1929年10月のような株価暴落は、さまざまな要素が絡み合って引き起こされるが、いずれにせよ経済の弱点を露呈することが多い。
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- 株価暴落は、その直後は大きな痛みを与えるとしても、ゆくゆくプラスの結果を残す。
- 米国では株価暴落が、米連邦準備制度、証券取引委員会(SEC)、連邦預金保険公社(FDIC)の創設につながった。
- 株価暴落の原因はさまざまだが、最終的な結末はいつだって同じだ。市場は回復するのだ。
何よりも投資家を恐怖に陥れる4文字——それが「株価暴落」だ。
怖いのは、損失(これもまた投資家が心を痛める言葉だが)を被るからだけではない。いつ株式市場が暴落するか、だれも確実にわからないから怖いのだ。だが、後から振り返ってみればその兆候はしばしば見い出せるし、何が原因かはっきりとわかることもある。
どのくらいの下げが株価暴落に当たるのか正式な定義はないが、一般的には取引所/株式市場が1営業日中に少なくとも10%下落することを指す。だが、世界が明日終わるのではないかと思ってしまうほど、突如ボラティリティ(変動率)が上昇するときはいつでもその可能性がある、とカルフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネス(Haas School of Business at the University of California Berkeley)でファイナンスを教えるテリー・マーシュ名誉教授は言う。
過去に起こった8つの大きな株価暴落とその原因、さらにはその結末を紹介しよう。特筆する場合を除き米国で起こった事象だが、その影響は往々にして他国にも波及する。
1907年恐慌によって引き起こされた経済的ダメージは、連邦準備制度(Federal Reserve System:Fed)の創設と、金融市場に対する政府の監督強化につながった。
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1. 1907年恐慌
何が起きたか?:ある投資家集団が、ユナイテッド・コッパー社(UCC)の株式買い占めのために銀行から借り入れを行った。UCCは投機的な圧力を受けて破綻し、その後相次いで企業が倒産した。株式市場は15~20%下落。銀行に対する世間の信頼は失墜し、人々は預金の引き出しに走り、壊滅的な取り付け騒ぎが起こった。
損害:一部の銀行と証券会社が破綻し、生き残った金融機関の経営陣の多くが辞任や解雇に追い込まれた。企業は銀行融資を受けられなくなり、経営難に陥った。
その結果どうなったか?:「複数の金融機関が経営難に陥れば、誰かが金融システムに流動性を注入しなければならないことを学んだ」というのは、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院(Kellogg School of Management at Northwestern University)のファイナンス学教授、カローラ・フリードマン氏だ。当時は、民間の金融資本家J.P.モルガンが救済策をまとめ、最終的に取引所の秩序を回復した。だが、株式市場がいかに経済的に重要かを実感した米国政府は、金融政策の策定と危機時に緊急資金を提供する連邦準備制度(FRS)を創設した。
2. 1929年・大恐慌
何が起きたか?:およそ10年間、株式市場は投機的な上げ相場を続けていた。工場での過剰生産と狂騒の20年代に有頂天になった消費者は、過度に資金を借り入れていた。金融資産は永遠に値上がりするのではないかと思われた。だが、過熱状態であることに気づいた経験豊富な投資家たちがついに売りに回り始めた。株価はまず10月24日に大きく下落したあと、わずかに反発し、その後10月28日と29日に大暴落した。この間、ダウ工業株30種平均は25%下落し、10月29日はブラックチューズデーとよばれた。その後も株価は変動を続け、最終的に市場は85%下落した。
損害:1929年の大恐慌がその後の世界恐慌の引き金になったわけではないが、根底にあるさまざまな経済問題への警鐘となり、事態をさらに悪化させた。銀行には預金者が引き出しに殺到し、それに対応しきれなくなった銀行が破綻に追い込まれ、預金者は貯蓄を失った。貸手がいなくなった企業が倒産し始め、モノ不足に陥った。最終的にアメリカ人の25%が職を失い、差し押さえや移住が増え、深刻な貧困に陥った。国内総生産(GDP)は30%低下した。経済不安は海外へも波及し、特に欧州は大打撃を受けた。
その結果どうなったか?:さまざまな改革と新たな規制が導入された。そのひとつが個人向け銀行業と投資銀行業を分ける1933年のグラス・スティーガル法(the Glass Steagall Act)であり、銀行預金者保護のために連邦預金保険公社(FDIC)が創設された。また、安定した成長と公平な競争を促進するために全国産業復興法(The National Industrial Recovery Act)が可決される一方、株式市場を監視し、投資家を不正行為から保護するために証券取引委員会(SEC)が創設された。
まだ試されていなかった新しい自動売買プログラムが株価の下落をエスカレートさせ、1987年の暴落につながった。
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3. 1987年・ブラックマンデー
何が起きたか?:原油価格の下落および米国とイランの緊張の高まりから市場が悲観的になった。だが、不気味なことに1929年の大恐慌から58年目に当たる10月19日に、市場の大暴落をもたらしたのは比較的新しいプログラム売買だった。これにより、証券会社がより大きな注文を素早く出せるようになったのだ。不幸なことに、プログラム売買の登場で、価格が急落し始めると取引をすぐに停止することが難しくなった。最終的にダウ平均とS&P500種株価指数はそれぞれ20%以上、ナスダック総合株価指数は11%下落した。各国の株式市場も急落した。
損害:幸いなことに、この時の相場急落は景気後退や危機に至らなかった。トレーダーのブレアー・ハル氏は、ブラックマンデーの日にシカゴ・オプション取引所に大量のオプション注文を出して大儲けした。大暴落の主な犠牲者は、消費者の信頼感だった。端的に言えば、「人々を怖がらせたのはコンピューターとITがもたらした問題」だったのだと、マーシュ教授は説明する。
その結果どうなったか?:金融業界は、世界中の株式取引所がいかに相互に連結しているかを実感した。SECは、証券取引所で一定値幅下落すると取引を停止する「サーキット・ブレーカー制」を導入した。また、流動性を確保するために、当時のアラン・グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長は、信用供給を約束し、「FRBが支援する」ことを明確にしたと、バンノックバーン・グローバル・フォレックス(Bannockburn Global Forex)のチーフ・マーケット・ストラテジスト、マーク・チャンドラー氏は語る。
4. 1992年・日本のバブル崩壊
何が起きたか?:1980年代、日本の不動産市場と株式市場は未曽有の高値を付けていた。初めはファンダメンタルズに基づく日本経済の成長に裏付けられていたが、80年代終盤には、上げが上げを呼ぶ投機的な動きとなっていた。1992年、ついに膨張した不動産と株式市場でバブルがはじけた。
損害:日経平均株価は約半分まで下げ、日本経済は軽微な景気後退へと緩やかに向かった。高級レストランから客足は遠のいたものの、大規模な企業閉鎖には至らなかった。ただし、経済成長も力強さに欠いた。一般的にポートフォリオに占める日本株の比率はさほど多くないため、米国投資家への打撃は小さかった。だが、日本の投資家が株式市場への信頼を完全に取り戻すことはなかった。
その結果どうなったか?:日本政府は金融制度を巧みに規制した。「それにもかかわらず、日本の(株式)市場は回復に数十年かかった」と言うのは、UCLAアンダーソン・スクール・オブ・マネジメント(UCLA Anderson School of Management)のファイナンス準教授テイラー・ミューア氏だ。日本経済もまた然りで、事実、1990年代は日本の「失われた10年」と言われた。
1990年代後半、タイのバーツ相場の暴落は、東南アジア全体に経済的混乱を引き起こした。
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5. 1997年・アジア通貨危機
何が起きたか?:1997年7月2日、米ドル建の借り入れが多いタイ通貨に圧力がかかった。タイ・バーツが20%急落して負債と債務不履行が急増し、複数のアジア金融システム全体に影響が波及した。
損害:マレーシアやインドネシアといったその他アジア通貨も急落した。「韓国では破綻に追い込まれた国家が債務を返済できるように、国民が金(ゴールド)を持ちよる金集め運動が起こった」とチャンドラー氏は言う。
その結果どうなったか?:金融支援を受ける代わりに国際通貨基金(IMF)から厳しい緊縮財政や高金利政策を課せられたあと、東アジア諸国は自己防衛を学んだ、とマーシュ氏は言う。またこの通貨危機で、地域の金融市場と経済がいかに密接に関係しているかという認識が高まった。
6. 2000年・ITバブル崩壊
何が起きたか?:1990年代、インターネットが専門家や個人の生活を一変させ、会社名の末尾に「.com」とついた株式が急騰した。12の大型株が1000%以上上昇した。その1つが半導体メーカーのクアルコム(Qualcomm)で、株価は2500%以上上がった。投資家はハイテクセクターの新規公開株を買い漁ったが、すべてのインターネット関連銘柄が成長を持続できるわけではなく、実行可能なビジネスプランさえない企業があることに気づいていないようだった。「ニューエコノミーが誕生していたが、それに価値を見い出すのは難しかった」とチャンドラー氏は言う。だが、FRBが金融政策を引き締めたことも手伝って、投資家はようやくそのことに気づき、ハイテク株を売り始めた。2002年10月までに、ハイテク株の比重の高いナスダック総合株価指数は、2000年3月に付けた5048.62ポイントの最高値から75%以上下落した。
損害:Pets.comやToys.com、WebVan.comといった企業とともにその他大小インターネット企業が数多く廃業した。大手優良ハイテク株さえも大きく下落した。
その結果どうなったか?:多くのハイテク新興企業が裸の王様だということが露呈した。また、相場全体が下落したことで、その他企業でも、相場が崩れなければ隠されたままだった不正会計などが明らかになったと、ムーア教授は言う。2002年に投資家を企業の不正から保護するサーベンス・オクスリー法(Sarbanes-Oxley Act)が制定された。また、「インターネット・ファンドへの投資前に、デューデリジェンスを綿密に行う証券会社が増えただろう」とマーシュ教授は指摘した。
2008年に老舗のリーマン・ブラザーズが倒産したとき、すでに不動産バブルの崩壊で揺れていた株式市場はさらにパニックに陥った。
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7. 2007~08年・サブプライム住宅ローン危機
何が起きたか?:21世紀初めに不動産市場が過熱した。住宅ローンの貸手は手数料欲しさに、信用力の低い住宅購入者に事実上資金を提供した。投資家は、こうした「サブプライム」ローンが担保となった住宅ローン担保証券(MBS)やその他新しい投資商品を買い漁った。だが、こうした事態の行きつく先は避けられない。借金まみれになった借手が債務不履行に陥り始め、不動産価格が下落し、それらを担保とした投資商品の価格は急落した。投資家はそれに気づき、2008年に株式市場は下落し始めた。9月上旬までに約20%下落し、9月15日にダウ平均は約500ポイント下落した。
損害:老舗証券会社のベア・スターンズ(Bear Stearns)やリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)など、不動産担保証券に積極的に投資をしていた大手金融機関が破綻した。銀行は「誰を信じていいかわからなくなり」企業は融資を受けられなくなったと、ミューア教授は言う。失業率は10%近くに達した。こうした悲惨な状態は海外にも飛び火し、2008年10月9日に日経平均株価は約10%下落した。米国は世界金融危機に突入し、公式には2009年まで景気後退が続いたが、その後の景気回復も何年にもわたり低調だった。
その結果どうなったか?:連邦政府は不良債権救済プログラム(TARP)を通じて、苦境に陥った金融機関を救済した。また、住宅ローン保証の買い取りや証券化を行うファニー・メイ(Fannie Mae)やフレディ・マック(Freddie Mac)など、経営破綻した政府系機関を管理下に置いた。2010年、ドッド・フランク・ウォール街改革法・消費者保護法(The Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act)が制定され、初めてスワップやその他エキゾチック商品が規制され、消費者金融保護庁(Consumer Financial Protection Bureau)が創設された。
8. 2020年・コロナショック
何が起きたか?:2020年初めに中国、その後ヨーロッパ(特にイタリア)、そして米国で新型コロナウイルスの感染が拡大し、感染の波を食い止めるために外食や不要不急の店舗が休業を余儀なくされた。新型コロナウイルスの感染がどの程度拡大し、どれほど経済的な悪影響が生じるのか投資家が意識するにつれて、株式市場は激震し始めた。3月16日に強制的なロックダウン(都市封鎖)が発表されると、ダウ平均は約13%、S&P500は12%下落した。
損害:困った企業は従業員の一時帰休や解雇を行い、一部の企業は廃業した。レストランはデリバリー業務だけか、一部の営業に限定された。旅行制限は航空業界やホテル業界に大打撃を与えた。新型コロナウイルスは甚大な人的損失をもたらし、米国で30万人以上、世界中で150万人以上が死亡した。 シンクタンクの予算・政策優先事項センター(Center on Budget and Policy Priorities)によると、2020年9月時点で失業しているか、失業した家族と生活している人は3100万人超に上った。
その結果どうなったか?:2020年コロナウイルス支援・救済・経済安全保障法(CARES法)により失業保険が延長され、政府による現金給付が米国人の生活を救った。アマゾンなどの電子商取引企業や、感染拡大から身を守る個人用防護具(PPE)のメーカー、医薬品企業の株価が急騰し、株式市場は反発した。パンデミックの間、従業員が在宅勤務を行っていた多くの企業は、パンデミックが収束しても在宅勤務を継続するだろうと回答したが、「この先ずっとそうかはわからない」とミューア教授は言う。
株価暴落に関するFAQ
株式市場が暴落すると何が起きるのか?
- 株式市場が暴落したときの影響はまちまちだ。限定的なこともある。例えば1987年10月19日のブラックマンデーのときは、5年間強気相場が続いた後、ダウ平均とS&P500はともに20%以上下落し、その後アジアおよび欧州全域に波及した。このときの下落は短期間で収まり、市場はすぐに反発した。数日中にダウ平均は下げ幅の43%超を取り戻し、2年以内にほぼ100%回復した。
- だが影響が広範囲にわたり長引くケースもある。最も悪名高いのが1929年の大恐慌だ。株価はまず10月24日に下落し、その後わずかに反発した後、10月28日と29日に大きく下落した。最終的な下落率は85%に上った。この暴落だけが原因ではないが、これが米国史上最悪の経済期である世界恐慌の一因となり、およそ10年間続いた。
株式市場の暴落の原因は?
- 過去を振り返ってみると、長く景気が拡大し、株式市場が上昇したあとに相場が大きく下落することが多い。経済に対する自信、うなぎ上りの株式市場、低い失業率はどれも、持続的な上げとして知られる強気相場をけん引する。だが、株価が永遠に上昇し続けることは不可能であり、強気相場は長くは続かない。1929年のように市場センチメント全体が変わるときもあるが、たいていは何らかの引き金がある。
- 株式市場の暴落をもたらすきっかけはさまざまだ。
- ・パニック
- ・天災や人災
- ・経済危機
- ・投機
株式市場の暴落は防げるか?
- 実質的に株式市場の暴落を防ぐ方法はない。だが、政府は激しい下落と市場の動揺を防ぐための安全策を講じている。そのひとつが、1987年の暴落後に導入されたサーキット・ブレーカー制だ。S&P500が前日よりも7%以上下落すると、米国株式市場の取引が15分間停止される。20%以上下落すると終日売買停止になる。
- 市場を安定化させようと、民間の投資家が大量の株式を購入する場合もある。事実、100年前はこの方法が極めて有効で、1873年と1907年のパニックを短期間で収束させた。政府自身が介入し、金利を引き下げて投資家の借り入れや購入を促進することもある。だが、こうした緩和策があっても暴落は起こり得る。
株式市場が暴落したときはどうするべきか?
- 株式市場が暴落してもパニックになって投げ売りしてはならない。暴落は短期間で収束し、価格はすぐに反発しうることを覚えておいてほしい。生活費として投資収益やキャピタルゲインを当てにしており、このお金が必要になるまでに損失を取り戻す時間がない高齢者は特に肝に銘じておこう。
- 一歩進んだ投資戦略としては、ポートフォリオにディフェンシブ銘柄も組み入れておくことだ。ディフェンシブ銘柄は、相場下落の影響を受けにくい、公益事業や食品といった生活に必需とみられる業種が該当することが多い。あるいは、貯蓄の一部を譲渡性預金(CD)や債券など、金利がつく安全な金融商品に置いておくという手もある。
株式市場の調整とはなにか?
- 株式市場の調整は、株式市場の暴落とは異なり、人為的に高騰した株価や持続できないほどの成長の修正として起こる、市場や個別銘柄の10~20%程度の一時的な下落だ。数日で終わることもあるが、たいていは数カ月続く。
- 株式市場の調整はさまざまな理由で起こり得る。市場トレンドを追う投資家は多いため、上がると思って株式を買うと他の人が追随する可能性がある。これが株価の上昇を引き起こす。こうした事態が起きると、その株を持っている一部の投資家は、株価が高値を付けているうちに利益を確定しようと売り始めるかもしれない。他の投資家がそれに続くと、株価が一時的に下落する。
- 市場に対する信頼感が一進一退するにつれて、こうした調整が大規模に起こりうる。良いニュースが出れば株価は人為的に押し上げられ、株式に対する需要が減退する地点まで到達すると、安値でも投資家が売ろうとする。
- 弱気相場と異なり、株式市場の調整は短期的なことが多く、ふつうは自律反発する。平均して調整は4カ月程度続く。
- だが、調整がどのくらい続くかを確実に当てることはできない。市場の調整はどれも同じではなく、弱気相場に転じる場合もある。そうなれば、もっと長く相場の低迷が続く。
株価暴落に関するまとめ
上記で説明した例の多くは、証券取引所を襲う惨事が、たとえ目先は多くの痛みとなろうとも、その後多くのプラスの結末を残すことを示している。
株価暴落で何年にもわたり経済が低迷することもある。一方で、消費者の信頼感が揺らぎ、ただ銘柄選別に慎重になるだけのこともある。人的被害をもたらし、根本から流れを変える政府改革につながることもある。
銅会社に対する熱狂からマンション価格に至るまで、株価暴落をもたらす要因はさまざまだが、最終的な結末はいつだって同じだ。市場は回復するのだ。