大阪・此花区では、お好み焼きの具としていわゆる天かす(揚げ玉)の代わりに、「豆の天ぷら」を入れるのが昔から当たり前だったらしい。此花区といえば、USJがあるエリアとしておなじみ。
もしかしたら、「大阪のお好み焼き」というざっくりした括りのなかに、さらに微妙な地域差があったりするのだろうか……? 阪神電車の千鳥橋駅から徒歩5分ほど歩き、豆天入りお好み焼きを提供する「あたりや」さんに話を聞いた。
戦後から女性によって守られてきた味
「いらっしゃい!」と店主の永田由美さんがやさしく出迎えてくれた。ムーミンに出てくる「ミイ」のような髪型がキュートだ。「あたりや」の創業は70年ほど前。当初は持ち帰り専門のお好み焼き店で、永田さんのお母さんが店主だったという。4年ほどその業態で営業したのち、永田さんの叔母にあたる方(お母さんのお姉さん)がお店を引き継ぎ、50年以上、此花区で親しまれてきた。その後、永田さんが継いでからは13年ほどになるという。戦後から、女性の手によって長らく守られてきた味であるというところも興味深い。
「男はつらいよ」や大衆演劇のポスターなどは貼られた、どこか懐かしい店内。創業当時は三軒長屋だったそうだが、現在の店舗は昭和50年代に建て替えられたもの。おひとりで切り盛りされているので、水や瓶ビールなどはセルフサービスとなっている。
昭和初期頃までの此花区の様子。2枚目は水災害時に小舟で食料品を配っている写真だが、永田さんのお話に出てきたような、三軒長屋が写っている(大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより)。
これがその豆天だ。立ち食いそばやうどんに乗っているかき揚げと似た丸型である。創業当時からずっと、グリンピース入りが特長。そもそも、なんで豆天を入れはじめたんでしょうか?と聞いてみたところ、
「当時、近くに天ぷら屋さんがあって、そこから仕入れた豆天を入れるようになったと聞いています。なぜ天かすのみではなく、あえて豆天を入れたのか?という理由は、残念ながら聞いたことがないんですよね。叔母はその天ぷら屋さんが廃業されるときに、つくり方を直接教わって、朝の5時から自分で揚げたものを使っていた時期もあったようです。グリンピースも、乾物の状態から水に浸けて戻していたので、ここだけの話、その頃のほうが味はよかったかもしれません(笑)。いまは業者さんに頼んで、オリジナルでつくってもらっています」と永田さん。
さらに驚いたことに、此花区には豆天入りのお好み焼きを出す店がかつては数軒、存在したという。つい最近まで、別の店が近くにあったが、残念ながら閉店してしまったそうで、現在は発祥の店でもある「あたりや」さんが最後の1軒になってしまった。おそらくは近所で模倣するお店が増え、ごく限られたエリアで自然発生的に生まれた食文化だったのだろう。これは此花区名物としてもっとプッシュするべきではないだろうか……。
「洋食焼き」スタイルの豆天入りお好み焼き
そんなわけでさっそく「イカ玉(焼きそば入り)」を焼いてもらうことに。お好み焼きといえば、生地と具をカップなどであらかじめ混ぜてから焼く関西風のものを思い浮かべる方が多いと思うが、「あたりや」ではまず、小麦粉液をクレープ状にうすく伸ばし、そのうえにキャベツ、イカ、そばなどの具をどんどんのせていく「洋食焼き」スタイル。空気を含ませながらふわっと焼き上げるのではなく、しっかりとコテで押さえながら焼いていくのが特長。昔、此花区ではお好み焼といえば、この「洋食焼き」が主流だったそうだが、こちらも時代とともに減ってきているそうだ。
豆天は冒頭の写真のように、手で適当な大きさにちぎってのせていく。なるほど、あらかじめ材料を混ぜる作り方ではなく、洋食焼スタイルだったからこそ、豆天をちぎってのせていくというのを思いついたのかもしれませんね!
この豆天を焼きそばに入れてほしい!というお客さんもけっこういるそうで、そちらもおいしそうだ。
この後、普通の天かす、紅ショウガも入り、上からさらに小麦粉液をかけ、鉄板の上に卵を割り入れ、ひっくり返しながら焼き上げていく。
きれいに焼きあがり、ソース、かつおぶし、青のりをかけた状態。マヨネーズも別途20円で注文できるが、私はマヨなしでいただいた。
割ってみたところ。豆天は生地と完全に一体化しており、香ばしくて実においしい。600円というお財布にやさしい価格なのだが、男性でも充分満足できるボリュームだ。生地のあいだから時折、グリンピースが顔をのぞかせる。
実は関ジャニ∞ファンの聖地だった
帰り際、なんだか雑誌の切り抜きなどがたくさん貼ってある一画があるなあ……と近づいてみたところ、実は同店は関ジャニ∞の横山裕くんが幼い頃から通う店で、ファンのあいだでは聖地となっている模様。最近では海外からのファンの来店も増えているとのことで、横山くんへのメッセージを書けるノートなども置いてあった。
余談だが、大阪の此花区はいまや全国区に広まった、「恵方巻」発祥の地でもあるのだそうだ。現在は「伝法(でんぽう)」と呼ばれている地域(かつては、申村(さるむら)という名称だった)、で毎年節分に行われていた、若い男女の寄り合いから生まれた習わしという。女性たちがつくる巻き寿司を食べる習わしとなっていたのだが、なにしろ若い衆が多いので切り分けている余裕がなく、丸かぶりするようになったという(かじるまえに、神棚に「今年も元気でいられますように」と拝んでいたらしい)。
この申村の風習に目をつけた京都市内のある寿司店が、大々的に売り出したのが大当たりしたことで、昭和35年頃から次第に関西に広まっていった……ということらしい。
と、そんなわけで此花区には知られざる独特の食文化がいろいろあるのだなあ~と感心! この豆天入りお好み焼きのほかにも、もしかしたら大阪には、ある特定のエリアでひそかに受け継がれている独自のお好み焼き文化があるのかもしれない。今後も機会があれば、探っていきたいと思う。
(まめこ)
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