植物の光合成を人工的に再現することはできるのだろうか。
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太陽の光を利用して、水と二酸化炭素(CO2)から植物の生命活動に欠かせない物質を合成する「光合成」。
実はいま、ほとんどの動物に許されていない、植物の特権とも言えるこの化学反応を人工的に再現し、工業の現場で活用しようという「人工光合成」の研究が注目されています。
うまく行けば、私たちは地球上に膨大に存在する「水」と、空から降り注ぐ無尽蔵のエネルギー源である「太陽光」を使い、地球温暖化の原因であるCO2を「資源」として有効活用することも夢ではないかもしれません。
2021年12月には、豊田中央研究所が太陽光のエネルギー変換効率が世界最高の10.5%にもなる人工光合成セルを開発したことを発表しました。豊田中央研究所は、光を当てることで水とCO2から有機物である「ギ酸」を合成しました。
三菱ケミカルや信州大学・東京大学が中心となって進めている新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の人工光合成にまつわるプロジェクト(2014年度〜2021年年度)では、光のエネルギーを利用して化学反応を促進する「光触媒」を使って水を分解して水素を製造したり、プラスチックなどの化学製品の原料となる「オレフィン」を製造したりする手法の開発・実証を進めてきました。この事業は2021年度からNEDOのグリーンイノベーション基金事業にも採択され、2030年度までの10年間で約170億円の助成を受けることが決まっています。
総額2兆円におよぶグリーンイノベーション基金は、2020年12月に菅義偉首相(当時)が策定したグリーン成長戦略の肝いり事業だ。
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人工光合成への注目度は、海外でも高まっています。
米国エネルギー省(DOE)は、2010年に人工光合成ジョイントセンター(JCAP:Joint Center for Artificial Photosynthesis)を設置し、100億円以上もの資金を投じて基礎研究を進めてきました。
2020年にJCAPへの資金提供は終了しましたが、DOEでは、新たにJCAPの後継にあたる人工光合成に関連する研究プロジェクトに対して、5年間で1億ドル(約127億円、1ドル=127円換算)の資金提供を発表するなど、研究開発に力を注いでいます。
もはや待ったなしの状態まで進んでいる地球温暖化を抑止する技術として。そして、ウクライナ危機などによって高騰している、石油資源の代替資源を確保する技術として——。国、大学、民間企業が一体となって、人工光合成の研究を進めているのです。
4月のサイエンス思考では、東京理科大学で人工光合成について研究している、工藤昭彦教授に話を聞きました。
「光合成」を人工的に再現する価値
東京理科大学理学部応用化学科・総合研究院カーボンバリュー研究拠点の工藤昭彦教授。
撮影:三ツ村崇志
「中学校や小学校で習う光合成は、『水とCO2から糖と酸素を作る』という反応だったと思います。太陽光のエネルギーを使って、元々安定した分子だった水とCO2から糖を作る。その意義は、光エネルギーを化学エネルギー(物質)に変換しているということにあります」(工藤教授)
工藤教授は、光合成の意義をこう語ります。
私たちは、太陽電池パネルを使うことで、太陽から放たれた光のエネルギーを電気エネルギーに変換することができるようになりました。ただ、電気は非常に便利ですが、電池がなければ保存することができません。
一方で、石油などの化石燃料は、液体や気体の状態でそのまま保管し、必要なときに、必要な分だけ使うことができます。私たちにとって使いやすいように加工することだって可能です。これがエネルギーを「物質に変換する」ことのメリットです。
「再生可能エネルギー(光)を使って、CO2や水、場合によっては窒素などの非常に安定したものから、(エネルギー源や素材の原料となる)高エネルギーの物質を作ろうというのが『人工光合成』なんです」(工藤教授)
人工光合成の2つの狙い
実験の様子。ランプで光を当てて、発生した気体を回収して反応効率などを計測する。
撮影:三ツ村崇志
では、人工光合成の研究者たちは、光を利用していったい何を作ろうとしているのでしょうか。
工藤教授は、研究の方向性として大きく2つあると言います。
一つは、光エネルギーを使って「水を分解して水素を作る研究」。そしてもう一つは「CO2を『還元』して有機化合物を合成する研究」です。
光合成によって糖や酸素が生じる反応は、細かく見ると複数の化学反応が連なった現象だということが分かっています。
大きく分けると、まず植物に含まれる葉緑体に光が当たり、水分子から酸素と高エネルギー状態の物質が生じる反応が起きます。そして、この高エネルギー物質がCO2と反応(還元反応)することで、糖が作られています。
前半の酸素や高エネルギーの物質が生じる反応は、さらに水分子が分解されて酸素が生じる反応と、高エネルギーの物質が生じる反応の2段階に分かれています。どちらの反応でも光のエネルギーが利用されているため、まとめて「明反応」と呼ばれます。一方、後半の糖が作られる反応は光が不要なため「暗反応」と言われています。
一般的な「光合成」は、明反応と暗反応を合わせた全体の反応を指しています。
人工光合成の研究でも、明反応で高エネルギーの物質を作る代わりに「水から酸素と水素を作る研究」と、暗反応に相当する「CO2を『還元』して有機化合物を合成する研究」に分かれて研究が進められています。ただ、工藤教授は必ずしも植物のようにこの2つの反応が一体となっている必要はないといいます。
現代の産業に必要不可欠な水素
既存の化学工業はもちろん、燃料電池や水素自動車などが普及していくにつれて、水素の需要も高まっていくことが想定されている。
撮影:三ツ村崇志
そもそも、脱炭素社会を目指す現代において「水素」は化石燃料の代わりになる燃料の一つとして期待されています。また、水素はアンモニアやメタノール、ガソリンなどを製造する原料でもあります。
ただし、水素はいまのところ化石燃料から製造されています。つまり、人工光合成によって、地球上にほぼ無尽蔵に存在しているとも言える水から、環境負荷をかけずに水素を作ることに大きなメリットがあるのです。
また、化学工業の現場では、もともと水素と一酸化炭素(CO)の合成ガスからさまざまな化学製品が生み出されていました。工藤教授によると水素とCO2からでも、同じような製品を合成することが可能だといいます。
実際、一般的な触媒(熱触媒)を使って、CO2と水素からCOを作ることができます。COができてしまえば、あとは既存の化学工業のプロセスで、さまざまな化学製品を合成することができます。
「既に技術的にさまざまな触媒があるので、水素ができてしまえばCO2をいろいろなものに変換することができるんです。問題は『では何を作るか』というところです。そこで触媒の研究が進められているんです」(工藤教授)
そう考えると、植物の光合成のように、水と光を使って直接CO2から何かを作るという産業的な需要はそこまで高くはないといえます。
ただ、非常に安定した分子である水を使って反応を引き起こすことは、化学的に非常に難しいことだとされています。それを突き詰めることは、基礎科学的には非常に価値のあることです。
「やっぱりみんな、(植物と同じように)CO2を直接反応(還元)させたいという気持ちはあります。化学反応として非常に興味深いですし、(基礎研究として)それはそれでやる価値はあります」(工藤教授)
「植物を超えられるか」
浪江町の棚塩地区で稼働中の「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」。
提供:東芝エネルギーシステムズ
ただ、水素を作ることだけを考えるなら、何も人工光合成に縛られる必要はありません。
例えば、太陽電池パネルで発電した電気を使って電気分解をすれば、簡単に水素を得ることができそうです。実際、福島県浪江町では、NEDOのプロジェクトとして、大規模太陽光発電所での水素製造の実証が進められています。
工藤教授も、太陽光発電で水素を製造したとしても「マクロに見れば同じです。ですので、手段としては何でもいいんです」と指摘します。しかし、量産化を考えたときに、選択肢として光触媒を活用した研究も進めておくべきだと主張しています。
「光触媒は、まだ効率が低いことが課題です。現状ではすぐに実用化することは難しい。ただ、コストが安く済む可能性があるということで、伸びしろがあると思っています」(工藤教授)
光触媒を用いた人工光合成のシステムは、いくつかの形式に分かれています。
例えば、冒頭に紹介した豊田中央研究所の事例は、Artificial Leafとも呼ばれる太陽電池デバイスを組み合わせたものです。他にも、水素を発生させるための2段階の反応それぞれに必要な光触媒同士をつないだ「タンデム型」というタイプもあります。これらのタイプの光触媒は、太陽光から水素を発生させる効率(STH)が比較的高い点が特徴(最高値で10%ほど)ですが、一方でコストがかかることが懸念です。
そのため、NEDOのプロジェクトなどでは、量産化を視野に入れて、コストが抑えられる、2種類の光触媒の粉末をシートに吹き付けたタイプの光触媒に注目しています。
「(粉末タイプの光触媒の)太陽光を水素に変換する効率(STH)はせいぜい1〜2%です。これを3〜5%にまで高められれば、今よりも多くの企業が参入してくれると思います。そうなれば大規模な実証試験もできるようになるはずです」(工藤教授)
植物の光合成のエネルギー変換効率は、高くても数%程度だと言われています。
人工光合成を現実にするには、少なくとも植物と同じレベル。あるいは、植物を超える性能の材料を見つける必要があるのです。
すべての鍵を握る「材料開発」
植物の成長には光合成が欠かせない。ただし植物の光合成を上回る光触媒を見出さなければ、産業化は難しい。
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人工光合成が今後期待される水素社会における主流の産業になるか否か、その鍵は、材料開発にかかっています。
「材料開発で効率を上げることが基本です。そこから発生した水素と酸素を分離する技術など、システム全体を考えていく。これができれば、新しい産業にもつながります」(工藤教授)
太陽光には、赤色や青色など、私たちの目に見える光(可視光線)の他、赤外線や紫外線などの目に見えない光も含まれています。人工光合成の効率を高めるには、限られた波長だけではなく、太陽光に含まれるあらゆる光を利用できる材料の開発が必要です。
また、光触媒に当たった光が反応に活用される割合を示す「量子収率」という値も重要だと工藤教授は話します。
実は、光触媒に光が当たったとしても、必ずしも水が分解される反応が起きるわけではないのです。照射された光が全て化学反応に生かせれば(量子収率100%なら)、水素を製造する効率も上がるはずです。
現状では、「変換できる光の波長は限られているものの、量子収率が100%に近い材料」や「量子収率は低いものの、幅広い波長の光を利用できる材料」など、あと一歩の惜しい材料はいくつも見つかっています。ただ、今、研究者が求めている「幅広い波長の光を利用でき、さらに量子収率も高い光触媒」が、いつ見つかるかを見通すことは難しい問題です。
新しい材料を探索するためには、日々の研究の積み重ねが重要であることはもちろんですが、数をこなせばその分性能が上がっていくわけではありません。ひょんなことからある日突然、飛躍的な性質を持つものが見つかるような世界なのです。
「材料開発は『10年後や20年後に必ずできるようになります』と言えるようなものではないんです。ただ、必要な性質を持つ材料が見つかれば、すぐにでも実用化できる。だから、NEDOなどのプロジェクトでは、見つかったときにすぐ対応できるように(水素と酸素を分離する技術のような)周辺技術の開発も一緒に進めています」(工藤教授)
日本は人工光合成をリードし続けられるか
世界的な脱炭素化の流れの中で需要が増している人工光合成ですが、まだまだ十分な技術開発ができているわけではありません。しかしそれでも、日本は世界的に見るとこの研究分野ではトップを走っていると工藤教授は説明します。
そもそも1960年代後半、光触媒で水分解ができることを発見したのは、当時東京大学で研究していた故・本多健一氏と、大学院生だった藤嶋昭氏(現・東京理科大学栄誉教授)です。だからこそ、光触媒で水を分解する反応には「本多-藤嶋効果」と名前が付けられています。
その後、光触媒の研究開発は低迷期を迎えますが、2000年代になると現在NEDOの人工光合成プロジェクトでチームリーダーを務める東京大学の堂免一成特別教授が、紫外線だけではなく可視光線でも水を分解できることを実証しました。こうして再び、世界的にも人工光合成に注目が集まってきたのです。
脱炭素化という強い追い風が吹く中で、人工光合成を含めた関連技術の研究競争は、これから先も苛烈を極めていくことになるでしょう。その中でどう存在感を発揮していくのか。日本の技術力の底力が試されていると言えるのかもしれません。
(文・三ツ村崇志)