Another skyを探す旅

激変する世界を生きるヒント。それは自分の足元にある

フジテレビ騒動に思う、「テレビ局がつぶれる」は起こり得る。

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中居君の問題に端を発し、今フジテレビも大変な騒動になっていますね。

同社の大株主である米ファンドが激怒し、第三者委員会の設置と内部調査を要求したとか。

 

株価も大きく値を下げ、経営陣が急遽記者会見を開くことになったようです。しかし、カメラを撮らせる撮らせないでまたそこでも非難がされています。

 

今後の展開次第ではかなりまずい方向に行きかねないですね。

 

XなどのSNSでは皆言いたい放題なので、放送免許のはく奪とか放送電波の停波とかいろいろ書かれています。

 

さて、この免許はく奪とか停波とか、そんなことがはたして起こり得るのだろうか?

 

実は、海外では先行事例があって、このブログでも記事にしたことがあります。

 

 

www.glocal2019.com

 

 

フィリピンの事例なので、日本にあてはまるとも思いませんが、実際にABS-CBNというテレビ局は、現在も地上波で放送することができていません。

「Showtime」という、かつての笑っていいとも的な、お昼の長寿定番番組を持ち、また日本のアニメNARUTOなどの放映権も持っていました。

 

それが多数の系列放送チャンネルとラジオ局が放送停止に追い込まれまた、議会でも放送免許の申請が却下され、再開の目途は全く立っていません。

 

なぜこんなことが起こったか?

 

それは前大統領のドゥテルテが当選した大統領選挙にさかのぼります。ABS-CBNは当時、ドゥテルテに批判的なスタンスをとった報道をしていたのです。それがドゥテルテの恨みを買うこととなり、当選後に放送免許の更新却下を強行されてしまったのです。

 

放送局というのは許認可事業なので、放送免許が停止されれば当然、地上波での放送ができなくなります。こうなるとテレビ会社の経営は脆い。

 

今回の日本のフジテレビの事例は、ちょっと異なりますね。

 

権力者からの弾圧というよりも、同社のガバナンスに大きな問題があった。つまり内部統制の欠如ということですよね。

テレビという公器に携わる事業体なのでこれは致命的な問題になりかねないですね。

この問題に直接的に物言いをつけたのは株主である米国の投資ファンドですが、当然株主価値の棄損につながる事態であり、スポンサー離れ、結局のところ視聴者である国民からダメ出しをされるということです。

 

このあたりから感じるのは、仮にテレビ局が潰れそうになるとして(米ファンドは株主なので潰したくはないでしょうが)、それがフィリピンと日本という国柄の差異というよりも、時代の変化というか、今まで当たり前だと思われてきた既成概念が当たり前で通らなくなりつつある。

あいまいで胡麻化されてきたことが、許されない時代になった。

 

明らかな変化を感じる出来事だと思いつつ、今後の展開を見ることにします。

 

今年こそは、「生活」を人質にとられないように。

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昨年もですが、おそらく今年はさらにインフレが進むでしょう。

食料品はじめ物価高に、多くの人が苦しむはずです。

 

多くの中小企業はおろか大企業でも、サラリーマンの賃金は物価上昇に追いつきません。

 

当然、外食を減らしたりレジャー費を削減したりとやりくりに苦慮する一年になるでしょう。

一方のインバウンドですが、為替差を活用し外国人が相変わらず日本に大挙します。

宿泊、観光や飲食業界でも経済力が相対的に有利となった外国人を優先し、手離れが少ない日本人客を後回しにする動きは加速するでしょうね。

 

今の会社に勤めている限りは急に賃金が上がることもあり得ないので、真綿で首を絞められるように生活水準を少しずつ落とさざるを得なくなります。

 

我々は昨年以上に、「生活」という言葉に縛られた一年を送ることになるでしょう。

 

理不尽だと思うことにも、それは違うと言えなくなる、かもしれません。

 

新年にあたって、自分自身が心がけたいこと。それは、

結局自分は何がしたいのか?

これを考え続けることです。

 

これを読んでいる方には、ご自身のなかで答えが明確な方もいるでしょう。答えが出ない方も多いでしょうね。

 

自分のなかで目指すべき道がはっきり見えているのにも関わらず、

今年は社会や世間や会社や他人から、ときには親やごく近い家族からも「生活」を人質に信念を揺さぶられることが多い。

そんな年になることを危惧します。

 

我々は忙しいので、文字通り心を亡くして日々自分に投げつけられる様々な仕事をこなすことに精神をすり減らします。

 

自分の本当の心を一番後回しにして、いろいろなことをこなすのに精一杯になります。ちょっと脇見をしようとすれば、すかさず「生活」が突き付けられます。

 

それでも

結局のところ、自分は何がしたいのか?

それを問い続ける一年にしたい。今年は多くの人にとって、人生の分岐点になる一年だと思います。

 

「安定」していると思っていたら「地盤沈下」していた。

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自分や家族が大手企業に勤めているから安定しているとか、今はそんなことがなかなか言いにくいご時世ですね。

 

でも、じつは内心どこかで、自分だけは安定している。などと思っていたりする笑

その根拠は周囲との相対比較であったり、無根拠な自信だったりするわけです。

 

ただし、今の日本で「安定」を得たと思っているなら、それは結局のところ「地盤沈下」に気付いていなかっただけということもあり得ます。

 

なので、ときにはあえてその均衡状態を破る作業も必要となってくる。

 

言うのは、書くのは簡単ですが、これはものすごく難しい。

コンフォートゾーンからの脱却というのは、普通の人間にとって苦痛をともないます。

 

引っ越してみる。とか、転職してみる。とか、Lineアカウントを削除して人間関係を一旦リセットするとか言っても、そんなことが簡単にできる人間などそうはいないのです。

 

でも皆、ちょっとこのままではやばいと思っている。だから自民がバッシングされて国民民主の支持率が上がったりするわけです。

 

「安定」というのは自分の身の置き所なので、これは大切です。しかし「地盤沈下」の可能性に危機感を感じつつ、現状変更へ「挑戦」することも併せて人間には必要なのです。

 

特に、こんな時代はなおさらです。

 

すごく難しい生き方ですが、これが無いと永遠に「ノアの箱舟」など見つけることはできないのだと思います。

 

 

人件費と成果主義の間にある地獄。

上場企業も当然ですが、未上場企業や中小企業でもなおさら、経営者にとって経費の削減は永遠のテーマです。

経営者であれば、経費のなかでも最も重い人件費を削りたいと思うのは当然です。

ここを怠ると、株主から経営者失格の烙印を押されかねません。


一方で、
企業業績はひたすら上げたい。

結局のところ、営利企業である以上は成果主義から逃れることはできません。

それどころか、件のビッグモーターのようにモラルハザードを起こしてまで利潤の追求に走ってしまう企業もあります。

ここまで見ていただくと分かりますが、人件費の削減と成果主義の追求。ここで苦しむことになるのは働き手であることは明白です。


今、この部分が完全に制度疲労を起こしている。

こんなことはどこかの会社の特殊な問題ではなく、おそらくほぼ全ての会社に内在する問題なのです。

そうは言ってもどうにもならない。
そう言って長年、見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきた、
そのツケも残念ながら、働き手に戻ってくることも忘れてはいけません。

「疲れた」というのは、やはり「取り憑かれた」と通じる。

人間誰しも「疲れた」と思うことはあります。
毎日をあくせく生きるだけで我々は精一杯です。

疲れたという感覚に嘘をついて無理に頑張るのは、人間の本能として不自然な気がします。

とはいえ、疲れた時に躊躇なく休める人も世の中そう多くない。そんなことが許される環境ばかりではありません。

言葉あそびのような話ですが、
やはり「疲れた」という心身の状態は、なにか邪気に「取り憑かれた」感覚に通じるものがある。

何かに取り憑かれたスピリチュアルな経験談もないのですが、

しかし疲れた状態というのは、言うまでもなく心身ともにコンディションが落ちています。

人が邪気に取り憑かれた状態というのも、当然ながら本来のポテンシャルを発揮できるわけがないでしょう。


「疲れ」の兆候は、個人によって現れ方に差が出ます。

疲れが目に来る人、首や肩に来る人、また風邪をひいたり胃腸が不調になる人、千差万別です。
それは、その人が持つ特有のセンサーのようなものなので、

そこを無視しても、なかなか発展的な成果は得られにくいでしょう。

そのようなシグナルを感じたら、やはり何とか対処したい。
かといって、ちょっとくらい休んだところで、邪気を振り払うように完全に真っ白に回復できるとも限らない。
年を取ればなおさらです。

現代人にとって、
疲れに対しては、できる範囲で「中和させる」という感覚もあり得る気がします。

人間というのは、そもそも清濁を併せ持った生き物なので、
悪いものをきれいさっぱり取り払うというのもなかなか難しいと思うのです。

それよりも、自分ができる範囲で工夫してみて、疲れを中和させ、心身を少し軽くしてみる。

中和する方法も、また人それぞれ。

お風呂が好きな人もいれば、近所のマッサージ店の常連という人もいる。スポーツによって心身のバランスを整える人も多いでしょう。

せっかくの休息中に、さらに何かに取り憑かれたというのは本末転倒なので気をつけたい。

例えば、スマホは目の疲れを増長します。

言いたいのは、
自分なりの「中和法」を、自分の心身と相談しながら見つけること。

そして、完全なゼロリセットを目指して無理でも、自分なりのやり方で整えられたら、今日のところはそれで十分だと知る。
ことではないでしょうかね。

ところで、日本は格差社会なのか?

日本は格差社会になった。そのように言われることが増えました。

たしかに、従来以上に個人間の経済格差は広がったのでしょう。

しかし、かといって米国ほどに富裕層だけに富が集中しているわけではない

東南アジアで見てきたような、生ゴミをあさって再調理して飢えをしのいでいる。そんな人を日本では知りません。

東南アジアでは、金を稼げるあるいは稼いできた層だけに全振りする一方で、貧困層は全無視。よくある光景です。

そんなことから比べると、まだ格差社会とは到底言えない気もします。


いずれ、日本の格差もそこまで行くのか?
あまり考えたくないし、多分そこまでは行かない気もしますけどね。

人間関係の疲れをホントに8割削減する方法。

精神科医、樺沢紫苑先生のお言葉

「好意の1対2対7の法則」

つまり、

自分の周りにいる人間が10人いたとして、

自分を嫌っている人は1人はいる。これ必ず。

次、
自分のことを好きな人。味方になってくれる人。これが2人。


その他の7人は?
これは、どちらでもない人。つまり、
あんまり自分に関心ない人。

これが、
「好意の1対2対7の法則」


つまりだが、
嫌いな1人←無視
好きな2人←これ大事
あとの7人←無視

この割り切りで、人間関係の疲れは8割吹き飛ぶ笑

もっとも、
日常を生きている我々として、こんなに簡単に気持ちを整理できるものでもありません。

しかしですが、
結局のところ、無駄な8割の人々に向けて自分のリソースを投入したところで、一体自分に何が残るのか?

しょせん、全部うまくやろうなんて無理に決まってますからね。