年末年始には多くの人が親族に会うために帰省する。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「うっとうしい親や無神経な親戚と会いたくないという声もある。
しかし、根本的な問題は別のところにあるのではないか」という――。
■筆者が「あえて帰省したほうがいい」と唱えるワケ
年末年始の新幹線などの予約が、コロナ禍前を上回り、過去最高を更新した。
例年なら仕事納めという人が多い12月28日が土曜日、また、年始の仕事始めの1月4日も土曜日にあたるため、最大で9連休、という人も多いからではないか。
一方、SNS上では「帰省ブルー」と、実家に帰ることを嫌がる声もある。背景には、何があるのか。
1年前、私は、「帰省の価値」を強調する文章を、本サイトに寄せた(なぜわざわざ「苦手な親戚」に会う必要があるのか…社会学者が「帰省がしんどい」と言う人に伝えたいこと)。
コロナ禍から4年ぶりの帰省となる人も多かった昨年末、さまざまなわずらわしさがあるものの、だからこそ、「帰省をするにせよ、しないにせよ、年末年始とは、自分たちの故郷を通して、国を想像する稀有な機会であり、その点で、今こそ帰省を見直すべき時が来ているのではないか」と結んだ。
避けようとする人が目立つなかで、あえて帰省しろ、と述べたためか、この文章をきっかけに、いくつかのメディアで取り上げてもらった。つい先日も、日本テレビの「news every.」で、「イマドキの帰省事情」を解説したところである。
■「闇」に思いを馳せるようになった“きっかけ”
帰省が無意味だ、と思っている人は、いないだろう。逆に、意味がありすぎるから嫌なのであり、できる限りしたくない。そんな「帰省ブルー」について、痛感させられたのが、「ABEMA Prime」に出演したときのやりとりだった。

筆者とともに番組にゲスト出演した「関東の実家に両親と暮らすY助さん」は、10年ほど前まで母方の祖父母宅(東北地方)に帰省していた。しかし、従兄弟から「なんでお前結婚しないの」などと聞かれるのがプレッシャーになり、帰省をやめ、祖父母の葬儀にも出なかったという。
番組でも私は、あらためて帰省について「面倒くさいからこそ、あえて帰るプレイのような形」と、苦しい擁護をしていたものの、Y助さんの苦しみは、想像するにあまりある。学者の高みの見物に過ぎず、当事者の思いに触れると、「帰省ブルー」というやわらかい表現では済まない、「帰省の闇」に思いを馳せるようになったのである。
■嫌悪される「構造的な仕組み」
物理的な距離だけではなく、心理的にも金銭的にも「実家が遠い」、そのコスパの悪さが、「帰省ブルー」につながる、と、昨年の記事で私は述べた。家族や親族、それに、「地元のつながり」がタイパの悪さも感じさせる。いくつものうっとうしさが、複雑にからまりあっているから、「帰省スルー」=帰省を避けようとする人が増える。
ただ、ここまで帰省が嫌悪される背景には、もっと根深い問題があるのではないか。めんどくさい、うっとうしい、損をする……それだけではない、より構造的な仕組みが、帰省を蛇蝎(だかつ)のごとく嫌わせているのではないか。
とすると、東京をはじめとする都市部に住んでいる人たちは、地方に帰る=行くことを、嫌っているのだろうか。
「帰省」とは、地方出身者で都市部(東京圏)に住む人たちが、生まれ育った家や地域に戻ることを指す。それを嫌悪するということは、地方から東京に出てきた人たちは、「地方暮らし」も避けようとしている。
そう考えるほうが素直だろう。
けれども、「東京圏在住者の約半数が、地方圏での暮らしに関心あり」との調査結果をまとめたのが、内閣官房で「地方創生」を担当する「まち・ひと・しごと創生本部」である。より具体的に言えば、東京圏在住者のなかでも、「地方暮らし」については、「地方圏出身者の方が東京圏出身者よりも関心が高い」、それも、より若い層の関心が高い、という。
■東京に住んでいながら、「地方暮らし」志向が強い人たち
数字で見れば、地方出身で東京圏(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県)に住む人の61.7%が「地方暮らし」の意向を持っている。具体的に移住の時期や場所・仕事等を決めて計画している「計画層」に占める20代の割合は33.3%、30代は32.3%であり、上の世代を大きく上回る。
40代以上のほうが、老後は地方で、と考えそうに見えるものの、結果は逆である。若い年代のほうが、東京に住んでいながら、「地方暮らし」志向が強い。
また、総務省が2009年に始めた「地域おこし協力隊」は、2024年3月末現在で、全国1149の自治体に合計7200人がいる。都市から主に地方の過疎地に移住して、最長で3年間、地域協力活動を行いながら、定住・定着を図るものである
「地域おこし協力隊」は、必ずしも若い世代に限られないものの、「地方暮らし」が、見える化されることによって、単なる憧れではなく、実感のこもった未来に変わっているのではないか。
「地方暮らし」志向や、「地域おこし協力隊」の15年にわたる継続は、そうした実情をあらわしているのではないか。
さらにそこに、「コロナ禍」という要因が加わる。

■「帰省のハードル」すら移住を後押しする要因に…
先に示したデータは、新型コロナウイルス感染症が拡大する直前、2020年2月と3月にかけて行われた調査に基づく。
その翌年2021年2月に、内閣府が行ったアンケートをみよう。
コロナ禍によって広まったテレワークがきっかけとなり、「地域の食・文化」を重視する地方移住の意向が増えたのである。Uターン、つまり、東京圏から出身地に戻って移住した人たちへのアンケートでも、「親族や知人等縁故がいる」や「生まれ育った地域」といった要素よりも、「地方独自の歴史・伝統」を重視したとの回答が上回った。
統計的手法による分析では、「移住実施者が移住に当たって重視したこと」は、移住への支援、地域の食・文化、地縁・血縁、そして、利便性、という4つの事項が挙げられている。裏を返せば、「地縁・血縁」という、「帰省」にあたってハードルとなる要素すら、移住した人たちにとっては、後押しする要素になっていたのである。
コロナ禍を機に、東京圏での生活を見直し、移住を検討したり、実施したりする。そうした傾向は、さんざん語られてきた。コロナ禍によって、「オンライン帰省」や「リモート帰省」といった、単なるビデオ通話を、わざわざ「帰省」と言い換える傾向が見られた。
■「帰省ブルー」は世界中で起きている
かたや、コロナ禍によって地方に移住した人たちがいて、かたや、コロナを口実に帰省を回避した人たちがいる。東京圏・都市部の人たちにとって、地方は憧れの的なのか、それとも、行きたくない場所なのか。にわかには納得しがたいのではないか。

「地方暮らし」志向と、「帰省ブルー」、この2つの流れは、矛盾しているのだろうか。
帰省に対してさまざまな思いが入り乱れるのは、日本だけではない。
ネットフリックスドラマ「帰省ブルーな私の事情」は、パキスタン系のイギリス人婚約者との結婚にむけて、サウジアラビアにいる家族を説得しようとする女性が主人公である。原題はالعيد جايبةで、直訳すれば「イードを持ってきました」である。この「イード」とは、イスラム教の祝祭日で「祭り」をあらわしており、帰省により明らかになる文化や宗教の違いをあらわしている。
パキスタンとサウジアラビアであれば、「帰省ブルー」にならないのでは。そう直感する人もいるかもしれない。
だが、「帰省ブルー」という表現こそないものの、このドラマのように、世界中で、いろんなスレ違いが起きてきたし、いまも起きており、これからも起きるに違いない。自分であれ、配偶者であれ、その出身地に帰ることは、一筋縄ではいかない。
■「他人から何かを言われるから」だけではない
出身地とは別のところに住んでいる人たちは、「地方暮らし」に淡い期待を抱きながらも、シンプルに帰省をしたいわけでもない。なにより、同じ人物のなかに、2つの感情が同居しているわけではないから、矛盾だとはとらえにくい。
地方への憧れにせよ、忌避にせよ、いまの都会の生活ではない場所=ここではないどこかへの感情は、世界中の誰にとっても、共通するのではないか。
都市部の暮らしへの否定が込められているから、つまり、現状の自分にNOを突きつけられるから、帰省がつらいのではないか。
帰省は、都会の快適さを見直す機会になるだけではない。地方を捨ててきた、という後ろめたさを思い出させる。戻りたい懐かしさや、戻らなければならない義務感も抱かせる。親や親類、友人といった、他人から何かを言われるから、だけが、「帰省ブルー」の原因ではない。
それとともに、いや、それ以上に、地方から都市に移り住んだ事実とその理由に、あらためて直面させざるをえない。地方ではなく、都会に住んでいる。そう決断した過去の自分に、向き合わなくてはならないことが背景にあるのではないか。
■「いま、ここにある危機」に目を向ける
帰省がつらいあなたは、そんな昔の自分との対峙を避ければよい。
もちろん、じっさいに帰省をしない、そんな選択肢もありえるし、仮に帰省をしたとしても、無理やり自分を振り返る必要はない。あくまでも「プレイ」として、あえて、わざわざ帰省する、もしくは、帰省しない、といったかたちで、ゲームのようにとらえれば、よいのではないか。
「帰省ブルー」として、帰省へのネガティブな感情が言語化され、見える化された、この傾向をこそ、私たちは直視しなければならない。
最大9連休とも言われる、この年末年始に考えるべきなのは、このことばが広く共有される日本の現状にほかならない。
コンプライアンスやハラスメントへの感度が高まっている都市部と、なかなか変われない地方、その二極化が進んでいるからである。とりわけ若年女性が地方を去る流れが止まらない。東京に比べて地方では、女性に仕事がなかったり、年収が少なかったりする、それだけが要因ではない。
NHKの「クローズアップ現代」でも、読売新聞の特集でも、どちらも、地方では「女性の役割」を求められること=性別による役割分担意識が、女性の「流出」につながったと報じている。
「帰省ブルー」を流行現象ともてはやすのではなく、いま、ここにある危機に、まず目を向けなければならない。それを考えさせてくれるだけでも、この年末年始には、大きな意味があるのだろう。

----------

鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)

神戸学院大学現代社会学部 准教授

1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

----------

(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
編集部おすすめ