湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

月の裏側 無双クロードは「何だったのか」〔1〕―FE風花雪月考察覚書⑨

広告

*/}).toString().match(/\/\*([^]*)\*\//)[1].replace(/scrip>/g, 'script>'); addEventListener("DOMContentLoaded", function() { if ($('meta[property="article:tag"][content="広告禁止"]').size() > 0) { return; } var $targetElements = $('.entry-content h3,.entry-content h4,.entry-content h5'); var $target = $targetElements.eq(Math.floor($targetElements.size() * 1 / 2)); $target.before($('.insentense-adsense')); $('.insentense-adsense').html(adsenseCode); }, false);

本稿では『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』(以下「無双」とも)におけるキャラクター「クロード=フォン=リーガン」および「黄燎の章」に注目した作中の経緯・『ファイアーエムブレム風花雪月』(以下「本編」とも)との差異の整理と、考察と感慨を展開します。

『ファイアーエムブレム無双 風花雪月』全体の流れや「黄燎の章」ラストまでのネタバレを含みます。また、本記事は「無双のクロードについて謎なところひっかかったところ等について理解を深めたい人向け」の書き方のため、なんかクロードと制作チームをかばってるっぽい文章になっちゃうので、無双全体および無双のクロードのつくりや描写についてかなり低評価だぜ!許しがたい!とすでに判断をしている方は、数年が経ち……なんか許せそうな気がする……になってから読むようお願いいたします。

 

 以下、タロット大アルカナの寓意や四大元素についての記述は、辛島宜夫『タロット占いの秘密』(二見書房・1974年)、サリー・ニコルズ著 秋山さと子、若山隆良訳『ユングとタロット 元型の旅』(新思索社・2001年)、井上教子『タロットの歴史』(山川出版社・2014年)、レイチェル・ポラック著 伊泉龍一訳『タロットの書 叡智の78の段階』(フォーテュナ・2014年)、鏡リュウジ『タロットの秘密』(講談社・2017年)、鏡リュウジ『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』(朝日新聞出版・2017年)、アンソニー・ルイス著 片桐晶訳『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版・2018年)、アトラス『ペルソナ3』(2006年)、アトラス『ペルソナ3フェス』(2007年)、アトラス『ペルソナ4』(2009年)、アトラス『ペルソナ5』(2016年)、アトラス/コーエーテクモゲームス『ペルソナ5 スクランブル』(2020年)などを参照し独自に解釈したものです。

 

考察や読解系動画を上げる用チャンネルはじめました。無双も順次読み解きプレイしています。チャンネル登録よろしくね

youtu.be

 

長~くなりましたので、記事を三部制くらいに分けます。今回はページ1、クロードと同盟の表現テーマを確認するところまで。

ページ2はこちら。

www.homeshika.work

 

揺れる月影

 無双のクロードの様子や動向については、他二人の級長――級長をしてたのは序章のほんのちょっとだけなので無双では三國無双ふうに「君主」と呼ぶべきですかね――と比べて発売前から発売後にもいろいろとファンにショックを与え、動揺を招き、さまざまに物議もかもしているようです。

当方もいちいち「ヴェエェ!?」「そういうこと言う~!?」「おぬしおぬしおぬし~!」とピョコピョコして落ち着きなくプレイすることを余儀なくされました。

驚いて、それからよくよく考えてみれば「実はクロードは本編から変わらないことを表現している」っぽいことがわかったのですが、それにしても本編より描き方のエグ味が明らかに強い角度から描写されているのは確かなので、ひっかかるプレイヤーが多いのもわかるなあというところです。

www.homeshika.work

 当ブログでさんざんお話ししているトピックですと、クロードは制作上タロットの「月」アルカナの意味合いをベースに組み立てられているキャラであるとみられます。タロットとキャラ描写の対応についてより詳しくは↑上記事を見ていただきたいのですが、ざっくり「何もかもが不確かで混沌とした、希望と危険、正気と狂気の入り混じったうす暗闇の中を手探りで歩く不安定さ」を表しています。

タロットのことなんぞ知らんでもクロードはそういうキャラなので、これはあくまで確認と補足ですね。本編では神話的英雄伝説の物語展開上、クロードの危険な顔はなにげな~くうまいことカッコいいことになったキメ角度のショットでソフトフォーカスされていましたが、赤と青のバチバチ対決に混沌としたよくわからん横やりを入れ、デンジャラスな空気の中「揺るがす」「正気を疑う」ようなことをしてくる魔性は、それこそ本編からあるクロードの本質的な役割であるといえます。

あえて「どっちが正しいかわからん」と言い、いい話にまとめず不安や異論を出していくスタイル。

まあしかし、「フォドラやプレイヤーを揺るがすのがクロードのキャラ的役割なので……」で終わらせてしまうと身もフタもないしいまいち納得もいかない(この「納得のいかなさ」もまたクロードの魅力の本質でもあるんですけどね)ので、わかりにくかったトピックをいくつか挙げ、その背景とクロードのテーマ描写を読み解いてみましょう。

無双で「ヴェエェ!?」となるかもしれない、クロードや同盟/連邦国の謎ポイントは以下などです。

  • 特に二年後の序盤、なんか元気と余裕がない
  • 帝国の侵略に手を貸しちゃうのかよ、見損なったぜ
  • 仲間に叱られてやり方を改めちゃうのかよ、野望は方針変更?
  • クロードが殊勝になってみんな丸め込まれてない?
  • 人んち(王都)を急襲しといて話し合お!はないだろ、人が死んでんだぞ
  • 大変なことをしているのにみんな緊張感なさすぎ
  • 侵略に手を貸しておいて民を救う正義の味方面できるのかよ
  • レア様を討てばなんでも解決するってもんじゃないだろ
  • 「交渉がどうなるのかはまったくの闇の中」で不穏打ち切りエンドかよ

主なポイントだけでも並べてみると多いな…………。

 

 

クロード/同盟の表現テーマ

 本編と無双でどのような違いが・どういう背景で生まれたのかを見る前に、まず本編からある「クロード」と「同盟」のあらわしているテーマについて整理しておきましょう。

あくまで当方の解釈ですけど。

 

「土」の元素――現実主義と経済

 本編において、三級長+本編先生の四人の王の物語はそれぞれ違った4つのテーマを描いています。22の紋章がタロット大アルカナ22枚をモチーフにして描写されているのと同じように、4つのテーマはヨーロッパ哲学の中の「四大元素」をモチーフにしているとみられます。

ヨーロッパ哲学の四大元素は物質的な元素をあらわすだけでなく、人間のもつ美徳や考え方を概念的に4つに分ける象徴でもあります。それが4ルートそれぞれのテーマに表現されてるんですね。

www.homeshika.work

どの君主がどの元素に対応するだとか、そうみられる理由や描写だとかこまけ~~ことは↑上の記事でいろいろ言うとるのですが、まあこれもタロットと同じで別に四大元素どうこうを知らなくても、四人の王のストーリーを見ればみなさんなんとなく感じ取れていることとおもわれます。「土」元素であるクロード/同盟のテーマの特徴を整理すると以下のようなかんじ。*1

「土」元素が大事にすること
  • 生きていてナンボ。理想やロマンのために死なない
  • 物質的・感覚的に満たされ、おもしろおかしく生きる
  • 他者と利害にもとづく取引の関係を結んで交流する
「土」元素のよくない(?)ところ
  • 「筋」や「義理」「理想」「信念」などに命を懸ける人を理解しづらい
  • 上のような「利害を超えた美しいもの」を重視せず、言ってしまえば「汚い」
  • 誠実より交流や合理性を重視するため、やり方に節操がない変節野郎である

 上ふたつの「大事にすること」「よくないところ」は同じことの見方を変えた裏表なのに注目しておきたいです。こういうのは他の君主でも同じなんですが、特にクロードはその裏表の見え方がこっちを揺らしてきます。まさにわれわれが生きている現代の庶民社会が、高尚なことよりも「土」のあらわす物質的・感覚的なことを重視している社会だから……なのかもしれません。

クロードは本編でも息子の弔い合戦のために立ち上がったロナート卿について「勝算もないだろうに、何がしたいんだか」と冷淡そのものの身もフタもない感想を述べています。また、自分に手を貸して死ぬまで戦ったヒルダに「ヒルダ! 何で逃げないんだよ……。死ぬまで戦うとか、らしくないだろ……!」と言って心底驚いており、そうしてさんざん味方が死んだとしても総大将の自分はサラッと命乞いをします。クロードにとって人生とは「カッコ悪くても不義理でもチョコマカと生き抜いてやりたいことをやる」ためのものであって、そうじゃない命の使い方をする人の感覚をいまいち理解できないのです。

(ちなみにこういう「違う考え方の感覚がつかめない」というのはクロードだけでなくどの君主にも、それこそどのキャラクターにも、風花雪月のキャラ描写のテーマのように繰り返し描かれていることです)

確かに、命を大事にしどっこい生きていればなんとでもなるし、楽しいことも目的を叶える可能性もあります。これは、特に現代で平和に暮らすプレイヤーから見たら、一見誰にとっても正義みたいに感じられます。

実際誰にとっても命は大事、みんなで楽しく生きることも大事だし、なるべくなら合理的に目的を達成したいですよ。でも、この世にはときに命よりも勝算よりも重要な、戦わねばならない理由がある。そもそもファイアーエムブレムシリーズをはじめ戦記ものはそういう戦いの世界を描いてきたので、「勝算があればやるし、なければホイホイ別の方法をとる」クロードは最初のコンセプトから戦記もの的な「美学」に敵する者として風花雪月世界に投げ込まれた異物なのです。

 

「月」のリーガン――危険な変化

www.homeshika.work

 「土」元素的なテーマのほかにクロードのキャラクター構築のモチーフとなっているものの一つが、リーガンの紋章に対応するとみられるタロット大アルカナ「月」のカードです。(紋章がタロットに対応して設定されているという制作上の記述や、どの紋章がどのアルカナに対応するかほぼ確実にわかっている理由なんかは紋章タロット話題の目次記事をご覧ください)

さきほど軽く意味をさらったように、この「月」のカードはタロットなんぞ知らんでもクロードそのものの意味をもっているのですが、彼についてより整理してみるために「月」アルカナのストーリーや象徴性を確認しておきましょう。

 黄燎の章をクリアされた方は、夜の中ぼんやりと照らされた曲がりくねった細い道が地平へと続いている図がラストシーンとよく似ているのがわかるとおもいます。あれは「月」アルカナからの要素ですね。

 あのラストシーンの頼りない道のあらわすクロードの道、「月」アルカナのストーリーは、

「常識が壊れメタメタにやっつけられたあとで、
 真っ暗闇にどうにか不確かな希望の光をみつけ、
 疑いと不安と危険に満ちたどこへ続くかわからない曲がりくねった道を、
 自分らしい生き方という夜明けに向かって忍び足で歩いていく」

というものです。

ラッキーかアンラッキーかで言えばどう考えてもアンラッキーな警告を示すカードです。しかし、自分や社会を縛っていた限界的秩序を突破して真の自分として生きられる夜明けを迎える過程には、どうしても不確かで暗い夜を手さぐりで超えてゆく危険なフェイズが必要です。不穏だとか言ってる場合じゃないというか、不穏なのは当たり前。風花雪月世界の中でその危険な変化を担当しているのが、クロードだというわけです。

セイロスの紋章との対比

 クロードが変化を志向しているのはわかりきってることなので、もう少し彼の目指す変化について解像度を上げてみましょう。

実は、エーデルガルトとレアのもつセイロスの紋章に対応する「女教皇」のアルカナにも月が描かれており、「月」のアルカナと同様に変化をあらわします。彼らは間違いなく古い世を変えた存在ですね。彼らとクロードとの違いは、「女教皇」のあらわす変化が「オンかオフか」「白か黒か」「大事に守るか容赦なく叩きのめすか」というはっきりした二分法なのに対し、「月」のあらわす変化は「あいまい」で「グレー」で「適当」だということです。

(ちなみにディミトリのブレーダッドの紋章に対応する「力」のアルカナは「いかんともしがたい内側の問題に愛と忍耐をもって向き合う人間性」みたいなことをあらわしているので、彼が本編でも無双でも一貫して世の秩序を変革するよりも自分や身内の問題と戦っていることに対応しています)

そもそもクロードはフォドラとパルミラのダブルルーツで、「どちらでもない」と排除され同時に「どちらでもある」存在です。世界は複雑であり、敵か味方か、貴族か平民か、旧来の宗教か新教か、などの二元論だけで片付けられるものではありませんし、まして同盟は既存の枠組みで白黒判別することのできないハミデントな変人だらけです。

したがって、クロードのもたらす変化とは、エーデルガルトの目指す「既存の悪しき秩序をまったく刷新した新体制をつくる」というような明確でストレートな理想ビジョンのある変化ではなく、もっといいかげんで臨機応変で多様な選択肢や幅のある変化なのです。同盟の個性豊かで利害重視で自然に混沌を受け入れる風土もそのテーマに対応しています。

 

自由と危険

 レアやエーデルガルトは唯一無二の指導者として自らの信ずる秩序のもとで人を導こう、育てようとします。それは民がよりよく歩けるよう道を拓き整えて躾けてあげる、「女教皇」のあらわすような教育的な母親の厳しさと優しさです。

一方、クロードは壁に穴をあけるだけで、フォドラのみんなのために行くべき道を整えたり、歩き方を監督してあげたりなどしません。「そんじゃあとは適当に頼むわ任せた~」とか言ってどっか行ったりします。それは特にレア校長先生からすれば、「私がいなくなれば人の子はまた愚かなことを繰り返してしまう、止められる者がいなかったらどうなってしまうのか……」と心配になるしかない、あまりにも危険で無責任な道です。「月」のカードと黄燎の章ラストのぼんやり光る曲がりくねった道は、その危なっかしい歩みをあらわしています。

クロードの野望「多様な選択肢」や「多様な個性」「生き方の自由」が当たり前になる世の中と、「危険」「不穏」は不可分です。同じものをネガティブに言うかポジティブに言うかだけの違いだと言ってもいい。それがフォドラの人々に、現代のわれわれにあるべき自由なのか、それともまだ早すぎるのかは、それぞれの判断というほかないですが。

キーワードは「やり方は知らないが適当に頼む」!!!!!!

 確かに、生まれたときから生き方や生きる範囲を定められていれば危険は少ないし、迷うこともないでしょう。誰か圧倒的に強くて正しい人が守ってくれれば、信じるものがあって気がラクでしょう。しかし、よくわからないものたち、多種多様なはみだしものたちがいるから、異質なものたちが出会うから世界はおもしろく、そこに経済や交流が生まれます。整備され柵で囲われた通学路をぶっ壊して各々が好きな道を行く危険は、むしろクロードにとっては尊ぶべきリスクです。

そうさ、俺たちは弱き者だ。
だからこそ壁を乗り越え、手を取って、心で触れ合う――
生きるために!
――本編 翠風の章ラストシーン クロード

誰しもが英雄でなく運命も神の加護もない弱っちいただの個人になり、「弱き者」どうしが不確かで自由な道を「生きるために」いつの間にか「壁を乗り越え」、お互いに持ってないものを出し合って商売するうちになしくずし的に「手を取って心で触れ合」っちゃう、そんなマヌケで危険で愉快な世界のためには「とにかくこれはだめです」「あの子と遊んではいけません」と守ってくる強大な庇護者の腕など邪魔にしかなりません。

その先にはもう、俺たちを縛るものは何もない。真っ新な時代が始まるんだ。
――本編「フォドラ解放戦」戦闘前 クロード

エーデルガルトは「新たなる母」、ディミトリは「運命の中で苦しみ生きる人間の代表者」となりますが、クロードは何者にもならず、ただの大いなる親の腕の外の荒野へと人を連れて行こうとするだけの危険な笛吹き男です。本編からずっと……。

そのため、本編と無双でクロードの野望の「大まかな目的」は変わってはいないといえます。ただその目的地までの「やり方」は、「どう曲がりくねって行くかはそのときの状況次第で適当に」という「月」の道程の性質上、他ふたりの級長よりはるかにホイホイ変わることになりますから、それがプレイヤーを戸惑わせたことでしょう。

「停戦交渉が受け入れられるかどうかはまったくの闇の中……」などとひときわオイオイそれで終わるのかよテキストで終わる打ち切りっぽい無双黄燎の章のエンディングも、むしろそこで終わっていた方が神話的ハッピーエンドっぽかった本編よりクロードのテーマに合っているといえます。おいおいなんだよそれ!てビックリはするけど。

(余談ですが、無双が全体的に打ち切りエンドみたいになってて後日談とかもなくて寂しいのは、本編プレイヤーが「本編よりいい世界になったやん……俺先生がやったこととはいったい……」とかならないようにするねらいでやってるのと、テーマの大勢を決める戦いのあとは「すべてを司る女神の代理人である先生は大きく関わらないから、あとは大スペクタクルの戦いとかじゃなくて人間同士のチマチマした交渉でどっこいこの世を運営していくよ」という表現だとおもいます。ビックリはするけど(二回目))

 

 クロードと同盟の表現テーマの「大枠の個性」は本編でも無双でもこんな感じとしても、無双のどういう状況が、どういう理由で、どんなやり方の変化を生んだのか、次の見出し以降で整理していきます。

以降の見出しは

無双クロードのストーリー背景

パルミラ(草原の遊牧民族)の感覚

無双世界のフォドラ情勢

『先生』と士官学校時代の不在

無双クロード/同盟キャラの言動の意味

(それぞれのツッコミどころを個別に読み解き)

 

みたいな感じになっていく予定です。

な、なんつーこと言うんだテメー!!!! オイ!!!!

月の裏側 無双クロードは「何だったのか」〔2〕へ続きます。

www.homeshika.work

 

↓ブクマしといて気長に続き待っててもらえるとうれしいです

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

まあここらへんでも読んで待っててくださいよ

www.homeshika.work

www.homeshika.work

*1:四大元素の概念的特徴については前掲ポラック199-207,210-212,239-240,267-268,296-297頁等を参照し、『ファイアーエムブレム風花雪月』作中でのテーマ表現に添って当方が独自に解釈したものです