震災で傷ついたふるさとで集う場を作り、外部の人を招き入れながら、復興の形を模索してきた福島県いわき市の地域活動家、小松理虔さん(42)。
ところが、新型コロナウイルスの流行で、人が集まることや旅行をすること自体が難しくなった。
対面で語り合い、現地でその土地の人や文化と出会い、交流することはどんな意味を持っているのか。また、どうやってそれを取り戻したらいいのか。

炭鉱開発から閉山、火力発電所の開設と、国のエネルギー政策を支える役割を担わされ、原子力発電所の事故に襲われたいわき市の歴史を現地を案内してもらいながら聞いた。
飛沫を交換し合う場はリスクを分かち合う場
——小松さんは地元の鮮魚店で福島県産の魚と酒を味わいながら語り合う「さかなのば」や、思い思いの活動ができる共同スペース「UDOK.(うどく)」を主宰するなど、人が集まって体験を共有する場をいわき市で作ってきました。コロナでどのような状況になっていますか?

最悪です。これまで僕がやってきたことは、密な場を作って、参加した人がそこはかとなく何かを考えるチャンネルを作り、それを持ち帰ってもらうことでした。
コロナでは人が集まれない。どうしても言葉や情報だけのやりとりになるし、「なんか面白そうだな!」とワクワクする感じも共有しづらくなっています。
そもそも僕は人がぎゅうぎゅう詰めになって、一緒に面白いことをするのが好きなのに、この2年、それができなくなったのは痛手です。
飛沫を交換することでしか分かち合えないものがあるし、リスクを分かち合うからこそ親密になる。明日、死ぬかもしれないからこそ、今この瞬間にあなたと一緒にいることが大切になる。
早く再開したいですが、多くの人に、人が集まったり、距離を縮めたりすることに対する不安があります。昔のように人が集まることは、参加するための心理的なハードルにもなる可能性もあります。
だからコロナが収まるまでは、人が集まるとはどういうことなのかを考える時期だと割り切っています。いったんそれができなくなったからこそ、じっくり考えられるはずです。
——コロナ収束の時期は分からず、さらに長引く可能性もあります。ずっとコロナと共に生きていくことも覚悟して、人とのつながり方を根本から変えていかなければならないのかもしれません。
リモートで集まることもできるようになって、色々な人が最初の接点を作ることができるようになったのは良い面でもあります。
でも、人間は社会的な生き物なので、集まって議論したり、体験したりすることを完全になくすことはできません。「人と集まるな」というのは「人間らしくあるな」ということだと言えるかもしれません。

人と会うことは根源的にリスクです。コロナウイルスから身を守ることだけがヘルスケアでしょうか? 自分らしくあれないこともリスクだと思います。
僕らの暮らしはそもそも様々なリスクにあふれています。それをなるべく避けるために科学的な情報や態度を学びつつ、一定程度は受け入れていくしかない。
僕らは震災や原発事故で、明日も同じように続くと思っていた日常が急に崩壊する経験をしました。生きていれば交通事故が起きるかもしれないし、病気になるかもしれない。コロナに限らずいろいろなウイルスがいるし、魚をよく食べる僕らにはアニサキスのリスクもあります。
そういうリスクを暮らしの根底で受け入れていて、その中にコロナも加わってくるはずです。
その時に、リスクの捉え方は個人によって異なるので、「なんでお前はそんなに怖がるのだ」などと否定してはいけない。自分が考えるリスクと他者が考えるリスクを許容し合いながら、集まるようにしていくしかないと思います。
ゼロリスクを求めて失うもの
——ワクチンでもそうですが、日本では「ゼロリスク」を求める心持ちが強い気がします。
ゼロリスクを求める気持ちはわかりますが、自分たちの社会のリスクはゼロではありません。科学だけでなく、文学でも人文学も芸術も、人はリスクを抱えて生きるという根源的なことをあらゆる形で伝えようとしています。
僕らもそれを学んでいるし、小学校や中学校でもそれを教えてほしい。ゼロリスクを求めれば社会は硬直化するし、身体的なリスクを抑えようとしたら人は動けなくなって自宅に押し込められます。
コロナにかかるリスクはゼロになったとしても、自分の尊厳は守られなくなるかもしれません。何かを選び取った時に、何を失うのか考えられる人を育てていくことが必要なのだろうと思います。
「しょうがねえべ。会わないわげにいがないんだもの」
——『地方を生きる』で書かれていましたが、そんなことを悶々と考えている時に、北好間地区のおばちゃんたちは、地域のお年寄りの食事会を再開していく。たくましいと思いました。
母ちゃんたちがすごいのは、僕らがデータを睨みながらああだこうだ考えている時に、「だってしょうがねえべ? 会わないわげにいがないんだもの」と言って、軽やかに会いに行き始めたことです。

地域の高齢者を支えるには、身体的なケアが必要です。
おばちゃんたちは論文を解読して、リスク管理をしているわけではありません。でも自分たちなりにリスクを考え、社会の損失を考え、何を取り戻すべきかを考えて行動したのです。
自分たちは何が大事なのか、何を守らなければいけないのかを考え、「手洗い、消毒、マスクをして気をつけたら大丈夫だっぺ」と対策しながら、人と会うことを選択した。自然と大事なことが身についているなと学びました。
——おばちゃんたち自身も高齢者だから、本当はリスクがあるわけですよね。
かかったらそれはそれで仕方ないとある程度、リスクを受け入れているからできるのです。
リスクを受け入れるということは、他罰的にならないということです。「お前のせいだ」ではなくて、「みんなが決断した結果、感染したり、しなかったりは仕方ない」と受け入れることです。
放射能もコロナも他罰的で、「誰のせいか」ばかりを考えてギクシャクしています。その中で母ちゃんたちは、リスクは自分たちの中にあるものなのだと引き受けた。
それでも、コロナの時期に埼玉県の高校生20人ぐらいがいわきにツアーに来た時は、「どういう風にするかねえ」とかなり考えていました。「集会所で母ちゃんたちの飯を食わしたい」とお願いしたのです。
コロナ前は食事後にそこで民俗芸能の踊りをみんなで踊っていました。でもコロナ後は、「踊りは踊らない方がいいべ」となり、できるだけ黙食で食べるだけにして、地元のお母さんたちの人数も最低限にしました。
どこまでなら大丈夫か、どこまでおもてなししたいか、科学の考えと暮らしの知恵をすり合わせて、慎重に考えてくれたわけです。
自分の暮らしの中でリスクの線引きができることが「安心」
——科学的な対策をお母さんたちの生活や文化に溶かし込むことができている。
僕は専門家が言っていることも、母ちゃんたちが言っていることも同じぐらい大事だと思います。母ちゃんたちは地域の人を支えたり、おもてなしをしたりするプロです。

もちろん科学的なアドバイスはあったほうがいいですが、暮らしの中で母ちゃんたちがひねり出したリスク判断は尊重されるべきです。
暮らしの中で自分が大事にしていることは何かと合わせて考え、「ここまでは大丈夫。ここからはやめておこう」と自分なりの線引きができるようになる。それが「安心」なのだと思います。
ゼロリスクだから安心ではなく、どこまで何ができるか線引きができて、自分の暮らしの中でリスク判断が尊重されることが「安心」です。
その自分の判断が足蹴にされたり、「それではぬるい」と否定されたりすると、心の平穏状態は崩れて、論争や罵倒が起こります。
流石にノーマスク・ノー消毒はダメだと思いますが、それぞれの置かれている条件でリスクを判断しているのだと思います。
例えば友人をイベントに誘った時、過去に肺炎になったことのある家族がいることを考えて断られる可能性があります。
その時、「今日は行きません」という返事だけで「あの人ビビリなの?」と批判しがちですが、みんなそれぞれの事情があって決断するので、そのリスク判断は尊重されるべきです。
人が集まるイベントも対面とリモートのハイブリッド開催ができるようになって、ますます個人のリスク判断を尊重する土壌は整いつつあります。
つらい経験をしたからこそ、そこで考えたことを生かす
——障害関連のシンポジウムがハイブリッド開催になったことで、これまで現地参加が難しかった障害のある人も参加しやすくなって参加人数が増えたと聞きました。新しい可能性なのかなとも思います。
例えば学校の授業も、リモートになって参加しやすくなった子がいると議論が盛り上がったことがありました。
危機が過ぎ去るとそこで学んだことは忘れられがちですが、どうやって人と人が集っていたかを忘れず、その経験をこれからに生かした方がいい。そうしないとコロナでつらかった数年間が無駄になってしまいます。
原発事故で経験した食の分断やリスクの議論も考え続けています。コロナと原発事故は厳密にはごっちゃにはできませんが、接点を持たせることはできる。
人がどうやってリスクと向き合い、今後、似たことが起きた時にどう対処するのか、未来に生かしていかないともったいないです。
——この2年でみんな基本的な対策は身につけたわけですから、リスクを受け入れる方法も考えなければならないでしょうね。
オミクロンの流行が少し収まったら、僕はもう集まってもいいと思っています。
規制を全面撤廃している欧米に比べると、日本はおそらく公衆衛生の感覚が国民性と強く結びついている。手洗い、マスクはコロナが収まった後も続くでしょう。その時に「なんであの人マスクしてるの?」と白い目で見ない知恵も必要でしょう。
福島は散々、原発事故で差別されたのに、コロナの患者が引っ越さなければならない状況になったことが初期にあったようです。人間は同じ過ちを繰り返してしまうので、ことあるごとに考えなければいけません。
考えることを通じて、科学との信頼関係を新しく作り直すこともできるはずです。
コロナで健康や人と会うことについて考え、みんなが傷を負ったからこそ、医療と地域コミュニティとの距離を近づけたり、科学者が市民と一緒に考えるチャンネルを作ったりする。
放射能もコロナも、専門家と一般の人の間に立つ、つなぎ役がいない問題が共通しています。地域で不安と向き合ってきた地元のかかりつけ医や、幼稚園の先生、管理栄養士らが、つなぎ役を果たしてくれたらいいなと思います。それが、多様な人をこぼれ落ちないようにする方法だと思います。
コロナで閉じたからこそ、外に開く観光やアートが必要
——コロナ禍では人の移動が感染リスクになるため、旅行もしづらいです。観光やアートに可能性を見出してきた小松さんはこの影響をどう考えていますか?
人に会わないこと、感染から身を守ることだけに注力すると、外部がなくなってしまいます。閉じたコミュニティに風穴が開かなくなります。
内にこもり、外からの風が入らなくなると、向き合うべきものがどんどん自分になる。自分自身に根を詰めて向き合うと、つらくなります。

人は他者との関わりがなくては生きていけません。自分の想像力の外に世界を押し広げてくれるアートも、こういう危機の時代だからこそ、より求められていくはずです。
ただ、それは前の状態に戻るのではなく、新しい観光のあり方が模索されるのだと思います。
コペンハーゲンは「観光の終焉」を宣言したそうです。
外から来る人に無理して何かを提供するのではなくて、外から来た人に市民社会に加わってもらったり、参加してもらったり、そこにある文化を味わってもらったりする。
観光客のための観光ではなくて、そこに暮らす人が元気になる観光にするのだと宣言したようです。

コロナ禍は、観光やアートの役割も新しく捉え直すチャンスだと思います。人間や社会が内に閉じこもろうとしている時だからこそ、外に開く観光とアートの持つ力はより重要になっています。
——小松さんがいわきで行っているスタディツアーも外に開く試みでしょうか?
原発事故の直後に、なんでこんな理不尽な目に遭わなければならなかったのか考えました。地元が放射能で汚され、傷つけられ、なぜ今、自分がここで暮らしているのか、自分のルーツを探りたくなったのです。
地域を回って、人の話を聞くうちに、ここに石炭の町があったから、いわきは工業の町になったのだと気づきました。崩れてしまったアイデンティティを再構築するために地域や地元の産業構造を知ることで、僕は復興したのだと思います。
こうしたいわきの姿を案内することで、僕は外から来た人にエネルギーについて、エネルギー産業を背負った地域、バックヤード(裏庭、裏方)みたいな地域があるんだということについて考えてもらいたい。
都市に暮らしている人は消費するばかりだし、「こういう地域があったのか、知らなかった!」と感じてくれるだけでも十分です。そして、うまいものを食べてもらって、接点が作れれば成功です。
また、僕自身も外の人に関わりをつくりたいし、何度も語り直すことで自分も再発見があるのです。

フラットに関わり相手の尊厳を守る「共事者」
——小松さんは、当事者や支援者ではなく、ゆるいきっかけでつながり、なんとなく関わりをもってしまう「共事者」(事を共にする人)という言葉を作りました。観光客は共事者になり得ますか?
僕はそう思います。ゆるふわっと来た人が何かで鍵を握ることはあると思うし、そういうエラーがないと、手段や目的ががんじがらめになって、そこに余白がなくなります。
以前、若年性認知症の方の講演で聞いた話ですが、支援者に「サッカーをしたい」と相談したら、支援者は「私たちはサッカーができません」と慌てたそうです。
しかし当事者は支援者にサッカーをしてくれなんて思っていない。サッカーチームなどとつないでもらうことなどを望んでいたのです。
自分たちで課題を丸抱えして、半ば当事者になるのが支援者ですが、この場合はサッカーを一緒にする外部の人が鍵を握ります。
若年性認知症であるかどうかは関係なく、一緒にサッカーをただ楽しむ人がいることが、当事者の尊厳や希望になる。
そういうサッカーのようなゆるいつながりを通じて、相手の尊厳を守る人のことを「共事者」だと思っています。意図せず、弱さや困難を抱えた人とフラットな関わりができることを僕は希望だと感じるのです。
当事者と支援者だけでは外部が失われます。「なんだかよくわからないけど、面白そうなんで来ました」とふまじめに関わる人がいないと、しんどくなります。観光も、被災地に共事者が生まれるチャンスだと思います。
他者と喜び合うことで回復する
——結局、外部の人が訪れる、人が集うことはどういう意味があるのでしょうね。
復興って一人でできるものではありません。
被災地であっても、「綺麗な場所ですね」と褒められたり、「美味しいですね」「また来ますね」と言われたり、他者と触れ合ってポジティブな気持ちを交換し合って回復していくものだと思います。

誰かと一緒に喜び合うことが人間の回復には欠かせないと僕は思う。コロナだろうが放射能であろうが同じです。
今、人はコロナで傷ついています。不安になったり、疑心暗鬼になったり、誰かを亡くしたりしている。
一人で噛み締める時間も必要ですが、これから私たちが経験したことはどういうことだったのか語り合い、できるだけ他者と共に喜び合う場を通して回復していくのではないでしょうか。
——喜び合うだけでなく、悲しみ合う、もあるでしょうか。
そうです。悲しかったね、つらかったねと言い合うだけでもいい。被災地に住んでいると、被災した人同士でしか共有できない意識もあるし、逆に外の人からでないと癒せない傷もあると思います。
つらかったよねと共感し合うことも大事だし、「この街で暮らすのっていいよね」と喜び合うことも大事です。

外から来る観光客と交流するからこそ、内輪で悶々と考えてきたことが開けたり、共感が生まれたり、自分たちの持っている価値に気付いたりしながら、自分たちも再生していく。
再生していく中で科学や医療との信頼感も合わせて回復していけたら、もう少しコロナ前とは違う回路ができるでしょう。
それがコロナ禍で生まれた財産になるのではないでしょうか。 傷を受けたからには、その傷がなんらかの強さになっていくことが回復していくことだと思うのです。傷がもとに戻るのではなく。
僕が「原発事故は障害だ」と書いたのもそうですが、コロナも完全に元どおりには戻らないのかもしれない。コロナで僕らは何に傷つき、何が戻らないのか。それでも何かプラスに転じられるものはないのか。分析して、障害を丸ごと受け入れていく。
その障害は、もしかしたら僕らがリスクと共に生きていることに気づくきっかけになるかもしれません。
観光客のような人がゆるふわな動機で傷ついた街に来てくれるおかげで、自分たちの強みに気づくこともあるし、蹂躙されて嫌な思いをすることもある。
それでも僕は内側にこもるよりは、外からの関わりがあってほしいと思っています。
(終わり)
【小松理虔(こまつ・りけん)】ローカル・アクティビスト
1979年、福島県いわき市小名浜生まれ。福島テレビの記者、上海での日本語教師や情報誌の編集者を経て、2009年に帰郷。いわき市小名浜で好きな活動ができる共同スペース「UDOK.」を主宰しながら、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、様々な分野の企画や情報発信に携わる。2011年の東日本大震災を機に、市民有志で東京電力福島第一原発沖の魚を釣って放射線量を測る海洋調査隊「うみラボ」や、地元で獲れた魚と酒を小名浜の鮮魚店で味わうイベント「さかなのば」にも取り組む。
2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)がある。