コンピュータの未来に警鐘を鳴らすあの有名なCM「1984」が流れたのは今から25年以上前のことでした。そこに描かれたのはクローズドで、検閲された、暗く、「混じりけのないイデオロギーの庭」...って、な~んかまるでアップルコンピュータの未来=Mac App Storeじゃないのかな? と思う今日この頃です。杞憂ならいいんですが。
来夏リリースMac OSX 10.7(Lion!)に入るMac用App Storeは、iPhoneとiPadで培った販売哲学をデスクトップに採用する試み。素晴らしくなりそうですよね。
ウイルスともさようなら。不安定なプログラムともさようなら。クリーンで、安定していて、安全なコンピュータの楽園...そこではすべてが正しく機能する。道はブラシのアルミで舗装されていて、空はretinaディスプレイと見まごうクリアスカイ。「電子のキャメロット(アーサー王伝説にある最強都市)」? たぶんそう思う人もいると思いますよ。
プログラムがappになる時
これまではコンピュータで動かすものと言えば「アプリケーション」、「プログラム」でしたが、アップルはちょっとずつではあるけれど、それをぜーんぶ「app(英語ではアップ、日本ではアプリ)」という言葉に置き変えてきています。
「app」という呼び名はかわゆくてシンプルで面白く、威圧感ゼロですが、これにはプログラムを小さく見せる作用があるんですね。使い捨て、みたいな。一方、もっと長くて読みづらい「アプリケーション」という言葉には、ある種、重みと独自性が感じられます、少なくとも言葉から受ける印象では。
「Final Cut Pro」と「InDesign」もただのappなの? 衝動買いして評価の星つけたら忘却の彼方なapp? そんなことないんですけど、こうしてサードパーティーのプログラムアプリをどれもこれも一緒くたに「app」と呼び捨てにすると、アプリケーションの箔はガクンと落ち、アップルの偉大なるプラットフォームの庇護の下、ぶるぶる縮こまってるコンテンツのちっちゃな欠片みたいなイメージに落ちぶれてしまうんです。
とか言っても、いかにシンプルなMacと言えども、現状ではアプリのダウンロードとインストールはまだまだ面倒臭い作業ですよね...。必要なものを一通り調べて、選択肢を比べて、デベロッパーのサイトに行って、ディスクイメージをダウンロードして(ラッキーな時はZIPファイルを直接DLできるけど)、マウントし、イメージからアプリを引き出して、アプリケーション専用フォルダーにドロップするんですから。簡単じゃないです。間違ってる人も大勢いるし。だからアプリケーションの購入&インストレーションを徹底的に単純化するApp Storeの発想には大いに説得性があるんですね。ああ、やっとコンピュータの操作も簡単になる、今より良くなる! 確かにその通りなんです。一部のユーザーにとっては。
入手を簡略化すると業界が根本から変わるのは、iPhoneの例ひとつ見れば分かります。
アップルのモバイルのApp Storeは使い方がなにしろ簡単なので、あれに慣れちゃうと後戻りできない。で、スマートフォン業界全体が変わりました。「こんな簡単なら...」と自称ラッダイト(テクノロジー嫌い)も多機能携帯を放っぽり出して乗り換え、快適さと全能感を同時に手にできたんです。
でも、ここでひとつ考えなきゃならないのは、「みんなコンピュータにもそれを同じもの求めているの?」ということ。スマートフォンとポータブルPCの境界線がどんどん曖昧になってきたからって、必ずしもこのふたつを同列に扱わなきゃならないってわけでもないですからね。
映画・ゲーム・読書の時はみんな面倒臭いことは避けたいものなので、iPhoneやiPadのアプリならアップルが厳格に統制してもほぼ問題ないんです。iPhone&iPadもコンピュータだけど、求めるエクスペリエンスは別物なので。トラブルのない処理と引換えに払う代償と思えば納得もできます。
アップルは今あれをあらゆるパソコンに適用しようとしています。それはいろんな意味で立派なんですけど...どうでしょうね。
iPadに比べ、パソコンは自分で好きなプログラムをなんでもインストールできるところが強みですからね。何文字か入力するとセンテンスを自動的に埋めてくれるマクロなプログラムでも、どんなプログラムでも使えるシステム全体の通知アプリでも、BitTorrentクライアントでも。
その点、アップルはコンピューティング・エクスペリエンスの蛇口をとにかく全部コントロールして、PCをクローズドなシステムに変えるというスタンスなので、 「電子のキャメロット」ならいいけど、下手すると「電子のステップフォード」(映画『ステップフォードの妻たち』の架空の街)になっちゃうんじゃ..と思ってしまうんですよね。一見輝かしいMac App Storeも、ひと皮剥けばホラー、みたいな。
App Storeの内側
アップルが用意したMac App Storeの利用規約には、「なるほどな」というルールもあります。「クラッシュするアプリは却下する」とか、ユーザーの許可抜きにアプリから位置情報を誰かに送ってはならない、とか。ま、そりゃそうですよね。
でも少し読み進めていくと「ここまでやるか」なルールにホントすぐ突き当たっちゃう...。「ベータ」、「デモ」、「トライアル」、「テスト」段階のアプリはダメ、アプリはDockにアイコンをインストールしちゃダメ。「製品のバッテリーを急に減らしり、過熱を生」むアプリもダメ、「違法ファイル共有を可能にするアプリは却下」など出てきます。
この理屈だとBitTorrentはナシってことですよね。アップル自身のFaceTimeみたいなベータ版アプリもナシ。どんなに利用価値が高かろうと、リーチの深いパワフルなプログラムは基本、「app」の型には収まらないんです。
一方、アップル自身は技術以外のところまで規制のリーチを広げています。「使い過ぎを推奨する」アプリはダメだし、Apple製品名をミススペルしたアプリもダメ(例: iTunz)、Appleのアプリみたいに見えるアプリもダメ。「他のコンピュータ専用プラットフォームの名前が出るメタデータを持つ」アプリもOUTなら、人を誹謗中傷する「いじわるな」アプリもダメ(プロの風刺作家は別だけど)、プリインストールしたアプリケーション(Mailなど)と被るアプリもダメ、「人・動物の殺傷・銃撃のリアルな描写」のあるアプリもダメ。
この理屈だと「Call of Duty」もさようなら。チャットルーレット系アプリもOUTになっちゃいます。
未来
そんなコンピュータみんな求めているのかな? 自分が見るべきもの、ダウンロードすべきもの、すべきこと、その一切合切を一企業の判断に委ねるクローズドで完全にコントロールされたプラットフォームが僕らの求めるコンピュータなんでしょうか?
なんかこの調子でいくと、早晩、Macで使うアプリは全部アップルの承認通したアプリになっゃうような気がしますよ。楽曲・映画・TV番組は全部iTunesからのストリーミングで、書籍は全部iBooksから調達する本。それで全然オッケーな人もいるとは思うけど、でも、残りのみんな(僕も)は自分のニーズに合わせてPCエクスペリエンスの型を組み立てる方に慣れてしまってるので、こんな環境は気詰まりです。閉所恐怖症起こすっていうか、「テクノロジーの全体主義じゃないんだからさ」とまで思ってしまいますよ...。
iPhoneのApp Storeで数年前から言われてきたことなので今さらだけど、25年以上前にあのCM「1984」作った会社からこういうものが出てくるとは、まったく驚きです。
今のところAppのデベロッパーさんたちはMac App Store以外の場所でも、従来と同じ方法でアプリの販売・配信を行うことができます。ユーザーも昔ながらの方法(つまり行き当たりばったり)でアプリをダウンロードしてインストールできます。けど、デベロッパーにとってはApp Storeで売れたらそれに越したことないわけで、アプリ申請のインセンティブはかなり大きなものになると思うんですね、もう不可抗力というぐらい。となれば、Macユーザーのアプリ検索・購入方法もどんどんMac App Storeに移行しちゃうだろうし、これがMacでアプリを売る唯一の方法になるのは時間の問題というか、避けようがない気がするんですよ。まるでApp StoreがOS Xにじわじわ這い寄ってくるような状態。
アップルは今Macの手つかずなところにまで手を伸ばし、手綱をじわじわ締め始めています。自ら思い描くコンピューティングの未来実現のために。OS XよりiOS、2010年より1984年的な未来に向かっていく...そんな気がしてならない今日この頃なのでした。
[アップル - App Store - Macのためのアプリケーションを購入、ダウンロード、インストールしよう。]
matt buchanan(原文/satomi)