12月も半ばだというのに、日中の気温は20度を超え、海風は湿った空気をコートへと運んでくる。

 アメリカ合衆国フロリダ州「IMGアカデミー」。

13歳から拠点とするこの地で、新シーズン開幕を2週間後に控えた錦織圭は、ふたりのジュニア選手を相手に、繰り返し、繰り返しネットの向こうに激しくボールを叩き込んでいた。

 この日、錦織の練習相手を務めていたのは、17歳の逸﨑獅王と、16歳の松村怜。ふたりはいずれも12月中旬に行なわれた『ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権2024海外派遣プログラム』の参加者である。

錦織圭が初めて語ったイップスとの戦い「大事なポイントが取れな...の画像はこちら >>
 このプログラムは、ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権の各世代シングルス優勝者たちがIMGアカデミー等で合宿生活するというもの。ファーストリテイリング財団が全面支援し、ユニクロや日本テニス協会とともに実施する、スポーツを介した人材育成の一環である。

 キャンプの初日、車いすテニスも含めた12名の合宿参加者たちは、IMGアカデミーから200kmほど離れたUSTA(米国ナショナルテニス協会)トレーニングセンターにて、錦織と車いすテニスの国枝慎吾氏両方の指導を受けた。

 そして翌日にはIMGアカデミーで、一般の練習生たちに交じり現地コーチやトレーナーたちの指導を受ける。とりわけ前述の逸﨑と松村は、たっぷり2時間、錦織の練習相手を務めるという得がたい経験をした。

「身体もそうですが、頭が疲れますね......」

 暑さと高揚感に頬を紅潮させ、松村が苦笑いをこぼす。おそらく彼らは、錦織が幾度も口にした「質の高い練習」の真意を、肌身で感じていたことだろう。

 USTAで行なわれたセミナーも含め、今回の合宿で錦織がジュニア選手たちに繰り返し伝えていたのが、「練習の重要性」である。

 たとえば、試合中にショットをミスした時の考え方については、次のように助言した。

「まずは失敗しても、あきらめない。やっぱり練習が大事で、試合の前の日の練習などでちゃんと打てていたなら、いずれ入るだろうっていう気持ちになれる。だから、ドロップショットをミスしちゃったとしても、僕は『もうやめておこうかな』って思ったりすることがあんまりなくて。

 もし『やっぱりできない』という気持ちになるとしたら、それは練習でしっかりできていないということ。たぶん、脳がその動きを覚えてないってことだから」......と。

 ジュニアたちへの指導を終えた錦織に、「練習の重要性」を説く真意を聞いた。

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【スライスがあると大きな武器になる】

── 練習という言葉を繰り返し、使っていました。やはりご自身も、反復練習で強くなったという思いが強いのでしょうか?

「そうですね。やっぱり練習、大事だと思います。自信をつけるためには、もう練習するしかない。もちろん、試合をたくさんこなすというのもやり方としてありますけど、まず土台として、質のいい練習をする。長くやるのではなく、いい練習をしっかりやることが試合につながってくるなというのは、本当に、歳を重ねるとより感じますね。

 とは言いながらも、(2014年の)全米オープンの時は2週間、練習なしで決勝まで行ったりしたので、難しいところではありますが(笑)。

練習をやりすぎている人もいるとも思うので、そこの塩梅は人それぞれですけど、やっぱり練習あっての試合。練習でやってきたことが、試合で出るなと思いますね。大事なポイントとかでは特に」

── ジュニアの選手に、スライスの練習も勧めていました。

「スライスは本当に大事ですね。グリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)が33歳になってもトップ10に入り、カルロス・アルカラス(21歳/スペイン)やヤニック・シナー(23歳/イタリア)とも戦えているのは、スライスがあるのが大きいと思います。

 特に女子は、スライスという選択肢をひとつ持っているだけで、かなり大きな武器になると思いますね。あんまり決めつけで言っちゃうのもよくないですが、男子に比べると女子はスライスを使う選手が少ないように思うので。

 シンプルにアシュリー・バーディ(元世界1位/オーストラリア)とか見ても、もう明らかだと思うんです。そういう器用さっていうところも、日本人やフィジカル的にあまり恵まれていない選手には必要かなと思うんです。まあ、男女問わず、全員ですね。背が高くても低くても、必要だなと思います」

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【車いすは体の使い方がまったく違う】

 スライスにしても、ドロップショットにしても、錦織は「練習でできないことは、試合でできない。子どものうちから練習していないと、どんどんできなくなってしまう」とも言う。

 皆から「天才肌」と呼ばれ、プレーする姿はボールと戯れているかのよう......ともすると、泥臭さとは無縁のようにも見える錦織だが、「僕はコツコツとやるのは好き。

努力って言葉、好きですよ」と気恥ずかしそうに笑った。

 今回の合宿が趣(おもむき)深いのは、錦織が車いすテニスのジュニア選手の指導も行なったことだ。

 全日本ジュニア車いす部門優勝者の橘龍平は、「走りながらのフォアのダウンザライン(ストレート)が入らない」と相談した時に錦織に言われた、「コートではなく、ネットポールの上あたりを狙うといいよ」との助言が心に残ったと言った。

 実はこの助言は、錦織がイップスに陥った時に、スポーツ心理学者から受けたアドバイスでもあったようだ。

「3年くらい前......ケガをしたあとくらいに、イップスみたいな感じになったことがあって。大事なポイントが取れない。本当にブレークポイントの時だけ、なぜかすぐミスする。

 それで、ちょっと先生に相談した時に言われたのが、まずは『リスクを取らない』こと。硬くなっている時に『ウリャー』とダウンザライン狙っても、入る可能性がまずないので。

 あとは、『ネットの上のほうをまず狙おう』ということ。どうやって打とうかな、とかいうより、狙う場所を相手コートのベースラインとかではなく、目印になる一番近いところを狙う。『コートに入れたい』ではなく、頭の意識を違うとこに持っていくこと」

 そのような自身の経験も、錦織はジュニアたちに語り聞かせていた。

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── 今回の車いすテニスの指導で、一般との共通点や、逆に違いなど感じましたか?

「意外と同じところもありましたけど、やっぱり体の使い方がまったく違うので、車いすの難しさは肌で感じましたね。特にふだんは(国枝)慎吾さんとかを見ているので簡単に打っているように見えますけど、すごく難しいことをやっているんだなっていうのを、ジュニアに教えて認識した。

 もちろん今回も、慎吾さんがとなりにいなかったら、まったくコーチングできなかった。でも、相談しながら指導するのは、楽しかったです」

【イップスの症状は3年ほど前から】

── 自身がイップスになった時に教わったことを、橘選手にも教えていたようですね。そのような自分の経験が指導に活きると感じましたか?

「たしかに、そういうところはありましたね。特に僕の場合、車いすの打ち方が技術的にわからない。教え方が難しいということもあったので、考え方のテクニックのようなものを伝えました。

 ショットが入らないときに僕がやっているのは、あんまり遠くのターゲットに集中しすぎず、もうちょっと手前から狙っていくこと。大事なポイントでラケットが振れなくなった時にも、そういう負の連鎖を断ち切る・悪い思いを打ち消すために、ふだんと違うことを考えるという意味でやっていましたね」

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 そのような助言をジュニアにしつつも、「リスク回避」の策を取ったのはイップスの症状が悪かったからであり、誰にでも当てはまるわけではないとも加える。また、「近いところを狙う」のも「ボールをコートに入れにいく」ことではない。「大切なのは、大事な時ほど腕を振り抜くこと」だとも、錦織は強調した。

 なお、念のため錦織本人に、このイップスの件を記事に書くのは構わないかと問うと、「もう今は治ったので、大丈夫です」とのこと。ただ、ケガから完全復活に至るまでのプロセスでは、度々そのような症状に襲われたのだと明かした。

 前述してきたように今回、錦織は国枝氏と並んでジュニアたちの指導にあたった。国枝氏がジュニアに伝える言葉の一つひとつにうなずき、「それ、いいですね」「僕もやってみよう」と感嘆の声を漏らしてもいた。

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── 国枝さんの話を聞き、印象に残ったことや、新たな学びはありましたか?

「いやー、どれもタメになりました。タメにはなったんですが、なんかこの......やっぱり、それぞれ人によって考え方がすごく違うんだなっていうのも再認識させられたというか。

 みんな性格も違いますし、慎吾さんの言葉はもちろん全部ズバッときたんですけど、それを僕がやって成功するかっていうと、またそうではないし。自分に合ったやり方を見つけないといけないということは、あらためて感じましたね。

 でも何か、慎吾さんと自分の考え方の近さは感じました。やっぱり、自分の言葉とか態度で脳を麻痺させるというか、暗示をかけるというか。そういうところは大事だし、ひとつテクニックとしてあるんだな、というのは感じましたね」

【僕は100パーセント海外推奨派】

── 国枝さんの試合中のセルフトークや、試合前に鏡を見て目に恐れが消えるまで「俺は最強だ!」と鼓舞するというような点でしょうか?

「そうですね。でも今回の話を聞いたり、ほかの人からも国枝さんのことを聞いていると、やっぱ尋常じゃない努力の仕方をしているので、それは本当にすごいなと思いますね。ちょっとまた、そこは自分とは違うところで......その努力が、あそこまで行った人を生んだんだなと思いました」

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 今回のキャンプに参加したジュニアたちは、当然ながらプロの将来像を描いている者が多い。「海外を拠点としたほうがいいですか?」というジュニア選手からの実直な問いには、錦織は「僕は100パーセント、海外推奨派」としながらも、こうも続ける。

「でも、盛田正明テニスファンドでアメリカに来た人も半分以上は居なくなっている。

その現実を見ると、やっぱり自分自身の心の強さが大事だし、どれだけがんばれるか。海外に来たからOKとかではない」

 錦織が考える強さへの道や、環境とはどのようなものだろうか?

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── 今回の合宿参加者たちと練習や話をして、どのような印象を持たれましたか?

「今日のふたり(逸﨑と松村)はすごく一生懸命に練習してくれたので、シンプルに僕にとって助かりました。タイプの違うふたりだったので、そこも面白さはありましたし。

 ほかの子はまだあんまり見ることができていないのですが、一生懸命さは伝わってきましたよ。このチャンスを活用して海外にも挑戦したいという。海外に来て、外国の選手と戦う経験の大事さは僕も身に染みて感じているので、そこは存分に味わって帰ってほしいなと思います」

── 今回のように似た世代の子たちが合宿し、海外の同世代とも練習や対戦することは、よく言われる「切磋琢磨」のような意味合いでも大きいでしょうか?

「それはめっちゃ大事だと思いますね。僕の場合は、最初はお姉ちゃんがライバルで、ずっと近くにいてくれたので、それがまずひとつ目のやる気になった。その後、日本から3人で一緒に盛田ファンドの支援でアメリカに来て、ライバル心というか、すごく気持ちを駆り立ててくれました。

 今のトップを見ても、アルカラスとシナーがライバルとしてがんばっている。ちょっと世代は飛びますけど、ロジャー・フェデラー(スイス)とノバク・ジョコビッチ(セルビア)やラファエル・ナダル(スペイン)がいたことによって、下の僕らも強くなれたというところがある。

 そういうライバルだったり、ちょっと自分より上の選手を目指すっていうのは、僕の場合はすごくいいモチベーションになっていました」

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【4年ぶりの全豪オープン出場へ】

 最後に、「教えるのは好きですか?」と問うと、「好きですね。特に子ども......今回みたいなうまいジュニアの子たちに教えるのは、楽しいです」と錦織は表情を緩めた。

 ジュニア相手にも同じ目線で接し、打つボールとは対極なのんびり口調で話しかけるので、いつの間にかジュニアたちも打ち解け、笑顔になる。

 そんな錦織の姿を見て、僭越(せんえつ)ながら「変わらないですね」と言葉をかけると、彼は「いやいや、変わってますって。めちゃめちゃ大人になりましたって」と、フワリと笑みを浮かべた。

 錦織の新シーズン開幕戦は、2024年12月30日に始まる香港テニスオープン。そこから4年ぶりの出場となるオーストラリア・メルボルン開催の全豪オープンへと続く。

 ジュニアたちや国枝慎吾氏との交流を通じ、新たな刺激や視座も得て、「大人」になった錦織圭の新章が幕を開く。

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