「大事なのは、トランプ現象の『先』を行くこと」。その意味とは?

2016年を騒がせた2つの大問題—イギリスのEU離脱、アメリカ大統領選のトランプ氏の勝利—でおおく聞かれたキーワードは、閉塞感だった。閉塞感はときに、みんなをあっと驚かせる思わぬ結果をもたらす。
日本社会も閉塞感でいっぱいだという声は多い。これは日本でもトランプ現象が起きることを意味するのか?日本を代表する社会学者の大澤真幸さんはこう語る。
「日本社会は、およそありえそうもない変化を求めていると思います。トランプが当選したアメリカと同じように。問題は、変化への欲求をポジティブな構想と結びつけるのか、ありえそうもない指導者を選ぶだけで終わるのか、です。大事なのは、トランプ現象の『先』を行くことです」
その意味するところは?少しだけ視野を広げて2017年を展望してみよう。
「幸せ」と「希望がない」の意外な関係

ーーここに毎日新聞の世論調査(2015年版、最新は2016年版)があります。日本に住む多くの人たちは、チャンスは平等にあるとは思ってないし、10年後に日本が住みやすい国になっているとは想像していない。一方で、おおむね生活に満足しているし、幸福であるという。一見すると非常に矛盾している結果に、閉塞感を読み解く鍵があると思います。
大澤さん:すごくシンプルに考えれば、将来がどうあれ、日本はとても良い国である。一時もてはやされたブータンのように、これだけ生活に満足していて幸福度が高い国に住んでいる、と考えることもできるわけです。しかし、それは間違っていますよね。どうも現実とは違う。
いまは幸せなのに、チャンスもなく、10年後に希望が持てないことは互いに関係し合っているというのが僕の仮説です。それはどういうことか。
こんな風に想像してみましょう。もうすぐ人生を終えようとするお年寄りが、人生を振り返って「自分は幸福だった」と思う。これはとてもわかりやすいですね。もう残された時間も少ないし、振り返った時、どこかで自分の人生を肯定して終えたいと思う。
いまの社会調査に現れている感情は、これに近いと思うんです。つまり、将来は悪くなるだけであり、希望はない。だったら、せめていまはいいと思っていたいということでしょう。
これは体感的に理解できます。僕がまだ若かったときは、未来が良くなるというイメージがありました。20代なら10年後、30歳を過ぎた頃には社会にでて収入もそれなりにあるだろうな、結婚もしているだろう、という「物語」が共有されていました。
でも、そんな物語はすっかりなくなってしまった。物語不在の時代です。未来は暗い、というより悲惨なイメージしかない。
それでも楽観的にみえるのはなぜか?(近著の)『可能なる革命』でも書いた事例を補助線につかいましょう。
アメリカのある町で、鉱山で長く働いていた父親を、アスベスト(石綿)が原因で亡くした女性がいる。彼女は、ほかにもアスベストが原因で亡くなった人がいることを突きとめ、父を雇っていた会社を相手取って、人々の健康を守れ、と訴えた。
町の人々は鉱山で働いている人もたくさんいる。だから、味方をしてくれるだろうと彼女は思った。しかし、町の人たちはまったく非協力的だったんですね。
それどころか、その会社に雇われ、鉱山で働くことに、彼らは深く感謝していた。他に産業もない町に雇用をうんでくれた、と。それを批判する彼女が許せなかったんです。
鉱山や自分たちの健康は安全である、というような人たちもでてきた。つまり「鉱山は安全である」と信じているように、ふるまいはじめたんですね。ちょっと話はそれるけど、原発の「安全神話」とも似ていると思いませんか?
途方もないリスクを前に、ひとはどう行動するのか?
——大澤さんは、原発安全神話ができたのは、日本人の知的能力が低く、批判力がなく、電力会社に騙されたからではない、とはっきり書いていますね。
そうなんです。アメリカ(の鉱山の町)でも似たような事例が観察できる。彼らは、アスベストは安全であることを微塵も疑っていないようにみえるし、現にアスベストの危険性を訴える運動は、強く攻撃されていた。
この補助線からわかるのは「途方もないリスクがある」と暗黙のうちに共有されている社会で、人々はどう行動するかです。
データよりも大事なのは、行動のほうなんです。
彼らのふるまいはとても逆説的ですね。あたかも、リスクそのものがないかのようにふるまい、自分は石綿症ではない、と根拠もないのに楽観的に思ってしまうのだから。そして、もう一つの逆説は、楽観的に思うことで、かえって悲劇的な結末を招いてしまうことです。
アスベストの問題でいえば、人々が楽観的にならず、彼女と一緒に立ち上がれば、打てる対策はあったかもしれない。よりましな未来があったかもしれない。でも、しなかった。
いま、日本社会が感じているのも、将来のリスクにどう対処していいのかわからないことの裏返しでしょう。より破滅的なシナリオを招くことの前ぶれ、と捉えることもできますし、より大きな変化を求める前兆ともいえます。
トランプの言葉が刺さらなかったメディア

——例えば、アメリカ社会はトランプ氏を次の大統領に選びましたね。これも変化を求めているということでしょうか。あるいは、単に対抗したリベラル側の問題もあったと思いますが……
2つの問いはつながっていると思います。これはあとで議論することになる、日本でもトランプ現象が起きるかどうか、という問題にもつながるので、丁寧にみておきましょう。
トランプの特徴は、支持しているということが、なにか恥ずかしい、あるいは公言したくないと思うような大統領候補だったということです。だいたい、誰も本当に勝つなんて思っていなかった。
本音トークを重ねて、人種差別や女性差別の発言を振りまく。政策はたいしたものはない。それでも、メッセージが特定の層には刺さった。それがどういう層なのか。逆に刺さらなかった層をみればいいんですね。
トランプのメッセージが刺さらなかった代表的な層は、メディア、特にリベラル系のメディアですよね。軒並み反対に回っていました。政策的な問題もさることながら、それ以上に彼は大統領にふさわしくないのだという思いが根底にあった。
じつに興味深かったのは、開票速報が始まっても、まだ大丈夫だとか、まだヒラリー・クリントンがリードしているところはあるんだ、とちょっとでもポジティブな要素を伝えようとしていたところですね。なかなか、現実を受け入れられないようにみえました。
トランプの声は、彼らとは違うところに刺さっていた。
例えば白人の中産階級、あるいは非大卒と呼ばれる層ですね。この層には、ポジティブなメッセージとして届いていた。それは、彼らが差別主義者だったのではない。これは後で触れますので、ひとまず議論を先に進めましょう。
大統領選、本当の争点は「階級闘争」
大統領選の争点はとてもシンプルなんです。でも、シンプルなのに複雑に見えてしまうところに、今回の問題の面白いところがある。それはこういうことです。
アメリカ大統領選の最大の争点は、僕からみると「階級闘争」です。白人中産階級、労働者、非大卒といったような人たちが、上層階級に向かって反撃をしたということなんです。
本来、中産階級や労働者階級の最大の味方は誰なのか?リベラル=クリントン陣営ですよね。そしてどちらが、正しいことを言っていたのか。これもリベラルなんですよ。
クリントンが得票数では勝っていたという人もいますが、重要なのは、行動です。問題は、なぜ正しいことを言っているのに、トランプを圧倒するくらい票を伸ばすことができなかったのか、になります。
「正しい」のにリベラルはなぜ勝てないのか?

——リベラルの言っていることは、正しいのだが、うさんくさい、偽善的だという批判もありますね。
そう、リベラルはとても正しい。およそ、これ以外の道はないように思えるくらい正しい。寛容で、フェミストで、エコロジストであり、人権も尊重する。
クリントン陣営も例外なく、LGBTや少数者の人権も擁護しようとしていて、トランプとは真逆で進歩的である。アメリカ社会にある「ポリティカル・コレクトネス」(社会的な差別や偏見などが含まれていない言葉)とも親和的です。
では、こうした言動は他の階級からはどう映るか。これは、トランプ支持を公言したくない理由とも重なります。
クリントン陣営の言っていることは、アメリカのトップ大学やグローバルな競争で勝てるような企業、もっというと、勤務できていいね、と思われるような名前が通る企業では大半が賛同するようなものです。
グローバリズムの勝ち組富裕層といってもいい。そこで、これに反するようなことを言うのはおよそありえないでしょう。
——そうですね。日本でも「女性の活躍はいらない。男優位でいい」「LGBTの権利は認められない」などという主張を公言する企業は批判されるでしょう。
リベラル言説はいまや上層階級の共通の言語として機能しています。こうした「正しい」ことを言えるのが上層階級であるという含みを持ってしまっている。
もし疑問を持ち、実際に口にする人たちがいたとしたら、彼らは教養がなく、不寛容で、男性優位主義であると思われ、上層階級のメンバーだとはみなされないでしょう。
リベラルなことを口にすることは、自分たちが上層階級にいることを確認しあう効果を持つ。同時に、トランプを批判することが上層階級であるというメッセージに転化していくわけです。
だから、中産階級からみると、リベラルは一見、口ではいいことを言っているけど、結局は「自分たちとは別の世界に住んでいる人たちで、味方ではないな」となる。なぜなら、彼らは勝ち組であり、没落していく自分たちの気持ちなんかわからないと思えるからです。
リベラル=上層階級がもつ矛盾
複雑に見える、といったのには、あと一つ理由があります。
それはグローバルな資本主義の問題です。資本主義なので、どこかに安い、低賃金の労働力が必要になるわけです。アメリカ国内にだっていますよね。彼ら低賃金の労働者は、資本主義の格差のしわよせがくるところで働いている。
職も景気によってかなり左右される。状況が悪くなれば、すぐに仕事も所得もなくなる。
リベラルは、口では悲惨なところがあるというかもしれない。しかし、そんなリベラルな言説を振りかざしている上層階級は、アメリカから世界中に飛び出して、お金を稼ぎ、都市部に住んでいる。グローバルな資本主義の恩恵をダイレクトに受けているわけです。
だから、解決策は何かを提示しないし、そもそもできない。一番の弱者からみれば、悲惨なところから目を背けて、口ではいいことをいいながら、行動はともなわず、恩恵だけは受けて、何もしていないではないかとなる。これが、偽善的でうさんくさいと思われる要因です。
——ならばトランプという選択は成功でしょうか?
そうではないですね。トランプだって、資本主義のしわ寄せがきつい人たちを救おうなんて思っていない。
トランプのメッセージは、単純にアメリカ人の—正確には、トランプが「アメリカ人」だと思っているー労働者「だけ」を救います、という「物語」として機能しています。
しかし、それはおよそ不可能です。主張通り、移民を排斥し、自由貿易を否定すれば、グローバル経済のなかでアメリカ全体が回らなくなります。結果、アメリカ人の労働者だって救えなくなる。
トランプを選択した人は、隠れトランプ派という人たちも含めて過激な発言の支持者、差別主義者ではないでしょう。彼の差別発言に本当に期待している人は少ないと思う。むしろ、彼の発言は「普通ではない何か」を体現したと読み解けます。「正しくない」言葉を使うことで、普通ではないというメッセージになる。
支持者が期待したのは、閉塞感からの解放です。変わらない日常、没落していくだけの未来を変えてくれる、普通ではない何か。それを体現してくれるのだ、と。
しかし、トランプはおよそ凡庸でしょう。ビジネスで名をあげた経歴、政治家経験がないというところまでしか「普通ではない」部分がない。
うさんくさいリベラルか、普通ではないーしかし凡庸なー改革者か。どちらをとるか。前者はあまり変わらない日常が続くだけでしょう。後者は下手したら1〜2年で支持率を極端に失い、大失敗に終わる。
うまく乗り切れば世界的には成功だけど、投票したアメリカ人の期待からすれば失敗でしょう。
希望が<革命>にある理由

——消極的な選択肢しか残らない。これは少し未来の日本でも起こりそうな気がします。閉塞感を打破するために、トランプ現象に似た現象が起きると思いますか?
偽物の改革者に期待を託すということは十分、起こり得るでしょうね。日本社会はアメリカの資本主義の恩恵を随分とうけてきたし、真似をしようと思っていた時代が長く続きましたから。
でも、それが起こりそうである、と思うことは、人々の間に変化への期待があるということです。何かを変えてほしい、と。
問題はそのエネルギーがどこに向かうのか。さっき、僕はかなり古い「階級闘争」という言葉でアメリカ大統領選を考えたんですけど、ここでもう一つ、古い言葉を使おうと思います。それは<革命>です。
日本はトランプ現象の「先」を行けるのか?
——「革命」というと、流血や闘争、政府転覆といったイメージとセットになるのですが……
僕が言う<革命>というのは、そういうことじゃないんです。
社会に選択肢として存在するんだけど、事実上不可能だとされていることを、社会運動や合意形成のもとに実現していくこと、これが<革命>の定義です。
日本社会にとって大事なのは、トランプを押し上げた力に注目し、トランプの先を見据えること。反復ではダメなんです。
さっきの発言と矛盾するようなことを言いますが、僕は今回の選挙で、トランプが勝ったことを非常に消極的ですが評価しよう、と思っています。それは、アメリカの人々の間に「変化」を期待する声が強いことがわかったからです。
変化の期待がどの方向に向かうのか、こそ重要な問いです。
ここで、さっきの議論とつなげましょう。トランプを押し上げた力とはなにか。それはありえそうもない変化への期待です。これは<革命>のエネルギーにもなりえる。
<革命>はおよそ不可能だと思われているもの。日本で言えば、例えば、日米安保条約が廃棄され、国内にいる在日米軍が撤退する。あるいは将来的な脱原発でもいいでしょう。アメリカなら完全な銃規制の成功がそれに相応しいと思います。
もちろん、トランプ当選は<革命>ではない。理由は明白ですね。単にリベラルがうさんくさい、という話にすぎないからです。そんなものは、およそ不可能だとされていることでもなんでもない。
「構想力」が問われる2017年
本当は選択肢にあるはずなのに、選択肢にないとされていることを、思い切って明言して実現していくことが大事なのです。「うさんくさい」というだけでは、それ以上のポジティブな構想が一切ない。
トランプが在日米軍の撤退を口にしているなら、その先を見越して、本当に在日米軍がいない日本を構想してもいいわけです。
安全保障に関連して、これも前から主張していますが、憲法9条を国民投票にかけて選び直すというのもいいでしょう。例えば自民党改憲草案のような憲法改正は、いまの憲法が嫌だという否定しかなく、普遍的な構想が感じられない。たとえ実現したとしても、さしたるインパクトはない。
ならば旧来の護憲派のように国民投票を避けるのではなく、9条支持派こそ積極的に提案する。もっと踏み込めば、9条の理念をより打ち出せるような9条改憲案を提示して、国民投票で勝利する。これは<革命>と呼べると思います。
<革命>はそれを実現することで、社会の他の問題にも大きな影響を与えることができるインパクトを持つものです。
閉塞感は<革命>への期待に転化させることができます。問題は日本社会に、その構想力が足りないことなのです。
このままでは、トランプ的な指導者に期待が集まるかもしれない。一方、より魅力的な構想を打ち出したら、日本社会は変わるかもしれない。
2017年は、そんなことが問われる年になるでしょうね。
希望はないけど、幸せな社会ーーが生まれる背景にあるのは、どうせ変わらない社会への不満だ。ならば、その不満を原動力に変わりたい社会、住みたい社会への構想を語ることができるのか。2017年、問いは私たちにそのまま返ってくる。