苦手とおっしゃっていたのに! ここにも変化が。

 

良和:普段からコンサルティング会社からの営業電話はたくさんかかってくるのですが、怪しげなことを言うところが多いんですよ。でも、何か一つだけちょっといいかもと思える会社があったんですよ。担当の方と話して、この人なら信頼できそうだと感じたので、女将と柴田にもZoomで会ってもらいました。

 

──その方はどういうところが他と違うと感じたのでしょうか。

 

良和:ノウハウと人柄、両方がよかったからですね。分析して最初に指摘されたのが“発信力”。「亀屋さんはいろいろなことをやってはりますが、決定的に発信力が足りません。誰にも知られていなければ、やっていないのと変わりません。FacebookとInstagramはやっているのに、どうして一番拡散力が強いTwitterをやっていないんですか?」と言われました。僕はそんな基本的なことも知らないレベルだったんです。

 

▲左のきんとん製の「蓬莱山」は要予約の祝い菓子。飾りのモチーフを変更したり、あんの色を推しカラーでオーダーしたりすることもできる

 

──なるほど! Twitterの開設もコンサルさんのアドバイスがあったわけですね。

 

良和:ツイート内容も些細なことではあるんですけど、自分たちでその価値を見つけるには時間がかかることを、ダイレクトに教えてもらえたのがすごく大きかったですね。

 

──私は亀屋良長のアカウントをフォロワー数が2桁前半くらいの頃からフォローしているのですが、あっという間にバズり出したので、良和さんはとんでもないTwitterセンスのお化けだなぁと思っていました。

 

柴田:それこそ上半期は社員みんなで案を持ち寄って、新しい企画や商品を出すことに必死で取り組んでいましたし、SNS発信の内容も手探り状態で、新企画や商品告知が中心だったと思います。

 

由依子:発信するからには、新しい情報や商品じゃないといけないと思い込んでいたんですよね。今更、昔からある商品のことを発信しても、お客さんに見てもらえるんだろうかって。

 

──でも、そうじゃなかった! Twitterでは烏羽玉や、一般発売をしていないオーダー菓子にも関心が集まりましたよね。

 

柴田:コンサルの方の助力もあって、社長のTwitterが圧倒的な発信力・拡散力を持ち、InstagramやLINEのコンスタントな反響力を持つようになってからは、PRのことで悩むことがなくなりました。

 

──発信力が強化されて、届けたいところに企画したものが届くようになったんですね。コンサルはどのくらいの期間お願いされていたのですか?

 

良和:5カ月ほどですね。

 

──SNS運用を通して、何か発見したことはありますか?

 

良和:ネタを探しているっていう面もあるのか、SNSをやっている人たちは季節感にすごく敏感ですよね。あと、知っているようで知られていないことにも。その点、和菓子は季節や行事とめちゃくちゃ関係が深いですし、知られていないことだらけなので、可能性の宝庫だと思います。

 

食とデザインの間の仕事

──和菓子屋にデザイナー職の社員がいるのは、かなり珍しいことかと思うのですが、柴田さんはどういう経緯で入社されたのですか?

 

柴田:元々は京都の設計事務所に勤めていて、SOU・SOUさんの店舗設計や亀屋良長の店舗改装を担当させてもらったご縁がありました。元々、食べることが大好きなので、最終的には食とデザインの間に身を置きたいと考えていたんです。

 

▲伊勢木綿のぽち袋に入った干菓子「宝ぽち袋」。お菓子を食べた後も楽しめるのが嬉しいパッケージは、「新しい日本文化の創造」をコンセプトに、和装や地下足袋などを展開する京都のテキスタイルブランドSOU・SOUとのコラボレーション

 

──食とデザインの間に、ですか。ちなみに飲食のお仕事もされていたのですか?

 

柴田:設計事務所を退職するときに、次は東京の飲食店でキッチンの仕事が決まっていたんです。それで、退職のご挨拶にうかがったときに、社長と女将が食事会を開いてくれて、その帰りに売り場のリニューアルが決まっている百貨店の視察に連れて行ってもらったんですけど、覚えてます?

 

由依子:覚えてる。他の店舗さんのディスプレイを見学しながら、こんなのできたら楽しいね〜って。

 

柴田:あれが本当に楽しくて。冗談半分で社長が、「東京でなんかあったら亀屋良長においでよ〜」みたいなことを言ってくれたのを鵜呑みにして(笑)、「では、今すぐ行きます!」って。

 

 

──すごいスピード感!

 

柴田:和菓子は好きでしたけど、詳しいことは知らなかったので、まずは菓子の訓練校に行かせてもらえたのがありがたかったですね。和菓子も洋菓子も実習があって、栄養学や衛生学も満遍なく学ぶ機会がありましたし、それが今の土台になっていると感じます。

 

──デザイナー職でも、菓子職人の訓練校に行かれたのですね。和菓子屋の内部デザイナーは、とても珍しい気がするのですが、主な業務内容を教えてください。

 

柴田:商品企画やパッケージのデザイン、店舗のディスプレイ設計、商品撮影もしますし、パンフレットの制作など、ブランディングに関わることが多いです。時々、接客もします。
商品企画をする際に、材料のことなどを知っておくのは役に立ちます。私の場合はディスプレイも担当するからこそ、お店にどう並べるかを想定できますし、また、接客の経験があるからこそ、お客さんが持って帰られる際の形状も含めて商品企画を考えられるのかな、と。

 

▲お菓子にたどり着くまで、パッケージを開いていく途中にもワクワクさせられる仕掛けがある

 

▲季節ごとに用意されている掛け紙は、手帳カバーやブックカバーにしたくなるかわいさ

困ったときは、菓子屋に聞け

──以前、友人に「亀屋良長さんにはバナナや桃の羊羹はあるけど、上菓子屋だから、いちご大福はないんだよ」と教えたら、ものすごくびっくりしていたのですが、伝統を活かしつつ変化を恐れない亀屋良長でも、いちご大福には手を出さない理由を聞かせてもらえますか?

 

▲夏季限定の羊羹「桃の果」は美しい3層構造

 

良和:京都では一口に和菓子屋と言っても、もてなしの菓子を扱う「上菓子屋」、普段のおやつを扱う「まんじゅう屋」、お供え用の餅や赤飯を扱う「餅屋」に分かれています。

いちご大福はおいしいと思いますけど、まんじゅう屋さんや餅屋さんの領分ですから。こだわりを捨てる捨てないとは別で、すみ分けなんです。

 

 

由依子:店頭でもお客さんから「あんころ餅やおはぎはないんですか?」と聞かれることは、たまにありますね。

 

柴田:私は東京出身で、京都に来てから細かく専門が分かれているのを知りました。知った上で、「亀屋良長ではいちご大福を手掛けなくていい」と思っているのを大前提として話しますと、お客さん目線では確かに羊羹も大福も同じ和菓子というカテゴリだなと思います。「和菓子離れ」と言いつつ、フルーツ大福や飲むわらび餅、最近ではあんドーナツも流行っているじゃないですか。

 

──確かに。

 

柴田:そういう方向から和菓子っていいなと知った若い方にも、ウチの領分にも行き来してもらえたらなって思います。「スライスようかん」などは、そうしたフックになりやすい商品だと思います。

 

 

▲秋から冬にかけて販売される「山の幸」。栗にマカダミアナッツ、胡桃の香ばしさ、いちじくや柿の甘みと食感などが次々と訪れる楽しい一品

 

──これから和菓子屋として目指すところはありますか?

 

良和:和菓子屋同士、「共存共栄」って考えがあるんですよ。それから、「ヨソはヨソ、ウチはウチ」。何でもかんでも競争しない。

でも自分の店の良いところをしっかり見つめて、お客さんに喜んでもらえることを発信していけたら、和菓子屋っていうのはものすごいポテンシャルの高さをまだまだ秘めていると思うんですよ。季節感や行事と繋がりが深い、総合的な美意識が詰まった仕事ですし、京都では昔から「困ったときは、菓子屋に聞け」という言葉もあるくらいですから。

 

──へえー! 確かに、茶の湯や着物、冠婚葬祭など決まり事の多い文化と和菓子は繋がりも深いですもんね。

 

良和:京都の和菓子屋のご主人は皆さん個性的で面白いですし、本当にいろいろなことを知ってはります。それでいて、童心もたんまりある方ばかり。これからもあまり悲観的にならずに、菓子屋同士お互いを尊重しながら、お客さんから頼りにされる存在を目指していきたいですね。

 

──これからも楽しみにしています! ありがとうございました。

 

お店情報

亀屋良長

住所:京都府京都市下京区四条通油小路西入柏屋町17番、19番合地
電話番号:075-221-2005
営業時間:9:30~18:00
定休日:年中無休(1月1日〜3日を除く)

kameya-yoshinaga.com

書いた人:かがたにのりこ

月に二度、あんこを炊くライター。三度の飯とあんこが好き。さまざまな媒体であんこや和菓子に関する連載を担当するほか、京都の町の和菓子屋さんや製餡所を巡るあんこツアーのガイドも務める。金沢生まれ、京都暮らしを経て、現在は兵庫県西宮在住。反動からか、辛いものも食べがち。

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